表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
5/18

Chapter Ⅳ   絶対法則

「ありがとうございましたー」


 この客が行ったら上がろうと思っていたところへ、ちょうど店長と副店長が奥から出てきた。


「硅一くん、お疲れさま」


 副店長のおっとりボイス。この穏やかさ、娘とは似ても似つかない。


「あ、お疲れさまです。もう終わります」

「うん、悪いんだけどね……。ちょっともう一つ頼まれてくれないかな」


 店長が七三の後頭部に軽く手を当てた。頼まれるのはバイトの仕事なんだから、そんなに恐縮しなくてもいいのに。付き合いも長いんだしもう身内みたいなもんだ。


「なんですか?」

「駅まで雪ちゃんを迎えに行ってほしいんだけど、いいかい?」

「ほら、今日携帯が盗まれたって言ってたでしょ。帰りが遅いからちょっと心配で……」

「ああ。そのくらい全然大丈夫ですよ」


 たしかにもう八時だ。こんな時間までどこで油を売ってるやら。


「ごめんよ、おわびに中華まん何でも好きなの持って行っていいから」

「マジすか!? ラッキー! じゃ、ベルギーチョコまんで!」


 新製品のベルギーチョコまんは意外と人気でなかなか廃棄処分にならない。雪花め、こんな寛大な父親を心配させるとはなんて親不幸なやつ。


「ありがとう。それじゃお願いするよ」

「任せてください! お先に失礼しまふ……っちゃ熱っ! はふっ!」


 吹きだしそうになって副店長に笑われてしまった。


「ふふ、ほんとにせっかちね。口の中やけどしちゃだめよ」


 四階から自転車の鍵とコートを取ってくるあいだ冷ましておいたらちょうど良くなった。くわえて走りだすと、冷たい風とあいまって心地よいし甘い。うん、これは今度買おう。


 いつのまにか雨は上がっている。どうせ晴れるんなら八川を尾行したときに晴れてくれればよかったものを。


 尾行といっても結局駐車場を出た裏口までだったが。さすがに通学用の自転車じゃ追いつけない。しかし、きっと盗んだ携帯はあの中に隠してあったに違いないな!


 家から駅へは道路を横切った方が近いが、あえて公園を通る道から行く。


 なぜなら雪花は絶対法則に従って、必ず決まった道を通るからだ。詳細は不明だが、なんらかの原因で一度刷り込まれた行動はプログラムとして永久に保存されるらしい。几帳面にもほどがあるというか、ほとんど病気に近い。


