浮気してんの?
『しばらく家、空けるわ』
月曜日の講義は、榊さんの書き置きのせいで全く集中することができなかった。
まあ、いつもの榊さんの気まぐれとか冗談だろうと思っていたのだが、本当にその日、彼女は家に帰ってこなかった。
榊さんに連絡をしてみても、スルーされるか、『まあ、まあ。まあ、まあ』と適当な返事が返ってくるだけだ。
それから、榊さんは一週間もの間家を留守にした。
なにか、僕を避ける理由でもあるのだろうか。
いつの間にか、榊さんの気に障ることをしてしまったとか?
それか、結婚という言葉が榊さんには重く感じてしまったのかもしれない。
よく聞くもんな。仲のいいカップルでも、結婚観の違いで上手くいかなくなったり、どちらかが結婚を急かしてちょっとギクシャクしちゃったり。
……いや、僕もそこまで結婚願望が強いわけではないし、今すぐ結婚したいというわけでもない。あれは口を滑らせただけだし。
……。でも、もし結婚するなら相手は榊さんがいいわけで……。
くそぅ。自分で言ってて恥ずかしくなってきた。
というか、なんか前もこんなことあったよな? 榊さんが、急に姿を消したこと。
そのときは、榊さんが働くメイド喫茶に突撃したわけだけれども……。
今回も、偵察がてらいってみるか?
なんだかもやもやとした気持ちで毎日を過ごしながら、食堂で一人素うどんを食べていると。
「ふむ。なにかあったようだね。悩める青少年の顔をしているぞな、有馬殿」
「どわっ!?」
急に芝居がかった口調で声をかけられ、僕はその場で飛び上がってしまった。
僕をこんな風にからかってくるのは、この大学には一人しかいない。
三つ編みおさげを顔の横になびかせる、丸眼鏡の知的な少女、飛野さんだ。
飛野さんは、トレーに乗ったカレーを僕の正面の席に置き、その場に腰を落ち着かせた。
「どしたの? 榊さんと上手くいってない?」
「いってなくはないよ。昨日、うちの家族にも会ってきたし」
「おぉ!? 進んでるじゃん!」
飛野さん含め、僕と榊さんの共通の友人知人には大体、僕たちがお付き合いを始めたことは伝えてある。
「でも、榊さんが急に家からいなくなっちゃってね……。もう一週間も経つんだ。前も一度こんなことがあったから、いつかは帰ってくるとは思うんだけど」
「そっか。それは……なにか理由があるんじゃない? 有馬くんが嫌われたとかではないと思うけど。なんて、無責任なことはあまり言えないけどね」
「ううん、ありがとう」
優しい飛野さんの言葉が、僕の心を落ち着かせる。
「今、榊さんがどこにいるかはわからないんだよね?」
「うん。前は、榊さんが働くメイド喫茶に突撃したんだけど──」
「いこうよっ!」
「うわっ!?」
急に目を輝かせた飛野さんに両手を掴まれ、僕はたじろぐしかなかった。
「いこういこう今からいこう! 榊さんのいるメイド喫茶! 私、いってみたかったんだよねぇ」
飛野さんは、心ここにあらずといった感じでハイになってしまっている。
「いいけど、たぶん榊さんはいないと思うよ」
「まあ、それは仕方ないよ。でも、他にも素敵なメイドさんがたくさんいるんでしょ?」
「それは、まあ」
僕の脳内に、お店の設定に超忠実なまりにゃんさんと、ダウナーオープンスケベギャルのルイにゃんさんが思い浮かぶ。
「榊さんがいたらラッキーだし、いなくてもなにか情報が得られるかもしれないよ?」
「それはそうだね」
飛野さんがいきたいだけな気がしなくもなかったが、お店についてきてくれるというのは非常に心強い。
僕は未だに、メイド喫茶に一人でいくのはかなり勇気を必要とするからだ。
〇
僕と飛野さんの講義が終わり次第、僕たちはすぐに秋葉へと向かった。
