最後の試練Ⅰ
天魔・アレースは退屈していた。
いつものように「遊ぼう」として、肉壁に囲まれた一室に飛ばされ、そこで待機する事を強要されたために退屈していた。
離脱も検討したものの、その思考は瞬きのうちに消え去っていた。その程度の強制はわけがない機構に無意識に縛られていた。
仕方なく座禅を組み、ただひたすらに待つ傍ら、相方が楽しげに奮戦している様子をぼんやりと眺めていた。
眺めているうちに、相方はもういなくなっていた。
その事に一抹の寂しさを感じつつも彼は待ち続けた。隣に邪悪な笑みを浮かべ立つ黒い影の事も気にせず、待ち続けた先に――死合相手がやってきた。
「――――」
『ehc@』
死合の始まり。
その立ち上がりは一時の静寂から始まり、その帳は直ぐに破られた。
同時に動いた両者は肉壁の部屋の中央で剣を合わせ、鍔競り合った。
「アアアァアァアァアァアァアァアァアァアァアーーーーッッッ!!」
『――――』
競り合い、叫んだ巨人が押し込んだ。天魔が後退した。
だがそれは巨人が力で勝ったわけでは無かった。
打ち合った瞬間、相手の攻め気を感じ取った天魔が意図して退き、巨人の体勢を前方に崩す動きだった。巨人の少年は相手の意図通り、前方へとつんのめった。
「あり」
『Z……!! i:@.t!?』
「がと」
それは、少年の意図通りでもあった。
前に体勢を崩した少年は立て直しを図らなかった。
前方に前転する形で飛び込み、天魔が背中を斬りつけてくるのを甘んじて受け――骨が見えても構わず――天魔を無視して前へと逃れた。
『it@rt!』
「ゥ、ッ……!」
疾走する背が爆撃され、傷口がさらに開いても構わず進んだ。
むしろ爆発の勢いを借り、さらに加速し――そのまま壁を斬りつけた。
「アアアアァッッッ!!」
「無駄無駄」
少年の振るった一撃は神にそう評された。
少年の意図は天魔・アレースの打倒ではなく、この場の突破にあった。
天魔の討伐は勝利の絶対条件ではない。真に止めるべきはエキドナ。壁を斬り裂き、この先にいる第十二試練を倒す事で作戦達成を狙っていた。
だがしかし、その一撃は不発に終わった。
撃ち込んだ壁は衝撃を辺りに散らしつつ、多少は斬れた。だが直ぐにめり込んでいた少年の剣を押し上げ、再生して元通りになっていった。
「並大抵の一撃じゃあここは抜けねーよ。まあ、化物君の一撃は並大抵じゃないけど、それでも無駄無駄。アレースを倒せたら先に進ませてあげ――」
「アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッッッ!!」
「聞けや」
神の助言は聞かず、少年は構わず連撃を入れた。
一撃で不足なら二撃、二撃で足りずば三撃。三で足らずば四、五、六、七、八、九、十――採掘機の突撃の如き連撃が成った。
だが、それでも不足だった。
「ぬ……!」
ぬけない、と言いかけた少年は口をつぐんだ。
魔術は想いを反映する。一度不可能と意識すると次に差し支えがある。ならば諦めず、弱音を吐かず、愚直に正確に強力無比に続ける必要がある。
「勝つ!!」
そう決心しながら、少年は横っ飛びで逃れた。
「ふぬっ……!」
『6;sm3cyw@h;9』
アレースに背中から縫い留められかけつつ、避けた。
剣の一撃は何とか避けたものの、連撃としてやってきたほぼノーモーションの空間爆撃は避け難く、全身に熱と衝撃が走ったが何とか耐えた。
「いいかんじ……!」
少年の身を守ったのは鱗衣。
竜種・サーベラスの毛皮で作られた鎧は着用者の身体同然の一体感を持ち、同時にその防護魔術のキレも増幅していた。無傷では無かったが死傷は無かった。
直接切りつけられればさすがに持たない。
だが、切り合いながらもポップコーンのように弾ける空間の中、少年は「空間爆撃は何とかしのげる」と判断した。
少年が毛皮は「自分じゃない」と遠ざけず、「これも自分」と受け入れたからこそ彼の身体から作られたも同然の鱗衣は彼を生かし、彼も活かした。
「まだまだまだまだまだまだ……!」
天魔の攻撃はギリギリまで回避しなかった。
天魔の一撃で壁を突破しようとしたが――不発に終わった。だがそれでも少年は「まだ」と叫んだ。それは諦めないための詠唱であり自己暗示であった。
「無理だっつーの! 諦めて天魔と戦いやがれ化物!!」
「むりないちがう。がんばるまだまだ」
少年は天魔から逃げつつ、先に行くために壁を攻めた。
天魔は少年の行動に苛ついた。ようやく現れた敵手が――それも以前相まみえた強者がさらに強くなって来たというのに、相手の行動が消極的な事に苛ついた。
『――――!』
苛ついてはいても、その攻撃に隙は無かった。
全力で斬り合えば力負けもしない。速度も勝る。少年側がよく耐えているものの、斬り合うたびに傷は増え、押されていく。
「まだ、やる! 勝てる!!」