「いたいた。雪花ぁ!」


 案の定、駅から続くブロック畳の坂で雪花とぶつかった。暗いし音楽を聴いているらしくこっちには気づかない。あの亡き王女のためのなんとかでも聴いてるんだろうか。


 目の前に出ると、雪花は驚いた顔でイヤホンを外した。長い髪だと温かそうでいいな、と思ったら耳の痛さが増してきたようだ。


「けいちゃん。びっくりした。どこか行くの?」

「どっか行くのにわざわざお前にあいさつなんてするか。こんな遅くまで何やってたんだ? はっ! まさかお前、盗んだ携帯をアレして……!?」


 前髪にチョップされた。


「アレってなによ。勢いで言うから思いつかないんでしょ。だいたい盗んでないし。部室でできなかったぶん、お茶しながら勉強してただけ」


 なるほど手袋は大げさなほど分厚い単語集をつかんでいる。


「どうせ受かりっこないって、お前じゃ」

「そんなのやってみなくちゃわからないよ。……なに? わざわざけなすために私を呼び止めたの?」

「頼まれたんだよ、迎えに行ってくれって。店長が心配してたぞ」

「そんなのメールくれれば……あ、そっか。いま携帯ないんだっけ」


 雪花はマフラーとコートの下からφポートを引っ張り出し、白い息の中のボタンを押した。


「過去に執着するわりにはときどき妙に忘れっぽいよな、お前って」

「執着じゃなくて大切に思ってるの。けいちゃんのほうがよっぽど忘れっぽいでしょ。だれだって、葉木谷さんのようにはいかないよ」


 言われて思い出した。そうそう、今日はソフィア王女の驚愕の能力、“ハイパーサイメス”が明らかになったんだった。


「ふふ……。まさか王女があんな夢幻術を使えるとはな! これからの旅路が楽しみだぜ」


 自転車を旋回して雪花の歩調に合わせる。長すぎる髪がタイヤに引っかかりそうで危ない。


「葉木谷さんのは魔法でもなんでもない。魔法なんて非現実的」

「魔法じゃない。“夢幻術”だ」

「言い方が違うだけじゃない」

「違う。魔法はなんでもありだが、夢幻力には“夢を現実にする力”という定義がある。そう、人はだれしも生まれつき持っているのかもしれない。夢を現実にする力、夢幻力を……!」

「……ん? なんか甘いにおいがする」

「お、おい人の話聞けよ! せっかく俺がジ・エンド・オブ・ドリームスの根幹に関わる感動的な設定を説明してやってるのに!」

「説明なんて頼んだ覚えないから! ……けいちゃん、チョコ食べた? 食べたでしょ?」

「あいかわらず犬みたいな鼻してるな、お前。うまかったぞ、ベルギーチョコまん。店長がくれたんだ」

「自慢されたって別にうらやましくないし。私、甘いもの苦手だもん。自分で他の買うよ」

「出た、雪永雪花一〇〇〇の法則その八二〇、“おやつは缶コーヒーでポテチを食え!”」

「わかってるじゃない……って言いたいところだけど、その言い方やめてよね」

「なんでだよ。特殊スキルっぽくてカッコイイだろ」

「だから嫌なの。わざと言ってるわけ? そんな現実にありもしない世界の話に巻き込まないでよ。ほんと無神経なんだから。おまけに無責任で無鉄砲だし、無の三拍子そろっちゃってるわね」

「“ヴァニッシング・ワルツ”!」

「……は?」

「“無の三拍子”と書いて“ヴァニッシング・ワルツ”……! そうか、それが俺に秘められたスキルだったのか……! “ヴァニッシング・ワルツ”。なかなかいい響きだ。ソフィアの“ハイパーサイメス”にもひけをとらないな」

「それ、あんまり言わないほうがいいよ」


 雪花の声がやけに神妙な感じになった。


「え? なんでだよ」

「だって病気の人に失礼でしょ。葉木谷さんだって、好きでそんなふうになったわけじゃないんだから」

「やれやれ、だから冷めているというんだお前は。ものは考えようだろ。もっと積極的に考えろよ。そんな特殊な力があるならそれを生かせばいい。その気になれば、あいつはあの夢幻術で億万長者にだってなれるぞ。もし俺があいつの立場だったら間違いなくそうしてるね。実にイベントあふれる、充実した人生じゃないか!」

「世の中にはそんなふうに考えられる人ばっかりじゃないんだよ。私、本で同じような人のこと読んだことあるけど、すごく大変そうだった。つらくないとは言ってたけど、葉木谷さんもそうだと思う。自分のことを死んでるって思いこむのもきっとそうだよ。“コタール症候群”っていうのの症状じゃないかな。重いうつなんかで自分の感情が感じられなくて、それはあるはずの臓器がないからだって妄想にとらわれるんだって。人間の脳ってそんなふうに、自分で勝手につじつまを合わせるみたい」

