14:樹海津波
「――かっ、……ぁ、不、快……!!」
「悪いけどねぇ、魔法の発動はさせないよ」
自身の体を巻き付けて相手を地面に組み伏せながら、同時にZは追加の蛇を生成して首に噛みつかせ、その牙を注射器代わりに新たな毒を投与する。
四年間の研究によって、生物由来の毒物であればトーリヤも何種類か有用なものを開発済みだ。
このうち、最初に投与したのが体の動きを鈍らせる神経毒の類なら、今度のモノは意識を混濁させるタイプの魚類由来の毒になる。
一応分身で何度も試して死に至らない量を把握したうえでの投与になるが、それでも今度のモノは下手をすれば命に係わるレベルの毒物だ。
にもかかわらずそんなものを投与しているのは、根本的な問題としてこうでもしなければ体は拘束できても、意志一つで発動できる魔法の類は封じることができないという問題がある。
「――一応聞くけど、殺さなくて大丈夫なのか?」
「――まあ、さすがにちょっと考えはしたんだけどな」
付近で伸び続ける植物を処理する分身たちをよそに、いち早く預言者を監視する分身たちに近づいてきたレイフトの疑問に、トーリヤは接するAの分身体で若干の迷いを残しながらもそう答える。
今回の事件の中で、このベルデという男が生んだ被害は甚大だ。
付近の村が一つ壊滅しているうえに、そこに住んでいた人々の多くが殺されているのは想像に難くないし、事態を鎮圧しに来たこの辺りの軍にも少なくない数の死者が出ている。
正直に言って、今回ばかりはトーリヤとしてもこの相手を殺すべきかと迷ったくらいなのだ。
一応元が日本人であるトーリヤとしては、同じ人間の殺生はできうる限り避けたいし、子供らにも避けられるモノなら避けてほしいとは思っているのだが、さすがにこんな世界でその考えを貫くことは難しいとわかっているし、いつかはその一線を越えねばならないことも自覚している。
その点でいえば、今回のこの相手は、成した所業という意味でも危険度の意味でも殺害が頭をよぎるだけの相手ではあったのだが――。
「正直情報が欲しい。いくらこんなめちゃくちゃをやった相手でも、ここでこいつを殺してしまうと他の勇者相当の連中から話を聞けるかも怪しいしな……。事情を聴いて許せる所業かどうかも怪しいけど、それでもなにも聞かずに殺すにはさすがに【預言者】は存在として大きすぎる」
「まあ、そうなるよなぁ……」
恐らく同じような思考を経て同じ結論に至っていたのだろう、殺害という選択肢を提示したレイフトもあっさりとそう言って引き下がる。
実際問題、詳細な時期は不明ながらもすでに魔王襲来まで一年を切っている関係上、同じ【勇者】相当の立場にいると思しき【預言者】を殺してしまうのはどう考えても問題が多いのだ。
ただでさえ、恐らく全【勇者】の中でトーリヤだけが状況把握の段階から出遅れているのである。
その状況で、ここでさらに【魔王】を迎え討つ顔ぶれに欠員が生じてしまうというのは、強大な敵の襲来を目前に控えている現状を考えればあまりにも具合が悪い。
(問題は――、それで生かしておくとしてそれでこいつをどうするかって話だが……)
単純に殺さないと決めるだけなら話は簡単だが、実際には殺さない以上、トーリヤにはその選択をしただけの責任が当然についてくる。
最低でも、これ以上村一つ滅ぼして植物の領域で塗り替えるような真似をさせるわけにはいかないし、欲を言うなら対魔王戦を想定した協力や情報の提供、そして今回のやらかしに対する償いだって求めていきたい。
問題なのは、先ほど多少会話したこの相手が、そんなこちらの要求を呑むとは到底思えないということだ。
