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魔物討伐一体目 4

 それは、後から振り返ってみても本当にただの偶然だった。


 否。一応の必然性のようなものはあったかもしれない。

 なにしろトーリヤ達がこの町を訪れたのは永くこの近辺の海を封鎖していた、あの海竜を撃退した直後のことだ。


 魔物という存在の生態については不明な点が多いが、仮に魔物たちにも縄張りのような概念があるのだとすれば、海竜がいなくなったことで生まれた空白地帯に、別の場所にいた魔物がそれを感知して進出して比較的人口の多い港町に現れた、といったような必然性はあったのかもしれない。


 なんにせよ、海へと流れ込む川の河口、町の端の川岸へとその存在は表れる。


「ぅぬぇぇえ……、どうらってんらよぉ……」


「しらねぇよォぉお。騒ぐんじゃれぇ頭に響くぅぅ……」


 町中の人々が倒れ伏す中で、船への荷物の積み込み作業をしていたケティルもまた、行動を共にしていた弟分のパウルと共に酒気にやられて倒れ伏していた。


「なんらんらよぉ――。酒も飲んでねぇのに二日酔いよりひどいって何が起こってんらよぉ……」


「らから騒ぐなぁ……。さっきからテメェの声が、頭にガンガン響くッ――」


 周りを見ても、川港で働いていた者たちもほとんどがケティルたちと同じような症状だ。

 地面に倒れているか壁などにもたれているかの違い、胃の中のものをぶちまけているか頭痛に苦しんでいるかの違い、眠りこけているか起きて苦しんでいるかの違いなど個人差はいろいろあるが、どこにいる誰を見ても共通しているのはそれらが一様に酔っ払いの症状だということだ。


 しいて言うなら、先ほどから積み込んでいた荷物、それを運んできた荷運用の馬の症状については、人ではないがゆえにケティルにとっても未知の状態ではあったが。


「――ぁ?」


 と、そうして馬のへと向いていたケティルの視界に、そばの川から這い上がる形でその存在が現れる。


 水面から顔を出すと同時に巨大な口から舌を伸ばして馬の体をからめとり、上陸と同時に頭から食らいついて、バリバリグチャグチャと咀嚼の音をまき散らす、全身から蒸気のようなものを吹き出す巨大な蛙が。


 のちに【酔酩蛙】の名で記録される、町一つ酔い潰した【厄災級】の魔物が、町の人々の目に触れた、それが最初の瞬間だった。






(――クソ、どうする、どうすればいい……!!)


 酩酊状態で地面に倒れ伏し、鈍った思考を必死になって回し、島にあった書物の知識を引っ張り出しながらトーリヤはゼンセーの体でそう逡巡する。


 もしもこの状況を生み出した存在が魔物だとすれば、魔物というやつは古来よりすべての個体が人食いだ。


 正確には、魔物という存在は周囲にいる動物を手当たり次第に襲って喰らう性質があり、その捕食対象の中に人間も含まれているという話だったのだが、これだけの人口を抱えた町に魔物が現れて人がその対象とならないことなどありえない。


 否、それ以前に。

 酒気によって酩酊して酔いつぶれ、意識を失ってもなお酒気によって酒を飲まされ(・・・・)続けている(・・・・・)ようなこの状況では、遠からず急性アルコール中毒によって死者が出始めるのは時間の問題だ。


 特に体が小さく、アルコールの許容量が少ない子供などは、トーリヤの本体も含めて比較的危険度が高いと言える。


(けど、こんなのどうすればいい……。魔法だってろくに使えない――、そもそも大元の魔物がどこにいるかもわからないこの状態じゃ、討伐はもちろん効果範囲から逃げることすら――)


 と、思っていたその瞬間。

 倒れ伏すゼンセーの体が担ぎ上げられ、すぐそばで倒れていたレイフトやシルファ諸共すぐそばにあった誘拐グループのアジトの建物まで勢いよく駆け込む形で担ぎ込まれる。


 運ばれた三人のうち、シルファを除いた二人よりも明らかに小柄な少女、エルセの手によって。


 否、ゼンセー達三人に対して行われた対処は、なにも屋外に運び込まれたというだけではない。


「エル、セ――、そうか、お前の【隔意聖域】なりゃ――」


 エルセの身に着けた固有魔法、【隔意聖域】は空気すらもシャットアウトできる。

 厳密には、発現した当初からこの能力は体の周りで空気を固めて膜を作るような性質があり、それに目を付けたトーリヤが訓練させて毒ガスなどの気体攻撃への備えとして定着させた。


 なにしろ、この手の全身防御の攻略法として呼吸しなければいけない人間としての弱点を責めるというのは割とありがちな攻略法だ。


 訓練の時は、動物由来のやたら臭いガスを防御させる形で行っていたが、あるいはそうした訓練手法も先ほどからの酒臭さを遮断する上で役に立っていたのかもしれない。


「助かった――、いや、助かってはいにゃい、のか……。ひとまず、二人をお前の聖域の中に――、この体は良いかりゃ――、できれば下にいりゅ俺の本体と二人の子供、も――」