「……ふうん。さすが将来医者を目指してると言い張るだけのことはあるな」

「言い張ってるんじゃなくて目指してるの。現実的目標よ」

「違うな。お前は現実から逃れるため、過去の幻想を追い求めているだけだ!」

「……珍しいね。始業式のときの話、ちゃんと覚えてたんだ。もう忘れてるのかと思ってたけど」

「当たり前だ。一週間も経ってないぞ。そう、お前は本当は陸上に未練がある。まだ毎朝朝練してるのがその証拠だ」

「それは私が続けるって決めたから。大学行ってもやるかもしれないし」


 気がつけばもう家の前だった。一階のコンビニから店長の姿が見える。


「ほら、店長待ってるぞ」

「あとで行くよ。制服では店行かないって決めてるの」


 小学生の頃だったと思う。地元の中学生が雪永家のコンビニで万引きをして、雪花はなんかショックを受けていた。それがこの絶対法則と関係があるかどうかはわからないが。


「わざわざお前を迎えに行ってやったんだぞ俺は。その感謝のなさはだれに似たんだ?」


 自転車を停めていると雪花はポストからチラシを取り出してすたすた階段を登りだした。


 もちろん、最初の段は全部右足から。


「けいちゃんこそ、おじちゃんとおばちゃんはそんなに意地の悪い人じゃないよ」

「ふっ、バカなことを。仕方ない、お前には教えておいてやろう、この世界の真実をな! いいか? あの二人は俺の本当の親などではない! ……実の両親は今、俺が∞騎士の血を引きし者であることを隠すため、身分を偽って別の場所にいる」


 雪花は振り返って、大げさに悲しそうな顔をした。


「いいかげん聞き飽きたわその話。そんなこと言うとおじちゃんとおばちゃんがかわいそうでしょ。だいたい別の場所ってどこよ。適当に出まかせ言うのやめなってば」

「うるさいな。そうだお前、ピアノだって別にやめたくなかったはずだ。牧原から借りた部室のやつ、いまだに時々弾いてるだろ」

「あれはオーケストラ部に楽器が増えすぎて置き場がないからって、リエちゃんに頼まれたの」

「本当にそれだけか?」


 家のドアに手をかけた雪花は、きつい目つきで踊り場の俺を見下ろした。


「さっきからなに? なんなの? けいちゃん、精神科医にでもなったつもり?」

「ああ、お前の方がよっぽど病気っぽいぞ」

「……ほっといてよ!」


 言い放った雪花はすさまじい勢いで扉を閉め、ガチャッと鍵をかけた。マフラーか髪かどっちか挟まるんじゃないかと思ったが、きれいにしまいこまれている。そこらへんはさすが几帳面といったところか。


 そういや店長にちゃんと連れてきたって言っとかないとな。まったく、どうやったらあの優しい両親からこんな面倒くさい娘が産まれるんだか。


 それにしても無意味に四階まで上らされたんじゃカンにさわる。部屋のゲーム機でも起動させておこう。



 →



 両親に早食いはよせと注意されつつも夕食を済ませ、ジ・エンド・オブ・ドリームスδ〈デルタ〉を再開した。


 先日、エンディング目前というところで雪花にデータを消されてしまったγ〈ガンマ〉はもはややる気が起きない。三次元の物理的な力というものは、その点でどんなナイトメアよりも強敵なのだ……。まったく、いま思い出しても腹立たしい。


 怒りをエネルギーに変換するためアーモンドチョコを一粒口に入れようとすると、ドン! とガラス戸が鳴った。


 驚いてチョコを丸呑みしそうになったがなんとか食い止めた。ベランダを開けると、昔よく遊んだ懐かしいゴムボールが転がっている。


 もしかして、あいつか?


