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ハルよ-こい  作者: 廿日 三月
第一章 神巫(かんなぎ)
9/11

雨と泥と訪問者

「どうしたの、ハルセお姉ちゃん」


珍しく萌葱ちゃんが声を荒げて玄関へ向かって走ってきた。

そうだ、すっかり忘れていた。

雨でずぶ濡れになっていたっけ。


「とりあえず、これで拭いて。風邪、ひいちゃう」


自分でも拭いているけど、萌葱ちゃんもタオルを両手に持ち顔やら肩やら頭やら、急ぐようにあちこち手を動かしながら私を手伝ってくれた。


「ごめんね、もう大丈夫だから」


心配されている様子が伝わってきて申し訳ない。

そもそも転んだ私が悪いのだけれど。

――?


「そうだ、萌葱ちゃん。私転んだんだよ」

「え、怪我、したの?」


お風呂から出て、部屋の小さな机を囲む。

白湯を飲みながら冷えた身体が温まるのを感じていた。


その場ですぐ怪我はないことは伝えたけれど、

傷が一瞬で治ったことを含めて今日の出来事を萌葱ちゃんに説明した。


「たぶん、春の宝珠が助けてくれたのだと思うの」

「そう……」


萌葱ちゃんは俯きしばらく何かを考えているようだった。


「千里さんにも、話しておく。春の宝珠を、扱い慣れてきたのだと、思う」

「やっぱり春の宝珠の力なのね」


「春は、生命いのちを育み、護る力。傷を癒し、光で包む。ハルセお姉ちゃんの傷が、すぐに治ったのは、その力だと、思う。風は――」

視界の端で青い炎が揺れるのが見えた。


「風も、春の神巫かんなぎの力ですね」

響く美しい声で千里が続けた。

「千里さん? どこ行ってたんですか?」

「野暮用ですわ、ハルセ様」


炎から犬……ではなく狐に姿を変え千里さんはその場に行儀よく座った。


「たしか、宝珠の持ち主のことを“神巫かんなぎ”と言うのだっけ」


私の独り言を拾ったのは千里さんだった。


「ええ。宝珠に選ばれた、言わば神の御使いに選ばれた特別な方です」

「千里さん、それ、説明始めると、長く、なるから」


少しだけしょんぼりしている感じの千里さんをよそに、萌葱ちゃんが呟いた。


「風も、きっと、宝珠の力。

 大丈夫。春の宝珠は……必ずハルセお姉ちゃんを護ってくれる」


萌葱ちゃんのことだから、長い前髪に隠れて表情は見えない。

ただ私には、いつもの丁寧に言葉を置いていくような話し方ではなく、強い確信を持った言葉に聞こえた。



「ねえ、ハルセちゃん。夕日ゆうひくんのお見舞い行こうよ」


舞子まいこちゃんも喫茶【&】での一件を気にかけてくれていた。


「それが……実は昨日、ゆいさんと会って。もう夕日くんは家に帰ったんだって」

「なんだ、そうだったの?」

「元気だから心配しないでって言ってたよ」

「そっか、よかったあ。じゃあまた明日ね。お仕事ガンバ」


校門にほど近い花壇への水やりを続けた。

環境委員になった私は、こうして時々放課後に草花の世話をしている。


よし。これで全体の水やりが終わった。

花を見ている時間は大好きだ。

叶うならまだ見続けたいけれど、萌葱ちゃんを心配させたくはないのでもう帰ろうとジョウロを持ち上げたときだった。


ドン、と強い衝撃を背中に受けた。体勢が崩れて立っていられなくなり、そのまま花壇に突っ込む。

せっかく咲いた花を押しつぶしてしまった形だ。

ごめんなさい、と心の中で花に謝る。


「――おい、立ち去んな」

「っ。わりぃ!」

「……」


私にぶつかったと思われる男子生徒は、相当急いでいるようだった。

ひと言謝るとそのまま走り去っていった。

私は体勢を立て直して土を払った。

水をあげたばかりだから、多少泥が残るのは仕方ない。


さっき、恐らくそのまま急いで行こうとした男子生徒を引き留めてくれた彼が近づいて言った。


「怪我は?」


バッジの色を見るに、同じ学年の男子だ。


「大丈夫。さっきは引き留めてくれてありがとう」

「あれじゃ当て逃げだろ……」


たしかに、と私は笑って返した。

彼は少し怒ってくれているのか、表情は動かなかった。

このまま泥だらけで学校にいるのも恥ずかしいので、早く帰らなければ。


「じゃあ、またね」


その場に転がってしまっていたジョウロを持ち、下駄箱へと向かった。

あれ。待って。

さっきの人、どこかで見たことがあるような。

学校ではなく。


もう一度見ようと振り返るが、見つけられなかった。



「おかえり、ハルセお姉ちゃ――どうしたの? 土が、いっぱい」

「ああ。花壇の水やり途中で転んじゃったの」

