第十六章 救える命があるのなら(前編)
「よいしょっと。これくらいあれば十分でしょ」
私は畑からクラウト草を数本、丁寧に摘み取り、紐でひと束にまとめた。
「ったく、事情を話してくれたら、薬草くらい分けてあげるのに」
昨夜の子供たちによる薬草泥棒事件を思い出し、少し悲しい気分になった。
――そんなに、ケチだと思われてるのかしら。まあ、無料であげるわけにはいかないけど。
畑仕事を手伝ってくれたら、分けてあげたのに。盗もうとしたことはもちろん許せないけれど、今回はセバスチャンも無傷だったから、罪に問うつもりもない。
私は食べ頃の野菜もいくつか収穫すると、セバスチャン(箒と掃除棒)を魔術具のゴミ袋にしまい、村へ向かった。
「わぁ~。故郷の村より立派な家が多いわね。でも、畑の野菜は……あんまり元気がないなぁ」
屋敷に来る途中、馬車から村の様子を見かけたけれど、暗くてよくわからなかったのだ。
……って、あの子たちの家はどこかしら?
きょろきょろと辺りを見回していると、何やら人だかりのできている家があった。
近づいてみると、中から男性の怒鳴り声が聞こえてくる。
人垣の隙間から覗くと、フリッツとカールの兄弟が激しい口論をしていた。
その傍らには、ベッドに横たわる美しい女性と、その女性によく似た可憐な少女がいる。
女性は痩せ細り、顔色も悪く、今にも消えてしまいそうなほど弱々しい。それでも、二人の喧嘩を止めようと、必死に声を出そうとしていた。
「おい、カール。いくらお前の頼みだとしても無理だ。リヒトのことはもう諦めろ。とっくに死んでるだろう」
「兄さん、そんなこと言わないでくれ。ぼっちゃま……いや、レオポルト様にお願いしてみよう。あの方なら、なんとかしてくださるかもしれない」
「馬鹿言え。そもそも、どうやって連絡するんだよ。連絡が取れる頃には、リヒトは骨すら残ってないだろうな」
……何やら物騒な話だ。
「おほん。ちょっと、どういうこと?」
私の声に、二人が驚いたように振り返った。
「あ、サラフィーナ。昨夜の件はすまなかった。悪いが、今は見てのとおり取り込み中だ。後で改めて謝罪と補償をさせてくれ」
フリッツは、私には関わってほしくないとでもいうように、話を切り上げようとした。
ところが、カールは違った。
すがるような目を向けたかと思うと、私の前に膝をつき、両手を組んで頭を下げた。まるで神に祈るような姿勢だった。
「サラフィーナ、どうかリヒトを助けてくれ! あんたに頼むのはお門違いだし、無謀だってこともわかってる。でも、俺にはあんた以外に頼れる貴族がいないんだ。助けてくれたら、あんたの奴隷として命が尽きるまで働く。だから、お願いだ!」
あまりの勢いに、私はたじたじになった。
いったい何があったのか。詳しく事情を聞くことにした。
カールの婚約者であるアヌムートは、生まれつき体が弱く、病気がちだった。
彼女を支えていた両親も、すでにこの世にはいない。母親は三人目の娘ベルンを産んだ後に亡くなり、父親も魔獣に襲われて命を落としたのだという。
残された幼い兄弟たちを養うため、アヌムートは病弱な体を押して、これまで必死に働いてきた。
しかし、無理がたたり、ついに起き上がることすらできなくなってしまった。
ヘルゲじいさんの診察によれば、もともと弱かった心臓が、過労によって限界を迎えているらしい。
その病に効く薬の材料となるのが、アネル花。
ところが、この花は、この世界で最も忌み嫌われている魔獣ゴッフルの巣の近くにしか自生しない。採取に向かった者は、誰一人として戻ってこなかったという。
ゴッフルは、上級貴族並みの魔力を持つ騎士団員が数人がかりで、ようやく討伐できるほどの魔獣だ。それも、一匹を相手にしての話である。
とにかく、魔力を持たない平民には手も足も出ない相手だった。
「諦めろ、カール。サラフィーナは貴族といったって、単なる側仕えだ。しかも、掃除が専門なんだぞ」
フリッツの言い方に、私は少しカチンときた。
「ちょっと! 私、掃除だけじゃなくて、ここに来てから農業だってできるようになったんだからね。それに、平民だって知恵を尽くせば……」
