外伝・第十六話
翌日もまた、朝から村を走り回る。
濁った沼から聞こえる電話の音。向日葵が内部を埋め尽くす民家。1キロ先からしか見えない巨大な象。
そのような騒ぎの中でも学校の授業は行われているようだ。根乃己小のチャイムが聞こえるたび、そちらを何となく見てしまう。
異常事態を目撃している人も少なくない。だが反応は水穂の肌感覚より小さいものだった。水穂たちが駆けつけて処理をしても、それを見つめるのみだ。にこやかな顔まで見せる。
「おばあちゃん、怪我はないですか?」
「ああ、うん、平気だよ。枯滝さんとこの水穂ちゃんだね、不思議なことできるねえ」
「おばあちゃん、向日葵を焼き払ったの私だよー、私もほめてよー」
「うんうん、お嬢ちゃんも凄かったねえ」
水穂は、これが順応だろうかと考える。
根乃己の人々は昔から何度も異常存在に遭遇している。恒常性結界により記憶は消えていたが、魂のどこかには刻まれているのだろうか。
異常存在を排除するシステムが消え、世界がファーストコンタクトを迎える中で、根乃己の人々がまず最初に順応していくのは自然なシナリオだろうか。そのような話を太陽雨と交わす。
「そうだねえ、普通の人にとってはテレビだって十分に不思議だし、異常存在だってそれに近いもんじゃないかな」
「理屈は分からないままに受け入れるってこと?」
「そそ、水穂だって完全にわかってるわけじゃないでしょ。この科学の世界では、科学で説明できないものはどうしようもない。受け入れるかどうかだけ」
初見滝神社の境内にて、瑛子が持たせてくれたサンドイッチを食べる。具はサーモンとホワイトソース、トマトとチシャとサルサソース、ふかしたサツマイモのマッシュと甘いあんこなどだ。
「私これ好きかも」
「当たりだね……でもお母さん、二度と同じの作らないからなあ」
神社には影が濃い。
秋だというのにうだるように暑い。柱が落ちてくるような日差し。木陰の暗さのコントラストが立体的に見えるかのようだ。
「あ」
水穂と太陽雨が同時に立ち上がる。
木陰の中に人がいる。整った顔の僧侶。黒一色の姿がコントラストの中に浮かび上がる。
「黒現さん」
「どうも、先日は我々の代表がお邪魔いたしたようですね」
太陽雨の2色の目が平たくなる。
「なによー、またワレワレのホシにコイとか言うのー?」
「できればそうあってほしいと願っております」
「黒現さん、どうして? 太陽雨ちゃんはあなたたちが信仰する人だから?」
「そうとも言えますが、そうでないとも言えます」
「私のことホントに分かってるの?」
太陽雨は社殿の階段から降りて、日向と木陰の境目に立ってくるくると回る。
「勿論ですとも。あなたは二人の少女であり、根乃己に潜んでいた大きな陰の気であり、それを制御しようとした人物でもある」
「その人物の意思がカタチになったのが伝城資料館でしょ。今の私の中に、その人がどれだけ残ってるかな」
「我々はそのようには考えません。あなたは割合で表現できる存在ではない。混ざり合ったすべてが互いを経験し、共有している。あなたはあなたのままで十全なのです」
「結局あなた、何を言いに来たの」
「我々を知っていただきたいのですよ」
黒現は、その整った顔立ちに微笑を浮かべ、網代笠を背中に下ろす。
「我々は、一言で言うならすべてを終えた存在だと思っておりました。科学も数学も、哲学や法理すら完全に究め尽くした。宇宙の隅々まで旅をして、いくつかの知的存在とも会ったけれど、我々の水準を超えるものはいなかった」
しかし、と、手を合わせて続ける。
「異常存在、我々の理解を超えるもの、それはきわめて希少でした。銀河をくまなく探し回っても見つからない。それが地球からは数え切れないほど見つかる。地球には、この日本には、異常存在を生む異常存在があるとも言われております」
「根乃己のこと? 地の底に、陰の気があるって……」
