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第一章1 『日常の崩壊』

 「――――い!」


 「………………………」


 誰かが呼ぶ声がする。きっと自分を呼んでいるのだろう。

 だが、このまどろみの中で眠る気持ちよさを手放すのが惜しくて、ついつい無視してしまう。


 「マスター起きてください! 何時間寝てると思っているんですか!!」


 「………………うーん、あと五分」


 「その台詞何回目ですか!? 五回目ですよ!! 今すぐに起きないと、電気ショックで無理矢理………」


 「おはようノア!船の操縦任せっきりにしてごめん!代わろうか?」


 「……いえ、結構です。これが私の役目ですので」


 自分の提案を断り、口調も元通りになってしまった彼女の名前はノア。操縦席に座る彼の目の前には、大型のスクリーンが備え付けてある。その画面の中に映る彼女は、星空の様に煌めく紺色のロングヘアと『絶世の美女』という表現が似合う抜群の容姿を兼ね備えている。

 正体は、俗に言う『人工知能』だ。昔、とある事情で手に入れた()()()()の制御をする役目を担っていたのが彼女だった。出会ったばかりの当時は他者への警戒心が異常に高く、事務的な会話以外は一切取り合ってくれなかった。

 だが、そんな彼女も今となっては茶番に付き合ってくれるまでになった。非常に喜ばしい。


「……マスター、何か変なこと考えていませんか?」


「……いや、特に何も」


「その間は確実に何かありますよね?」


 ビキッと彼女の額に青筋が浮かぶ。画面越しだというのにわずかな怒気まで伝わってくる。恐ろしい。


 「……ところで、マスター。何かありましたか?」


 「え?」


 ノアにそのように聞かれて再び視線を彼女に向けると、ノアは自分の顔をじっと見ていた。


 「ノア? 僕の顔をそんなに見つめてどうしたの?」


 「……っ! み、見つめてなんていません!……ただ、マスターの表情が暗い気がして……。今もいつも通り振る舞っていますけれど、無理をしている様に感じてしまいまして……。見当違いのことを言っていたら、申し訳ありません」


 そう言って、画面上に映るノアは顔を伏せる。彼女からすれば、人の事情に踏み込むのは本来したくないことなのだろう。それでも、こうやって心配してくれるのは彼女が優しいからに違いない。


 数百年以上生きてきて、様々な人間に出会ってきた。もちろん、心優しい者や他者のために行動することを厭わない者はたくさんいた。だが、それと真逆の人間も数え切れない程いたのは否定できない事実だ。


 自分や仲間たちに悪意を持って近づいて来る人間は多くいた。だからこそ、相手の思惑を看破することや隠し事をするのは得意だと自負していた。だが、長い付き合いの彼女にはどうやらお見通しだったみたいだ。


 「ノア、心配してくれてありがとう。君の感覚は正しい。君の言う通り少し憂鬱になっていた。夢を見たんだ……昔の記憶を」


 「……そうですか。間もなく目的地への最後のワープを実行しようと思って起こしたのですが、もう少し休んでからにしますか?」


 「――いや、問題ない。長年目標としてきた()()の収集も折り返し地点に入っている。一刻も早く目的を達成するためにも、今ここで止まるわけにはいかない」


 「……了解しました」


 久しぶりにあの情景を夢で見て、改めて思い出した。あの忌々(いまいま)しい戦争を終えてから、今日まで目的のために自分が何を成してきたか。何を目的に生きてきたか。何のために強くなったのか。もう誰も失わない、失わせない。

 今はただ、目標に集中する。 


 ――それが、彼女と最後に交わした約束なのだから。




* * * * * * * * * * * *




 彼らが船内でそんなやり取りをしていた頃、とある一人の少女は人生最大の窮地に陥っていた。


 ――マズイ、マズイ、マズイ、マズイ。


 少女はひたすら道を走っていた。どこに向かっているかも分からずに、ひたすら走っていた。

 なぜか? ――止まったら死ぬからだ。


 「オオオオオオオオオオオオォォォォ!!」


 「っ!」


 背後から否応なしに恐怖を抱かせる咆哮が響いてくる。今も自分を追いかけてくる()()は、漆黒の体毛を全身に纏った狼の姿をした獣だった。狼に追いかけられるだけでも人生で一番の恐怖を得るには十分だが、それ以上に恐ろしいのはそのサイズだった。

 その獣は一般的な自動車と同等のサイズを誇っていた。おそらくヒグマでも相手にならないだろう。


 「なんでっ……影狼がこんなっ……市街地の中にいるのよっ……!」


 少女は不満を吐き出しながらがむしゃらに逃げ続ける。決して直線には走り続けず、右折左折を繰り返す。それでもすぐに追いつかれそうなものだが、漆黒の大型の狼――影狼はその体躯と引き換えに従来の俊敏性を失っていた。

 それに加えて――


 「今だけはこの鬱陶しいポンコツ機械に感謝しないとね……」


 彼女がそう評するのは、道の端々に備え付けられている無機質な機械だ。これは小型のカメラや麻酔銃、テーザー銃を備えた対影狼の設備だ。過去に誤作動で散歩中の犬を撃ってしまったことで、賛否両論の代物となってしまった。その一方で、市街地に侵入した小型の影狼を長時間抑えた実績も持つ。

 

 だが――


 「グウウゥゥゥ……オオオオオォォォ!!」


 「……ちっ!」


 奴の皮膚は麻酔銃を一切通さなかった。テーザー銃ですら動きを少し鈍らせる程度だった。だが、その僅かな動きの低下がまだ彼女を生かしていたのも事実だった。

 しかし、彼女の逃走劇の終わりは唐突だった。


 「ハッ……ハッ……ここは左折っ……! ――あっ」


 彼女の行く先には、非情な現実(行き止まり)が立ち塞がっていた。

 

 


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