そこで、ふと思い出した。
「そうだ! ベルグの実にあるトゲに、魔虫ゼクトの体液を染み込ませて撒けば、平民でも倒せるわ。有名な物語に出てくるでしょ、その話!」
どこかで聞いた物語の内容を思い出し、私はゴッフルなんて大したことはないとばかりに言い切った。
「ゴッフルを倒せるの? じゃあ、私……これから一人で生きていかなくても済むの?」
ベッドのそばで息を殺して泣いていた少女が、歓喜の表情を浮かべた。
「おい、サラフィーナ! そんな話、誰も聞いたことがないぞ。ベルンに余計な期待を持たせるんじゃねえ!」
フリッツが怒鳴った。
けれど、その言葉を聞いたベルンは、何かを決心したようだった。
カールと同じように私の前に膝をつき、両手を組んで頭を下げた。
「サラフィーナ様、どうか姉と兄を助けてください! 助けていただけるなら……いえ、リヒトの骨だけでも見つけてきていただけるなら、私も奴隷として一生お仕えいたします!」
周囲から、ざわざわと声が上がった。
「無理だ、諦めろ」
「平民になんてできるわけがない」
「貴族といったって、女なんかに何ができる」
好き勝手な言葉が飛び交う。
その中に、聞き捨てならない言葉が混じっていた。
「ベルンは器量がいいから、高値で売れる。何も、あの女にただでくれてやることはない」
その言葉を聞いたベルンが、びくりと肩を震わせた。目を大きく見開き、体を震わせている。
私は、ベルンに向かってそう言った男を睨みつけた。
男は、毛穴の目立つ赤ら顔に、肉厚の鼻と歪んだ口元をしていた。ニタリと下品に笑うと頬の肉が盛り上がり、黄ばんだ歯がぬらりと覗く。
「けっ。俺は本当のことを言ってるだけだ。そもそもアヌムートだって、お荷物だったんだ。カールをたらしこまなきゃ、とっくに売り飛ばされてたさ」
その瞬間、男の体が宙を舞った。
カールが、男を思い切り殴り飛ばしたのだ。
「おい。次に同じことを言ってみろ。その醜い顔がマシに見えるくらいに殴ってやる!」
カールは怒りに顔を歪め、男を睨みつけた。
「もう、やめて!」
そのとき、アヌムートが最後の力を振り絞るように声を上げた。
そして、私に向き直る。
「サラフィーナ様、お見苦しいところをお見せして申し訳ありません。それに、私の兄弟が多大なご迷惑をおかけしてしまい、本当に申し訳ありません」
弱々しい声で謝罪を続ける。
「婚約者や妹が話していることは、どうかお気になさらないでください。私はもう、すべて諦めております。残り少ない命を哀れに思ってくださるのでしたら……どうか、そっとしておいていただけないでしょうか」
その目には、深い絶望と諦めが浮かんでいた。
ああ、この人は、少し前の私だ。
ふいに、サラフィーナが川に飛び込む直前、水面に映った顔が脳裏をよぎった。
すべてに絶望し、何もかも諦めて、自ら命を絶とうとしたサラフィーナ。
車にぶつかり、自転車ごと川に投げ出された私。
普通なら、諦めてしまってもおかしくない状況だった。
それでも私は、必死にもがいて、生きることを諦めなかった。
そして、この世界に来てからも、諦めることをやめたのだ。
そう思ったときには、もう口が勝手に動いていた。
「私、諦めることをやめたんです。だから、あなたたちのことも諦めませんわ」
私はフリッツに向き直った。
「ねえ、フリッツ。さっき話したベルグの実とゼクト虫の体液、用意できる?」
フリッツは、信じられないものを聞いたような顔をした。
「そりゃ、ベルグの実なら畑の魔獣避けに使うから、裏の倉庫に大量にある。魔獣を捕らえる罠に仕掛ける毒として、ゼクトの体液だってある。だが、そんなもん、平民でも簡単に手に入るものだぞ。騎士団でも苦労する魔獣が、そんなもので倒せるわけねえだろ!」
私は、フリッツの話を聞くや否や、倉庫へ走った。
倉庫の中には、大きな袋に入ったベルグの実が山積みになっていた。
私はそのうち二つをむんずとつかむと、
「メーア!」
と唱え、ゴミ袋を大きくして、ベルグの実を押し込んだ。
ええっと、ゼクトの体液はどれ?