仮に時間をかけて説得するとしても、その間この相手を拘束・監視しておく必要が出てくるし、その場合この相手と再び戦いになったときにそれを抑え込める戦力を確保する必要もある。
(――いくら分身で人員は増やせるとは言っても、二十四時間ぶっ続けとなると本体に及ぶ負担が大きすぎる……。かといってどこかの国に突き出すにしてもなぁ……。最悪その場で殺されかねないし、コネや伝手がある訳でもない……。
というか、王国で活動している俺たちが連合国に引き渡しても、その逆をやってもどこかで外交問題になる可能性も――)
考えれば考えるほど頭が痛い。短期的に見るなら間違いなく殺してしまったほうが安全で楽だったと再認識させられながら、それでもトーリヤはここで思考を放棄するわけにはいかないと捕らえた相手の処遇を考える。
――なお、この時。
ベルデの処遇について考えていたのは分身全体がそうだったが、しかしそれでも分身一体一体は自分にあてがわれた役割をそっちのけで思考に没頭していたわけではない。
付近に残る分身たちはベルデのばらまいた植物や種子の処分に当たっていたし、そのベルデを拘束するZや周囲でそれを包囲するAをはじめとした分身たちは、その無力化と監視の目を一切緩めていなかった。
この点については、他の二人の子供らとこちらに向かっている本体や、遠方でこちらの戦闘の情報支援に当たっている分身たちについても同じことがいえる。
唯一、かろうじて手落ちと言える部分があるとすれば、それはベルデが出張ってきたことで主のいなくなった植物の領域、トーリヤ達のいる森を出てその先に広がる場所への監視の目が、ベルデ本体との戦闘に注力してしまった関係で残っていなかったという点か。
「――なんだ?」
それに最初に気が付いたのは、ある種の必然というべきか周囲の警戒に当たっていた東洋系の少年型分身、Mだった。
もとよりMは聴覚に特化した分身だ。
黒い【鱗皮服】の影響もあってどこか忍者のような雰囲気となっているこの分身は、おなじく忍者っぽい少女型分身、視覚特化であるXと合わせて索敵や周辺警戒を担当しており、そしてXと違い聴覚に特化していたがゆえにその異変にこの場にいるどの分身より早く気づくことができた。
気づいて、けれどそれを他の分身に呼び掛ける前にそれが来た。
聴覚特化のMでなくとも聞き逃しようのない、足元からの振動という別感覚すら伴って襲い来る地響きが。
「――ッ、何の音だ、これ――、トーちゃん、そいつは」
「いや、毒は効いてる。この状態の脳でまともな魔法行使なん、て……」
そう言いかけて、トーリヤはふと気づく。
もとよりベルデの預言の力、【ラプラスの悪魔】と呼ばれるその方式はいわば因果律の演算だ。
ベルデの場合は、知覚する範囲を世界全体ではなく周囲の一定範囲に限定することで考慮すべき事象を制限しているわけだが、それでもどれだけ軽減していたとしても未来予知を行えるレベルとなれば相当な演算処理能力が必要になるのは想像に難くない。
そしてそれは、ベルデが戦闘中に行っていた魔法行使にしたところで同じことだ。
早い話が、ベルデの戦闘スタイルから推定される演算処理の総量は、およそ人間の脳で賄えるような規模とは思えないのだ。
なんとなく、魔法というファンタジーな要素が存在する世界故に深く考えていなかったが、仮にこんな面倒な未来の予測演算をしようとするなら相応の演算処理ができる、悪魔という実在しない知性体にたとえられるような、ある種の超人的な頭脳が必要になるはずなのだ。
(――まさか、こいつ脳機能の強化を……、いや、それとも脳以外の何かで思考や魔法行使を――、脳機能が低下した状態でも、脳と繋がるなにか――、例えば【シン域】で思考の補助や代行ができるのだとしたら――!!)
