外伝・第十五話
「水穂、そっち行ったよ」
「うん」
緋色の線。目で追った先にはおらず、目で捕らえたと思った瞬間には彼方にいる。深い森を直線的に飛ぶ。
速度で勝るのは太陽雨。脚部を爆発させるような加速とともに回り込み、水穂が複数個所に網を張る。
手の中で折り紙を操る。有形から無形へ、質量からエネルギーへの変換。
生まれるのは雷、水穂の手の中で輝いて飛び回る。腕輪のようなリング状の輝きとなり、空間に設置されると直径数メートルの輪になる。そして赤い影が通り過ぎるとき、にわかに急制動がかかってその場に落ちる。
トンボである。赤い胴体を持つオニヤンマ。異常存在の生物は通常より頑丈な傾向があり、多少、尾をばたつかせるものの生きている。
「もー、この子ってば、どうすんのよこの有り様」
太陽雨は森を見てため息をつく。
森の木々がずれている。森のなかに一直線の道が生まれ、その道の両側で木々が片寄せされたような眺め。ふもとからそれを見て目を丸くしている村人もいる。
「急いで直すよ、この子の力を折り紙にできそうだから」
水穂が髪から引き抜くのは白い紙、手の中でほぐすうちに赤い紙に変わり、揉みほぐされてトンボに変わる。外見では生きているトンボと区別がつかない。おそらく翅も内臓も生物と変わらないだろう。
「わお、もうできたの?」
「うん、赤施函妃随折り、行って」
トンボが飛ぶ。飛びながら大木の一つにぶつかりかけるとき、その木が(・・・・)さっと避ける。
「この子、回避の主客を入れ替えられるの。この子が避けようとするとき、避ける対象のほうが動くんだよ。だから電撃を輪の形に設置して、電磁誘導的な力で捕獲したの」
「能力すっごいけど倒し方が地味だなあ」
「村の方に行かなくてよかったよ。テトリスみたいになってたはず」
にわかに異常存在が増えている。
それは地の底から湧いてくるのか、遠くの国からやってくるのか、あるいはずっと根乃己に息を潜めていたのか分からないが、水穂と太陽雨はその駆除に追われていた。
中に財宝が見える鏡、毒ガスの詰まった飛行船、セーラー服を着た唐傘お化け、地獄のように苦い粥で満たされた鍋。数時間の間を置かず走り回る。
「黒現が言ってたやつだねえ。水穂、こんだけ異常存在が増えたことってあったの?」
「何度かあったみたい。こういうのって数日続くみたいだけど、高位のやつは出ないことが多いからむしろ楽なんだって」
REVOLVEの機動部隊も別個に対応しているようだ。公民館の駐車場で5階建ての神輿と戦っていたが、勝てそうだったのでスルーした。
村の住人もまったく目撃していないわけではない。異常存在の実在が白日の下になったとはいえ、それが根乃己だけに多いことを知っている者はいるのだろうか。
「いやあ、根乃己って実はイベントたくさんあるよねえ、僕もいろんな人から出店のお誘い受けちゃってさあ」
大きなお腹を揺するのは大貫、喫茶「ブラジル」のマスターである。
テーブルにつくのは水穂と太陽雨。皿には薄切りのカルパッチョが円形に並び、中央にはバラの形に盛られた生ハム。そしてカルパッチョにはカラフルな液体がかけられる。ざく切りにしたトマト、玉ねぎ、ピーマンを赤ワインビネガーで和えたものだ。カルパッチョにさっと回しがけると、ビネガーの爽やかな香りが立ち上がる。
「うわめっちゃ美味しそう。マスターこれ何なの?」
「ヴィナグレッチっていうブラジルのサラダだよ。肉にも魚にもよく合うんだ」
ブラジルのランチは格安で、窓が大きく開放的なために子供でも入りやすい。とはいえ小学生で喫茶店ランチが一般的というわけでもない。枯滝瑛子が忙しくて2人の面倒を見れないためだ。
ちなみにではあるがカスタネットは開店しており、草苅が忙しく働いている。水穂などは、草苅を店に置いておくために開店していると踏んでいる。
「大貫さん、映画祭でお店やるの?」
「うん、ブラジルにも屋台料理はたくさんあるけど、せっかくならブラジルの軽食文化を伝えたいな。スナックみたいな揚げ物とか、チーズを使ったパンとか、タピオカとか」
「タピオカ? あのミルクティーに入れるやつ?」
「そうじゃなくて、キャッサバのでんぷんをクレープみたいに薄く焼いて、具材を挟んで食べるんだよ、それがブラジルのタピオカ」
「うわ面白そう。マスターそれいま作れる?」
「もちろん! じゃあ二人に味見してもらおうかな、いま小さいやつ焼いて持ってくるよ。旅行中のあの子たちにも食べてもらいたいな」
ふと、思い出す。
