外伝・第十三話
「水穂、雪縞の虎を再現できるの?」
「うん、でも再現は問題じゃないの。肝心なのは折るタイミング」
「タイミング……?」
水穂はそれを言語化しようとするが、言葉が見つからない。
見つからないというより、その言葉は世界のどこにも無いと感じる。
折り紙を折るタイミングに干渉する。この方法は3次元的世界を超えている、だから言い表せる言葉がない。
「お父さんは……折り紙を折る順番を入れ替えることができた。2つ目の攻撃に対応できる折り紙を、3つ目の攻撃の時に折って順番を入れ替えることができたの。戦いに使うためには、折り紙を折る時間とか、折るための準備とかに干渉しなきゃいけない」
言葉にすればそれが精一杯。竜を見たことのない人間に竜を伝えるようなもどかしさ。
「今の私たちは一瞬、気絶してるだけ。その時間の中で折るの。工数をマイナスにして、指の動きは塗りつぶして」
牙が連なって鎖となる、線が面となり立体となる。水穂と瑛子を覆い尽くす。そして白黒まだらの虎を完成させる瞬間。
雷に包まれる。
水穂は指先で感知する。秒速数億回という振動が雷を相殺させている。原子レベルに分解されそうなほどの電圧。そのすべてを食らい尽くす。
視界が広がる。伝城資料館の半分が崩壊している。壊れていない屋根に黒杖の僧侶。太陽雨は上空に浮いている。
「水穂! 今の防いだの!?」
「うん大丈夫」
「ごめんねっ! 助けようとしたけど、建物のどこにいるかわからなかった!」
そして僧侶に指を突きつける。
「こら! 相手は私でしょーが! 他の人を巻き込むんじゃないの!」
僧侶は反応しない。ただ崩壊した建物に手をかざすのみ。
浮き上がってくるものがある。鉱石、武具、古民具、書画。複数のそれが一箇所に集まる。黒杖を突き出せばそれにまとわりつくように回転し、回転するうちに像を失い、黒い直線となる。
「うわ、その黒い杖ってそういう事? 回転の内側で物理法則がめちゃくちゃになってる。並大抵の異常存在なら触れた瞬間に崩壊しそう」
その異様さは地上にいる水穂たちにも伝わる。この伝城資料館はその建物も含めてすべて異常存在、それが黒杖のポテンシャルに震えるかに思える。
「あれって……おじいちゃんの黒鉾と同じもの?」
「性質としては似たものかしら……。そうだとしたら、異常存在である太陽雨は防御も回避もできない……。枯滝路ですら防御できなかった」
「上等! 撃ってきなよ!」
太陽雨が己の心臓を示す。黒杖が僧侶の手を離れ、軸方向に高速回転をする。
放つ。
ベクトルを付与されて飛ぶ。
「一つ忘れてる」
そして太陽雨は。
己の右腕を赤熱させ、全身の神経と筋肉にエネルギーを注ぎ込む。全身が爆発性の物質に変わるかのよう。神経が高ぶる世界ですべてがスローに見える。
「この伝城資料館に、超常存在が持ち込まれたことはない。あの槍とは格が違う!」
その黒杖を、少女の手が掴む。
掴んだ瞬間。極小の時間の中で太陽雨の指が溶け、手のひらが腐り、手首から先が杖に吸い込まれるように崩壊する。腕が消えてなくなるより先に、杖を捕まえ体を反転。無理やりに投げる。
僧侶はそれを防ごうとしたか、あるいは回避しようとしただろうか。あらゆる動作より速く、杖が到達する。
背後に抜ける。僧侶の全身から黒い気配が噴き出す。
「その黒い杖はね、呪詛なんだよ。異常存在を許さないという意志の表れ。作った人だって対象外ってことにはならない」
右腕が肩口から消滅している。黒杖で受けた傷はすぐには回復せず、肩口を手で覆いながら言う。
「あなた、さっきの案内人だね」
僧侶は黒い液体を流す。血とも雨ともつかない。それが茅葺きの屋根に落ちると、強酸を浴びたように屋根が溶けていく。
「かわいそうに、長年、異常存在に触れたせいかな。おかしくなっちゃったんだね」
水穂は、その言葉を受けて僧侶を見る。
顔つきも分からず、体格も格好も曖昧である。ノイズでできた人間のようだ。かつて、竜興老人が電脳世界でそんな人物を見たという。その姿形が人間の理解を超えているのかも知れない。
「おかしく……」
――渺茫というものだ
――果ての果て、限りなく広大なる歳月の果てに、私という存在がどうなるかは分からんのだ
(あのお坊さんが……長い年月の果てに正気を失ってしまった? たくさんの異常存在に触れるうちに、あんなに攻撃的な怪物に……?)