 酔いでまとまらない思考で、それでもトーリヤは何とか事態を打開しようと思いついた指示をエルセに飛ばす。

 恐らくエルセ自身も意識してやっているのだろう。すでにゼンセー達三人は球体状に広げられた【隔意聖域】の中に取り込まれ、それによって酒気が遮断されて先ほどまでの酒臭さはなくなっているが、しかしそれだけではこの状況そのものは打開できていないのだ。


 エルセの【隔意聖域】とてそれほど大きく広げられるわけではない以上、守れたとしてもせいぜい数人が限界。

 そう考えて、ほとんど失いかけた意識を振り絞って言葉を紡いでいたゼンセーに対して、しかし直後、恐らくは屋内にあったのだろう水が勢いよくかけられる。


「寝ないで、トーさん。目を覚まして」


「いや寝そうではないが――オボボ……!!」


 それをやったエルセが、もう一つコップ一杯分の水を念動で操り、半ば無理やりにゼンセーの口に水を流し込みながら、まともに判断能力が働いていない父親に代わって指示を下す。


「ウィスキーを、出して……!!」





「――ちくしょう……!! こんな街中まで、なんだって魔物が入り込んでやがんだぁ……!!」


 川という遮りようのない場所から侵入した魔物、馬一頭を瞬く間に平らげる巨大な蛙を目のまえにして、ケティルは逃げることはおろか立ち上がることすらできていなかった。


 否、これについてはケティルだけではない。

 周囲に残されている人々についても、意識のあるものは何とかこの場を逃れようともがいているが、まき散らされる酒気によって酩酊状態に陥った状態ではせいぜい這いずることができるくらいで立って走ることができている人間など一人もいなかった。


 幸いにして、最初に食われた馬が蛙にとってそこそこ食いでのある獲物であったがゆえに他の獲物たちはまだ無事で済んでいるが、基本的に一定量を食べれば満足するという訳ではない魔物が相手である以上、次なる獲物としてケティルたちのうち誰かが狙われるのは時間の問題だ。


「――ぅ、ああ、よぃによって――、こっちに来やがりゅぅ……!!」


 そうして馬一頭を平らげて、次なる獲物を追い求めた蛙が付近で這いずるケティルに目をつける。


 特に誰かを犠牲にする覚悟もないまま、それでも生存の欲求から狙うなら他の誰かであってほしいと祈っていたケティルが、祈っていた分だけ呪いの言葉をその胸の内で沸き立たせ、けれど今の体調ではその口からは胃の中のものしか出せそうにない。


「くっそ、こっち来んなぁ――、来りゅんじゃねぇちくしょうぅぅ……!!」


 動かない体に、回らない呂律に、もどかしさと危機感にあぶられながら、それでもどうにもできずに迫る蛙の口が開いてそのうちに収められていた舌がわずかに覗いて――。


「――んぁ、ぇ――?」


 その瞬間、死に際に割り込むように叩きつけてきたその感覚に、ケティルと蛙が同時に気づいてその方向へと視線を向ける。


「――なん、だありゃ……」


 川を隔てた向こう側、あまり治安のよくない北側のスラムの方で、巨大な竜巻が天へとむけて聳え立つ。


(――いや、なんだ)


 その頂上で、何やら二人の人影のようなものがかすかに見えて、直後に陽光のようなまばゆい光がそこから放たれ、そして――。





 トーリヤの作成したAtoZ二十六種の分身の一体、W(ウィスキー)は、一言でいうなら毒物への耐性に特化した分身だ。

 外見は四十前後、若干太めの女性型。

 主な用途として先に使用したコブラの毒のような、毒物全般の効果の検証とその分解・解毒の研究に使われていた分身で、その性質ゆえに高い免疫力や肝機能を持ち、演じるキャラクターとして酒に強いうわばみ(・・・・)というという設定を有する分身体だった。


 もっとも、トーリヤ達が暮らしていた島には酒がなく、実際に検証することができなかったためあくまで『理論上は』という話になるのだが、それでも毒物への耐性と高い分解能力を持つこの分身体であれば、エルセの【隔意聖域】の外でも多少なりとも行動できることに変わりはない。


 そして一度でも酔っていない分身の作成に成功し、その分身が酒気の影響を受けるまでに常人以上の猶予期間を持つというのであれば、トーリヤ達の側にも状況を立て直せるだけの芽が出てくる。


 なにしろ、トーリヤがこのW(ウィスキー)を用いて行っていた研究は毒物の分解。

 それはすなわち、【生体走査】で体内に取り込まれたアルコールを補足したうえで、その分解を促進するように魔法で働きかけることができるということである。


「【嵐気龍(タイフーン)】……」


 かくして、W(ウィスキー)に膝枕されたまま、どうにか魔法がつかえるレベルにまで復調したシルファが、周囲の大気を掌握したうえで、それらを渦巻かせて竜巻を一つ巻き上げる。


