Chapter Ⅶ 開かれた扉
「待って……。これ、見たことある気がする……!」
雪花がのぞきこんできた。
「ん? ……そうか思い出したか! やっぱり自分の携帯で見てたんだろ!?」
「ううん。違うと思う。えーっといつだっけ……。ここまで出かかってるんだけど」
うなりながら胸元をおさえる雪花。
「ここまでって、お前の記憶はそこらへんに溜めてあるのかよ」
「……あっ! 思い出した! テレビで見たんだ! “ネームイーター”のニュースで!」
「……ネームイーター?」
雪花の大声で起こされてしまったソフィアを含め、みんな顔を見合わせた。
「知らない? ニュース見てないの?」
顔を見合わせた三人そろって首をふった。
「ニュースを見るほど暇だったら、習熟度を一でも上げる方が先だ」
「うーん、世界情勢しか興味ないからなぁ……」
悟の大物発言につっこもうかと思ったが、雪花の方が早かった。
「いちおう世界的なニュースよ。色んな国の軍隊とか銀行とか、政府の重要機関を狙ってデータを盗んでるハッカー集団がいて、それがネームイーターって呼ばれてるの。自分たちで名乗ってるわけじゃないんだけど、いつもなりすましでデータを盗むから、いつのまにかそういう通称がついたみたい」
「なりすまし……。雪永さんも今、なりすまされてるんだよねえ」
「ていうか何なんだ、そのナイトメアのボス的なアツい名前は!? ついに真の敵が姿を現したということか……! わかったぞ悟! 雪永の携帯には国家の機密情報が隠されている……! くっ、なぜそれに早く気づかなかったんだ……! 許すまじネームイーター!」
「そんなわけないから。国家の機密情報って、例えばなによ」
「そ、それはっ……。ほら、か、核だ。核ミサイルの発射コードに違いない!」
「うーん……。さいとーくん、それはないと思うなぁ」
「勢いだけの彩戸くんが考えつくのはその程度だから仕方ないよ、鳥飼くん」
「人が必死で考えてるのに! じゃあなんだ!? お前の個人情報は、国家機密ばりに重要だとでも言いたいのか!?」
「そうよ。私にとってはね」
「ぐははは……。笑止! そう思いたければ思うがよい。夢幻と現実……二つの世界の広漠において、自らの矮小を知らぬ愚かな人間よ!」
「私のことは別にいいでしょ。早く携帯返してよ」
ぱっ、と携帯を取り返された。
「ああ、お前のことはどうでもいい。いま問題なのは、なんとか雪花という偽者の方だ」
「なんとかじゃなくて佐藤だし、どっちも本物だから」
「佐藤雪花からのメールに、なりすましの常習犯、ネームイーターとの関係を匂わすURLがあった! となれば佐藤雪花は、お前になりすますためにずっとストーキングしてたんじゃないのか!?」
雪花は冷めた様子で教科書をめくっている。
「……あんたが雪花ちゃんの何を知ってるのよ」
「犯罪者の心理など知りたくもない。が、己を知り、敵を知らなければ勝つことはできない。よし! ここは一度、街に戻って情報収集だっ!」
〈ネームイーター〉でエッグル検索。
事件を追いかけているらしいブログに詳しく載っていた。
「アメリカ、NASA航空宇宙局コンピュータに侵入の痕跡……。ヴァチカン、ローマ法王即位前のスキャンダル流出か……。ロシア、ソヴィエト時代の演算装置盗難……。中国、共産党政権の秘密文書盗まれる……。なるほど、データといってもいろいろなわけだな」
「へえ、すごいなぁ。もし盗まれた情報が公開されたら、歴史の教科書変わっちゃいそうだねえ」
世界情勢の話に悟が食いついてきた。たしかにこれも、いつか歴史となるに違いない。
「にしても、おかしくないか? ただ盗まれただけじゃ、ネームイーターの仕業だとはわからないよな?」
「そうだねえ……。何か証拠が残ってたのかなぁ」
「いや、これそうじゃないか?」
そうです、この事件でもネームイーターに名前を喰われた人がいたということです……。今回捕食されたのはインドステイト銀行の重鎮チャンドラ君(58)。彼のいきつけのバーのホステスからと装ったメールに見つかりましたよ、例のMFが。アクセス時刻から本人に犯行は不可能と立証されただけでも幸いなケースじゃないでしょうかね。これは。いや~、彼のパスワードから銀行の情報がどれだけ盗まれたかは想像するしかないですが…自分も気をつけたいもんです。まあぬすまれるほどの情報はもってませんがorz
