八 裏返る思い出
千花と文弥があんなに親しげにしているのを初めて見た。
今までは、文弥といる私に千花がついてくるという感じで、あの二人が話すことはあまりなかったはずだ。けれどもさっきの二人は、私がいた時よりも親しそうだった。いつの間に……。寂しさと安堵が入り混じる。
私は首を振って寂しさだけを振り払った。
千花のことはきっと文弥が守ってくれる。そうよ、それがわかっただけでもよかった。
あと気になるのは、養父母である清とミツのことだ。行く当てのない幼い私たちを育ててくれた。感謝してもしきれない。
貧しくも心優しい清とミツが孤児を養っていると知った村人もまた優しかった。なにかと私たち姉妹を気にかけてくれて、食べ物や着物などを譲ってくれた。大切にされていた。返せるものなどなにもないのが心苦しいほどに。
だからこそ、私は自分の仇討ちのためだけでなく、村のためにも贄嫁になる決心がついたのだ。
日が高くなるにつれて、畑に出てくる人も増えてくる。見つからないようにするのは時間が経つほどに難しくなるだろう。
私は人目につかないように森の中を歩いて我が家を目指しているが、家は田んぼの向こう側だ。いずれは森を出て田畑を横切らなければならない。
どうすればいいか思案していると、すぐそばで声が聞こえた。畑仕事が一段落したのか、腰を下ろして休んでいる人がいる。ここからは熊笹の群れを挟んだだけの近さだ。
葉の隙間から覗くと、手拭いで汗を拭った男に女が水筒を渡すのが見えた。よく知っている人たちだった。文弥の両親だ。
紅里野村に初めて来た日に文弥の着物を譲ってもらってからずっとお世話になりっぱなしだった。それなのに、きちんとお礼もお別れも言えなかったのが悔やまれる。私は心の中で深い感謝の言葉を唱えた。
すると、心の声が聞こえたわけでもないのに、私の名前が呼ばれた。
「珠緒ちゃん、どうしているかねぇ。悪いことしたねぇ」
「今更なに言ってるんだ。初めから決まっていたことだ」
初めから……? どういうことだろう?
贄嫁を引き受けたことに対して「悪いことをした」と言ったのだと思ったが、あれは直前になって決まったことだ。しかも家に白羽の矢が立っただけでは私たち姉妹のどちらかになるかは決まっていなかった。むしろ、千花で話が進みかけていた。初めから決まっていたことではない。
「清さんとミツさんがあの子らを拾ったのは幸いだったな」
「そうねぇ。あれくらいの歳の娘は村にいなかったもんね」
「そうさ。百年目が近づいているのにどうしたもんかと寄り合いのたびにみんなして頭を悩ませたもんさ。名主なんかは、よそから拐かしてくるしかないって話もしてたからなぁ」
耳を疑った。
まさか……まさか……。私たちは初めから贄嫁候補として迎え入れられたってこと? そんなこと…… そんなことあるわけない。だってみんなあんなに親切にしてくれたじゃない。
どくどくと胸が早鐘を打つ。この音が二人に聞こえてしまう気がして、私は着物の襟を掻き合わせた。
「ゆくゆくは千花ちゃんを贄に、って話だったのにね。百年目は千花ちゃんが十六になる年でちょうどよかったのよねぇ。二十三の珠緒ちゃんじゃあ、とうが立っちまってふさわしくないだろうって話だったのにさ」
「まあしゃあないな。清さんたちが千花ちゃんを気に入っちまったんだから。そりゃ無邪気な子の方が可愛いだろうよ。珠緒ちゃんはしっかり者だが、こまっしゃくれて可愛げがなかったもんな。しかしまあ、三人揃ってうまくやったもんだ」
「あら。三人って、清さん、ミツさん、千花ちゃんのこと? それなら、名主さんもでしょ。口裏合わせるように頼み込んだって話だよ。みんなで珠緒ちゃんが自分から引き受けるように仕向けたって」
私は両手で耳を塞いだ。そんな話は聞きたくなかった。
ここは本当に私の知っている紅里野村なのだろうか。千花や文弥も、文也の両親も、みんなこんな人じゃなかった。
本当なのだろうか。夜叉との盟約のために村の外から贄嫁候補を得る計画が始めからあったと? そして年齢の合う千花を贄嫁にするつもりだったのに、千花を守るために私が嵌められたと? みんなが親切だったのも、夜叉が満足する供物に作り上げるためだったと?