 酒気の大半を暴風によって吹き散らし、それでも取り込まれるアルコールをW(ウィスキー)の魔法によって分解・緩和してもらいながら、大規模魔法を行使する少女が見上げるのはその竜巻の頂上。


「――見つけたか」


 やがて視線の先で光の剣が一つの方向を指し示し、共にそれを見るW(ウィスキー)がそう口にするまで、さほどの時間はかからなかった。


「距離五百メートル、二時の方角。川の向こうの港のあたりだ」


「――ん。角度計算――、射出まで三、二、一、――発射」


 上空にいる二人、同じように復調したレイフトとエルセの二人とモモンガの分身越しに意思疎通を行い、即座にシルファは巻き上げた風を収束させて上空にいる二人をそれを包む念動力場の球体ごと撃ち放つ。


「【嵐龍空路(タイフーンエアライン)】……!!」


 【水龍(リヴァイアス)】による移動と違い精密操作の効かない【嵐気龍(タイフーン)】だったが、移動の速度でいえば空気圧で撃ち出すこちらの方がわずかに上だ。


 ほとんど一瞬のうちに、上空にいた二人は、空気圧により一つの砲弾となって川向うへと撃ち出され、地上でこちらを見上げる家一軒分ほどの巨大な蛙のもとへと飛来する。







『ブォワッ(ガッ)ォワッブォ(ガッ)ッブォワッブォ(ガッ)ワッ――』


「――な、なんだ……!?」


 空から迫る二つの人影に、さしもの蛙の魔物もそれを危険と感じたのだろう。

 恐らく鳴き声なのだろう、口の下あたりを膨らませながらそうとは思えない声をあたりに響かせて、その中にかすかに、何か固いもの同士がぶつかる音が鳴り響く。


 同時に、周囲にまき散らされていた酒気が蛙の魔力に酔って一点に収束するのを感じ、理性よりも本能で危険を察したケティルが身を伏せたその直後――。


「ぅぉオッ――!!」


 飛来する人影の新路上に収束した酒気の塊に、蛙の口の中で撃ち合わされていた歯、そこから散った火花が引火して、ケティルたちのいる側の川の上空で強烈な爆発を引き起こす。


 いったいいかなる方法を使ったのか、常識はずれの魔法によってこちらに駆け付けようとしていた救世主の人影が炎に飲まれ、蛙のバケモノに今まさに食われようとしていたケティルの心中を再び絶望の暗雲で曇らせる。


 ただしその暗雲は、さほど長くはケティルの心中に留まらない。


「ぅっそ……」


 川上で燃える炎の塊を突き破り、先ほど見えた人影が焼け焦げた様子一つ見せぬまま、ほんの一瞬見えた透明な球体に守られるようにして変わらずこちらへとむけて飛来する。


 否、強いて変わった点を挙げるなら、こちらに向かう軌道に若干のずれが生じていたのかもしれない。


 姿を現したその二人組がまだ年若い、というより幼い男女の子供だったことにも驚いたが、直後に二人が見せた行動にもそばで見ていた男は劣らず驚いた。


「――エルセッ!!」


「行って、来なさい――!!」


 巨大な蛙からわずかにずれた場所に向かっていた二つの影が、しかしその途中で二つに分かれ、片方がもう片方を投げつけるような形で射出する。


 荷運びという仕事の関係上、普段から念動を使うケティルでも驚く同系統魔法による力技。

 それによって投げつけられた少年の方が直後に見せた光景もまた、ケティルという男の常識をあっさりと飛び越えるような閃光だった。


「――【来光斬(サンライザン)】」


 撃ちだされた勢いそのままに、巨大な蛙の頭の横を通り抜けた少年が、その手に握る輝ける剣で魔物の巨体を一閃する。


 それだけで、そのたった一撃でこの戦いはもう最後だった。


 分厚い肉も硬い骨も、粘液纏った体表すらもすべて無視して輝ける剣が蛙の巨体を両断して、斜めに線を引くように斬られた蛙がそのまま重力にひかれて、ずれて零れてその中身をあたりの地面にぶちまける。


 そんな光景を唖然として見つめるケティルのそばに、苦もなく着地を決めた少年が見せるのは、そばにいた人間にようやく気付いて、どうしようかと迷うような微妙な表情。


「あー、えっと、大丈夫だったかおっさん。まだ酔って動けないっていうなら手を貸すけど」


「ああ――、いや……。まいったぜ……。勇者様ってやつをこの目で拝めるとは思いもしなかった」


 あとになって、『誰がおっさんだ』と独り言ちることになる二十代のケティルだったが、今はまだそんな文句など思いつきもしなかった。

 まるで子供のころに聞いた英雄譚のような、壮絶な光景にただただ圧倒されて、それを間近で見られた今回の経験はもしかしたら幸運の部類だったのかもしれないと、先ほどまで呪っていた神に都合よく密かに感謝した。


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