「ええ」


萌葱ちゃんはまた慌てながら、先日の雨ずぶ濡れ事件と同じようにタオルを持ってきてくれる。

さすがにこれ以上汚れ物が増えるのは気が引けるので、タオルは断りすぐに着替えた。


「実をいうと人とぶつかっちゃって花壇に飛び込んじゃったのだけど」

「ええ」


萌葱ちゃんは更に驚いたというように慌てる。


「ハルセお姉ちゃんを、突き飛ばす、なんて……許さない……」


そう呟く萌葱ちゃんを見て思わず笑い出してしまう。


「ふふ……。大丈夫、その場でも怒ってくれる人もいたから」


彼もずっと眉間にシワを寄せていた気がする。

薄く赤みがかった茶髪と長いまつ毛に隠れた瞳、水彩絵の具で丁寧に描いたような口元……ダメだ、思い出せないけれど絶対に学校の外のどこかで会っているはず。


「ご飯よー!」


霞さんの声が聞こえる。

私たちは2階の部屋から1階の居間に向かう頃だった。

ガラリと勢いよく音がして玄関の扉が開く。


「ただいまー」


私は萌葱ちゃんと顔を見合わせて確認する。

おかしい。

霞さんは家にいるし、霞さんから旦那さんが帰る話も聞いていない。


おそるおそる玄関へと向かう。

階段を降りきり廊下を進むと、玄関先が見えた。

彼はたしか妖だと言っていた――


「おに……」

「狐ね? 鬼と間違えられるのは初めてだな。て、2人には暗示が効いてなさそうだね」

「何しに、来た……」


萌葱ちゃんが私を庇うように前に立ち、玄関先で押し問答を始めた。


「待って。さすがに暗示が効かないとは想定してなかったな。どう返そうか」

「答えろ……ハルセお姉ちゃんに、何かするって、いうなら、許さない」


いつもより低く暗い萌葱ちゃんの声が聞こえる。

相当に怒っているようだった。


「そうか。こないだ飛んだときに制御できなくなったのも、そもそもここでは力が使えないからか」

「いいから、答――」

「何してるの、ご飯できてるよ」


萌葱ちゃんの言葉に霞さんの声が重なった。

私たちの様子を見に廊下に来たらしい。


「あれ。玄関先で何してるの」

「お母さん。ごめん、今行く」

「冷めちゃうから早くね」

「はーい」


萌葱ちゃんの動きがぴたりと止まる。

それは今までのやり取りなど何事もなかったかのように、自然に霞さんに返事をしたのが、玄関先にいる彼だったからだ。


「今行くから」

彼が続けた。

「待ってるわ」

霞さんも普通に答えて居間に戻っていった。


素足だということも厭わず土間に足を踏み入れ、萌葱ちゃんは彼の胸ぐらを勢いよく掴んだ。


「おい。今すぐ術を解け」

「なるほどね。神社の外でかけた妖術は有効なのか」

「いい加減に――」

「でも君は術に入ってない。もしかして君も普通の人とは違うのかな?」

「っ……」


ダメだ。意地の張り合いじゃどうにもならないと、私は止める意思を固めて2人の間を割って入った。


「いいから、まずは、ご飯食べよ? ね? 冷めちゃうともったいない」


この対応で良いのかはわからないけれど、今は2人を引き剥がす。

萌葱ちゃんは黙ったまま居間に向かっていった。


「お母さん、それ……」


萌葱ちゃんの後ろから居間のテーブルが見えた。

食卓に並ぶ膳の数は、4つだった。

霞さんと萌葱ちゃん、私、それと……。


「わ。美味そう。ありがとう」


玄関からやってきた彼だった。



食事中、萌葱ちゃんは何度も霞さんに“彼”に違和感がないかを尋ねていたけれど、霞さんの中では「今日から一緒の同居人」という様子だ。


「お母さん……」


悔しさの混じる萌葱ちゃんの声が聞こえて、何もできない私は下を向くしかなかった。


「あ。そうそう、寝室を案内するから。こっちへ来てくれる?」


霞さんはとても楽しげに彼を案内した。


彼が使用する食器類は仕事で長く家を空けているという霞さんの旦那さんのもの。

彼が使用する部屋は、部屋も整頓されている旦那さんの書斎にお客さん用の布団を敷いて準備された。


「なんておあつらえ向きな……」


萌葱ちゃんは苦虫を噛み潰したように独りごつ。

一通り家の中を案内した霞さんは、一つ注意事項を伝えた。


「ここはお父さんの倉庫だから、入らないでね」


そこは私と萌葱ちゃんの部屋の隣にある、鍵のかかった部屋だった。


「……わかった」


彼が答える。

これで一通りの案内と、動乱の一日がとりあえず終わった。


「疲れた……」


萌葱ちゃんはよろよろと自室へ戻っていった。

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