思った時にはもう遅かった。
迫る地響き、その音量が最大にまで拡大し、そばにあった樹木をなぎ倒してその向こうから大量の植物が押し寄せる。
地面を突き破る形で下から突き上げる植物と、それに粉砕されて打ち上げられて降り注ぐ樹木の残骸。
まるで津波のような、植物の領域の中心から押し寄せてきた【樹海津波】とでも呼ぶべき圧倒的質量の暴力が、濁流のように目の前へと現れ、そして――。
樹木の枝の先から一つの果実が落下する。
地に落ちた衝撃によって潰れ、しかしその中に込められていた種子が潰れた果実から養分を吸って芽を出して、根を張り、大地の養分を吸い取って徐々に太い幹を成長させていく。
やがて天へと、正確には真上ではなく、斜めに傾くように伸びた木の枝先に再び果実が実り、その果実が樹木全体から養分を集め、込められた状態で地に落ちる。
それはごく普通の、植物が自然界において行う営み、その工程の繰り返し。
ただしその営みが、通常であれば年単位、最低でも一年周期で起こされるようなプロセスが、ほんの数秒程度の時間の中で行われているとなれば話は別だ。
ましてや、そんな樹木が大量に、それも十本や二十本ではきかない、ほとんど森全体といっても差し支えないほどの莫大な数で同時に行われているというならなおさらのこと。
「――いや、それだけじゃない。こんなもの、もう自然の驚異とかじゃなく、十分に不自然の脅威だ……」
付近に残っていた木の上に上り、迫り来る樹海津波の様子に目を凝らした忍者少女の分身Xが、偵察用に飛ばした鳥の分身の視界も借りて思わずその光景を見て独り言ちる。
見れば、樹木の成長による侵攻と同時進行で毒煙なのか胞子なのか、何やら靄のようなものが移動する森全体に充満しており、それらが気流操作の魔法によって精密に操作されて森の侵攻に追従される形を保っている。
無論成長しきった植物が即座に枯死してしまうのは先ほどまでと同じだが、恐らくそうして枯れた植物すらも次の植物を育てる養分として使っているのだろう。
加えて言うなら、【樹海津波】が通過した後は完全な更地となる訳でもないらしい。
【樹海津波】が通過する過程で、元々そこにあった植物は周囲の土砂ごと養分として使われて更地となるが、一部の植物の残骸がつかわれなかった種子や果実と共に残されて、それらが【樹海津波】ほどの成長速度ではないもののすでに芽を出し始めているのが確認できている。
(恐らく、【樹海津波】が移動する過程でそれ以上成長させる意味がないと放棄されたんだろうが、逆に言えばあの植物は無理な成長でここから枯死することなく、そのままこの土地に残り続けるということ……!!)
そしてそれが意味することは既存の生態系の完全なる塗り替え。
これまであの預言者が見せてきた他の動物への殺意に満ちた有毒植物が地表を塗り替え、どうかするとそこからさらに周囲へと広がっていくということだ。
「――くそッ、止めろ……!! ベルデ本体を止めろ――、ッ――!!」
慌ててまだ意識のあるらしいベルデを完全に気絶させ、それでもだめならば殺害も考えるべきかと振り返ったAだったが、しかし結論から言えばその判断はやはりわずかに遅かった。
見れば地面に倒れ伏していたベルデは、その身を縛るZごと付近の樹木の根の成長によって突き上げられるように空中に投げ出されており、その逃走を阻むべきZ自身も首に巻き付いた蔓のような植物によって意識を奪われている。
(さっきまで操っていた植物、じゃない……!! ああ、そうか、この辺りに生えていた植物か……!! 確かに自前の植物以外操れないなんて、そんな理屈もないもんなぁ……!!)
あるいは先ほどまで武器にしていた植物の方が、ベルデにとっては親和性が高く魔法の対象にしやすかったのかもしれないが、それでもこの相手ほどの魔法能力であれば親和性の有無など誤差の範囲だろう。
そして相手の無力化が一瞬でも遅れたならば、それだけでももう状況は手遅れだ。
直後、押し寄せる【樹海津波】にベルデの姿が組みついたままのZごと飲み込まれ、同時にこの場にいるトーリヤ達をひき潰すべく大量の樹木が押し寄せてくる。
「全分身生存を放棄――!! 子供らと本体を守れェッ――!!」
全分身中最も大きいVの声が響き、同時に最も大柄なPがその巨大な腕でレイフトの体を拾い上げ、身体強化全開で津波から遠ざけるように投げだして、さらにその先いたCが走りながらその身で【シン域】行使する。
「【生体転写】――馬」
陸上選手のような体つきのCがさらに速い馬の分身を形成し、その背に投げ出されたレイフトを受け止めて、同時に念動で馬の背に自信を固定したレイフトが体ごと後ろを向いて剣を振るう。