次はどこのどんなデータを盗んでくれるのか。ネームイーターの今後が楽しみです
あ、今日からネームイーター公式サイト(?)のバナーくっつけました。
MFダウンロードしたい!って方はどうぞw 僕も落とし済みですww
「……なんだ? この “例のMF”ってのは。これがあるとネームイーターの犯行だってわかるのか? 怪盗の予告状じゃあるまいし」
「うーん……。パスワードを盗まれちゃったのがチャンドラグプタ一世で、チャンドラグプタ一世あてのメールに、それが見つかったんだよねえ」
「悟、なんかまた余計なのがついてるぞ……」
指摘に気づいてはもらえなかったが、それほど思考に集中できるのになんで名前がごちゃまぜになってしまうのか。
「ここだけ考えると、ネームイーターがその人になりすますための道具みたいにも見えるなぁ」
「なりすますための道具……? ……待てよ!? だとすると、ネームイーター公式サイトでそれが配布されてるってことになるぞ!?」
勢いで何のためらいもなくバナーをクリック。
すると、怪しげなページにジャンプした。
私はアナムネシス、それそのものの影。ソクラテスでありプラトン……そして、あなた。
「……なんだこれは」
意味のわからない一文が踊っている。見た感じスピリチュアル系な雰囲気が漂っていて、常人が足を踏み入れてはいけない領域であるかのようだ。
私たちが目や耳で知覚できるものごとはそれそのもの、イデアの影にすぎません。
たとえば卵を見れば卵の影、リンゴであればリンゴの影といったように。
しかし、人間は知覚と同時に想起することでそのイデアをも認識しています。
学習とは、生誕によって忘却されたイデアを想起することにほかならないのです。
私は想起そのものの影。想起されたすべての記憶の影。私はだれでもなく、だれでもある者。
これは、忘れられた過去による復讐。
すなわち、想起せよ!
「……悟、日本語に訳してくれ」
「うーん、実は国語も苦手なんだよねえ……。でも、プラトンのことならわかるよ。イデア説や想起説のことを言ってるのかも」
「そうか! それならお前の得意分野だな! よし、そっちから攻めてみてくれ!」
悟はページトップのコピーをもう一読した。
「……プラトンのイデア説っていうのは、簡単に言うと、あらゆるものごとのイデア、つまり“実体”は天にあって、僕たちが見ている世界はその実体の“影”だっていう考え方なんだ。有名な“洞窟の例え”っていうのがあるんだけど、ちょうど洞窟の中で入り口に背を向けた人は、入り口の前を通るものの影しか見えないのと同じなんだって」
「イデアか……。なるほど、イデアルシアのイデアも同じ意味かもしれないな。じゃあ想起説ってのは?」
「プラトンによると、人間の魂はもともと天でイデアの“実体”を見ていて、すべての物事を知っていたらしいんだよね。でも地上に生まれる時の衝撃で全部忘れちゃうから、赤ちゃんには何の記憶もない、って説明してるんだ。それから地上で何かのイデアの“影”を見ると、そのイデアの“実体”を思い出す。知識を得るっていうのは、実際は新しいイデアを一つずつ思い出す……想起することだっていう考えだよ」
「ふうん……。意味はよくわからないが、なかなかアツい設定じゃないか。でも、ネームイーターはその説で何を言いたいんだ?」
「……うーん、これだけじゃ何とも言えないなぁ。続きはないの?」
「他のページも見てみるか。例のMFの件もどこかに載ってるはずだしな。……その前に、ちょっと内容が小難しすぎる。半導体少女ソフィアに議事録を頼まなければ」
起こすために夢幻ペン・ラクナノックを装備しなおしたが、その必要はなかったらしい。ソフィアはお嬢様座りでぼんやりこちらを向いていた。
「なんだ起きてたのか。いつもどおり画面を見ててくれ。何かあったら後で思い出してもらうぞ」
「……はい」
“MF”というアルファベットを手がかりにサイトを探すと、それらしいところに行き当たった。
? Memoria Foris ―― メモリアフォリスとは?
