第十九章 ぼっちゃまとご学友①
ああ、朝だ。
ぼっちゃまが戻ってきた。戻ってきちゃったよ。
「はぁーーーーーーー」
特大のため息をつき、私はお屋敷へ向かった。
途中、豪雨で道が通れなくなったりしないかな……なんて願っていたけれど、空は見事なまでの快晴。何事もなく、お屋敷に到着してしまった。
笑顔を貼り付けて屋敷に入ると、さっそく声を掛けられた。
「サラフィーナ様、ぼっちゃまがお待ちです」
……ですよね。
「むんす!」
気合を入れて、ぼっちゃまの部屋へ向かった。
***
「遅いぞ、下女」
ぼっちゃまは、相変わらず生意気……ではなく、お貴族様らしい優雅で気品にあふれた態度で私を迎えた。
うーん。確かに、ここ数か月で背も伸びたし、服装も洗練されたようだ。
当主様から厳しく教育されたと風の噂で聞いていたけれど、あまり変わっていない気がする。
「おい、これを見ろ」
ぼっちゃまは、右胸にブローチを着けていた。
二頭のドラゴンが向かい合い、その口元には真っ赤な魔石が挟まれている。ドラゴンの細工は繊細で、かなり手が込んでいることがうかがえた。
「我が家に代々伝わる魔石を、兄上のデザインでブローチにしたのだ。どうだ、うらやましいだろう!」
しかし、デザインがあまりに繊細なせいか、ぼっちゃまが着けると、まるでおもちゃのように見える。
ちょっと、ぼっちゃまにはまだ早いかもしれない。
とはいえ、「どうだ、褒めよ」と言わんばかりの期待に満ちた顔をされては、応えないわけにもいかない。
「大変お似合いですわ。魔石の色とぼっちゃまの髪の色が同じで、お互いを引き立てていますね」
「そうだろう、そうだろう。なにせ、兄上が私のために作らせたのだからな」
大好きな兄上から贈られたブローチが、うれしくて仕方ないらしい。
こういう姿を見ているだけなら、かわいい子供なんだけどな。
「おい、下女。お前には特別に教えてやろう。兄上はな、最年少で騎士副団長になり、次期団長になるのは確実なのだ。しかも、中央貴族院を歴代トップの成績で卒業した。おまけに気品にあふれ、国中の名家から嫁入りの申し込みが絶えないのだ……」
兄上の自慢話が延々と続いた。
途中からは頭がいっぱいになり、話も途切れ途切れにしか耳に入ってこなかったけれど……。
なんでも、上級騎士数人がかりでも討伐が難しい魔物を、魔剣の一撃で弱らせたり。
王から依頼を受けて、複雑な魔術具を作成したり。
おまけに、微笑み一つで貴族女性を気絶させる攻撃……じゃなくて、夢中にさせることもできる、大変有能なお方らしい。
そんな自慢の兄上からもらったプレゼントだ。うれしくて仕方ないのだろう。
うーん。結構長いこと聞いているけど、まだまだ続きそうだ。
とりあえず、うなずいておけばいいか。
しかし、ぼっちゃまの背後から鋭い視線を感じる。
筆頭側仕えのソルトロイドさんだ。
ソルトロイドさんは、私たちの話が早く終わらないかと、待ちきれない様子だった。
なんせ、ぼっちゃまはしばらく留守にしていたのだ。たまった仕事もあるのだろう。
ぼっちゃまの側を離れたいようだが、私がいるせいで、なかなか離れられないらしい。
ついには口元だけを動かし、私に無言の指示を送ってきた。
『掃除に戻れ』
そうですよね。
私もこれ以上聞いていたら、耳から何かが出てきそうだ。
私はぼっちゃまに声を掛けた。
「大変素晴らしいお話でしたわ。もっと素敵なお話をお聞きしたいのですが、下女ですので、お屋敷を掃除しなければなりません。またお聞かせくださいませ」
そう言って去ろうとしたら……。
「おい、待て、無礼者。まだ話は半分も終わっていない。そこに座って聞くことを許す」
なんと、今度は着席指示!
