11
「やつをとめろ」
相勤の巡査長がおれにむかって叫んでいた。
すぐに夢だとわかった。かつてはノイローゼになるほど毎夜のように見ていた夢だ。
つづけて巡査長はこう叫ぶ。
「阻止しろ!」
阻止。警察学校で教えてもらった。警察官は射殺や撃ち殺すという言葉を使ってはいけない。どうしても対象にむけて発砲しなければならないときはあくまでも阻止するためなのだと。
ようは世間体を気にした言葉選びだ。衆人環視のなかで国民を射殺しろと命じるわけにはいかない。
それを教えた教官は日本の警官の発砲率を示し、ここにいる生徒のほとんどがそんな言葉を耳にする機会はないだろうと笑ったが、おれは着任一年目でその最悪の機会を引きあてた。
警察学校を卒業して初めての勤務地は国内でも指折りに治安の悪い地域の派出所だった。当初はたかが交番勤務となめていたが、トラブルに見舞われた住民がまず駆けこむのが交番だ。
事故、喧嘩、不良外国人の抗争。さまざまな現場の機動捜査の助勢に駆りだされた。ほかの交番勤務となった同期は退屈でしかたがないと愚痴り、こぞっておれをうらやましがった。
しかし二週間に一度はひどく損壊した死体をおがむことになるような勤務は羨望されるものではない。
その日も前日の死亡交通事故の報告書作成におわれていた。
正午をすぎ、そろそろ飯にしようかという矢先に一人の女が駆けこんできた。
歳若い女はアジア系の外国人であり、助けて、殺される、とカタコトで連呼していた。
聴取をとろうとしたところ、中年の男があとを追うように現れた。白髪まじりのぼさぼさの長髪に黒い革のジャンパー。チンピラの風貌だった。
そちらは日本人であり、女の恋人だという。二人の話を聞いていると、どうやら痴話げんかがエスカレートしたらしいことがわかった。
よくある話だ。三日に一回はこういう手合いの相手をしている。巡査長に目くばせすると手で追い払うような仕草をした。現段階では事件性はなく、民事不介入の原則にもとづき、お引き取り願うしかない。
しかし、男の様子が気になった。
返答が遅れたりかみあわなかったりすることが目立った。充血した目はきょろきょろと落ち着かず、しきりに唇をなめて唾をのんでいた。
危険薬物の使用が疑われた。
このまま帰していいのだろうか。
逡巡していると突然女が母国語でなにごとかをわめき始めた。おそらくここでは助けにならないと理解したのだろう。間髪を容れずに派出所を飛びだした。
おれと巡査長はあっけにとられていたが、中年男は違った。
鎖を解かれた猟犬のように猛然と女を追ったのだ。聴取のときのぼんやりした態度からは想像できない機敏さだった。
去り際の表情は爛々とした笑顔だった。その顔は度を越えた加虐趣味を物語っていた。
遅れておれも派出所をでると、十メートルほど先の路上で二人は揉みあいになっていた。女はアスファルトに押し倒され、男は馬乗りになった。
男はジャンパーのポケットからなにかを取りだした。遠目でも刃のきらめきが見えた。折り畳み式ナイフだ。
「撃て! 阻止しろ!」背後で巡査長が叫んだ。
ナイフは今にもふりおろされそうだった。
警告も威嚇射撃も省き、おれは発砲した。
男はぴたりと動きをとめた。失中したのかもしれない。そう考えたおれはもう一度引鉄を切った。
種をあかせば初弾は男の胸部をしっかりととらえていた。銃弾が命中しても映画やゲームのようにわかりやすくふき飛んだり倒れたりしないだけで、じゅうぶんな致命弾だ。
男は二の矢で頭蓋の内容物を眼窩と鼻腔から噴出させ、即死していた。
死体の下敷きになった女の絶叫。通行人の悲鳴。巡査長の声。耳栓もなしで発砲したおれの耳にはすべてが遠く聞こえた。違う世界の出来事のようだった。
当然、この事件は大問題になった。
警察官が暴行の現行犯を白昼に処刑。マスコミはセンセーショナルにこの事件を取りあげた。おれは事実上軟禁状態となり連日聴取をうけた。犯罪者になった気分だった。
結果からいえば発砲の正当性は認められて処分はなかった。
しかし内外からさんざん叩かれてなお警察に居つづけられるほどおれの神経は図太くなかったし、新人警官としての熱意と情熱は枯渇しきっていた。
地元に逃げ帰り、小さな工場に再就職し、息をひそめるように生活していた。
