第一章4 『異世界からの来訪者』
場所を移したフィーアとアカリの作戦会議は、終盤に差し掛かっていた。
「はい、これを」
「……これが?」
アカリに作戦を説明したフィーアは、最後にゴトリと重みのある黒い球を手渡す。両手に収まる程の大きさで、表面にスイッチが付いている。
「……そのスイッチは押したらすぐに起爆するから……気を付けて……」
「わ、分かったわ。 ……安全ピンはないの?」
「……あの人がいつも使っている物だから。安全ピンがあると咄嗟に使う時に間に合わないからって………安全意識は必要だと思うけど」
フィーアは不満げにそう呟くと、小物入れを漁り始める。彼女の持つ小物入れは、どういうわけか見た目よりも遥かに多くの物が入るらしい。原理は分からないが、私にも後で一つ分けてくれたりしないだろうか。
「このサングラスと耳栓も付けておいて……」
「ありがとう」
「……アカリ、無理はしないで。あなたは奴を引き付けるだけでいいから……」
「ええ、分かってる。私も死にたくはないから」
会話を終えると、フィーアは民家の屋根の上に身を潜める。
アカリが上手く影狼を誘導し、閃光弾を投げるところまで完璧に出来れば、
「あとは私が決めるだけ……」
魔力による身体能力強化はあえて行わない。魔力を使えば、影狼に察知されるリスクがあるからだ。戦鎚の狙いすました一撃を、奴の額に叩き込むだけ。それで終わる。
「……来たっ……!」
アカリが約束のポイントまで影狼を誘導し、閃光弾による無力化にも成功する。フィーアは既に屋根から飛び上がり、戦鎚を振りかぶっている。影狼はわけも分からないといった様子で、こちらには一切気づいていない。
「ハアアアアアアアアアアアァァァァァァァァッ!!」
気合の入った叫びと共にフィーアが振るった戦鎚は、影狼の額に見事な一撃を与えた。地面を直径十メートルの範囲は陥没させ、影狼の巨躯を地に沈めていた。
こうして、影狼との突然の闘いは幕を閉じた。
* * * * * * * * * * * *
「……無事?」
「ええ、おかげさまで」
二人は闘いが終わり、互いに安堵の表情を浮かべる。影狼はすぐそこの地面に伸びていた。当分は起きないだろう。
「それにしても、お互いボロボロね」
「……あっ、アカリ。いろんなところ怪我してる……。早く手当てしないと……」
影狼との闘いが終わり、改めて互いの状態を確認する。
フィーアは、僅かに残っていたロングコートも完全に破れてしまい、ほどよく筋肉の付いた健康的な肉体が剝き出しになっていた。しみ一つない肌には、血と埃が被っている。
アカリはフィーアほどではないが、制服に所々穴が空いてスカートの裾は破れていた。日々手入れを欠かさない艶のある黒いロングヘアは、痛んでほつれてしまい、膝や肘は軽く擦り剝けて出血していた。影狼から無我夢中で逃げるうちに、無意識に傷つけてしまったのだろう。幸いにも、既に処置を施した額の出血は止まっていた。
「……だけど、ボロボロなのは私たちだけではないのよね……」
「…………うん、そう……だね」
アカリの言葉に、フィーアは目を泳がせながら頷く。辺りを見回してみれば、住宅街は悲惨な有様になっていた。影狼が力強く踏みしめた道は、舗装が剝がれて足跡がくっきりと残り、前足を振り下ろした場所は住宅にまで被害が出ていた。
特にフィーアの戦鎚が振るわれた場所は、甚大な被害を被っていた。戦鎚を振るった際に生じる風圧だけで、植木鉢から自動車に至るまであらゆる物が吹き飛んでいた。道には、彼女が作り出してしまったクレーターがいくつも残っていた。
その惨状を目の当たりにしてしまったフィーアは、膝から崩れ落ちた。
「……私は、戦闘に気を奪われて……なんてことを……」
「き、気にすることないと思うわ……影狼が強かっただけだと思うし……」
「あ、アカリ……」
フィーアが目に涙を溜めながら、アカリのフォローに目を輝かせるが、
「でも、がむしゃらに武器を振り回すのは良くなかったわね。 ……ゴリラじゃあるまいし」
「ふぐっ……!?」
慰めの言葉が貰えると思っていたフィーアは、突然の悪口に目を白黒させる。
フィーアは知らなかった。アカリに友達がいないことも、その理由も。彼女が知らないところで、『孤独で毒舌な女王(笑)』などとクラスメイトたちから呼ばれているということも。
「呆気なく影狼に出し抜かれるし」
「うぐっ……!」
「そもそも、すぐ終わらせると言っておいて結構苦戦してたわね」
「……がはっ!!」
アカリの怒涛の口撃に、フィーアは今日一番の傷を心に負ってしまった。
「それでも」
