第2話
時はさかのぼり中学1年生の春。
僕はいつものカードショップで、『まつ』として大会に参加していた。
「対選卓5番、『まつ』さん対『まぁむ』さん」
店員が読み上げる対戦表を聞きながら、指定されたテーブルへ向かう。このカードショップにはもう二年近く通っているけれど、『まぁむ』という名前は初耳だった。どんなプレイヤーだろう、と少しワクワクしながら席についた。
だが――
僕の目の前に現れた相手は、予想を裏切る人物だった。机を挟んだその向こう側にいたのは、僕と同じ年頃の女の子だった。思わず「えっ」と声が漏れる。彼女には聞こえていなかったようだが、このカードゲームで女の子と対戦するのは初めてで、完全に意表を突かれた。
「対戦お願いします……えっと、私、この大会に出るのが初めてで、何か間違ってたら教えてくれると嬉しいです……」
蚊の鳴くような声だったが、その一言だけで分かった。始めてまだ間もない。でも来た。大会まで来てしまった。
「わかりました」
僕はそう返して、手際よく準備を始める。そして、試合開始の合図が響いた。
『準備はできましたでしょうか?それでは第一回戦デュエル、スタート!』
彼女がどんなデッキを使ってくるのか――僕はプレイの確認も兼ねて、注意深く見守っていた。しかし次の瞬間、僕はまたしても驚かされた。
「えっと……ドローして、このカード置いて、ターンエンド、で」
彼女が最初の一枚を卓上に置いた瞬間、僕の手が止まった。
青魔術。
初心者が持ってくるデッキじゃない。なのに、彼女はそれを卓上に置いた。誰かに勧められたのか、自分で選んだのか――どちらにせよ、強くなりたかったんだ、と思った。
試合は静かに進んだ。彼女の手は何度か止まり、処理の順番に迷うたびに、小さく首をかしげる。そのたびに僕は一言だけ助け舟を出した。「このタイミングで使えます」「そのカード、今は発動できないです」。その度に、彼女は「あ、そうか……」と小さく呟いて、またカードに向き直る。
本来の青魔術なら、今頃僕のリソースは削り切られているはずだった。それでも彼女は、毎ターン、なんとか一手をひねり出そうとしていた。不恰好でも、諦めなかった。
数ターン後、僕の攻撃が通って、試合は終わった。
「対戦ありがとうございました」
「ありがとうございました……」
勝ったのに、どこか落ち着かなかった。本気を出しすぎた、というより――彼女があの青魔術で一生懸命戦っていたのを、僕は少し容赦なく潰してしまった気がした。そして気がつけば、声をかけていた。
「……あの、初めての大会なのに、すみません。僕、ちょっと容赦なかったですよね。よかったら、何かアドバイスしましょうか?」
「……え?いやそんな、悪いですよぉ」
戸惑いながらも、どこか安心したように彼女が僕を見上げる。その目に映るわずかな期待が、僕の胸にやさしく触れた。
——なぜか、もう少し話していたかった。
「いえいえ、全然。僕も、誰かに何かを教えるの、ちょっと憧れてたので」
「……そうなんですか。じゃあ、お願いしてもいいですか?私、自分のどこがダメだったのか、あんまり分かってなくて……」
その言葉は、悔しさよりも、前を向こうとする気持ちに満ちていた。きっと彼女は、ほんの少しのきっかけを探していたんだ。
「もちろんです。じゃあ、まず最初に……」
僕は彼女に、青魔術を使う上でのコツや立ち回りの基本を、できるだけ丁寧に教えた。彼女は真剣に耳を傾けて、時折「あ、なるほど」と小さくうなずいた。時折ふっと笑うその表情には、少しずつ緊張がほぐれていくのが見えた。マスク越しだったけど、それでも伝わってくるような、やさしい笑顔だった。
そんな穏やかな時間も、次の対戦カードの発表によって静かに終わりを告げる。『第二回戦を開始します』という店員の声に、僕たちは顔を見合わせて立ち上がった。
「じゃあ、またあとで……」
「はい、がんばってください!」
そうして僕たちはそれぞれのテーブルへ向かい、第2回戦、第三回戦、そして第四回戦と試合を重ねた。どの試合も白熱していたけれど、集中し続けた甲斐あって、最終的に僕は優勝することができた。デッキレシピを店員に提出し、少し気が抜けたように椅子に座っていると、さっきの彼女がそっと近づいてきた。
