エピローグ いや〇〇〇なんかいッッッ!
桜の花が散り。
葉桜となり。
つぼみができ。
花が咲き。
そしてまた、花びらが散った。
大学に入学してから迎える、二度目の春。
あっという間の一年だった。
そして今日は、僕の誕生日の前日──五月九日の、夜。
僕と榊さんは、ケンタッキーとマクドナルドを少しずつ買って、家でジャンキーパーティーを終えたばかりであった。
ホールケーキを二人でちびちびと食べながら、僕らは二十四時を回るのを待っている。
そう。これは、僕の二十歳の誕生日の前夜祭なのである。
「す、すまん……一旦気絶していいか……。食いすぎたし、飲み過ぎたわ……」
「……」
前夜祭だというのに、榊さんはもうグロッキーになってしまっているが。
ちなみに、榊さんは今日もメイド服を着用中だ。
榊さんが船をこいでいる間、僕の脳内にはここ一年の記憶がどんどんと蘇っていった。
僕は、ゼミでの交流がきっかけで、飛野さん以外の友達が何人かできた。一人友達が増えると、そこからどんどん人脈が広がっていくものだ。今では、大体どの講義も知り合いや顔見知りと一緒に受けている。
勉強の方は……まあ、そこそこだ。今は、公務員試験の勉強を頑張っているところ。人一人を養うなら、やっぱり安定性のある公務員になりたちという思いが、最近は強くなってきている。
飛野さんは、お笑い好きが講じてお笑いサークルに入った。有馬くんも入ろうよとよく誘われるのだが、僕は自分の面白さに自信がないため、毎回断っている。
まりにゃんさんとルイにゃんさんは、今も『メイドを舐めるにゃ!』で働いている。
最近、まりにゃんさんが人気ナンバーワンになったらしい。さすがだ。
ルイにゃんさんは定期的に『さかにゃんとどこまで進んだ?』と僕にLINEを送ってくる。その都度『なにも進んでません』と返していたが……今日以降、僕の返答が少し変わってしまうかもしれない……。別に、正直に答える必要もないのだろうけれど。
舞姫さんは、ホラー小説でもう一本スマッシュヒットを出した。僕も読ませてもらったが、かなり怖くて面白かった。いつかライトノベル書いてくださいよと冗談めかして言うと、彼女は『いつかね~』と毎回はぐらかすのだ。
我藤さんは半年ほど前にYouTubeを始め、これが軌道に乗り始めている。ファッション系の動画はよく伸びるが、ネタ系の動画が全く伸びないことをよく憤っている。まあ、なにはともあれ、我藤さんの懐が温かくなるのはいいことだ。……まあ彼女は、増えた分消費も加速するのだろうが。
そして榊さんは、今年に入ってから、スローペースではあるが芸人の活動を再開した。相変わらずシュールなネタが好きなようだが、着実にコアなファンが増え始めている。なにかがきっかけで、大きくハネるのも時間の問題だろう。……まあこれは、僕の願望も込みだが。
そして、僕と榊さんの関係だが。
……マジで一年前となにも変わっていない。
喧嘩もないし、仲良しのままだ。
「あ、日付変わった」
「んおっ。マジ?」
僕の声で、半分寝ていた榊さんがハッと目を覚ました。
彼女は寝ぼけ眼で僕を見据えながら。
「誕生日おめでとう」
凄い真顔で言われるから、笑いそうになった。
「ありがとうございます」
僕の声を聞きながら、榊さんが、物で溢れたローテーブルの上をあさり始める。
「ん。酒と煙草、どっちから試す?」
榊さんの右手には、一年前に僕にくれた葉巻が。左手には、飲みかけのビールが。
「……ふふ。なんで飲みかけなんですか」
「ん? それもそか」
まだ、頭が回っていないようだ。
「じゃあ、煙草からで」
「ん。普通の紙煙草と葉巻、どっちんする?」
「せっかくなので、榊さんがくれた葉巻で」
「おけ」
そう言い、榊さんは葉巻を箱から取り出してじっと見つめる。
「葉巻ってどうやって吸うんだ?」
「知らないのかよ」
「ジョーダン、ジョーダン」
にっと笑いながら、榊さんが謎の道具を取り出した。
両端に持ち手がある大きな目のような形をした道具だ。真ん中には、葉巻をカットするための刃がついている。なんか、硬派な映画とかで見たことあるな。
「ギロチンカッターっていうらしいぜ」
榊さんは、その道具で葉巻の先端をカットした。
それから榊さんは、ライターを使用して葉巻の底の方をあぶり始めた。火をつけるためではないらしい。僕にはよくわからないが、必要な工程なのだろう。
「ん、もういいかな。ほい、くわえてみ」
「はひ」
返事をする前に、僕の口には葉巻が突っ込まれていた。この時点で木? 草? のような、自然的な香りがほんのり漂っている気がする。
「吸って」
言われた通り、葉巻を吸う。すると、榊さんが葉巻の先端にライターで火を灯した。
断面が、赤く燃え始める。
「よし、そのまま吸って。肺には入れなくていいぞ。重いからな。口の中で楽しむ感じだ」
言われた通り、煙を口の中で転がす。
……なんか、変な感じだな。温かい煙が口の中を満たすなんて経験、普通はないもんな。
濃く、スモーキーな風味が口内を暴れまわっている。意外と、不快ではない。
味というよりは、香りを楽しむものなのかな?