「いいえ、聖人のことです」
聖人、という言葉は唐突な印象があったが、黒現が発言すると、奇妙にその場になじむように思えた。
美々しい僧は東の空を見る。やがて東から彼らの星がやってきて、夜の代わりに鎮座するだろうか。
「我々は聖人を尊び、聖人をうやまう。我々には到達できなかった高みを見せてくれると信じている。あらゆる技術を究め尽くした我々にも手の届かない高み。長い停滞にいた我々にとって、聖人は世界を広げる鍵なのです」
しかし、と、僧侶はしばしの沈黙を見せる。
「……とても信じがたいことですが、我々の意見が分かれているのです。我々に、まだそんな事が起こるとは思っていなかった。太陽雨どの、あなたをお迎えするべきという者もいれば、地球とは永遠に手を切るべきという者もいる」
「ねえ、そもそも、なんであなたたちお坊さんの格好してるの? 宇宙人なのに仏教徒なの?」
太陽雨が問い、そうですとも、と黒現は笑う。
「我々は技術を極めた種族です。もはやこの宇宙で不可能なことなど何もないと思っていた。物理法則というものが記された巨大な書物の、最後の1行まで読んでしまったのです。我々は安定の中で、何万年もただ星の海に浮かんでいたのです」
話すうちに、打ち合わされた手に注力が高まる。語る言葉は読経のようだった。自己のことを話す、内面を吐露する。それは彼らには祈りに近い行為に思われた。
「ある日、我々はこの星を知った。異常存在という、我々にも理解できないものが生まれる星。そして幾人かの聖人がそれを制御していた。我々は仏門の教えにその鍵があると考え、その教えに帰依することにした」
「西洋の宗教じゃダメだったのー? あっちの聖人さんも色々できるじゃない、海を割るやつとか」
「仏門のほうが肌に合ったのですよ。あるいは最初に出会ったのが仏門だったからでしょうか」
そして、と目をつむる。
「我々は、ここにおいて最後の至宝を見出した。太陽雨どの。あなたこそは世界を開く鍵。我々に新しい地平を見せてくださる聖人なのです」
法則を歪めるもの。根乃己の土地に眠るもの。それを制御した抗異化因子存在。そして太陽雨
水穂には、そのすべてが同じもののようにも思えるし、それぞれが全く別個のものにも思える。
「さまざまな意見があります。我々にとって手に余る存在ではないか。制御できるものだけをトークンとする、という原則に反するのではないか。あれを拒むならば我々が仏門に帰依した意味があるのか。我々は議論などすっかり忘れていた。数千年ぶりの議論です。実に、梃子摺っております」
「黒現さんはどうなの」
「水穂どの、私の意見は、選ぶべきではないということ」
「……」
「我らの星を手の届く位置にまで持ってきました。あとは御前様に決めていただく。それが私の立場です」
「それは、選ぶことから逃げてると言えないの」
「言えるかも知れません。しかし、そもそも太陽雨どのの力は我々より上でしょう。どのように上回るのか私も分かりませんが、確信しております。時間を止めようとも、太陽雨どのを無理やり連れて行くなど不可能であり、来るというならそれを拒むこともできない。拒むつもりなど毛頭ございませんが」
選択権は、あくまで太陽雨にある。少なくとも黒現はそう言っている。
「しょうがないなあ」
太陽雨は、一度大きく伸びをして、暴れまわる感情を境内に放散させる。
「明日の映画祭は参加したいの。その後にちゃんと返事するから」
「感謝いたします」
「あと、跳ねっ返りが私たちを襲うかも知れないんでしょ。そうなったら黒現さんが責任持って止めてよね」
「承知いたしました」
映画祭。
水穂には非現実的な言葉に思える。そんな催しが本当に行われるのだろうか。世界は、自分たちは、もう映画どころではないはずなのに。
(……映画祭、それに収束していくの? そこで何かが起こるの?)