そういえば大貫から晴南と美雨のことを聞かれたことはなかった。須走家と山極家はREVOLVEの手配により旅行中なので、晴南と美雨も同行していると思っているのか。
(私も小学校を休んじゃってるけど、大貫さん何も言わないな、ブラジルの気質ってことなのかな)
「大丈夫だよ、水穂」
ふと、視線が前を向く。いや、水穂はずっと正面を見ていた。ただ、どこかしらを見るという意識が抜け落ちていただけだ。
「二人の両親には私からちゃんと言うから。何とでもなるよ。根乃己の人たちって潜在的に異常存在に耐性があるからね。須走の家も山極の家も、異常存在を何度も経験してるし」
「うん、そうだね」
そんなことは問題ではない。
そのような言葉が浮かぶ。浮かんでから、水穂は言葉の意味を考える。
(……そんなことは問題じゃない。もちろん大事なことだけど、今はもっとずっと、重要なことが)
二人の少女が、根乃己という概念を受け止めて一人の少女になった。神降ろし、狐憑き、受肉、呼び方は何でもいいが、やはりそれも問題ではない。
問題なのは、超常存在である存在が、意志を持ち、自分の手足で動いていること。
それが何を意味するのか、安易に言語化することはできない。
ただ、危ういことだけは分かる。
事によれば、世界が一変するほどの事態。
それは果たして許される事態なのか、世界のキャパシティが受け入れられる大きさなのか。世界はすでにファーストコンタクトを迎えたのに。
「あれ、何だか暗くなってない?」
大貫が言う。水穂ははっと顔を上げる。
(まさか、転移現象?)
喫茶「ブラジル」の店舗は、ある条件においてブラジルに転移してしまうという異常存在である。完全に法則に則った現象であるため、REVOLVEによって転移が起こらない仕組みが増設された。
REVOLVEが活動停止中であるため、その設備が停止した可能性をまず考える。そのような仕組みは、自動で数十年持つように調整するはずだが。
「水穂! あれ見て!」
空にかかる、黒い影。
とてつもなく巨大な円形の影。西の果て、山をかすめるように飛来して、空を黒く染めながら中天にかかる。
そしてまた明るくなる。暗くなったと思ったのは、西日が一時的に遮られたためか。
「水穂、あれ地球だよ。いや、地形が違うから地球型惑星ってやつだよ」
「大きい……それにとても近い。手を伸ばしたら届きそう……」
大貫はと言えば、水差しを抱えてぽかんとしている。あまりの大きさに現実感がついてこないのだ。
「大貫さん、お店にテレビあるでしょ。どこ?」
「ち、厨房にあるよ。あそこでくつろぐのが好きで」
水穂と太陽雨が走ってそこへ向かう。すでに村も騒ぎ始めており、何人かの人間が外に出てきている。
「この放送は我々の要望により、通常放送に優先して放送させていただいております」
映っているのは僧服の人物。黒現ではないが、彼らと同じ存在なことは察せられる。寺社のお堂のような場所で話している。
「上空にある星は、我々の目的のために運んできたものです。一般の皆様には何ら関わりのあるものではありません。太陽光を遮ることのないよう。太陽とは反対側の位置に固定いたします」
空中に惑星の位置関係を示した模型が浮かぶ。彼らの言う星は月軌道のさらに外側にある。地球よりずっと大きいために、見かけ上の大きさが空の何割かを埋めるほどあるのだ。
「あの星は直径14000キロメートル。質量は3.3×10の25乗キログラム。地球よりもやや大きな星ですが、重力子のやり取りは遮断しております。しかし念のため、高潮などにご注意ください」
「星を一つ、持ってきたの?」
「ふーん。戦争でもやる気かな」
太陽雨は伸びをする。
「まー、やきもきしてもしゃあない、用があるなら向こうから接触してくるでしょ」
「……そうだね」
その後もいくつかの異常存在を退治する。
安全に収集できるものは水穂の折り紙で封印し、ものによっては太陽雨が焼却する。そろそろ暗くなってきたあたりで帰路についた。
暗がりに浮き上がる土の道。地球型惑星が東の果てからやってきて、だんだんと空の多くを占めるように動いている。真夜中となれば、全天を惑星が埋めるだろうか。
「水穂、今日だけでずいぶん折り紙のバリエーション増えたんじゃない?」
「そうでもないよ。高位なやつが少なかったからね。仕組み的に面白かったのはトンボぐらいかな」
「建物のほうがよけるトンボね。すごいけど使い道あるかな」
「建物を壊さなくて済むのが良さそう」
「それと夜中どうしよ。夜にも出るよねえ。私はたぶん寝なくても平気だけど」