「【来光斬】――!!」
最大出力による一閃。
剣の軌道上にあるモノなら植物だろうが海竜だろうがほとんど抵抗もなく両断する光の斬撃が通過して、押し寄せる樹海津波の最前列が伐採されて樹木の残骸が宙を舞う。
だが迫る植物の最前列が斬り飛ばされても、その後ろからも押し寄せる森そのものの奔流は止まらない。
もともとあった森の樹木をなぎ倒し、地面を埋まった岩石ごと耕し、その中にある養分を根こそぎ吸い上げて、土地にある全てを植物のサイクルの中に引きずり込んでひたすらに移動する森の原動力へと変えていく。
『――レイッ、絶対に【風船兜】は絶やすな……!! 例の毒ガスに加えて、古い植物を分解するための苔の胞子や――、よくわからない微生物みたいなもんが森周辺に充満してる……!!』
すでに森に飲み込まれた分身たち、それらが消える間際にどうにか拾い上げた情報を通信機代わりのモモンガ越しに伝え、それに対してレイフトの方も樹海津波への迎撃をあきらめ馬の背にしっかりとまたがり手を触れる。
「【加速ノ型】――。トーちゃん」
『ああ……!!』
背中に乗るレイフトに馬の速力を強化され、トーリヤの分身たる馬が比較的平坦な森の中を駆け抜ける。
もとより樹海津波を逃れた鳥の分身の視界で逃走ルートは把握済み。
無論平坦なコースのようにはいかないが、それでも行き止まりや凹凸の激しい地形を避けて通れば、馬の分身はその速力を最大限発揮して逃走できる。
とはいえ、当然のように。
背後に迫る樹海津波、そしてその中に取り込まれて分身体のZを消し去り、自由を取り戻した預言者がただで逃走を許すはずがない。
『――樹海の複数個所で爆発――、何かが撃ちだされて――、上だ――!!』
「【念動反応】――!!」
降り注ぐ岩石や土砂、雹の弾丸や火のついた木材の破片、そして無数の果実といった砲弾の数々に、馬上のレイフトが身をひねって自分たちの上空に念動力場を発生させる。
自身だけでなく馬まで守るために、普段の体表面での使用ではなく傘を広げるように展開された念動の壁がどうにか攻撃を逸らして、けれどこの攻撃への対応はそれだけでは終われない。
「【来光斬】――!!」
攻撃のなかに混じっていた無数の果実。それらが一斉に芽吹いて植物の奔流となって襲い来るその事態に、レイフトは即座に光刃を振るってそれを迎撃。
馬の進路を阻むものを植物はもちろん岩石に至るまで伸ばした刀身によって斬り飛ばし、先んじて樹海化しつつあった森の一角を文字通りの意味で切り開いて駆け抜ける。
「――ッ!!」
『レイ――!!』
とはいえ、それで安堵するにはこの敵はやはり危険すぎる相手だった。
何らかの直感が働いたのか、レイフトが振り向き念動を駆使したその瞬間、背後からの樹木の枝で作ったと思しき一本の矢が打ち込まれ、とっさの念動に軌道を逸らされながらもレイフトの左二の腕を掠め、傷つけていく。
「ヅ――」
『レイ――傷口から毒――』
「もう、やってる……!!」
トーリヤが呼びかけるその前に、恐らくは傷を負った次の瞬間には対処を始めていたレイフトが苦しげな様子でそう返す。
ほかの技術や魔法がそうであるように、トーリヤが開発した治癒魔法もまた四人の間では共有済みだ。
無論、人体の状況をリアルタイムで観測できる【生体走査】をもたない子供らではトーリヤがやっているような外科手術じみた真似はできないが、肉体の治癒能力を強化することによる治癒の促進の他、念動による血管の圧迫による止血や、あるいは血中に混入した毒素の排出など、ある程度の応急処置に近い技能は共通してできるようになっている。
今回も、レイフトは傷を負ったと認識した瞬間には傷の周囲の血管を念動で圧迫して血流を制限。
モモンガの呼びかけを受けた次の瞬間にはおなじく念動によって毒に汚染された血液を輩出して毒による致命的なダメージを回避していた。
とはいえ、やはりというべきなのか、体内の状況を認識し、血液成分のすべてを解析して対応できるトーリヤと違い、レイフトの行う【解毒】は毒の影響を完全に除去できるわけではない。
今行ったように、傷口から毒の大部分を血液諸共排出することはできても、体内に侵入した毒素に直接照準を合わせて分解するような真似は【生体走査】を持たないレイフトには不可能なのだ。
必然、毒の大部分を除去して即座に命を脅かされる事態は免れたとしても、残った少量の毒によって肉体は蝕まれることになる。
「――ッ、ふ……」