アカリはフィーアの肩に両手を置き、彼女と目を合わせて諭すように言う。
「私はあなたのおかげで今も生きているんだから。結果はこうなってしまったけれど、自身は無くさないで。 ……改めて、助けてくれてありがとう、フィーア」
「アカリ……!」
フィーアの顔に笑顔が戻る。立ち上がると、胸を張ってドヤ顔に彼女の顔が満たされていく。
「……そうだね。住宅街はボロボロになっちゃったけど、影狼は倒せた。 ……これなら、何も問題な――」
「問題大ありに決まってるだろ、アホフィーア」
「ひゃあぁっ!?」
「っ!?」
フィーアは突然背後から声をかけられて、生娘の様に情けない悲鳴を上げてしまう。
アカリも、唐突に現れた人物の声にビクッと肩を震わせた。
アカリは声の主を探して辺りを見渡すが、それらしい人物は見当たらない。先ほど起こした騒ぎのせいで、人ひとり外を出歩いていない。
だが、キョロキョロしているアカリに、謎の人物は声をかける。
「ここだよ、ここ。フィーアの後ろ」
「えっ?」
声に従ってフィーアの方を見ると、彼女は自分の背後――の下の方に視線を向けていた。
「あ、あなたは……?」
声の主は――人間ではなかった。いや、正確には人間の容姿をしていないと言った方が正しいかもしれない。
身長は1メートルあるかどうかで、全身は白かった。雪だるまのようなフォルムで、ガラスによく似た角張った朱色の腕が二本、身体に付いている。顔に口はなく、本来目があると思われる位置の右にだけ、ぽっかりと穴が空いていた。穴の奥には、生命力を感じる光が灯っていて、こちらをじっと見つめていた。
まるで、SF映画に出てきそうなロボット、もしくは出来損ないの玩具の人形のような見た目をしていた。
「……元は人間の容姿をしていたんだけどね……。 事情があってこんな醜い人形みたいな姿になっちゃったんだ」
彼は僅かに俯く。口には出さないが、人間としての容姿を失うことは想像以上に辛いだろう。
自分を醜いと言っているが、アカリにとってはむしろ――
「そんなことないわよ。とても愛嬌のある姿だと思うわ」
「ありがとう、そう言ってくれると助かるよ」
彼はそう言って、おそらく笑っているのだろう。口も表情筋もないのに、笑っているのが不思議と伝わってくる。
そもそも声はどうやって出しているのだろうか。テレパシーというものかもしれない。謎だ。
「それと、自己紹介がまだだったね。僕の呼び名は消しゴム兵だよ、よろしく」
「私は影内明よ。……それで、消しゴム兵というのはあだ名かしら?」
「いや、事情があってね。僕は名前を持たないんだ。 ――正確には持てないんだ」
曖昧な表現に、アカリは反応に困った表情を浮かべてしまう。それを見て、消しゴム兵はすぐに説明を付け加える。
「魔法をかけられているんだ。呪いと言ってもいい。そのせいで、元の名は誰も分からないし、新しく名付けてもしばらくしたら皆忘れてるんだ」
「なら、その消しゴム兵というのは?」
「僕の元々就いていた役職を少し変えたものだ。これなら、名前と判定されないから忘れることもない」
「そうなのね……ん?」
ふとフィーアの姿が見当たらないことに気付く。心配になって辺りを見回してみると、すぐに見つかった。少し離れた電柱の陰に彼女は隠れていた。
「フィーア? そこで何してるの?」
「……役目を上手く果たせなかったから……リーダーに怒られる……」
「リーダー……? ああ、消しゴム兵のこと?」
「フィーアは僕のことを何だと思っているのかな……? 人の命は救えたし、怒らないよ。 ――それよりも、今はフィーアへの説教なんかよりも優先しないといけないことがあるからね」
消しゴム兵の表情が真剣なものに変わった――ように見えた。彼の視線の先には、まだ意識を失って地面に横たわっている影狼の姿があった。
彼は足を持たない身体でぴょんぴょんと小さく弾みながら影狼に近づくと、影狼の身体を調べ始めた。影狼の体毛や眼球、額の水晶などを入念に観察する。
「何か気になることでもあるのかしら」
「この獣に見覚えがあってね、観察してみて分かったよ。 ……これは僕たちの世界にいた獣と同じだ」
「えっと……まず確認しておきたいのだけれど、あなたたちは宇宙人ってことでいいのかしら?」
「そうだね、君から見れば僕たちは宇宙人という扱いになるかもね。ただ、僕たちから見れば君は『異世界人』という扱いになるね」
「異世界人……」
『異世界』という創作物の中でしか聞いたことのない単語が彼の口から飛び出し、アカリは驚愕のあまり思考が停止してしまう。
だが、聡明な彼女はすぐに思考の放棄を止め、さらに疑問を投げかける。