エクスデアのテストプレイに飛びついたのはどこか遠くの違う世界にいきたいという現実逃避からなのかもしれない。
それなのに、なぜエクスデアの世界でも数ある武器のなかから銃を選び、小意地に変哲なプレイスタイルを貫いているのか。
単純に銃と射撃は好きだった。高校と大学はエアライフル射撃部でそれなりに成績をだしていた。
警察にも射撃の大会があり、警察官になったのも射撃好きの延長線上だ。
しかし、あんなことがあったら銃から離れて然るべきだろう。
自分でもわからない。何事にも理由が必要とは思わない。
ただ、大昔にアクション映画でみた主人公の台詞がつねに頭の片隅にあった。
“このくそを始めたのは悪党だ。おれは銃が好きなだけの田舎者だが、最後までつきあうぜ”。
「おい。起きろ」
ぞんざいな声がふってきた。重いまぶたをあける。
頭に綿をつめこまれたみたいに視界と意識が薄らぼけていた。過去の出来事やら回想やらが入り乱れた取りとめのない夢を見ていた気がする。
見覚えのない石造りの天井を見あげてしばらく茫然としていた。
「銃使い。ぼさっとするな。こっちだ」
声のほうに目をやると鉄格子を隔てて三人の人間が立っていた。
手前にはバミューの狂信者が二人。あいもかわらず似合いもしない銀仮面をかぶっている。油断なく得物を諸手に握っていた。
奥にいるのはクナイだった。
あらためて周囲を見わたす。寒々しい石の密室。牢獄に囚われているようだ。
町の監禁施設といったら一つしかない。おそらく領主の館の地下牢だろう。
はたと身体を手で探る。銃も薬瓶の革帯も、装備はすべて没収されていた。
腹には包帯がまかれていた。じんじんと熱を持ち、血がにじんでいる。
「貴様に面会だ」
銀仮面が後ろに下がり、クナイが鉄格子に近づいてきた。
「ハンク。しっかりしなさい。状況を理解できる?」
「エドガは?」開口一番、クナイをなかば無視するかたちで訊いた。状況など容易に想像できる。一番気にかかるのはエドガの安否だ。
クナイは腕を組んで長い睫毛で目許を翳らせた。そっとかぶりをふった。
「そうか。……くそ」
自分の太ももを思いきり殴りつけたかった。力んだだけで腹が痛くてできなかった。
漆黒の刃に身体を貫かれる感覚と情景がまざまざとよみがえる。
あれはあきらかな致命傷だった。この程度で済んでいるのは、おれにはまだかろうじて回復の魔法が効いたからだろう。
しかし、エドガはダメだった。
ちくしょう。死ぬべきなのはどう考えてもおれなのに。憎まれっ子世に憚るだ。いつもいいやつが先にいなくなっておれのようなろくでなしばかりが残される。
「それで、エドガを斬り殺したお前のボスはどうしてる。黒衣の双剣様のご機嫌は?」
「……事情は聞いてる。あなたに彼を一方的に責める権利はないんじゃない? 一歩間違えればあなたたちがユーザーを殺していたかもしれないでしょう」
たしかにそのとおりだ。負傷の症状がでているおれとエドガのリスクが圧倒的に高かっただけで死の危険はみなにあった。お互いさまということか。被害者づらするのはお門違いだろう。
黙りこむおれを見てクナイは腕をつかねたまま肩をすくめた。
「まあ、あなたを責めるつもりもシュートを弁護するつもりもないけれど」
「じゃあなにをしにきたんだよ」
「バミューから言伝をたのまれてね。なんで知りあって日の浅いわたしがこんな憎まれ役を頼まれるのかしら。あなた、古株のくせに友達すくなすぎでしょ」
クナイも友達が多いタイプには見えない。いいかえしてやりたかったが、正直身体を起こしているだけでもつらい。にらむだけに留めて二の句を待った。
「あなたの公開処刑がきまった。明日の正午。噴水広場でやるってさ」
ごく自然に、平坦な声音でクナイはいいはなった。
「マジか」
「大マジよ」
無罪放免とはいかないことは覚悟していた。しかしそのあまりに性急な死刑宣告には衝撃をうけた。
「それはユーザーの総意なのか?」動揺が声にでないように努めながら訊いた。
「もちろん反対しているユーザーもいる。でもあなたの身柄を確保しているのはバミューだから、どうあっても強行するでしょうね」
銀仮面の一人が鼻を鳴らした。「貴様がやったことを考えれば当然の報いだ」