あるいは、日常の一場面としてあっさりと終わるかも知れない。生まれて間もない太陽雨にとって大切な思い出になるかもしれない。
思えば思うほど、言葉が現実感を失うかのようで――。
※
根乃己小学校には大勢が集まっている。
明日からの映画祭に向け、大人たちが準備を進めているのだ。校庭にスクリーンが設置され、大型の音響設備や、屋台なども並ぶ。
「上映場所は講堂と校庭ね。今年は1日で六本やるのかしら?」
「そうみたいですよ、校長先生が張り切っちゃって、また時代劇でしょうけど」
枯滝瑛子も村の御婦人に混ざって用意をする。人口に比べて規模は大きいと感じている。何年にもわたって少しずつ規模を大きくしてきたのは枯滝家の家長。彼の尽力によるものだ。
老人たちが野外に機材を組んでいる。霧雨会の人々だ。
「瑛子さん、タッちゃんはやはり来ないんかのう」
「そうみたいですよ。選定会に顔を出してない以上、本番だけ参加する人でもないので」
がらがらと、台車に乗せて運ばれる物体がある。16ミリの映写機である。これは根乃己小学校の校長の私物らしい。
90歳近い老婦人がいて、てきぱきと指示を出してパネルを設営している。上映される古典フランス映画の解説パネルである。主演俳優の等身大パネルもある。
「やれやれ、校長も桑島の婆さんも張り切っとるのう」
「自分の選んだ映画が流れるのそんなに楽しいんかのう」
「まあ今までお義父さんが仕切ってましたけど、お義父さん抜きでも盛り上がれるってのは喜ばしいことですし」
ぼんやりと、空を見ている男がいる。
「?」
校庭の片隅で、東の夜空を見ている。夜空を埋める惑星がゆっくりと東からやってくる。
砂場には子どもが数人、プレハブの木工室の横にも一人、ただ空を見上げるだけの人々が。
「……気になるのも当然ね」
今、この星で、空の惑星について何も議論しない人間がいただろうか。
どんな環境でどんな生物が住んでいるのか、宇宙のどのあたりにあったのか、ロケットであの星まで行くことは可能か、重力や大気組成が違うはずだが地球人は順応できるのか。
宇宙人の出現は、あまり劇的であったとは言えない。半信半疑という人間が大半だっただろう。
だが、全天を埋めるほどの惑星。これがフェイクのはずがない。それは盛大に鳴り続ける目覚まし時計のようなもの。地球に住む人々に、強制的に叩き込まれる概念である。
宇宙人の実在。
それを確信したとき、人はどのような感情を抱くのか。
自分の時はどうだったか、瑛子はもう忘れてしまった。
「所長」
クーラーボックスを運んでいた人物が話しかける。作業着姿の青年であり、この場に潜入しているREVOLVEのスタッフである。
「ミスターヤギシマ、どうしたの」
「所長はタツガシラにいてください。ここは何が起こるか分かりません。危険です」
「……だめよ。私が現場にいる必要がある。もし不測の事態が起きたとき、ミズホ・カレダキと太陽雨に肉声で指示が出せるという強みがある」
「二人にインカムを持ってもらうという手も……」
「安全なところから指示を出す? ダメね。太陽雨はどうか知らないけど、水穂は肉親の情があると考えられる。フラットな状況でなければ指示の確度が下がる」
「所長……そもそも、我々が体を張る必要があるのでしょうか。この件に関わる異常存在はいずれも高位のものです。それに、REVOLVEという組織が現状、どのような状況にあるのか不鮮明です。我々が独断で動くことが許されるのか……」
本来であれば、動くことは禁忌だろう。
瑛子が現場にいるのは、ひとえに作戦のためだ。
「……プロジェクト・ニライカナイはまだ破棄されていないわ」
「その作戦を遵守する意味があるのでしょうか? 本部の黒幕たちは変異させられたと聞きました。所長からそのように説明があったのです。それなら我々は……」
「これはREVOLVEの原則なの。一度発行された作戦は、正式な手続きを踏まない限り継続する」
「しかし、組織自体が」
「いいえ……」
そうだ、それは違うと考える。
自己を客観視する。意固地になっているわけではない。
枯滝瑛子という人間は、合理的な視点で作戦が遂行中であると認識している。もっと言うならば、作戦は頓挫していないし、予定を外れてもいない、と。
(プロジェクト・ニライカナイの終了条件……)
根乃己に現れた太陽雨を成長させる。そうでなければ枯滝水穂の成長を促す。
最終目的は地球に新しい抗異化因子存在を生むこと。
計画は黒現たちの逆鱗に触れ、REVOLVEの主要メンバーは柱にされた。
しかし、計画が中断させられたとは言えない。
「……ミスターヤギシマ、計画は、REVOLVEの解体すら織り込んでいた、としたら?」
「! まさか……」
黒現たちが現れ、システムとしてのREVOLVEが停止し、地球がファーストコンタクトを迎えた現在。
ここから自分たちに逆転のシナリオがあるとすれば、それは何か。
(……作戦の終了、いえ、勝利条件。それは、黒現たちが帰還する。帰還するだけでは足りない。地球に来る理由を失う。そして舞台を降りたあの人に代わって、新しい抗異化因子存在が生まれる……)
すべてが。
そのすべてが成される可能性が、確かにある。
「作戦はまだ続いてる。他の職員にも厳命すると伝えて。我々は命令に従うだけ。そして我々には、まだ役目があると」
「……。わかりました。所長、どうか無茶をせずに」
空には惑星。
誰も見たことはなく、誰も予想していなかった未来の形。
見上げるのか、目を閉じるのか。
どう振る舞うべきか、正解は、どこにもない。




