妖のたからもの
「おはよう。さあ学校行こうか」
明るすぎるほどの威勢の良い朝の挨拶に、萌葱ちゃんは頭を抱える。
彼は昨日夜、突然堂々とこの家の玄関から入って来た狐の妖だ。
萌葱ちゃんのお母さん、霞さんはこの彼の術にかかり突然の来客だとは思わず家に招き入れ、部屋を用意し泊めたのだった。
「うるさい。ねえ、あんた、誰? なんで、催眠なんて術、かけたの?」
「おれは桐谷 双芭。桜井さんのクラスメイト」
「へえ。桐谷くんか」
「「え?」」
会話が途切れる。
昨日夜から言い争ってばかりの2人の声が一致した。
視線が刺さってとても痛い。
「待って。ハルセお姉ちゃん、もしかして、この人の名前、知らなかった?」
「うん。だって学校で話したことないし、名乗ってもなかったよね?」
「いや名乗らなかったのは、同じクラスで知ってるだろうと思ってたから。……まさか、本当に知らなかったのか?」
「え。うん」
はあああああ、と盛大なため息が2人から漏れた。
「よろしくね、桐谷くん」
「ごめん待って。ちょっと混乱。さすがに名前も知らない奴が家に来たら、いろいろ疑問が出るよね。でも記憶の限り何も聞かれなかったんだけど」
「見たことはあったから。改めて桐谷くん、私は桜井ハルセです」
寸分の後、返答が来た。
「うん。おれは知ってたよ、桜井さん」
ずしりと両肩に重みを感じた。
見ると向かい合った萌葱ちゃんが私の両肩を押さえうなだれていた。
「ハルセお姉ちゃん。お願いだから、その、もう少し、疑ってみよう……」
これは……反省すべきなのは私のようだ。
☆
教室に入れば舞子ちゃんから「なんで桐谷くんと一緒に?」と突っ込まれた。
術をかけられたなどとはさすがに言えないので気の利いた嘘が出ず戸惑っていると、桐谷くんが「家近かったんだよね」と返す。
近いといえば近いのかな、うん。きっと違和感が出る答えではなかったと思う。
まあ帰り際「一緒に帰らない?」と桐谷くんに声をかけられたときも、舞子ちゃんに見られた気もするけどきっと気のせいよね。
家に帰って居間に行くと、一足先に帰っていた萌葱ちゃんが、机の上にお菓子と人数分のジュースが注がれたコップを置いて、座っていた。
これは、この家での「話そう」の合図である。
説明はなくとも空気を読んだ桐谷くんも、私の隣に座り萌葱ちゃんと向かい合った。静かな空間に耐えきれず、私は目の前のチョコレートを取って口に入れる。コップに手をかけた頃、萌葱ちゃんがまた低い声で話し始めた。
「――何のつもりで、この家に、術をかけてまで、入ってきた」
また静寂が流れる。私が机に置いたコップの音が響き渡る。
「探しものがあってここまで来た」
「探しもの……?」
口を挟んでしまった。この家に何かお宝でもあると言うのだろうか。確かに歴史ある場所だとは思うが、観光名所になる程の目玉はないと萌葱ちゃんにいつか聞いたことがあったっけ。
「これだよ」
机の上に出されたのは、綺麗に折られた白い布だった。見るとお世辞にも整っているとは言い難い、蛇行した線で糸のあらさも長短バラバラな縫い目で描かれた幾何学模様の刺繍が入っている。
「――これが、何?」
萌葱ちゃんの言葉は私に言われたものではないと分かっていても、心に刺さる。
「このハンカチを見て何も気づかない訳じゃないだろう?」
「……」
「そう。これには妖気が纏わりついている。だが、作ったのは人間だ。おそらく家庭科の授業で作る刺し子だと思う。そして妖気がここまで見て取れるほどに、その妖は大切に持っていたはずなんだ」
ハンカチを机に広げて桐谷くんは続けた。縫い目は確かに不揃いではあるけれど、これは七宝模様だ。歪ではあるけれど一つ一つしっかり縫われた丸が布全体に並んでいる。
「この持ち主の妖をおれは探したい」
しばらく沈黙が流れた。そして、萌葱ちゃんは疑問を投げかける。
「――ウチと、何か、関係が?」
萌葱ちゃんの疑問を聞いた桐谷くんは、一呼吸置いてから答えた。
「ここはおかしい、何かあると感じて来た」