うーん。嫌がらせを受けるよりはいいけど……。
お兄様の話だけじゃなく、王都の話に誘導して聞いてみようかな。
ソルトロイドさんからの圧が、ますます強くなっている気はするけど……。
ぼっちゃまの命令だから仕方ないよね。
すると、ぼっちゃまも何かを感じ取ったのか、ソルトロイドさんに声を掛けた。
「ソルトロイド、お前は仕事があると言っていたな。下女に我が兄の偉大さを叩き込んでやる。お前は行ってもよいぞ」
ソルトロイドさんは、私とぼっちゃまの顔を見比べ、少し迷ったようだった。
けれど、まだまだ続きそうな話に諦めたのか、笑顔で部屋を出ていった。
……でも、その笑顔はなぜか恐ろしい。
『ぼっちゃまに何もするな』
そう言いたげな笑顔だ。
ぼっちゃまに制裁したことを、まだ気にしているのかな……。
バタン。
ソルトロイドさんが部屋を出ていくのを確認するや否や、ぼっちゃまは急に表情をすんと変え、真面目な顔で語り始めた。
「おい、下女。お前を今日からゴッフィーナと呼ぶ。ありがたく思え」
「ふぇ? ゴッフィーナ???」
突然の展開についていけず、間抜けな声が出てしまった。
ゴッフィーナ……なんて酷い名前。
ネーミングセンス、ゼロじゃん。
その後、ぼっちゃまの話を聞いて、ようやく事情が分かった。
ぼっちゃまは、この田舎のお屋敷に住んでいることもあり、ほかの貴族子弟との交流が少なかった。
そのため、貴族らしい言動……つまり、言質を取られず、弱みも見せない会話術が苦手だったらしい。
王都にいる間は、その欠点を改善するために社交に明け暮れたという。
猛特訓の成果もあり、領地に帰る頃には、大人の付き添いがなくても、同じ年頃の男の子たちの会話に一人で参加できるようになったそうだ。
そんなある日、ほかのご子弟たちが、それぞれの領地自慢を始めた。
珍しい魔獣がいるとか、見た目も美しく美味しい果物が採れるとか、貴重な素材が採れるとか。
皆、口々に自慢し始めたらしい。
ところが、ぼっちゃまは自分の領地について、まだ十分に勉強しておらず、あまり自慢できることがなかった。
それが悔しくて、つい口走ってしまったのだという。
「我が領には、珍獣『ゴッフィーナ』がいる!」
あのゴッフルさえ逃げ出すほど醜く、臭いも強烈で、農民たちを怯えさせている。
そこで、ぼっちゃまが退治し、珍しいので飼っている……。
そんな話を、ついしてしまったのだそうだ。
それを聞いたご子弟たちは、
「そんな魔獣など、聞いたことがない。ふん、つまらぬ嘘などつきおって……」
と、ぼっちゃまを馬鹿にした。
そこで、ぼっちゃまは思わず啖呵を切ってしまった。
「私を疑うとは、許せぬ。その薄汚れた目を開き、見に来るがよい!」
ぼっちゃまとしても、まさか本当にその子たちが家に来るとは思っていなかったらしい。
ところが、母親のヨナサーラ様がその子たちの親を招くことになり、近々、領地へやって来ることになったのだ。
二週間後に。
……ってことは、私が『ゴッフィーナ』になるってこと?
「で、でも、ぼっちゃま。私は人間で、魔獣ではありません。無理です!」
全力でお断りしようとした、そのとき。
ぼっちゃまは、無駄に整った顔を悲しげに歪め、足元を見ながらつぶやいた。
「ああ、私の気に入っていた白のスリッパ。あのように汚れてしまっては、もう履けぬ。兄上が私のために用意してくれた大事なものであったのに……。平民であれば、その責を問えたのだがな。」
……ぼっちゃまは、立派に成長してた。
下級貴族には縁のない、相手に直接命じることなく、思い通りに動かす術をしっかり身につけてたよ。
こうして日々、下の者を相手に実践を重ねながら、上級貴族として成長していくのね…。
私は遠い目をして、ぼっちゃまに告げた。
「……分かりました、ぼっちゃま。私、ぼっちゃまのためにやらせていただきます」
とほほ。
それにしても、ゴッフィーナってネーミングセンス悪すぎだよ!!!