「吐いていいぞ」
「はひ」
少しずつ、煙を吐き出す。
薄い紫煙が、照明に向かって伸び、すぐに消える。
「……なるほど。これが煙草……これが葉巻ですか」
「……」
煙草の初体験を終えた僕を、榊さんはなぜか白けたような目で見つめていた。
「お前……初めてならもっと、咳き込むとかかわいらしい反応しろよ」
「どんな要求!?」
確かに、フィクションとかで煙草を初めて吸った人が咳き込むシーン、よくあるし、かわいいけど。
それから、榊さんも自分の葉巻に火を付け、吸い始めた。
……いや、絵になりすぎだろ、この人。人、一人は殺してそうだ。
「ふふ」
「おん?」
「いや、二人して黙って家で葉巻吸ってる姿がなんだかおかしくって」
「確かに、シュールだわな」
煙を吐き出しながら、榊さんは口端だけで笑ってみせた。
二人とも葉巻を吸い終わった辺りで、次はお酒を試してみることにした。
僕が最初に選んだのは、缶ビール。榊さんが一番飲んでいるイメージがあり、気になっていたのだ。
キンキンに冷えたビールをお互い手に取り、プルタブを開け、缶を軽くぶつける。
「乾杯」
「乾杯」
ぐびぐびいく榊さんを横目に、僕は恐る恐る一口。
……。これは。
「……」
「どうだ?」
「正直言うと、不味い、です」
「あっはっは」
なんか、ただ苦いだけの不味いジュースを飲んでいるような感じ。
「ま、これは安いビールだしな。もっといいやつや、飲みやすいのもあるぞ。単にビールが合わないだけで、他の酒なら飲めるかもしれないしな」
「色々、試してみます」
そのビールは榊さんに飲んでもらうことにして、その後も僕は色々なお酒を試してみた。
たくさん飲んでもあまり様子の変わらない僕を見た榊さんが。
「お前強いじゃん。今度、飲み放題で限界探りにいこうぜ」
と、なんとも楽しそうな提案をしてくれたのであった。
〇
お酒を楽しみつつ、僕らは談笑をしていた。
しかし、その間、二人ともどこか浮足立っているというか、そわそわとしていた。
理由は明白だ。
僕が二十歳になったときの約束が、あと一つ残っているのだ。
……そう。なんと、今日──。
──えちえちが解禁されてしまうのである。
「……」
「……」
ふと、静寂の時間ができ。
僕らは、無言で見つめ合ってしまった。
……それが、合図だったのだろうか。
僕の正面に座る榊さんが腰をあげ、ローテーブルに手を置き、首を伸ばして僕にキスをした。
すぐに唇をはなし、榊さんはベッドに腰かける。
そして彼女は、自分の横を、とんとんと手で優しく叩いた。
「ん。ここ」
跳ね上がる心臓の鼓動を意識しながら、僕は榊さんの隣に静かに座った。
「風呂……は、お前は、入らない方が興奮するよな──」
「はい」
「食い気味で草」
顔を合わせ、笑い合う。
ムードもへったくれもない。
榊さんは、メイド服を脱ごうとして、途中で指の動きを止める。
「メイド服、着たままの方がいいか?」
「……。着たままで」
「お前、ホント変態だな」
背中に、ベッドの感触。
遅れて、榊さんに押し倒されたのだと気づく。
真正面に、僕の好きな榊さんの顔があり、そして、それが少しずつ近づいてくる。
「あ、あの。僕、初めて、なので……」
「だーいじょぶだって。経験豊富なお姉さんに任せとき」
「ちょッ、今脳破壊するようなこと言わないでくれます!?」
「興奮するくせに」
本日二度目のキス。
美しい彼女の黒髪が天蓋の役割を果たし、二人だけの世界を作り上げる。
榊さんの瞳は、欠けのない月のように美しい。
今度は、僕の方から彼女の唇を求めた。
──長い夜が、始まる。
〇
「──朝チュンッ!?」
窓の外から小鳥の声を聞き、僕は叫びながら勢いよく上体を起こした。漫画だったら、大きな書き文字で『ガバッ』と書かれていることだろう。
隣には、メイド服のまま豪快な体勢で寝る榊さん。
夢……ではないんだよな?