メモリアフォリスは、わたしたちの開発したソフトウェアです。“記憶の扉”というその名のとおり、電子化した記憶をコンピュータ上に保存することを目的としています。
「……?」
「さいとーくん、どういうこと?」
「いや……まだわからない。もうちょっと待ってくれ。〈網膜を通し光刺激を送り込み擬似的なてんかんを誘発して脳にプログラムを構築、信号を共通化します。圧縮した記憶のデジタル信号を音波に変換させマイクに入力し……」
「ねえねえ、さいとーくん、どういうこと?」
データ記憶を情報端末で再生するためのツールは開発中ですが、光刺激によって構築された脳のプログラムはデータ記憶を想起することができます。
ただし、記憶にはその性質上時間の概念がありません。感情グラフから想起したい記憶の情動レベルを設定してください。ソフトウェア上で “想起範囲”を選び、必要があれば“語句検索”で電位を測定し絞込みを行います。
「ダメだ……。わけがわからない。専門用語が多すぎる」
「網膜とか脳とか出てきたよねえ」
「ああ、脳の記憶を電子化してなんとかレベルをどうにかするソフトだってことみたいだが……」
「お医者さんの勉強してる雪永さんなら詳しいんじゃないかなぁ」
「雪永が? こいつが覚えてるのはどうでもいいことばっかりだぞ。それよりも、ソフィアの膨大な記憶の中なら何か情報があるかもしれない。どうだ?」
ソフィアは口だけ動かした。
「……いえ、わかりません」
「ソフィアもわからないか……。仕方がない、ここはイベント期間限定でゲストの力を利用させてもらおう」
ヘッドホンで気づいていないようなので肩をたたいた。
「ひゃっ、びっくりした……。どうしたの?」
「おい、ヘッドホンは俺の装備品だぞ」
「なに言ってるのよ。これはリエちゃんが電子ピアノと一緒に貸してくれたんでしょ」
「ん? そうだっけ」
「まったく、どれだけ記憶力ないのよ」
「そう、ちょうど記憶力のことで質問があるんだ」
「私、いま単語帳作ってるの」
「ネームイーターは人間の記憶をどうにかするソフトを操っているという。過去属性を持つお前なら興味あるだろ?」
「そんな属性はないけど、記憶の仕組みには興味ある。いろいろ覚えなきゃいけないしね」
「よし、交渉成立だ。お前にとって後学のためにもなるだろう。ちょっと見てくれ」
「……ちょっとならいいけど」
さっきまでより楽に動かせたが、ようやく自分の立場を理解したらしい。雪花はヘッドホンにつないだφポートを止め、単語帳のカードを整理する。
「これがネームイーターによる悪夢のサイトだ」
パソコンの前に連れてきた雪花は、眉間にしわをよせて画面をにらんだ。
「マルチフォーカル刺激……LTP……情動と記憶の連係……」
雪花はページをスクロールしながら専門用語っぽい言葉をぶつぶつ呟き、そのうちふとマウスから手を放した。
「わかったら簡単に要約してくれ」
「……簡単に言うと、こんなのありえないわ。非現実的」
「うーん、そっかぁ。要するに非現実的なんだね」
「悟! 理解力がありすぎるぞお前は! もう少し詳しく説明してくれよ」
「簡単なのか詳しくなのかどっちなのよ……。まあ言ってみれば、音楽や写真のファイルみたいに、人間の記憶もデータにしてやりとりできるソフトだって言いたいみたい。どう? ありえないでしょ?」
「……いや、アリだな! そうか、つまりネームイーターはそれを使って記憶をコピーし、パスワードを盗んでなりすましてるわけだな!?」
「それは、できたらの話でしょ。実際には不可能に決まってる」
「熱い、アツいぞこれは! 別のロールから経験を引き継ぐ……! まるでロールシフトシステムみたいじゃないか!」
「……なに言ってるかわかんないけど、こういう派手なデモンストレーションして名前を売りたいのよ、きっと」
「やってみなくちゃわからないだろうが。で、どうやるんだ?」
「はぁ……。いいわ、無理だって納得させてあげる。まず、音声入力ができるモニタつきのコンピュータを用意します。OSが合えば携帯でもパソコンでもいいみたい」
「ふんふん」
「そしたらソフトをインストール。メニューバーから“記憶抽出”を選ぶとOKボタンで光刺激画面が再生されます。記憶をコピーしたい相手の網膜に刺激を与えることで記憶の抽出開始。でもここで注意!」
「注意?」
雪花は自分の胸に手を当てた。