「殺したいならさっさとやればいいだろ。こんなところにぶちこむなんてまどろっこしいこと――」いいさして、はたと気づいてクナイを見た。「逃げた現地人たちはどうなった?」
「いまだ逃亡中。エドガの仲間といっしょにね。探すにしてもこの人たちだけでは人手が足りないみたい」
あけすけに話すクナイに銀仮面はうめいた。
「お前。バミュー様の遣いというからとおしてやったんだ。余計なことをいうな」
「なによ。わたしは中立。あなたたちの味方でもないし彼の仲間でもない」
ごちゃごちゃと揉める三人をよそに、おれは考えていた。
ミリアンたちが逃げおおせたのは朗報だ。時間稼ぎのかいがあったというものだ。
バミュー直属の狂信者は十数名。クナイがいったように行方知れずを捜すには心許ない人数だ。なすすべがなく手をこまねているのだろう。
ならば、わざわざ日時まできめて公開処刑を催す理由も想像がつく。
「罠か。処刑をふれまわって彼らをおびきだす気だな」
「そんなところでしょうね」
「のこのこ姿をあらわすわけがない」
「わたしも同意見。おびきだすにしても今日の明日じゃあ時間がなさすぎる。処刑の噂が彼らに届くかもあやしいものね」
銀仮面が舌を打った。「お前。いいかげんに――」
「うるさいわね。わかったわよ。用件だけをすませる。ハンク。なにか食べたいものある?」
食いたいもの? 突飛な質問が理解できず首をかしげた。
「お優しいバミュー様は最期にあなたが食べたいものを与えてくれるそうよ。なにがいい?」
「ふざけやがって」たまらず苦笑した。
死刑囚の最後の食事というわけか。どこかの国で実施されている制度だ。
形式ぶっているというか。気遣いのつもりなのか。思惑はどうあれ裁判もなしに極刑をきめて公衆の面前で首をはねようというのに、バカげている。
最後にエクスデアの世界でなにが食いたいか。ミリアンの雑炊しか思いつかなかったがそれはできない相談だろう。
考えをめぐらせて周囲を見わたしていると、対面の房に目がとまった。
見える範囲ではおれ以外に宿泊客はいないようだが、そこの房の寝台にだけ真新しい毛布があった。
壁面には、わずかだが血痕らしきものが見えた。
「そういえば、教会でスーマラ騒動を起こした女はどうなった。ここに拘束されたはずだよな」
「解放されたそうよ。おとなしくなったから拘束を解いたら、彼女頭を壁に打ちつけて自害をはかったみたい。でもそこで症状がでた。あとはご想像のとおり」
なるほど。保護遮断が効くうちにスーマラで退場しようとしていたのに、負傷し出血するようになってしまってはそれもままならない。
壁にヘッドバッドをきめて流血したときの彼女の絶望は想像するにあまりある。
スーマラができない身体になったというだけで精神的にはより追いつめられたユーザーを放逐するとは。人命救助の観点からすれば本末転倒はなはだしい。
「発症者は順調に増えているということだな。きっとそう遠くないうちにユーザーは全員そうなるだろう」痛みを我慢して身をのけぞらせ、狂信者に腹の包帯を見せつけるようにした。「つまり現地人と変わらない身体になるわけだ。せいぜい今のうちに身のふりかたよく考えておくことだ」
「黙れ。我々は貴様のようにはならない。そうならないための神からの啓示なのだ」
そういいながらも狂信者たちは傷の直視をこばむように仮面のなかで目をそらせた。心の片隅ではユーザーとしての特別な身体を失う日を予感し、おびえているのだろう。
おぼれるものは藁をもつかむ。彼らは目先の藁に飛びついただけだ。信じるべきものはなんなのか、ほんとうのところはだれにもわからない。
無表情でやりとりを聞いていたクナイが口をひらいた。
「ハンク。例の壁文字がユーザーの仕業だと公言したそうね。犯人に心あたりはある?」
「ある。だけどいいたくないな。証拠があるわけじゃない」
クナイの静謐をやどした眸を見つめかえして告げた。その表情からわかった。おそらく彼女がすなおに伝言役をかったのはそこを訊きたかったからだろう。
「だが、たぶんお前が想像しているのと同一人物だよ」
「……そう。で、なにが食べたいの?」
「食いたいものはない。酒が呑みたい」
「はい?」
「上等な酒を用意してくれ。最期にあびるほど呑みたい」
銀仮面たちはあきれたように冷笑したが、クナイは笑わなかった。
「考えておくわ」