(でも、お母さんは案内人が敵対したことは一度もないって)
気づけば、太陽雨の右手が再生している。血液なのか脂肪なのか、ぬめる液体に濡れた手を何度か握る。
「消してあげる。今までごくろうさま」
その時。僧侶の口が不自然なほど大きく開き。
とてつもない音圧。数瞬遅れて、それが人の声だと理解する。
例えるなら数万条の有刺鉄線を絞り上げるような音。巨人の手が数千枚の鉄板を握りつぶすような音。
僧侶の身体が細かく分解されている。黒いノイズのような姿が無数の針の集合のようになり、それらは磁石につく砂鉄のように放射状に手を伸ばす。
「自爆? 全方位攻撃? そんな小さい針じゃさすがに殺せないよ。なんでそこまでして……」
さらなる高音。凶音。
「ちいっ、水穂! 私が針を減らす! そっちも防御貼って!」
手の中に火球を生み、それを続けざまに僧侶へと飛ばす。圧縮された熱と光ではあるが、黒い針と相殺されてかき消える。
黒杖の僧侶はもはや人としての形象を失っている。その姿は全方位に伸ばされる針。水穂は我知らず、横にいる瑛子の袖を掴む。
「なんだか、怖い……敵意の固まりみたい」
「本来の人格が失われてるわね。異常存在を封印する、できないならば破壊する、そんな意志だけが凝縮されてる。あれが、さっき会った僧侶だって言うの……?」
水穂の手から防御が構築されていく。牙の鎖が伸びていき周囲を囲む。その輪の数が5になり10になる。
「……やばい、これ、間に合ってないかも」
「ちょっと水穂」
「針が何本かすり抜けるかもしれない。身体に当たらないように祈って……」
針が炸裂する。
全方位に飛ばされるそれは黒い陽光のごとく。触れた建物も、大地も、雨すらも消滅させる虚無の軍勢。
「水穂!」
瑛子が、水穂に覆いかぶさる瞬間。2人の前に現れる影。
ぎいん、と重低音が鳴る。何万もの微小な針が弾かれる音、弾かれながらも防御を削る音だ。
「黒現さん!」
「枯滝瑛子どの、水穂どの、お怪我はありませんか」
水穂の防御を囲むように複数種の防御が構築されている。人間の視界には見えないものもあるが、水穂は折り紙の結界を通してそれを感知する。
黒杖の僧侶を見る。
水穂は、あの僧侶が黒現である可能性を考えていた。だが違うようだ。あれはやはり、夢の中で出会った僧侶の成れの果てなのだろうか。
「少しばかり防御が足りなかったご様子、微力ながら助力いたします」
「黒現さん。どうして」
「水穂どの、我々は同志であると申し上げたでしょう。それに繰り返し申しますが、あなたには恩義もありますれば」
音が止む。針を放射していた存在は、もうどこにもいない。
そして黒現はするりと振り返り、視線を瑛子に投げる。
時間にすれば二分の一秒ほど。圧縮された緊張が走る。物言わぬ意思が生き来するかに思えた。地球より遥かに高度な文明を誇る彼らが、何らかの感情を乗せて瑛子を見たのだ。
「黒現さん。REVOLVEの作戦に干渉するつもりなの」
「いいえ、瑛子どの、私はREVOLVEという組織に敬意を払っております。この星を守っていた組織です。優れた人材が無数の異常と戦い続けてきた。敬服すべきことです。どうして邪魔などしましょうか」
すべて消えている。建物も、異常存在も、上空にあった黒雲も。すのこ状の基礎部分すらも消えている。今はただ土の上。
一瞬遅れて認識されるのは緑の葉影と石の鳥居、そして木のベンチにばたりと倒れ込む太陽雨。どうやら五体無事なようだ。
「戻ってきた……みたいね」
「一つだけお聞きしたい。太陽雨という存在は、伝城資料館について知っていましたか? あるいは、何かを覚えていましたか? ――瑛子どの」
「え……私?」
――ううん知らない。
――それについてはなんにも知らないみたい。
「……知らなかったみたい。なぜそんなことを?」
「重要なことなのです。では瑛子どの、私と一緒に来ていただけますか」
「……?」
数珠を持った手で、瑛子の手を取る。
その時、水穂の顔が意識された。
不安げな瞳で見上げている。その視線の先にいるのは自分ではない。では黒現か。
それとも。
思考は一瞬のこと。全身が震えるような感覚があり、慣性のような遠心力のような、体の芯にかかる重力的負荷。
それは1秒も持続しない。気がつけば己は室内にいる。朱色の絨毯が引かれ、壁は白く、ダンスホールにでも使われそうな空間。
「ここは」