☆
「ここって節季神社のことを言っているの?」
節季神社に術を行使してまで来た理由を萌葱ちゃんに尋ねられた桐谷くんは、私の質問に首肯し説明を始めた。
「まず最近よく聞く噂話を知っている? 青い火の玉が出るという話だよ。宙を彷徨いながら、話すとも言う。ただ、話す火なんていう妖の術はないし、そもそも火の玉などという妖はいないんだ。そのいないはずの火の玉は、なぜか節季神社の周りで見られるという話だ。
この噂話から、節季神社について気になってはいた」
机の上のハンカチを指しながら続ける。
「そしてこのハンカチを拾った。どこでだと思う? なぜか妖の気配を感じるこれを拾ったのは、節季神社に続く階段下の歩道だよ。これで更に節季神社への興味が出てきた」
グラスを手に持つと、カラカラと氷で音を立てながらゆっくりと大きく回す。
「更に調べてみたところ、ここ数年で節季神社の周りでは大きな妖力を感じる事案が2件も起きているという。何かの争いの形跡なのか、妖気の爆発とも見えるような事案だよ。周りの妖たちに少し聞けば証言は山ほど取れるくらいに、近くにいた妖なら誰もが感じ取れるくらいの妖気の爆発だ」
桐谷くんは動きを止めて言った。
「このハンカチが謎を解く糸口になるのかもと思う気持ちもなくはないよ。でも、一番はこのハンカチを大切に持っていたであろう持ち主の妖に返してあげたい。綺麗にアイロンがけもされているし、本当に大事に使って、宝物のように持っていたのだろうと思うから」
萌葱ちゃんはゆっくりと顔を上げると、一呼吸置いてから桐谷くんに尋ねた。
「どうして、そこまで」
桐谷くんはふっと笑みを浮かべて言う。
「おれが間の子だからなのかな。このハンカチはきっと人が妖に心を込めて贈ったものだ。そして贈られた側も大事にしていた。この気持ちを見なかったことには、おれはできないよ」
ハンカチを見つめて私も考えてみた。確かに誰かの大事なものならば、それを拾った縁を紡ぎ、返したい。そう思う気持ちはきっと温かいものだ。
それでも、萌葱ちゃんは静かに答えた。
「――それは、私たちには、関係ない、よね」
そして立ち上がる。下がる椅子が床と擦れる音が妙に響いた。
「今すぐ、術を解いて、ここから、出て行って」
静かに、それでいて切実な訴えだった。
萌葱ちゃんは桐谷くんをひどく警戒しているように見える。萌葱ちゃんにしてみれば、家にかけられた術を解くことが最優先だ。桐谷くんの理由がどのようなものであれ、萌葱ちゃんにはきっと関係ない。
霞さんを操られた状況では、萌葱ちゃんが協力をすることはないのだろう。
「……わかったよ。ごめん、お邪魔した」
桐谷くんは机の上に出されていたハンカチを畳むと、ここでは術を解くこともできなそうだから、と言って外へと向かっていった。
萌葱ちゃんはようやく笑って、
「さ。ハルセお姉ちゃん、お菓子でも、食べよ?」
置かれていた茶請けを差し出すと、自分もいくつかを取って食べだした。
「ねえ、さっき桐谷くんが言ってたこと、嘘だと思う?」
思い切って萌葱ちゃんに聞いてみる。
「嘘、じゃない。私に嘘は、通用しない」
「私も嘘を話していると思わなかったんだよね」
「ハルセお姉ちゃんは、優しいから。事情を聞けば、気になってしまうと、思ってたよ。それでも、かけた術は、解いてもらわないと、ね」
そうして私はいつの間にか、そこにあったチョコレートを食べ尽くしていた。
☆
「あれ、双芭くんは?」
霞さんは、姿が見えなくなった桐谷くんを心配して家の中を探し回っていた。
萌葱ちゃんが「彼はもう帰ったから」と言っても「術にかけられてたんだよ」と事情を説明しても「連絡も挨拶もなく?」と不思議そうだ。
「ハルセちゃん、ちょっと」
霞さんに呼び止められると萌葱ちゃんには聞かれないよう耳元で囁かれる。
「双芭くんはどうして、ウチに来たの?」
先ほど本人から聞いた話を伝えると、しばらく考えた後に一つ頼み事をされた。
「お願いね? 萌葱には私から言っておくから」