「光刺激は、相手が心を開いた状態でなければ効果がありません!」
「こ、心が開いた状態?」
「そう。もっと言えば心の扉が開いた状態。たとえば何か好きなものに集中してる時。寝起きとかリラックスしてる時。興奮してる時。感動してる時……。そういう時の脳は、外部からの刺激に対して敏感になってるからね。このサイトによれば、脳にθ波が出てる時は成功率が高いらしいわ」
「……シータといえば、ジ・エンド・オブ・ドリームスθは名作だったな」
「ちょっと、話聞いてる? 聞いてないなら説明やめるけど」
「聞いてる聞いてる! 続けてくれ」
「……えっとどこまでいったっけ。そう、光刺激が送り込まれた脳にはプログラムが作られます。記憶をデジタル信号にして音声で出力するプログラムね」
「脳にプログラム? そんなことできるのか?」
「彩戸くんにしてはいい質問ね。実は脳っていうのは日々、新しいプログラムを構築してるのよ。もしプログラムが更新されなければ、人間は機械的に、同じ失敗をずっとし続けるはず。事実、今日の失敗は明日しないでしょ? ま、彩戸くんの場合どうかは知らないけど」
「うるさいな。早く先に進めよ」
「脳が電気信号で動いてるっていうのは知ってるわよね。電流の強さによって細胞の組織が物理的に変わって回路が形成される。それが脳の可塑性……学習機能ってこと。メモリアフォリスはそれを応用してるの。脳の信号は、外部からその信号にすごく近い周波数の信号を受けると伝達が干渉されちゃう性質がある。この場合、光刺激で網膜が感じ取る信号にあたるわ。つまり、光刺激を使えば脳で強制的に任意の信号を流して回路を作れるというわけ。……でもそれって、てんかんを起こしてるみたいなものだから危ないし現実には無理だと思うけど」
「網膜が感じ取る信号ってのが、さっきのピカピカしたカラフルなやつなんだろ。あれで回路ができるとは思えないが……」
「そうね。言ってみればQRコードみたいなものかな」
「QRコードって、あのバーコードリーダーで読み取るあれか?」
「うん。あれは白黒の静止画でしょ。それに色がついて動画になった結果、情報量が増えたバージョンって思えばいいわ」
「いや、簡単に言うけどな……。人間の目にバーコード読み取り機能はないぞ」
「違うわ。色という電磁波を脳が認識してるわけでしょ。はるかに高度な読み取り機能が備わってるじゃない。それを光刺激でちょこっといじればプログラム改変ってこと」
「やけに詳しいが、お前の受ける医大の試験に出る範囲なのか? それは」
「そんなわけないじゃない。これはテレビとかネットとかで見て面白かったから覚えてたの。テストは学校で習う科目からよ」
「じゃあ試験範囲に集中して勉強しろよ。まったく、あいかわらず無駄な情報ばかりためこんでるな」
「ほっといて。受かった後に役立つかもしれないし。私は外科の方が興味あるけど、こういうのもきっと将来大事よ」
もう少し文句をつけたくなったが、ここで機嫌を損ねない方が得策だろう。
「で、どうやって記憶を取り出すんだ? まさか鼻にUSBメモリでも差し込むわけじゃないだろうな」
「いま言ったこともう忘れたの? 音声出力って言ったでしょ。脳で作ったデジタル化されたデータ記憶を音声信号に置き換えて圧縮して、声でマイクに入力するのよ。そうすればほら、携帯なりパソコンなりで復元すれば記憶が移動することになる」
「つまり、パソコンで記憶が見られるってことか?」
「最終的にはそうするつもりらしいけど、まだ開発中みたい。でも現段階でも記憶の再生はできるって」
「機械も使わずに? どうやって?」
「天然の機械を使うのよ。光刺激でプログラムを構築した脳には、データ記憶の再生機能もあるからね。でもやっぱりここで注意!」
「またか。意外と面倒くさいな。何を注意するんだ?」
「ここでもまた、心の扉を開かなくてはいけません! 要するに、部屋から部屋へドアを開けて荷物を移動するみたいに、記憶も心のドアを開けてはじめて、人から人へ移せるのね。でも実はもうひとつ注意事項があって、記憶の再生は人間が夢を見る原理を応用してるから、脳を強制的に睡眠状態にしちゃって危ないの」
「なに!? 好きな夢を見られるってことか!? リアルに夢幻世界へ旅立てる!?」