『よくやった。けどここからはあまり動くな。【風船兜】だけ維持して馬の背にしがみ付いてろ』
「けど、このままだと追いつかれるぞ……。馬だって――、毒ガスからの防御も俺と馬だと、同時に二つは――」
顔色を悪くするレイフトの体調をモモンガの分身越しに【生体走査】を行使して確認しながら、トーリヤはレイフトに対してこれ以上体調を悪化させないための指示を飛ばす。
とはいえ、それに対して帰ってきたレイフトの言葉ももっともだ。
分身とはいえまごうことなき馬の脚によって全力で逃走しているにも関わらず、いまだ背後から迫る樹海の津波は振り切れていない。
これだけ大規模な魔法をここまでの長時間維持できていること自体驚嘆すべき能力だが、こうなると恐らくこの【樹海津波】が都合よく減速することなどないと見るべきだろう。
ベルデがトーリヤの治癒魔法に近い技能を有している以上、トーリヤが撃ち込んだ毒も恐らくすでに解毒されてしまっているだろうし、ほとんどの動物にとって死地と言えるあの森の中に取り込まれたベルデが、自身の使用する魔法で命を落とすとも思い難い。
対して、こちらのレイフトは毒を受けたことで死には至らぬものの衰弱した状態。
幸いにして馬は無事だったが、周囲に火のついた樹木が撃ち込まれていることを考えれば、ほどなく周囲で発生する毒ガスにやられることになるのは想像に難くない。
トーリヤの意識が宿っているだけあり、馬自身も呼吸を控えて走ることはできるが、それとていつまでも持つものではないし、馬やモモンガの脳では魔法行使もできないためレイフトのように【風船兜】で身を守ることもできないのだ。
このまま逃げ続けていても、ほどなくレイフトは背後から迫る樹海津波に飲み込まれることとなる。
にもかかわらず、先が見えている逃走という選択肢を、それでも選び続ける意味があるのかと問われれば、意味は、ある。
『レイ――、待たせた』
たとえ相手が止まらずとも、レイフトが戦えずとも、馬が死に瀕しようとも、時間さえ稼げたならば――、
『迎えに来た』
稼いだ時間の分だけ、動けていた者達が準備を整え、【水龍】を誂えて駆けつける。
『――乗れ、レイ――』
走る馬の真上、空中を泳ぐように現れた【水龍】へとむけて、モモンガ越しに指示を受けたレイフトがその身の不調をおして跳躍し、直後にその身が龍を模した魔法の口の中へと飲み込まれる。
わずかな時間水中にあったその身がほどなく空気のある空間へと取り込まれ、水流の体内にあるエルセの念動力場の中へと取り込まれて小柄な少女の体に受け止められる。
「よく頑張った、すぐに解毒する」
一行の中でも最年少の少女、正確にはその姿を取った父親の本体が体内の毒の分解を開始して、同時にレイフトを回収したことで四人を内に収めた【水龍】が上昇し始める。
とはいえ、合流して【水龍】に乗り込めれば、それだけで問題は万事解決という訳でもない。
(問題は――)
背後に迫る樹海の津波、それが宙を泳ぐ水龍にそれでも迫っている事態を視認して、トーリヤはまだ続く危機を改めて認識する。
もとよりシルファの操る【水龍】は疑似的な飛行すら可能とする高性能な魔法だが、その飛行速度はお世辞にも速いものとは言い難い。
そもそもこの魔法は、シルファの武器となる大量の水を操るための魔法であり、移動手段としての機能を追求して開発した魔法ではないのだ。
一応現在トーリヤ達がいる念動力場のような、【水龍】内部にある物体を高速で押し流す【水龍海道】のような技こそ開発しているが、【水龍】そのものの移動速度は地上を走る馬より地形に左右されない分少し早い程度。シルファ自身の持続力はさほどでもないことを考えれば逃げるための足としては心もとないと言わざるを得ない。
「――がんばった、じゃないだろ、トーちゃん」
そしてそのことはトーリヤ以外の三人も、治療を受けるレイフトですら最初から分かっていたのだろう。
「頑張るのはまだ、ここからだ」
空中へと上昇していた水の龍が身をひるがえす。
生物のような形状を取りながらも、根本的に水の塊でしかない水龍がわずかに形を崩しながらも次の瞬間には龍の姿を取り直して、そうして最短の動きで、迫る樹海へと己の頭を向けなおす。
同時にそんな水龍の胸のうち、念動力場に守られたその空間で幼女の姿をした父親にささえられながらレイフトが取るのは、木剣で身を支えるように切っ先を下に向けた、けれどその実攻撃準備のための発射態勢。
「【雷光斬】……!!」
放たれるのは普段使っている【来光斬】と良く似た、けれど雷という決定的に異なる性質からなる雷剣の魔法。