「……けいちゃん? 起きてる?」

「俺は“目醒めし者”。常に覚醒ステータスであり、行動値に大幅な補正がかかっている……うわ、外寒っ」

「はあ……。いいかげん本当の意味で目を覚ましたら?」

「お前、そんなこと言うためにわざわざこんなことしでかしたのか? 子供のとき以来だな」


 “非常の際はここを破って隣戸へ避難してください”の壁から雪花の腕が生え出ている。妙な画だ。


「小さい頃はよくやったよね。宿題なんだっけ? とかいって。携帯も持ってなかったし」

「ていうかなんで空いたんだっけ? この穴……」

「え!? 覚えてないの!?」

「存在自体忘れてたぞ」


 腕がひっこんで、かわりに雪花の開いてふさがらない感じの口が見えた。


「大掃除のとき、けいちゃんがスキー板立てかけて空いたでしょ? 本当に覚えてないの?」

「そうだったか?」

「そうだよ。日記に書いてあるはずだから絶対そう」

「お前の日記は、書くとなんでも実際にあったことになる不思議なアイテムなのか?」

「そんな非現実的な道具あるわけないじゃない。……けいちゃん、またチョコ食べてるの? こんな時間に食べると太るよ」

「どんな鼻してんだお前、よくわかるな」

「……手に持ってるそれは何よ」


 勢いで箱ごと持って出ていたらしい。ちょうどいいので、もう一粒口に入れる。


「ベルギーチョコまんもうまかったが、やはりチョコにはアーモンドだよ、アーモンド! これが最強コンボだ」

「最強は缶コーヒーにポテチ! そう決まってるの」


 ちなみに“寝る前に物は食べない”という絶対法則もあるらしい。法則というか単に健康法のような気もするが。


 穴から雪花の顔が消えた。手すりに寄りかかったようだ。それに倣うとタオルに巻かれたでかい頭があった。


「……なんだその頭」

「髪が長いんだからしょうがないでしょ。なかなか乾かないんだもん」

「前から思ってたんだが、走るとき邪魔だろ。切れよ」


 雪花は風呂上りで湯気がたちのぼるでかい頭を振るだけだった。長い髪を切らないのも、一〇〇〇ある法則の中の一つなのかもしれない。


「けいちゃん、あのさ……」

「ん?」

「……始業式のとき、ゲーム消しちゃってごめんね」

「は、はいっ!?」


 びっくりして変な声を出してしまった。近所に聞こえてないよな?


「……な、なんだよ急に?」

「だから、ゲームのデータ消しちゃってごめんねって言ったの。……ちゃ、ちゃんと謝ったからね! もう言わないからね!」

「……いったいどういう風の吹き回しなんだ? 雪花がゲームのことで謝るなんて。お、お前、大丈夫か? もしかして酔ってる? それとものぼせたのか?」

「酔ってものぼせてもいないってば……」


 雪花は頭からタオルをほどくと肩にかけ、ほてった顔を拭いてから生乾きの長髪を手ぐしで整えはじめた。


「……今、ちょうど日記書こうと思ってたの。イライラしてることとか、悩んでることとか、日記に書くとそのときは忘れて、楽になれるんだけど……。後で見返すとね、ああ、私、こんなつまんないことで怒ってたんだとか、どうでもいいことで悩んでて、最低だなって思って、いつも後悔するんだ。……だから、今日のことは今日で終わらせておきたいの。あのときああすればよかった、こうすればよかったとか思わなくてすむようにね」


 プラス思考なのかマイナス思考なのかよくわからないが、とにかく雪花はなんだか遠い目をして向かいのマンションの灯かりを眺めている。


「それで今、謝ったのか」


 勉強のし過ぎでついにどうにかなったと思ったぞ、とつけ加えようとしたが、雪花の方が早かった。


「うん。毎日日記つけてて、最近ふと思ったんだけどね。一番大切なのは、未来でも過去でもなくて、“今”なんだよ。楽しいとか嬉しいとか感じるのも、がんばって何かするのも、いつか思い出に変わるのも、いつも“今”。今の、この一瞬だけが、私の特別な時間なの。だから、今日の私の“今”が、明日の私、あさっての私、来年の私、三十年後の私の“今”を悲しくしちゃだめなのかな、って」