……帰ってくるんじゃなかった。こんなこと知りたくなかった。
「ともあれ、これであと百年は安泰だ」
二人はよいしょと掛け声を発しながら立ち上がり、腰をそらして伸びをした。
「よし、今日中にこの畑の間引きを終えちまおう」
「そうだね。もうひと頑張りするかね」
二人が立ち去っても、私はその場を動けなかった。
我が家はすぐそばだったが、もう養父母の顔を見る気は失せていた。
「人のほうがよっぽど鬼と呼ぶのにふさわしいな」
頭上から声が降ってきた。
「誰?」
きょろきょろと見回していると、見慣れた姿が目の前に降り立った。
ツノを隠すためなのか、羽織を頭から被っている。その下からは赤い目が真っ直ぐこちらを見ていた。
「――残月!」
驚いて名を呼ぶと、残月はいたずらっぽく片眉を上げてにやりと笑った。
「こんなところでなにしてんだ?」
「えっと、違うの。逃げ出したわけじゃないの。ただ、ひと目でいいから村のみんなの様子を見たくて……」
「ほお?」
「本当よ。すぐに戻るつもりだったの。だから、その、例の盟約については反故にしないで」
「盟約ねぇ……」
残月はくくくっと笑った。
ちっとも真剣に聞いてくれない。なんだかとても嫌な感じだった。
断りもなく隠世を抜け出したのはよくなかったのかもしれない。でも言ったら止められる気がしたのだ。
「守ってくれる……よね?」
「さあて。どうだろうな」
視線も合わせず、歌うような軽やかな声は掴みどころがない。あんなにお互いに言いたいことを言い合えていたのに、今はまるで取り合ってもらえない。信頼を失ったのだと感じた。
私はなにをやっているのだろう。
現世になど戻ってこなければ村のみんなの本心を知らずに済んだし、残月の信頼を失うこともなかったのに。そう思うと、急に虚しくなった。
「私の血でも肉でも好きなだけあげるから。妖蟲から紅里野村を守り続けて」
「なるほどねぇ」
残月は腰を屈めて、私の顔を覗き込んだ。私の姿が赤い瞳に映っているのがわかるほどに近い。けれども昨夜の添い寝のように顔が熱くなることはなかった。
輿入れして以来、こんなことは初めてだった。葦舟を降りた瞬間から昨夜までずっと残月を前にした時はいつだって心が温かくて痛かったのに。
「なによ」
「変なやつだと思っただけだ。裏切られていたと知っても守ろうとするとは滑稽だな」
いつもとは違う熱が心に灯った。そう、これは怒りだ。
「私のことを謀ったのだから妖蟲に襲われればいいとでも言うと思った? 理由はどうであれ、私や千花を助けてくれたことには変わりないわ。みんなが私をどう思っていようと、私はみんなを恨んだりはしない」
「まったくおめでたいやつだな、おまえは」
――おまえ?
「……あなた、残月じゃないわね?」
「お? やっと気づいたか?」
「残月は私のことを“おまえ”とは呼ばないもの。私が嫌だと言ってから一度もよ。あの人は絶対に私の嫌がることはしない。どんなに小さなことでも」
目の前の男はまたしても、くくくっと笑った。
「残月め、相変わらず生ぬるいやつだな。ま、おめでたいおまえとはお似合いかもな」
「……あなた、いったい誰なの?」
「俺は――」
男は頭から被っていた羽織をばさりと剥いだ――