棚に並んだ瓶を見比べていると、カールが二本の瓶を手渡してきた。
「これだよ。どうか、二人を助けてくれ」
その後を追ってきたフリッツが、険しい顔で私を見た。
「サラフィーナ、本気で行くつもりか? リヒトがいなくなってから、もうかなり時間が経ってる。もうすぐ日も落ちるし、広い森のどこにいるかもわからない。森に慣れてねえお前じゃ、迷って戻ってこられなくなるのがオチだぞ」
うっ。確かに……。
勢いだけで、何も考えていなかった。
森の道が悪路なら、セバスチャンに運んでもらえばいい。でも、畑を進むスピードはゆっくりだしなあ。
あー、愛車の自転車「そらちゃん」があればなー。
あの日、私と一緒に最後を迎えたであろう、大切な自転車。
高校入学のとき、当時人気があって値段も高かった自転車を、親に無理を言って買ってもらったのだ。
空色だったから、名前は「そら」。
それからずっと、私の足として活躍してくれた。青いペンキは剥がれかけ、ボロボロになっても、どこへ行くにも一緒だった大切な相棒だ。
「! そうよ。ここは魔法の国。箒だって自転車になれるはず!!」
私は愛車の「そらちゃん」を思い浮かべながら、箒に魔力を込めて呪文を唱えた。
「フリーク!」
箒が地面から七十センチほど浮かび上がった。
持ち手の一部がむくむくと膨らみ、サドルの形に変わっていく。さらに先端から枝が伸び、ハンドルの形になった。
ただし、この世界は日本と違って道が舗装されていない。どこもかしこもガタガタだ。
というわけで、タイヤはなし!
さて、次はライトとナビ機能だ。
まず、箒の先端に手鏡を固定する。
光源は……倉庫の壁にかかっていた燭台と蝋燭を失敬して、鏡に光が反射する位置に結わえつけた。
「ティンダ!」
杖の先から出した炎を、蝋燭に移す。
実は、私の魔法の炎はかなり燃費がいい。お得なのだ。
私が命じるまで消えないし、風が吹いても平気。もちろん、燃やすものがなくなれば消えるけれど、普通の炎に比べて燃料の消費も少なく、長持ちする。
「うーん、完璧。あとはナビだよね。この世界、地図情報なんてないし……」
そうだ、匂いをたどればいいじゃない!
追跡用の鼻をつければいいのよ。
そう考えながら魔力を込めると、サドルの真ん中にピンク色の楕円形の鼻が生えてきた。
よーし、完璧!
私はサドルについた追跡鼻に、リヒトがいつも寝ているベッドの藁の匂いを嗅がせた。
すると、探索鼻を通じて、匂いが私の脳に直接伝わってきた。
干し草と土、それに少し汗の混じった匂い。
そして……薬草の匂い。クラウト草だ!
これなら、リヒトを見つけられるかもしれない。
私は箒にまたがると、森へ向かって勢いよく飛び出した。
そんな私の姿を見て、なぜか女性たちは顔を赤らめ、男性たちは目をそらして直視しないようにしていた。
ただ、カールとベルンだけは違った。
二人は祈るように膝をつき、両手を組んで頭を下げ、飛び去っていく私を見送っていた。