「……なんだそりゃ。どういう意味だ? お前、今日のことを三十年後まで覚えてるつもりかよ。ソフィア王女みたいだな」

「そのために、ほら!」

「え? わっ!」


 パシャッ! とフラッシュが焚かれた。


「……あはは、けいちゃん目つぶってる!」


 雪花のさしだしたデジカメの画面を確認しようにも、目に黒い点が残ってよく見えない。


「お前……! その画像ネットにアップとかするなよ!」

「大丈夫だよ、ネムアルの日記はパスワードかけてあるし。葉木谷さんみたいに覚えてはいられなくても、こうすれば記録に残せるでしょ。じゃあ私、朝練あるから寝るね! おやすみ!」


 網膜の残像だけ残して、雪花はさっさと部屋へ帰っていった。カチャ、とガラス戸の鍵をかける音が聞こえる。すぐ鍵をかけたがるのは絶対法則その九九六“クイックロック”だな。


 結局なにが言いたかったのかよくわからないが、とりあえず暖かい部屋に戻ってポーズ画面を解く。ま、俺の冒険にかける情熱と、その苦闘がわかるくらい、あいつも大人になったってことか。


「よしっ! 今夜は徹夜で最強伝説を記録に残すぜ!」


 意気込んでいたらドアの向こうから「早く寝なさい!」と親に怒られた。


 ……こいつは嫌な思い出になりそうだ。



 →



「注目しろ、お前ら」


 偉そうな口調は変わらないが、八川はなんとなくいつもと違う雰囲気だ。それになにやら大きなビニール袋を手に持っている。


 また体罰を振るわれないよう細心の注意を払って悟に呼びかけた。


「悟! ……ふわ~あ」

「なになに? …さいとーくん、すごいあくびだね。もしかしてまた昨日寝てないの?」

「ああ、俺は目醒めし者だからなってそれどころじゃない、見ろ悟! きっとあの袋の中には昨日盗んだ携帯がわんさか入って……」

「お前らの携帯が戻ってきたぞ」

「え? マジで?」


 あっけにとられていると、教室がわきあがった。


「先生ホント!?」

「あー、よかったぁ!」

「ああおかえり! あたしたちの携帯! どこにあったんですか!? ね、先生どこどこ!? どこに!?」

「うるさいぞ牧原。まったく、静かだったのは昨日一日だけか……。スーパーの袋に入った、このままの状態で校門に置いてあったらしい。朝練中に雪永が見つけたそうだ」


 視線と拍手が集中して、雪花は恥ずかしげにしている。


「すごいなぁ、雪永さん。お手柄だねえ」

「……見たか悟。俺の言ったとおりだっただろ」

「本当だね! さいとーくんもすごいすごい」


 悟は脳天気そうな笑顔だ。本心で言っているのだろうが、ときどき皮肉にも聞こえるから怖い。


「……ふふ、しかしこの流れ、ますます高まってきたじゃないか、やつらが犯人である可能性が! 怪しいのは第一発見者の雪永、そしてアリバイ皆無の八川に絞られてきたな!」


 そういえば昨夜はやけにしおらしいことを喋っていたが……。もしかしたら罪悪感の発露かもしれないな。やれやれ。あんなことを言いながら人生に汚点を残してしまったのか、雪花よ?


「よし、じゃあ一台ずつ回していくから自分のがあったら取れ」


 八川は袋の携帯を角から渡しはじめた。早くも自分のが見つかった牧原はだいぶ喜んでいる。あいつ、別に困ってないとか言ってたはずだが。まあそんなもんか。


「先生! 見つかってよかったですね」

「なんだ彩戸、にやにやと気持ち悪いな。……お前、まだ俺がやったと思ってるのか? よく考えてみろ。なんで俺がわざわざそんな面倒くさいことしなくちゃならないんだ」


 まさか八川自ら面倒くさがりを自称してくるとは思わなかった。……言われてみればたしかにそうだ。そこは納得する。


「いや、動機ならありますよ。教師より手っ取り早く儲かる副業があればですがね!」

「……お前はいったい俺を何だと思ってるんだ。俺が言うようなことじゃないが、この場合学校としては外部犯のほうが都合が良かったんだぞ。そこへ盗難品が返ってきたということはありがたくもあり――」