「優勝おめでとうございます!」
「あ、ありがとうございます」
「ほんとにすごいです……私なんか、まだ全然……」
「そんなことないですよ。少し見てましたけど、最初よりずっと落ち着いてプレイできてたと思いますし」
「……そうですか?」
「はい。何事も練習あるのみですしね」
「はい……もっと頑張らなきゃ……」
少しうつむいた彼女が、ふと思い出したように顔を上げる。
「……あの、もし時間があればなんですけど……」
「はい?」
「さっき教えてもらったこと、実戦で練習させてもらえませんか?」
また、この上目遣い――いや、まだ二回目だ。なのに、もうこれが"いつもの"になりそうな気がして、僕は少し慌てた。
……いやいや、ダメダメ。そんなつもりじゃないはずだ。
「えぇ、いいですよ」
今日は友達もいないし、家に帰っても暇だった。彼女ともう少しデュエルができるのなら、むしろありがたかった。僕らは席に座り、デュエルを始める。
しばらくして、店内にチャイムが鳴った。時計を見ると、もう5時。そろそろ帰ろうか、と思っていたその時――
「もう5時!?すみません、私もう帰らなくちゃ!」
急に焦ったように彼女が立ち上がる。僕も5時には店を出ると親と約束していたから、ちょうどよかった。
「あ、実は僕もちょうど帰ろうと思ってたところなんです…」
「えっ、そうなんですか。あの、どっちの方に帰るんですか?」
「赤木中学校の裏あたりです。まっすぐ行ったところですよ」
「えっ、じゃあ途中まで一緒かもしれないですね……。よかったら、一緒に帰ってもいいですか?」
「えぇ、もちろん」
そうして僕たちは、帰路についた。自転車を並べて走っていると、どこかぎこちなくて、会話も途切れがちだった。だが、夕焼けが差し込む道を、ただ黙って進む時間が少しだけ心地よかった。そんな中、彼女がぽつりと口を開いた。
「……今日は、本当にありがとうございました」
「いえ、こちらこそ。僕も、楽しかったです」
また少し沈黙。風の音だけが、ふたりの間をやさしく通り過ぎていく。
やがて、彼女が少しだけうつむいて言った。
「……あの、実は私……あんまり学校に行けてなくて。友達も、まだいないんです」
その言葉に、胸の奥がすこしだけ締めつけられた。
「そうだったんですね……でも、今日お話しできて、デュエルできて、嬉しかったです」
「……ありがとうございます」
彼女がちらっとこちらを見て、少しだけ、安心したように笑った。言葉が途切れ、静かな時間が少しだけ続いた。そして、
「……その……私、日曜日しか外に出られないんですけど……。その、もしよかったらまた……日曜日に、一緒遊んでくれませんか?」
目をそらしながら、でも勇気を出して伝えてくれたその言葉が、まっすぐ胸に届いた。僕の心臓が、不意に高鳴る。
「……もちろん。僕でよければ」
交差点の手前で、彼女が自転車を止めた。
「私、こっちなので……」
「わかりました。気をつけて」
一瞬の沈黙――
でも、彼女がふっと微笑んで言った。
「じゃあ、またね」
僕も同じように笑い返す。
「うん、またね」
彼女の頬が少し赤く見えたのは、きっと夕焼けのせいだろう。
それから日曜日のたびに、僕たちはカードショップで会うようになった。最初は「対戦お願いします」と丁寧だった彼女の口調が、いつの間にか「ねぇねぇ」に変わっていた。気づいた時には、もうメールのやり取りが当たり前になっていた。
ある日、帰り道のわずかな沈黙の中で、彼女がぽつりと口を開いた。
「そういえば……まつくんって、私の初めての友達なんだよね」
その言葉に僕は少し胸が熱くなった。
「そう言ってもらえて、本当に嬉しいよ。僕も、君と友達になれてよかった」
彼女は少し照れくさそうに笑った。
「うん……私、まつくんと友達になれたそれだけで、なんだか嬉しくて」
(初めての友達か……)
僕の胸に、ふわりと温かいものが広がった。
風がそっと頬を撫で、夕焼けがふたりの影を長く伸ばす。
ただ、「またね」と言った時の彼女の顔が、ペダルを踏むたびに頭の中でちらついて、なかなか消えなかった。