元よりシルファの魔法によって電気を帯びていた水龍が追加の放電によってさらに分解を加速され、シルファ自身の酸素を操る魔法特性によって混合ガスとかして水龍の胸の内に溜まっていく。
「奴が使っているのは植物の生育を加速させる魔法だ。これは【生成系】の魔法で植物っぽいものを生み出しているんじゃなくて、もともとある植物を魔法で急成長させていることになる」
トーリヤにささえられて毒の分解治療を受けながら、放電を継続しつつレイフトは他の三人にそう語る。
「ここで重要なのは、植物を急成長させるにあたって、こいつはその成長に必要な要素をある程度周囲から調達しなければならないってことだ。
この内、養分についてはいい。このあたりはもともと森で土は肥えているだろうし、殺した生き物や枯れた植物を養分として再利用できるから、植物が地面に接していれば調達先には困らないだろう」
あるいは周囲に養分が足りなくとも、果実というかたちで種子の周りに養分をくっつけておけばたとえ空中だろうとも植物をある程度まで成長させることは可能だ。
実際この相手はそういう手段を使ってきたし、逆に言えばそれこそが植物の成長に養分を調達する必要がある証左とも言える。
「けど水はどうだ? 生物の生存にはもちろん、生育にだって当然必要になるだろう水を、あれだけの樹海を育てられるだけの水量を、いったいこいつはどこから調達している?」
「……!!」
シルファが水龍を生み出すために必要だった関係上、トーリヤはこの辺りの水源についてある程度事前に調査している。
だがそれに照らして考えてみても、樹海の進路上にそれらしい水源があったとは思えない。
あるいは地下水ならばあったかもしれないが、見たところこの敵はレイフトやトーリヤたちを襲うべく真っ直ぐに向かってきているし、いかにこの相手がそれを探知できる能力を持っていたとしても、進路上の地底に都合よく地下水脈が通っていたと言うのは少々不自然に思える。
だがだとすれば、この相手は樹海を育てるための水を一体どこから調達しているのか?
魔法で生成する?
負担が大きくなりすぎる上、そうして生み出された水はそう時間もかからず消えてしまう。
空気中から集める?
やっているかもしれないが、それで集められる量などたかが知れていることを他ならぬトーリヤたち自身がよく理解している。
どちらもありうるがそれだけでは足りない、ならばこの相手はどうしているのか?
「おそらくこいつがやっているのは生育に使った水分の使い回し。具体的には、一度育ちきった植物から水分を搾り取って次の植物の生育に使っている。
あるいはそういう水分の調達が、用済みになった植物を枯らして次の植物の生育のための養分にする、その工程に含まれているのかもな……。
けどもしそうだとするならば、あの森のなかにはそうやって水分を奪われた植物が、そのなれの果ての可燃物が大量にあふれていることになる」
「「……!!」」
言われて、ようやく気がついた。
元より植物が相手ということも相まって、火に弱いかもしれない程度のことは考えていたトーリヤだったが、それどころではないかもしれないという可能性に。
仮に預言者が使っている水の調達手段が先ほど考えていたようなものだった場合、それらは全て火事の危険を高める要素のオンパレードだ。
何しろ魔法で生成した水が時間経過で消えた場合、後に残されるのは水分を失い乾燥した植物の残骸だ。
空気中から水分を集めていた場合でも、それをやれば当然、空気はカラカラに乾いて火事の起きやすい条件が整うことになる。
加えてあれほどの樹海ともなれば、光合成により相当量の酸素も生成されていることだろう。
あとは植物を燃やしたときに発生する毒煙や、樹海内部で舞っている胞子がどう影響するかだが――。
「やっべぇ――、エルセ――!!」
「あんたら覚えてなさいよ……」
力場の内側で二人が危機を察したその瞬間、樹海の中から水龍めがけ、まるで刺突のような一本の樹木が伸びあがる。
それは花や果実も無ければ枝葉すらついていない、ただ一本の鋭い幹が一直線に伸びてくるだけの歪な大樹。
「【発火】――」
そんな大樹の刺突に対して、腹のうちに酸水素ガスをため込んだ水龍がその口を開くと同時に火を灯して――。
「【水龍・龍息砲火】……!!」
その瞬間、伸びてくる樹木をガスバーナーのように放出された青白い炎が正面からの噴射で焼き払い、その先にあった樹海のうちまで炎が届いて大爆発を引き起こす。
樹海という可燃物の塊の内部で一瞬のうちに燃焼が連鎖して、それを成した水龍すらも吹き飛ばしながら一瞬のうちに爆散する。