 八川のセリフが携帯の着信音にさえぎられた。


 また着信。


 着信着信着信着信着信、着信着信着信着信着信着信着信着信着――


「な、なんだ……!?」


 教室中の携帯がいっせいに鳴り出した。ちょうど返ってきた俺のにも、タッチパネルに文字が表示されている。


 〈メールを受信しました〉


 ……気味が悪くて、みんな水を打ったように静まりかえった。


「……待てお前ら、メールは読まずに消せ!」


 八川はめずらしく焦っている。


「え? なんでですか?」

「ウイルスかもしれないだろうが。だれか開いたか?」

「見てませーん」

「俺も俺も」


 悟が不思議そうな顔をしている。


「さいとーくん、ウイルスってなに? インフルエンザじゃないよねえ?」

「まあ、コンピュータのかかる病気みたいなもんだ」

「うーん……。ペストや黒死病みたいなものかなぁ?」

「そんな感じだ。……お前、その知識の偏りはなんなんだ? ほんと歴史以外はさっぱりだな。インビジブル・ハンド・オブ・ゴッドの効果で推理できないのか?」

「うーん、少しでも興味がないとだめなんだよねえ……」


 着信の合唱で目が覚めたらしいソフィア王女にも携帯が帰ってきた。隅なので最後の一台だ。なにか操作してるが、今の話聞いてなかったのか?


「ソフィア、ちょっと待て!」

「……はい?」


 ソフィアの携帯を奪い取ったものの、一足遅かった。


 Lorem ipsum dolor sit amet, consectetur adipisicing elit, sed do eiusmod tempor incididunt ut labore et dolore magna aliqua. Ut enim ad minim veniam, quis nostrud exercitation ullamco laboris nisi ut aliquip ex ea commodo consequat. Duis aute irure dolor in reprehenderit in voluptate velit esse cillum dolore eu fugiat nulla pariatur. Excepteur sint occaecat cupidatat non proident, sunt in culpa qui officia deserunt mollit anim id est laborun.


「な、なんだこれ……」

「……海外サイトの架空請求か何かか?」


 八川がのぞきこんできてうなった。悟も首を伸ばしてくる。


「うーん、英語は苦手なんだよねえ……」

「よく見ろ鳥飼、これは英語じゃないぞ。見覚えのある単語がひとつもない。……葉木谷、まさか外国にいるお前の友達からじゃないよな?」

「……はい、違います」

「ほんとだ、送信者が僕のと同じだね。えっと……アル……チ……ベル? さんより」

「Archiverと読むんだ、それは。アーカイバ。……鳥飼、さんざん言ってきたはずだが、お前は歴史以外も頑張れ」


 歴史担当の教師に言われるなんてよっぽどだ。八川と意見が合ったのは初めてかもしれない。


 しかし、今はそれどころではない。


「くくく……。熱い! アツくなってきたぞ! これは犯人から俺たちに向けた暗号だ! 暗号だよ!」

「なにを一人で盛り上がってるんだ、彩戸。まだ何もわかったわけじゃないだろう。だいたい犯人は俺なんじゃなかったのか?」


 はっきりいってたしかに何もわかっちゃいないが、飢えていたんだ俺は。こんな燃える冒険のシチュエーションにな!


「この俺に挑戦するつもりか……いいだろう! こんな謎、一瞬で解いてみせるぜっ!」



 →



 今日ほど昼休みまでを長く感じた日はない。動きのとろい悟を引き連れて部室に入ると光の速さでパソコンに電源を入れた。普段なら同時にゲーム機も投入するところだが、冒険の場所はついに今、現実世界となったのだ!