「あなたたちはあの宇宙船?でこの世界に来たのよね。なら、この影狼はどうやってこの世界に来たのかしら?」
「それを今説明してもいいけど、まずはこれを見せた方がいい」
消しゴム兵はそう言うと、影狼の額の水晶を、ガラスのような透き通って角張った手で思いっきり掴んだ。すると、水晶が紫紺の色に光り出し、同時に影狼の身体がビクンッと痙攣し始める。
「っ……!? ちょっと、何してるの!? これ大丈夫なやつなの!?」
「……落ち着いて、アカリ。突然爆発するなんてことはないから……」
消しゴム兵は、影狼の額を鷲摑みにしている。そのせいで、影狼の首から下が、今すぐ爆発すると言われてもおかしくない程に激しく暴れまわっている。影狼の胴体がジタバタとのたうち回るのを見ていると、落ち着ける訳がなかった。
「し、信じてもいいのよね!?」
「……リーダーのことだから、大丈夫。 …………たぶん」
「全然確証がないじゃない!?」
だが、アカリの心配に反して、事態は思いのほか静かに収まった。水晶の光が徐々に弱くなっていき、同時に影狼の身体が縮んでいったのだ。水晶から放たれる紫紺の光は薄い水色へと変わり、漆黒の体毛は雪原のような美しい純白へと染まっていった。
劇的過ぎる変化に、アカリだけでなくフィーアも驚きを隠せなかった。だが、消しゴム兵はまるで結果が分かっていたかのように、淡々と説明を続ける。
「これは宝石狼という種類の狼だね。額に埋まっている宝石の色によって、様々な魔術が使えるんだ。この子はおそらく氷属性の魔術が使えるね」
アカリはゆっくりと宝石狼に近づくと、その頭を撫でてみる。ついさっきまで暴れまわっていたのと同じ個体とは思えないほど穏やかな表情をしている。
「おそらく外部から魔力を過剰に吸収したせいで、肉体が変質した上に凶暴性も増したんだろう。魔力は宝石狼にとって生命活動に必要なものだが、人間にとっての栄養と同じで、過剰摂取は良くない」
消しゴム兵は一通り説明を終えると、ある方向に向けて歩き出す。
「フィーア、そっちは頼んだ。僕は損壊の激しい場所を修復してくる」
「……うん、任せて」
そう言い残すと、消しゴム兵は一軒家よりも高く跳躍し、あっという間に姿が見えなくなった。フィーアたちの世界の人の身体能力はどうなっているのやら。
「それにしても、この子かわいいわね……ペットに欲しいと思うぐらいに」
「……ついさっきまであなたはこの子に殺されそうになってたのに……気にならないの?」
「そうはいってもね……」
元影狼こと宝石狼は、中型犬ほどの大きさまで縮み、非常に愛くるしい外見になっていた。これを恨めというほうが無理な話である。
だが、少女二人が静かに小さな獣を愛でている状況に変化が起きる。
「「あっ」」
パチッと目を開いた宝石狼とアカリの目が合ってしまったのだ。
気づいたら少女たちに愛でられているという状況にどうすればいいか分からず、微動だにしない宝石狼と少女たちの間で沈黙が流れる。
体感一分間といったところだろうか。アカリがアクションを起こした。
「フィーア、何か餌ある?」
「……普通なら都合よく犬の餌なんて持ってないけど……私なら持ってないこともない」
フィーアがドヤ顔でどこからか犬の餌を取り出し、アカリに手渡す。アカリは、ゆっくりと宝石狼の口元に餌を差し出す。宝石狼は、差し出された餌の匂いを嗅ぐと、アカリの様子を窺い、もう一度匂いを嗅ぐと、ようやく食べ始めた。
「……お腹が空いてたのかな」
「空腹なせいで、凶暴性に拍車がかかっていたのかもね」
餌にかぶりつく狼とそれを眺める少女たち。そこには、確かに和やかな雰囲気が漂っていた。
だが――
「……あれ、リーダーだ。もう帰ってきたの?」
少し離れた場所に消しゴム兵は立っていた。だが、先ほどまでとは違い、表情を消そうと努めている――ように見える。
アカリは嫌な予感がした。
「……少し離れた場所にある血だまり……あれは、フィーアの血か? 宝石狼の仕業なのか?」
「「あっ」」
「……ワフゥ……」
アカリたちの反応を見て、消しゴム兵の顔から完全に表情が消えた――ように見える。そして、消しゴム兵はフィーアに静かな声色で話しかける。
「……フィーア、その宝石狼――いや、犬畜生をこっちに渡せ……」
「待ってリーダー! 私のことを心配して怒ってくれるのは嬉しいけど……少し、落ち着いて……!」
「早く……犬畜生を……こっちに……渡せ!!」
「「待って待って落ち着いて!」」
「キャイン!?」
結局少女たちの制止も虚しく、哀れな獣には鉄拳による制裁が下ることとなった。




