風に応えて
目の前に立つ、2本の尻尾を持つような、獣の耳を生やしたような、金色に目が光るような、不思議な少年が言葉を続けた。
「妖とか見たことあるのかと思ってたよ。
君だって普通の人間じゃないでしょ?」
「え」
……同じ学校だか分からないが初対面で人間じゃないはヒドイ話では?
「いや、それが普通じゃないと気付かない訳ないよね」
私の膝を指刺される。さっき擦りむいた部分に血がついていた。膝を曲げ下向きなものだから雨にも濡れていない。
「本気? 気付かない方が普通じゃない気もするけど」
降り注ぐ雨を片手で受けるような仕草をすると、手の上に雨水が集まっていく。そうして貯めた雨水を私の血だらけの膝にぶち撒けられた。
「ちょっと、なんで――」
「ほら。見てみなよ」
血が洗われた後の膝には、さっき擦り剥いた傷がどこにも残っていなかった。
「擦り剥いた傷が消えてるだろ? なんでさっき転んで出来たはずの怪我がなくなるんだ。妖じゃあるまいし」
「……」
これは……何だろう?
私は目の前の人間でない姿の者と、人間でない様子の自分と、何から考え始めたら良いのかごちゃ混ぜになってきた。
何も言葉を返せない私を見て更に彼は続けた。
「今日初めて見たようなリアクションだけど……。本当に気づかなかった?」
そういえば、先日缶を空けたときに切り傷ができたようなときも、気のせいだと思っていたけれど本当に怪我をしていたのかもしれない。
「そういえば――」
私の声はけたたましい音と眩しい光で遮られた。
車がこちらに向かって勢いよく向かってくる。
「な!?」
「ったく、人騒がせな。桜井さん、だよね。ちょっと悪いけど付き合ってもらうよ」
ふわりと身体が浮き上がる感覚――は一瞬だった。
ぐんと重力を感じるとひゅんと風を切って空へ勢いよく飛び上がった。
家や行き交う車がどんどん小さくなる。街の喧騒が遠くなり雨の音しか聞こえなくなる場所で止まった。
上空に留まりながら下の様子を伺いつつ、彼はつぶやいた。
「なんで絡まれなきゃいけないんだ」
暴走した車は急に止まれば後退して向きを変え、また発進しては嫌な音を立てて止まり、を繰り返しながらまるで私たちが地上へと戻るのを待ち構えているようだ。
「あれは…何?」
「いや何だろうね。おれも知りたいところだよ」
しばらく待っても車が止まる気配はないようだ。
「上にいるのを分かって待ってるな、これは」
「私たちが空を飛んでいるって分かって、待ってるってこと」
「そうだね」
なんてことない、という風に彼は言う。
「一旦逃げるか」
「え」
「あ。桜井さんて確かそこの節季神社に住んでるって言ってたよね」
頷いて答える。
舞子ちゃんもそうだけど、はじめの一回の自己紹介でみんなよく覚えているよね。
「じゃあ神社へ送るよ」
「いや大丈――」
「すぐそこでしょ?」
「ここで降ろして――」
「神社までは来れないはずだし、逃げ先として最高なんだ」
長い階段を登らず家に行けるのはありがたいけど、早く降ろしてほしい、という私の思いは彼方へと飛んでいったらしい。
空にいるのは苦手だと感じていた。
この世界から離れてしまう気がして、どうにも寂しい。
「そこで良いよね?」
直下には階段を登った先の広間がある。
ゆっくりと降下が始まった。
花は地上から見上げた方が美しいと思うのはきっと私の個人的な趣向だと思うけれど。
それでも神社の明かりで照らされ色めく花々は綺麗だ。
遅咲きの桜。藤。牡丹。私が節季神社を好きな理由の一つだ。
ただ、どうしてだろう。
近づくほどに、不安な気持ちが膨らんでくる。
「……ねえ」
「イヤな予感がする」
彼の言葉のすぐ後だった。
ぐらりと視界が揺れる。
ふっと辺りの空気が変わった。どこまでも澄んだ清い空気だ。
――神域に入ったんだ。
飛行に制御を失った私たちは速度を上げながら地面へと近づいていく。
怪我で済めば良いけれど、砂利の地面だ。
痛いのも嫌いだ。避ける手段をいろいろ考えたけれど思い浮かばない。
目を瞑って衝撃に耐えようと決める。
……まず変わったのは音だった。
耳元で響いていたひゅうと風を切る怖い音が弱まった。
次に押し寄せていた不安な気持ちが軽くなった。
そして優しい風が私たちを包み込んだ。
目を瞑っていたって、私には分かる。
あの風だ。
あの風がまた吹いたのだ。
私は安心しきって目を開けた。
よく知る神社の入口の広間だった。
私たちは地面に激突することなく、地上へと戻れたのだった。
彼は関心したとばかりに目を爛々と黄金色に輝かせて言った。
「へええ。傷が治るばかりじゃなくて、風も操るのか」
「いや、私はだから何もしていなくて――」
「今回は本当に助かったよ。ありがとう」
「だから私じゃなくて――」
「首から下げている“それ”が助けたって?」
首から下げている宝珠に向かって真っ直ぐに指を刺された。
思わず手を伸ばして隠す。
やはり熱を帯びて暖かくなっている。
「“それ”は桜井さんのなんだよね?」
「え。うん……たぶん」
煮えきらない返事を聞いた彼は苦笑いを浮かべつつ返した。
「おれには桜井さんの声に“それ”が応えているように見えたよ」
そう、なのだろうか。
胸元の宝珠を改めて見つめてみる。
私の不安な気持ちに応えてくれたのだろうか。
☆
階段下にまだ狂った車がいることを心配して、
彼は裏口となる駐車場の方から帰っていった。
一人になった私は帰り際に呟く。
「ねえ、もしかしてさっき、助けてくれた?」
もちろん答えなど返っては来ないけれど。
「ありがとう」
心を込めて言った。
私の声に応えてくれるという、
春の宝珠を信じようと決めた。




