第34話 なみだ色の追憶【後編】
「お姉ちゃんー、ご飯まだー?」
気がつくと隣で妹が私の手元を覗き込んでいました。どうしたんでしょう、前後の記憶が曖昧で、私は妹と指切りしたあと……。
「どうしたの?」
心配そうに顔を覗きんでくる妹。私は「なんでもないよ」と笑顔で取り繕うと夕飯の準備を続けました。
夕飯が完成し寝室にいるお母さんを呼びに行きます。
「――――?」
しかしいません。というか室内がおかしい。だって窓際に置かれていたはずのベッドがないんですから。首をひねりながら室内を見回す私。と、一枚の紙切れが。近づいてみてみるとぐちゃぐちゃの汚い文字でこう書かれていました。
『今まで迷惑をかけてごめんなさい。おかしかったのは私です。このまま私がいればこれからもたくさん困らせてしまうでしょう。残っていたお金はここに置いていきます。あとは二人で暮らしてください』
手紙の横にはしわくちゃの紙幣。
どういうことでしょう? お母さんは責任を感じて出て行った? でも何で今更……。
不審に思った私ですが不思議と悲しさはありませんでした。
「お姉ちゃん、お母さんはー?」
お母さんの寝室から戻った私に妹が問いかけてきます。
「わからない。いなくなっちゃった」
「……ふーん?」
小首をかしげ小さく声をあげる妹。これでもう、この子に暴力を振るう人間はいない。やっと自由になれたんだ。
その日から二人だけの生活が始まりました。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
「そ、それ本当なんですか?」
昼間。私は自身の働いているお店で大声を上げていました。慌てて口に手を当て再度訊きます。
「ほんとうなんですか……?」
私の向かいに座っているのは私の1つ上の先輩で知り合いに第4地区で店を構えている人がいるという女性。彼女は気になることを教えてくれたのです。
言うには、近頃軍保の人間数名が民間人からの収賄罪で逮捕されたらしいのですが、その民間人というのが当時お父さんが捕まったことにより逆に売上の上がっていた店の店主だというのです。しかも既に店主はなぜか釈放されているといいます。
「もしかして……」
「? どうしたの?」
「いえ……なんでもないです」
いや、まさかそんなことは……。でも、仮にお父さんの逮捕がすべて仕組まれていたものだとしたら? 証拠も目撃者もなしにハイスピードで終身刑が言い渡されたのはすべて……。
「決め付けはよくない……。確かめてみないと」
次の日私はお店にお願いして一日だけ休みをもらいました。妹にはお金を持たせて好きなものを買ってもいいといい家に置いてきています。もし私の考えが本当ならここに妹を連れてくる訳にはいきませんから。
第4地区へ到着。懐かしい風景です。私はしばらく付近を歩き、やっと目的の場所へ。店には行かず隣の豪邸に近づきます。売上が伸びたというのは本当だったようで私たちが前に住んでいた屋敷よりも立派な家が建っていました。
大きなドアをノック。10秒ほどして中から「はい」と声がしてドアが開かれました。出てきたのは初老の男性。使用人の方でしょうか。
「あ、あの。このお屋敷の当主様にお会いしたいのですが……」
「失礼ですがどちら様で?」
「あ、」
なんと言えばいいのだろう。自身の名前を言う? でももし考えが合っていればまず会ってくれないだろう。追い返されるのがオチです。
「……まあいいでしょう。お入りください」
? 入れた? てっきり門前払いにされると思っていたのですが。でもまあ入れたことはいいことです。これで事件の真相がわかるかもしれません。
「ここでしばらくお待ちください」
通されたのは広い部屋。中央には大きなテーブルとイスが置かれ壁には何枚もの絵画がかけられていました。
どうしたらいいか分からずただ突っ立っているだけの私。しばらくするとドアが開かれ50代と思しき男性が入ってきました。
「お客が来ていると聞いたんですが、あー、まあ座ってください」
イスに座るよう促す男性。座ったところで紅茶が運ばれてきました。
「あの、私は――」
自分の名前を言う。その時男性の目元が微かに動いたのを私は見逃しませんでした。
「ええええ。あの時は本当に驚きましたよ。あなたのお父様が捕まってしまったんですからね」
「……はい」
「お父様は? 現在も?」
「いえ、父は……獄中で亡くなりました」
そう、お父さんはもう……。
「…………そうですか。それは残念です。彼は無実だったと今でも確信していますよ」
いかにも残念だというふうに小さくため息をつく男。切り出すか。あの話を。
「それはそうと、最近大変だったようですね」
「ああ、耳に入れられていましたか。そうなんですよ。まったく身に覚えのない贈賄罪なんかで連行されてしまいましてね。でも今ではこうして、」
「本当に間違いだったんですか?」
気後れしてはいけない、私は出来るだけ語調を強め言い放ちました。
「ええそうですよ」
「でもあなたの店は私の家が衰退したことで多額の利益を上げた。さらに軍保の人間は実際に収賄罪で捕まってるんですよ。あなたがどうして釈放されたのかは知りませんが贈賄した人間がいないのに収賄で捕まるわけがありません」
「……ふん。私の場合はただの誤認ですよ。軍保へ贈賄した人物は他にいるのでは?」
「…………」
そう言われれば頷かざるを得ません。私のはただの希望的観測にすぎないのでしょうか。
「――ふふ、」
? なんでしょう、突然男が笑い出しました。私、なにかおかしなことを言ったのでしょうか。
「失礼。ついあなたのお父さんのことを思い出してしまいましてね。本当に似ている。思慮深く、疑り深いくせに少しでも正当なことを言われるとすぐに信じてしまう。だから私の策略に嵌るんですよ」
「――なっ、」
この人は何を言っているのでしょう。自分から認めた? ではやはりお父さんはこの男のせいで?
「んん? 軍保に通報しようというのなら勝手にどうぞ。しかしこの世界は腐っています。いくら正義を掲げたところで実際に物を言うのは金と権力。いくらあなたが私を罪人と呼んでも彼らは取り合ってはくれませんよ」
反論もできないまま私は追い出されました。通報しよう、そう思いましたがダメです。お父さんを殺したのはあの男であり軍保でありそしてこの国。すべてが狂った歯車でガッチリと噛み合ってしまっていたのです。私一人ではその歯車を正すことはできない。この国に巣食った悪を潰すことはできないのです。
「お父さん……」
涙が溢れそうになるのを我慢して。
私は一人自分の家へと戻りました。家には妹が。もう二人だけでいい。誰かに手を差し出されても受け取りなんかしない。すべて払いのけ自分たちだけで生きていく。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
しかし運命とはわからないもので翌日、あの男の屋敷は燃え上がりました。家にいた者は全員死亡。あの家はこの代で途絶えました。
でも私の気持ちが晴れることはありません。今はただ毎日を生きていくだけなのです。




