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第16話。「深夜の密会と、親父の引き際」

第16話「深夜の密会と、親父の引き際」


我が名はポチ。茶色のスピッツ。


サクラちゃんの『ペットかんさつ日記』が始まって二日目の夜。


リビングは静寂に包まれていた。


昼間はサクラちゃんの純粋な監視の目があるため、僕もタマ(茶トラ)もミケ(三毛)も、完璧な「可愛いペット」を演じ切った。サクラちゃんは満足そうに『きょうもみんな、ただのどうぶつでした』と書いて寝室へ上がっていった。


これでようやく一息つける。


そう思って僕が犬小屋で目を閉じた、その時だった。


カサリ、とリビングのドアが開いた。

入ってきたのは、パジャマ姿のお父さんだ。


足音を忍ばせ、手には冷えた缶ビールと、おつまみのチーたらを持っている。


お父さんはキョロキョロと辺りを見回し、カケルくんやサクラちゃんが完全に寝ていることを確認すると、僕の犬小屋の前にドサリとあぐらをかいて座った。


「……よぉ、ポチ。起きてるか」


お父さんはプシュッと缶ビールを開け、グビリと一口飲むと、妙にシリアスな、まるで会社の部下に大切な話を切り出すようなトーンで僕に語りかけてきた。


「昼間はカケルが騒いで悪かったな。だがな、ポチ。お父さんは知っているんだ。カケルの『ポチ黒幕説』……あれ、あながち間違いじゃないだろ?」


僕は寝たフリをしようとしたが、お父さんの視線がじっと僕の顔に突き刺さっている。


「昨日、タマに『おい、親父、ビール』って言われた時、私は自分の耳を疑った。だが、その後のカケルの見守りカメラの映像、そして今朝の完璧すぎるお前の立ち回り……。ポチ、お前、本当は人間の言葉が分かっていて、あの猫どもを裏でコントロールしてるんじゃないか?」

お父さんはチーたらを一本、僕の鼻先に差し出してきた。


「これはお父さんとお前の、男と男の取引だ。カケルには言わない。お母さんにも秘密だ。だから、ちょっとだけでいい……なんか、こう、犬っぽくないリアクションをして見せてくれないか? お父さん、最近会社でも家庭でも孤独でさ。お前が話し相手になってくれたら、これ以上の救いはないんだよ……」大人の男の、哀愁漂うガチの相談が始まってしまった。


チーたらの良い香りが鼻をくすぐる。


めちゃくちゃ食べたい。

だが、ここでチーたらを前足で器用に受け取ったりしたら、お父さんの「ポチ知能犯説」が確定してしまう。


僕は必死に、ただの犬らしく


「ハァハァ」

と息を荒くして、ヨダレを垂らすことだけに集中した。


その時、僕の後ろのソファの影から、信じられないほど低い、本物の「オッサン声」が響いた。


「おいおい、親父。ウチのドンを安いチーたら一本で買収しようだなんて、いい度胸じゃねえか」

 ば、バカたれーーーー!!!


振り返ると、いつの間にか目を覚ましていたタマが、暗闇の中で目を爛々と光らせて座っていた。


昼間のサクラちゃんへの甘え声は微塵もない、完璧な夜のオッサンだ。


「う、うおっ!? ほ、ほら見ろ! 今、タマが『ドン』って言った! ポチのことをドンって――」


「にゃ〜お?(気のせいよ、親父ぃ。早く寝なさいよ〜)」


お父さんが声を荒らげた瞬間、タマは一秒で猫撫で声に切り替え、自分の前足をペロペロと舐め始めた。


「違う! 今のは絶対に『ウチのドンを』って言った! おいポチ、お前やっぱり……!」


お父さんが僕に詰め寄ろうとした、まさにその時。


リビングのドアが静かに開き、パジャマ姿のサクラちゃんが眠そうに目をこすりながら立っていた。


手には『かんさつ日記』のノートと鉛筆が握られている。


「お父さん、夜中になに大声だしてるの……? ポチとタマがかわいそうだよ……」



「さ、サクラ……! 違うんだ、今、タマが、いやポチが……!」


「お父さん、やっぱりお仕事で頭がおかしくなっちゃったんだね。あした病院いこうね……」


サクラちゃんはノートを開くと、容赦なく


『よなかに、おとうさんがいぬにむかって、おまえがどん(黒幕)だろうとさけんでいました。おとうさんはもうだめだとおもいます』


と書き込んだ。お父さんのライフはゼロになった。


「そ、そんなぁ……サクラ、お父さんは正気だ、正気なんだよぅ……」


ガックリと肩を落として部屋に戻っていくお父さん。


サクラちゃんも


「お父さん、お大事にね」


と言い残して寝室へ消えていった。


静まり返ったリビングで、タマが僕の横にやってきて、床に落ちたチーたらを器用に前足で拾って口に放り込んだ。


「(悪かったなポチ、美味いチーたらの香りに釣られて、つい口が滑っちまった。……にしても、あの親父、本当に美味い引き際を知らねえな)」


「(お前のせいだ。絶対に許さない)」


サクラちゃんの観察日記のおかげでお父さんの追及からは逃れられたが、僕の「黒幕疑惑」はさらに深まってしまったようだ。


僕はチーたらを咀嚼するタマの音を聞きながら、そっとため息をついた。


我が名はポチ。茶色のスピッツ。

僕たちのたたかいは、深夜の密会を経て、まだまだ続くらしい――。(第16話・終わり)

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