「ソフィア王女! パソコンに朝のメールを転送しろっ!」

「はい。……チキ、送信してください」


 ソフィアが携帯のAIに送信させると、入ってきた雪花に文句を言われた。


「彩戸くん、葉木谷さんを奴隷みたいに使わないでよね」


 雪花はやたら分厚い参考書を机に置いた。悟も同じくらい大きな歴史図説から顔を上げる。


「うーん、現代人として奴隷制は良くないかなぁ」

「こいつに乗らされるな悟。雪永、奴隷とは心外だな。ソフィア王女は大切な俺のパーティの一員だぞ。リーダーとして指示しているだけだ。ちなみにロールはもちろん“サヴァン”!」

「……ちょっと」


 雪花が小声で襟をつかんできて、ソフィアから遠ざけられた。


「な、なんだよ」

「葉木谷さんみたいな人のこと、“サヴァン症候群”って呼ぶこともあるんだよ。知ってて言ってるの?」

「また病名か。知るかそんなの。サヴァンってフランス語で“賢者”って意味だぞ。悪い意味じゃないだろ」

「よく知ってるね、けいちゃんにしては」

「サヴァンはジ・エンド・オブ・ドリームスでは最強クラスのロールだからな。ちなみに真の最強はやはり∞騎士。騎士はフランス語で“シュヴァリエ”」

「そんな話だれも聞いてないから! とにかく、勢いで無神経なこと言って、葉木谷さんを傷つけたりしないでよ」

「あたりまえだ。だから、ソフィアは仲間だと言ってるだろ」


 雪花の手を払い、襟を正して“夢幻カット”の前髪も立て直した。中心を斜め四十五度に反らせ、両脇を軽く垂らす。よし、決まった!


「……さいとーくん、これどうやってメール見るの?」


 困惑ぎみの悟は非タッチパネルの液晶をとんとん叩いている。


「どんだけ機械オンチなんだ、お前! マウスを使え、マウスを」

「あ、そっかぁ。こうだね」

「それじゃ上下逆だろ! わざとやってんのか!? こうだよ! こう!」

「ご、ごめ~ん」

「やめなさいよ……。鳥飼くんだって仲間なんでしょ」

「なにを言ってるんだ雪永、仲間の成長を助けるのもリーダーの努め。悟が“夢幻学士”としてロール習熟度を上げるには、デジタル情報からも知識を取り入れられるようにならなければな」


 雪花はおもむろにアメリカンなお手上げのポーズをした。


「はいはい、わかりました! でもお願いだから、私だけはそんな馬鹿げたおままごとに巻き込まないで!」

「ふん、こっちから願い下げだ。バランス的に言って、いま欲しい人材は癒し系のヒーラーだからな。お前みたいな武闘派アタッカーは必要ない」

「だれが武闘派よ、だれが!」


 スパン! と丸めたノートを額に叩きつけられた。


「いてっ! ……あーっ! せっかく決まってた夢幻カットがっ!」


 携帯の画面に映しながら髪を整えると額が少し赤くなっていた。いてて……。だから武闘派だというんだ。こんな人間凶器は放っておこう。今は知性を働かせるんだ、知性を。


「さいとーくん、どうやってこのメールを調べるの?」

「いい質問だ。さすがはナンバーワンの知的ロール・夢幻学士。こういうのはとにかく“エッグル”にぶちこんでしまうに限る! もしかしたら暗号解読マニアのサイトにでもヒットするかもしれないしな!」


 メールの暗号文を適当にコピーし、検索バーにペーストした。


〈Lorem ipsum dolor sit amet, consectetur adipisicing elit, sed do eiusmod tempor incididunt ut labore et dolore magna aliqua〉


「こんなに長くて大丈夫なの?」

「エッグル先生にはこの程度の長さなど造作もない。行くぞ! 検索っ!」


 タン! と小気味よいキーの打音。


「……は?」

「どうしたの? さいとーくん」

「……お、おい……。どういうことだ、これ……」


〈検索結果 約13,400,000 件〉


 なんかおかしい。もう一度エンターキーを叩く。


〈検索結果 約13,400,000 件〉


 結果は同じだった。


「……いくらなんでも出すぎだろ」

「うーん……。さいとーくん、これもしかして暗号じゃないんじゃないかなぁ」

「なに? じゃあ何だ?」

「わからないけど……。これだけ知ってる人がいるってことは、有名な言葉ってことだよねえ」

「有名な言葉? お前がよく言う歴史的名言的な? ……なるほど。じゃあこんな感じか?」


〈Lorem ipsum dolor sit amet 名言〉


「よし、検索っ!」


〈検索結果 約1,100 件〉


 そうそう、普通はこんなもんだ。さっきのは何だったんだ?