「……ちょっと違うわ。記憶を夢の形で見られるって言ったほうが近いかな。だから危険なのよ。他人の記憶を潜在意識に植えつけることになるし、夢で見た記憶を実際の体験と勘違いするおそれもあるし、動物実験では夢と記憶がごちゃまぜになって精神崩壊したり脳に異常が起きて夢から帰って来れないまま植物状態になっちゃったりとかしたみたい」
「それはヤバいな……。で、でもSF映画じゃあるまいし、実際使ってるくらいだから人間には平気なんだろ」
雪花はまた画面を読み直した。
「……さあね。一応大丈夫って言ってはいるけど。だから悪用されないように、ここでダウンロードできる体験版だと記憶の保存は一人分しかできないみたい。あと〈個人的な使用の範囲に限ります〉って」
「CDの違法コピー防止かよ!? ……ていうか、一人分記憶を盗めるだけでも十分だよな。すると、ネームイーターは盗んだ記憶を大量に持ってるのか?」
「そうかもね。自由に記憶をやりとりできる製品版? が欲しければ仲間になれって書いてあるわよ。まるで秘密結社ね」
「わかったぞ……! ネームイーターはあらゆる人間の記憶を奪い、それを利用して世界征服を企んでいるんだなっ!? くそっ、なんという悪夢的存在……!」
「ま、全部でたらめに決まってるわ。一応設定だけは彩戸くんよりしっかりしてるみたいだけど」
「ふふ……。それは試してみないとわからないよなぁ?」
肩に手を置くと、雪花は反射的にこちらを向いた。
「くらえっ!」
「きゃっ!」
ピー。
こっそり奪った携帯のバグ画面を見せると、雪花は眩しそうに目をつぶった。
「画面を見たな雪永! これでお前の記憶はコピーされたっ!」
無言で携帯をつかみ取られた。
「されてないから! あぁ、目痛い……。最悪。てんかんになったらどうするのよ」
「メールにあったバグ画面でお前の記憶が盗まれたかどうか、今、お前の記憶を取り出して再生してみればすべてわかるってことだ。さあ雪永! 心の扉を開くがいい! お前の記憶をコピーしてやる!」
「そんな言い方で心を開くバカがどこにいるのよ! ほんと無神経! 信じらんない!
雪花は悪態をついてからまた深呼吸し、ヘッドホンを装着しなおした。
まったく、冷めたリアクションだ。悟なら乗ってくれるんだけどな。
「……そういえば悟は? おい、悟」
部室を見回すと、いつからか寝ていたソフィアの奥で悟が歴史の本を熟読していた。メモリアフォリスの話についていけなくて暇をもてあましたんだろう。こうなると集中しすぎて呼んでも気づかない。
……待てよ。集中?
「……悟」
「うん? どうしたの?」
後ろから肩に手を置いてやっと気がついた。
「……ヴィットーリオ・エマヌエーレⅡ世」
「え?」
「……ドイツ社会主義国家労働者党」
「ど、どうしたの? さいとーくん?」
拝借した用語集の歴史用語をささやくたび、どんどん悟の表情がときめきの様相を呈していく……。これは心の扉が開いている証拠じゃないのか?
「……今だっ! くらえ! マルクス・アウレリウス・アントニヌスッ!」
「わ、わぁっ!」
ピー。
かろうじて噛まずに読めた異様に長い皇帝の名前を叫ぶと同時に、網膜へメモリアフォリスを浴びせかける。
「……ど、どうだ!?」
悟は画面を見つめている。
……まばたきもせずに。怖いくらいの凝視。
「……さ、悟?」
瞳の奥でカラフルな光刺激がばちばち弾ける。目の焦点は固定されたまま。そして何かうわごとにようにつぶやきだした。
「……し……ら……は……く……お……ぱ……へ……の……か……」
「悟……。おい、無理して乗らなくてもいいんだぞ……」
「ぶ……い……の……る……ふ……じ……わ……ぽ……に……」
「悟! おい、悟! しっかりしろ! 悟!?」
「ちょっと、どうしたの!?」
気づいた雪花があわてて席を立ってきた。
「いや、さっきのを見せたら急に……!」
「……う……め……ゆ……と……ぞ……」
「鳥飼くん、大丈夫? 鳥飼くん!」
ぱちん! と雪花は悟の頬を力いっぱいビンタした。うわごとは止まったが、まだ気を失っている。
「どうなってるのよ……」
「さ、さあ」
「さあってあんた……。言ったでしょ!? てんかんって危ないんだから!」
「あ、ああ……悪かった……。ごめんな、悟……」
悟はまぶたを閉じ、眠ったかのようにすうすう寝息をたてはじめた。
まるでソフィアみたいだな……と思ったら本人はこの騒動で起こされてしまったらしい。悟を見つめる横顔はなんだか不安そうにも見えた。