少年は額の裂傷から流れた血を拭いつつ、傷口をなぞって治療した。
時折、隙を見い出せば壁ではなく天魔を攻めた。
だが、時限の歪曲を利用して認知加速している悪魔の超反応はそれを防いだ。迎撃から剣を絡め取り、少年の手から武器を弾き、奪った。
「まだ!!」
少年は――ヘラクレスは予備の剣を即座に抜いた。
それが最後の剣だった。
最後でもまだ追い詰められたとは思っていなかった。そう思う事が肝要だと直感していた。……焦ってはいたが、心は折れていなかった。
作戦成功は親玉を無力化しない限り成らない。そのためには前に進まないといけない。天魔か肉壁を突破する必要がある。
「まだ――――」
「無駄だっつーの」
神の声はもはや呆れの色が混じっていた。
本気でエキドナを護る場合、強靭極まりない肉壁で各所を塞ぐ事で十分に時間稼ぎが出来た。そうしなかったのは人類側にも微かな勝ち筋を残すためだった。
仮にエキドナが討伐されようが、「それはそれでおもしろい」と思っていた。
仮にそうなったら少年の手で殺すのが最高の結果だと期待もしていた。
しかし、全てを人類側有利に進めるのは面白くない。
だからこそ天魔という障害を最後に残し、それと元魔物の少年を食い合わせ、対決してなお勝てるのであれば先に進ませようとしていた。
「壁破壊ずるいやり方、管理者として認めませーん」
『――――』
「ゥ、ぐ、ぅぅ……!」
「だってそんなのじゃ、面白くないだろ? ……観衆の皆もそう思ってるかもよ」
神は笑って、広間中にバッカス国民の顔を写した。
管理者である神には造作もない事だった。戦闘の様子をバッカス側にも届け、趨勢次第ではバッカスの希望が討たれるとこも見せるつもりだった。
「ほらぁ、頑張れよ! 頑張って天魔を倒してみろよ!」
「ぅ、ゥゥゥ……」
「倒せないと、お前は受け入れてもらえないぞ! お前はひとりぼっちだ! お前は人間じゃない! お前は化物だから――バッカス王国にとって異物なんだよ!」
「…………」
「お前のような化物、兵器としての有用性を証明しない限り、誰も受け入れない! お前は戦うために生まれてきた! 戦う事でしか存在意義を証明できない!!」
「…………」
「その程度の存在なんだよ。化物君。お前を受け入れる者なんて、誰もいない」
「…………うん、わか、た」
「ふむ?」
「ぼくたたかう」
少年は斬り結びながら、一つの境地に至りかけていた。
戦いを経て、一つの領域に至ろうとしていた。
それは彼であれば至っても、おかしくないものであった。
「たたかう……でも!」
少年冒険者のヘラクレスは駆けた。
アレースに斬りかかり、斬り裂かれ、肉を焼かれても前へ進んだ。
愚直に壁に向かって突進した。
「ぼくは、ぼくのかんがえでたたかう!」
「てめっ……! そこ突破するのは無駄だって言っ……」
「ぼくらは、かみさまの、おもちゃじゃない!!」
ヘラクレスは肉壁を斬りつけた。
それは、突破には足らないはずの一撃だった。
だがしかし――ここに一つの奇跡が成就する。
「――――ッ! ぬけ――!」
「お前、まさかッ!」
『gZq……!?』
「たッ――!」
貫けぬはずの壁が消し飛んだ。
それは異質な斬撃であった。
少年は確かに肉壁を斬った。それにより反対側に抜けていた。
だが、斬られた部位は――この場には存在しなかった。
斬られた周囲ごと、削られたように消し飛んでいた。
「ばいばい!」
「て、てめえ、この……! ば、馬鹿野郎! アレース、追え!! 追撃しろ!」
壁の向こう側に抜けていった少年に対し、神は罵声を浴びせた。
自分の想像の先に行かれていた。それは一つの奇跡であったが、種の存在するものであり、神はそれが何で起こったのかを正確に把握していた。
それでも油断があった。
それゆえに狼狽え、慌てて天魔の行動を追撃へと強制させていた。
追う事に異のない天魔は直ぐ様追いすがり、二人は壁の向こうに消えていった。
少年はエキドナの居場所を目指し、天魔は少年を追撃した。
「この、うえ……!」
『jw9>bbigw63r@:fzjoueq@\』
「お、おってくる? あ、あとにしてほし……だめ?」
『-ygw@qqt5! 6;fqdti:ys@4toi:@qohb@d'q@、cyu6;ii:@.use0;wmfuw@0o4q@\4t@――c;w@mqqtZwh;! qk]』
「そっかぁ……」
少年は追ってくる天魔に少しおしっこちびりつつ、上へと駆けていった。
二人は大広間から縦穴へ――エキドナのいる場へ向かう通路を上がっていった。
「……もうあそこまで覚醒したのか」
神は苛つきつつ、天魔と巨人の追走劇をバッカス中に配信し続けていた。
その様子を写している投映画面の横に、小さな窓でエキドナ・アーセナル外部の様子を写していた。そこに広がる海には何故か、内部肉壁の一部が流れていた。
「…………」