 トップに表示された〈哲人ブログ〉というサイトに移動してみる。


 こんにちは! テツヒトです。今日はキケロ『善と悪の究極について』について哲学しましょ~


「……ぜ、“善と悪の究極について”!? なんだそれ超カッコイイぞ!」

「わぁ、キケロだって、キケロ!」


 悟まで興奮するとは思わなかった。


「知ってるのか?」

「うん、キケロは有名な古代ローマの哲学者だよ」

「それはテストに出るくらいか?」

「出るよ~。テストに出るよ~。……」


 悟は食い入るように画面を見つめている。こうなったらもはや他の刺激は無効化されてしまう。“悟第二形態”とでも呼ぶべきか。


「うーん、これはキケロの著作の一部を抜粋したものなんだね。さいとーくん、これ見て」

「なになに……」


〈Neque porro quisquam est qui dolorem ipsum quia dolor sit amet, consectetur, adipisci velit


(同じように、悲しみそのものを、それが悲しみであるという理由で愛する者や、それゆえ得ようとする者は、どこにもいない)〉


「うーん、哲学的だねえ」

「そうだな。何が言いたいのかいまいちピンとこないが……。しかし! 謎が深まれば深まるほど俺の探究心という炎は燃え上がる! 犯人はキケロを通し、俺たちに何かを伝えようとしているんじゃないか!? きっとそうだ! いや、そうに違いない! なあ悟!?」

「うーん……」


 思ったより反応が鈍い。普段なら乗らなくていいところまで乗ってくるはずだし、まして今回は大好きな歴史の話題なのだが。悟は童顔に似合わず渋い顔で画面を見つめている。


「どうした? 何か見つけたのか?」

「あのね……。続きにこんなふうに書いてあるよ」


〈というわけで、この通称“ロレム・イプサム”という長々しい文章は、出版、ウェブデザイン、グラフィックデザインなどの業界で伝統的に使われてるダミーテキストのことなんです。本とかウェブ、広告デザインの原型って、まだ出来上がってない宣伝コピーや内容を書き入れることはできないでしょ? かといって空白じゃプレゼンできないし……。そんなとき、この文章をダミーとして挿入します。そうすればこんなふうに、フォントやレイアウト、タイポグラフィといった視覚的デザインをチェックできますからね(下図参照)〉


「……〈つまり、デザインを見てほしいから、文章は見た目英語に似つつも、意味自体はないほうが都合いいんですよ。それで意味不明な言語の代名詞、ギリシャ語のテキストを引っ張ってたのが長年使われてるって寸法です。要するに、これは意味のない文字の羅列ってわけですね(笑)〉」


 棒読みで読み上げていると、悟が分析しだした。


「うーん、となるとさいとーくん、この文はメッセージとして送られたものじゃないから、アルチベルさんの暗号ではないってことじゃないかなぁ。……それにしても、この人の言うとおり、将来こんなことに自分の作品が使われることになるとは、キケロも思わなかっただろうねえ。かっこわらい」

「くくくっ……」


 勉強していたはずの雪花が肩を震わせ、笑いをこらえている。


「……くそっ! 負けるものか! 俺は“目醒めし者”、∞騎士! この程度で終わりはしない! 悟、図書室や部室にあるキケロの本を全部集めるぞ! きっとどこかに手がかりがあるはずだっ!」


 今回ばかりはソフィアの美しい無表情が胸にこたえる。


 頼む、頼むからせめて笑ってくれ……!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