煙草なくて口寂しかったから
ほのかな部屋の明かりだけを頼りに、僕と榊さんは、かすかな距離をおいて見つめ合う。
やがて榊さんの煙草が燃え尽きた。彼女が煙草の箱を叩くが、どうやら今のが最後の一本だったらしい。
「公太郎、こっちこい」
心地の良い彼女の声が僕の耳をくすぐる。
なにを言われるのだろうか。
なにをされるのだろうか。
「は、はい」
わからないまま、僕の体は見えない糸に操られたかのように前に進んでいく。
期待が三割。不安が七割だ。
榊さんの目の前に到着した。
台所には、榊さんが飲んだビールの空き缶が乱雑に並べられている。
いつもはどうでもいいと思ってしまう情報が、今ばかりは特大な情報の波として脳に押し寄せる。
榊さんは、緊張に身と心を震わせる僕を正面から見据え──。
──そして、キスをした。
「……は?」
キスを、された。
「……? え、は?」
僕の口から唇をはなし、榊さんは僕の反応を楽しむかのように目を細める。
僕はというと、立ったまま硬直していた。
すると、榊さんは悪戯っぽく舌を出してみせた。
「煙草なくて口寂しかったから、キスしちまった」
なんだこのイケメン? 惚れそう。いや、もう惚れてた。
「どうだ? くっせぇだろ?」
「くっせぇです!」
「ふは。嬉しそうだな。キモ」
「あ、あの……。なんで急にキスなんて……」
「ん。だから、煙草なくなったから──」
そこまで言って、榊さんは自分の頬を軽く指で触れ、視線をよそに逃がした。
「……いや、正直に言うわ。……あー……え、と……。あ、あたし、も……」
榊さんは、微かに紫煙の残る息を吐き出し。
それから──。
「あ、あたし、も……。お前のことが好きだから、だよ……」
いつものように耳を真っ赤にして、恥ずかしそうにそう言うのだった。
まったく、僕の大好きなこのメイドさんはどれだけ最高なんだ……!
「あのっ! 抱きしめてもいいですか?」
「えぇ? ……まぁ、ヤニ臭くなってもいいなら好きにしろよ」
「大丈夫です! 臭いの好きなので」
「うわ。ついに認めたな、キショ」
言葉とは裏腹に、榊さんの口端は嬉しそうに、煙のような波を刻んでいた。
「……どーぞ? ご主人様?」
僕に向かって両腕を伸ばす、ダウナーメイドさんに飛び込む。
僕は、ぎゅっと。優しく、けれども強く、榊さんを抱きしめる。
煙草を吸っているからかはわからないが、彼女の体温はとても温かい。
僕の咥内には、まだ煙の後味が残っている。
初めてのキスは、僕の場合は紫煙の味がした。