「ん、んん……」
カスカスの声を発しながら、榊さんもゆっくり上体を起こした。
「……はよ」
「おはようございます」
「……」
「……」
目を合わせたり、逸らしたりを繰り返す僕ら。
なんだこの空気。なんだか、気まずいぞ。
「昨日の、夢じゃないですよね」
「おん。めっちゃ現実」
「……。じゃあ、一旦ツッコミ入れさせていただきますね」
「おん?」
僕はふっと息を吐いてから、大声でこう言うのだった。
「──いや、初めてなんかいいぃぃッッッッッッ!」
「──おまっ! むしかえすなよアホがぁぁぁッ!」
叫びながら、榊さんの全身が一気にピンクに染まってしまった。
「なにが『経験豊富なお姉さんに任せとき』、ですか! ゴリゴリの生娘じゃないですかっっ!」
「うっせ、バーーーカっ! 死ねっ! 死ねッ! あたしみたいなやつには意外と誰も寄ってこねぇんだよ! 寄ってきてもすぐ幻滅されんだ! 二秒でわかれ! そんくらい! カス!」
「逆ギレ!?」
「いや、それなら、あたしも言わせてもらうけど! あたし、お前にドン引きだったかんな!? なんで初めてであんなえげつないプレイ挑戦しようと──」
「どわぁぁぁぁ!? そこ蒸し返すのはちがくないですか!?」
「いやぁ、まさか公太郎にあんな性癖がまだ隠されていたとはなぁ……。普通に鳥肌立ったわ……」
「あれ? 榊さんも結構ノリノリじゃなかったでしたっけ」
「──うおわぁぁぁ! 黙れカスぅぅぅぅッッッ! おッ、お前だってなぁ! ずーっと胸ばっか──」
「──そのやかましい口を今すぐに閉じろぉぉぉッッ!」
そのあとも、大声でやいのやいのと言い合いを続けていると。
──ドン!
隣の部屋から、ガチ目の壁ドンをされてしまった。
そういえば、この春から大学生がやってきたんだっけ。
僕と榊さんは目を丸くして見つめ合い、やがて二人同時に相好を崩して小さく笑い合った。
「今度、なんかお詫びの品持って隣に挨拶いくか。まだ顔も知らねーし」
「そうですね」
榊さんが、腕を伸ばしてベランダのガラス戸を開けた。
流れ込む朝日と吹き込む春風に包まれ、なぜだか感嘆のため息が漏れてしまった。
なんとなく、二人同時に立ち上がってベランダに立った。
遠くには、もう花びらを散らした桜並木が並んでいる。
「毎年、花見しながら酒飲もうと思うんだけど、気づいたときには散ってんだよな」
「来年は、一緒にしましょうよ」
時は過ぎ、季節は巡っていく。
僕たちは、あと何回桜の花びらを見ることができるのだろうか。
何年先まで、僕の隣には榊さんが立っていてくれるのだろうか。
僕は、なんとなく榊さんの手を握っていた。
優しくて、面白くて、ちょっと変な、メイドさんの手を。
すると、榊さんは嫌な顔一つせず、僕の手を握り返してきた。
「おじいちゃんとおばあちゃんになっても」
「おん?」
「──こうやって、仲良く手を繋いでいられたらいいですよね」
「……。だな」
優しい風が僕らを包む。
榊さんの手から、彼女の温かな体温を感じる。
僕の手に。
榊さんの手に。
しわが、できるまで。
そして、いつかそのしわが消えるまで。
ずっと、この手を僕が握っていたいと。
春の空に、そんなことを思ったのだ。