「真贋境界面の内側、agoleの内部です。時間の流れを400分の1にしております。光子の総量が減少するため、瑛子どのの視覚に補正を加えております」
黒革張りの椅子が意識される。
天井の高い大きな部屋に12の椅子があり、12人の男たちが座っている。瑛子の知るagoleの幹部とは違う。だが知識として知っている顔が何人かいる。いわく、世界最高の個人投資家、複数の巨大企業を指揮する経営者、世界最大級の銀行の頭取も。
「この人たちって……」
「REVOLVEを影で操っていた方々ですよ。フリーメーソンとでも呼ぶのが適切でしょうか。プロジェクト・ニライカナイの進行中は、身の安全のためagoleにいたようです」
「ここは、agoleなの? agoleの真贋境界はまだ健在だったはず……」
周囲の人々は動かない。この空間に出現して1分ほど、時間の流れが400分の1だと言うなら、彼らの体感時間では0.2秒にも満たない。
「根乃己の恒常性結界は我々を受け入れたことで消滅しております。agoleの真贋境界は実に手強かった。この境界面を通過する時、異常存在はすべて嘘に落とされる。突破の方策を探していたのですよ」
「……どうやって、いえ、なぜagoleに来る必要があるの。REVOLVEと対話がしたいなら呼びかければいいだけ……」
「この方々は、少々やりすぎたのです」
そこで気づく。黒現の肩のあたりがぼんやりと光っている。
目を凝らせば肩のあたりに浮かぶ影がある。透明な四枚の翅を持ち、名刺ほどの大きさしかない小人。切れ長の耳と、意思の疎通を拒むような楕円形の目を持つ小人。その姿はオブラートで作った模型のように透き通っている。
「! 妖精、まさか!」
「アーグルトン、英国の擁する異常存在への対抗手段。妖精と契約を結んだ村。その協力を得ました。借り受けたのは結界を渡る妖精です。この妖精の力があれば、非力なる我々でもagoleに入ることができる」
「なぜ、agoleを攻めるような計画に協力を……」
「アーグルトンの人々にとって異常は対等なるもの。飼い慣らすものでも支配するものでも、まして道具でもない。agoleとは元来そりが合わなかったのです。もっとも、アーグルトンを邪魔に思っていたのはagoleも同じだったようですが」
ふ、と黒現は笑ってみせる。
その笑みで瑛子は察する。ここに瑛子を連れてきたのは、これから起きることを目撃させるためだ、と。
「これは一種のレースだったのです。agoleがプロジェクト・ニライカナイを成功させて我々を排除するか、アーグルトンが我々に接触して、agoleを滅ぼすか」
「……」
「agoleは必死だった。枯滝路を排除するために根乃己にオルバースの銃を与え、カスタネットに勤めていた演算機械の進化を促した。我々はそれは看過した。地球の皆様方にとっても大いなる変革、意見の相違をすり合わせるための混乱なら仕方なしと、ただ待った。しかし今回は良くなかった、彼らは許しがたいことを行ったのです」
「あなた達を排除しようとしたこと……? 太陽雨に封宮存在をぶつけて成長を促したから」
「ああ! そうですとも」
黒現はその声に、わざとと言うにも露骨なほど苛立ちを乗せる。
「あなた方の言う抗異化因子存在、それを新たに生み出す計画。我々はそれには関与しない。地球の皆様が我々を拒むなら、それは仕方のないことです」
「……」
「その手段が、手段だけが問題なのです。あのような存在を利用するとは。あまつさえ我々と敵対させようとは」
400分の1の時間の中で、静止した男たちはゆっくりと動こうとしている。黒現たちの出現に驚愕し、椅子から転げ落ちそうになる者、スーツの内側から何かを取り出そうとする者。それは銃器か、それとも何らかの封宮存在か。
「あるいは彼らの思惑通りに進めば、地球はまた平穏な時代を迎えたかも知れない。そうでなくとも、やり方さえ選ぶなら我々も手出しなどしなかった。だがもう遅い。彼らにはここで」
柏手が。
音が生まれる瞬間。瑛子の感覚では遅滞した時間がさらに引き延ばされる感覚。
すべての人々がねじれ、引き伸ばされ、遅滞した時間の中でゆっくりと変異する。表情の歪みが、極小の時間での感情が、圧縮された絶望と恐怖が、瑛子の目に焼き付けられる。
そして残るのは、12の柱。
「柱になっていただきます。報いでもなく、天罰でもなく、ただ我らの怒りがために……」