「警戒用の折り紙を出すよ。根乃己には防衛用のロボットとかもあって、それに対異常性を付与して折ってみるから……」
「御前様」
ふと、二人がその人物に気づく。
道の片隅に立つのは黒衣の僧侶。直綴も小袖も脚絆も黒い。顔の下半分を黒い布で多い、藁で編まれた網代笠が夜の闇に浮かび上がって見える。
「黒現さん……? いえ、違う人だね」
「私が、我々の種の代表でございます」
両手を合わせ、静かに礼をする。
「太陽雨どの、あなたを我々の星にお招きしたい」
「私を? 嫌だよ」
太陽雨が前に出る。黒い僧侶はほんの少し、首を上に向ける。
「あの星は我らの発祥の星。我々は宇宙の隅々にまで広がりましたが、わずかに発祥の星に残った者もおります。清澄なる自然を守り、ひっそりと文化を育んでいるのです」
「わずかにって、何人ぐらい?」
「定住している者は、およそ40」
太陽雨は肩をすくめる。
「嫌だよそんな星。40人っていくらなんでも少なすぎでしょ」
「いえ、むしろ地球はあまりにも個体が多すぎるのです。地球人類が定命であることを考慮しても、文明を受け継ぐためには」
「人口談義なんかどーでもいいの。私は地球が好き、だからあなたたちの星に行く理由はない。それにお招きするって、ちょっとした旅行って意味に聞こえないよ。私に定住しろって言うの?」
「左様。我々はあなたを……」
「冗談じゃないっての!」
水穂の手を引き、歩き出す。
「水穂、いこ」
「……うん」
僧侶の脇を抜け、街灯の光の中に飛び込んで、また光を出る。明と暗が数秒おきに入れ替わる。
「我々は、あなたがこの星に居続けることを看過できない」
声が聞こえる。水穂が背後を見れば、わずかに網代笠だけが見える。
「どうかご考慮ください。我々は、地球の皆様にご迷惑をかけたくない」
「どういう意味」
ぽう、と太陽雨の指先が光る。手のひら全体の発光が人指し指の先端に集まり、光の球体を形成する。振り返ることはない、背中で怒りを示す。
「あの星は、我らの技術にて強化されております。もはや大陸サイズの隕石でも揺らがず、太陽風、超重力源、ガンマ線バースト、考えられるあらゆる影響を退ける頑健さを持っている。この地球が石鹸の泡ならば、我らの星は鋼鉄の玉、衝突すれば必ず地球の方が砕ける」
「ふざけないで!」
振り向くと同時に光条、それは雲水の手前で曲がり、斜め上の空へ、根乃己の山の上をかすめる。
防御しきれていない。雲水のまとう直綴からは白煙が上がり、何より当人が緊張していると分かる。かろうじて対応が間に合ったのだ。
「私を怒らせる気! あなたたちの星がいくら頑丈でも、私ならコナゴナにできるよ!」
「……よく、お考えください。くれぐれも御身とそのありようを、見つめてください……」
姿が消える。
移動したのか、さらに黒くなって闇と一つになったのか。
「太陽雨ちゃん……」
「とは言っても、かなあ」
ふと、冷静な声を投げられる。そこで気づいた、太陽雨の高ぶりは瞬時に収まっている。今は地面にうずくまって、両手で自分のあごを支える構えだ。
「水穂は今日一日でだいぶ成長したよね。私も、ちょっとだけ強くなったと思う」
「……うん、そうだね」
「まだまだレベル上がりそうな気がする。レベルが上がるというより、本来の強さを思い出していく感じ。このままだと、ちょっと地球にいるには強すぎるかも知れないね。水穂ほどおとなしい性格でもないし」
「……」
「あの人たちの星かあ、まあ歓迎されてるなら行くのもアリなのかなあ」
夢のようだ、と水穂は思う。
何も定かではなく、何一つ脈絡はない。この場所は今、常識や物理法則という軛からも自由だ。
この夢に結末がついたとき、自分は寝床から目覚めて現実の世界を思い出すのか。それともすぐにまた次の夢が始まるのか。あるいは夢が永遠に終わらないのか。
夢の中にいる人間は、それが夢だと気づくだろうか。
「太陽雨ちゃん。もうかなり暗いから、手つなごうよ」
「うん」
二人で歩き出す。
夜の道は空に浮いているかのよう。
見上げればもう一つの星、宇宙から地球を見下ろすような感覚。
「私は、どうなるか分からないからねえ」
言葉は楔に似ている。
口に出してしまえばそれは地に突き刺さり、何かを固定してしまう。あやふやだった関係性、見通せない未来、自分自身すらも。
「このままだったら、よくないかもねえ」
「……先のことなんか、分からないよ」
夜は長い。
少女たちにとって、ひとたびの夜は千夜の宴。
ほんの数日が、数え切れないほど長く思えることもある。
数日先も見通せない。それが少女たちの宝石の時間――。