向かうは勿論、榊さんが勤務するメイド喫茶、『メイドを舐めるにゃ!』だ。……やっぱ、凄い名前だよな。
「では、こちらのお席にどうぞ~~」
金髪ロングの、ふわふわとした雰囲気の猫耳メイドさんに、壁際の席に案内してもらった。
「わぁっ。皆かわいいねぇ」
「そうだね」
それは、本当にそう。店長である唐木田さんの顔採用を疑いたくなるほどだ。……まあ、多少はビジュも重要な仕事ではあるのだろうけれど。
ソワソワとしている飛野さんとともにメニューを眺めること数分。
「あーっ!? こうにゃんが別の女の子連れてきてるーーー!? 浮気にゃッ!?」
「ぶふぉっ!?」
なんだか懐かしみさえあるアニメ声が聞こえてきて、僕は吹き出してしまった。
声のした方を見ると、そこには僕のことをびしりと指さす小柄なメイドさんが。
ピンクツインテ猫耳美少女、まりにゃんさんである。
「ちょっ! まりにゃんさん! 浮気とかじゃないですから!」
「にゃはは。冗談にゃ」
「え、コタローくん、浮気してんの?」
「してませんってば!」
いつの間にかまりにゃんさんの隣に立っていた青髪ギャルメイド、ルイにゃんさんにツッコむ僕。
「んじゃー。もう、えちえちはした? 付き合ったって聞いたけど」
「ッ。ま、まだですけど……」
えちえちて。
というか、他の女性もいるのによくそんなこと訊けるな、ルイにゃんさん。
「ふ~ん。さかにゃん、まだ手出してないんだ。……あの感じで意外と処女だったりするんかな」
「──ゴホォ!?」
「ルイにゃん!? なに言ってんのにゃ!?」
「それはそれでエロいよね~~」
ルイにゃんさんのトンデモ発言に、僕は咳が止まらなくなってしまった。
僕の正面に座る飛野さんが一体どんな顔をしているのか気になってチラ見してみたのが。
……うん。満面の笑みでまりにゃんさんとルイにゃんさんのことを眺めていた。そういえば飛野さん、変わった人が好きなんだっけ。君が一番変わってるまであるよ。
「こうにゃん。もしかして、今日はさかにゃんを探しにきたのかにゃ?」
空気を変えるためか、まりにゃんさんが無理やり話題を変えてくれた。
「実は、そうなんです。普通に友達と遊びにきたというのもありますが。……彼女は、えっと」
こういう場所で本名って呼んでもいいのいかなと、飛野さんを眺めながら逡巡していると。
「お嬢様のことは、なんとお呼びすればいいですかにゃ?」
と、まりにゃんさんが飛野さんに水を向けた。さすがは生粋の仕事人。
「えぇっと。じゃあ……ひーちゃんで!」
「ひーちゃん! 今日は楽しんでいってくださいにゃ」
「よろしくね~~。ひーちゃん。にゃ」
「控えめに言って、天国……」
テンション感の異なる二人のメイドさんに囲まれ、飛野さんは既にデレデレとなっている。……。なんか、飛野さんがメイド喫茶にハマる未来が簡単に予知できるな。
「そ、それで。榊……さかにゃんさんは、最近お店にはきてないんですか?」
僕が言うと、まりにゃんさんとルイにゃんさんは顔を見合わせ肩をすくめてみせる。
「それが、店長の方に連絡があったみたいなんだけどにゃあ」
「しばらくの間、お店を休ませてくれだってさ~。店長も理由は聞いてないらしい。さかにゃんに甘いよねぇ、うちのてんちょ~」
お店も榊さんの行方を知らないとなると、もう誰も知らないのではないだろうか。
……。いや、あの人たちなら、もしかしたら……?
僕の頭に、とある二人の顔が浮かんだ。
「わかりました。ありがとうございます」
「まっ、さかにゃんはいないけどさ~。せっかくきてくれたんだし、今日は楽しんでってよ。にゃ」
「そうにゃそうにゃ!」
二人の言う通り、その日、僕と飛野さんは目いっぱいメイド喫茶を楽しんだのであった。




