外伝・第十二話
土の匂いと風の声。懐かしさと違和感が奇妙な重複を見せている。
それは広域と近接の乖離。周辺視野で見る遠景は確かに根乃己だが、視界の中央で見る村の様子はかなり大昔の印象がある。畑に出ている人々は着物ではない筒袖の服を着て、鍬で土を耕している。
住居には木製の小屋もあれば、竪穴式住居も見られる。
「お母さん、これってタイムスリップみたいなことだよね。室町時代とかかなあ」
「水穂、農具をよく見なさい。木製と鉄製の農具が混ざってる。農機具は10世紀ごろにはほぼすべて鉄製になったはずだから、それよりも少し前の時代でしょうね」
瑛子も周囲を観察しているが、水穂ほどせわしなく動いていない。観察している事を隠すのも技術のうちか、と水穂も首の動きを抑える。
(でもなんだか……時代劇みたい。過去に行くってこんな感じなのかなあ)
たどり着くのは大きな空堀に囲まれた屋敷である。地面に直接柱が埋め込まれ、その上に床がある。敷地の隅には高床式の倉庫もあった。
「これは……掘立柱建物ってやつね。奈良時代ぐらいかしら」
「伝城の館だ」
僧侶が言う。
館に入ると内部は風がよく通っている。床板はフローリングのように磨かれているが、中には家具がほとんどなく、がらんとしている。隅の方に大きな漆塗りの箱があるが、それだけだ。
(あれって唐櫃ってやつだよね。衣装とかを入れる箱だったかな)
(他に家具がない……というよりほとんど生活感がない。なんでだろう)
(……奈良時代だとすると1200年近く前。そんなに昔なら私の知らない道具とか家具とかたくさんありそうなのに)
――あの人物は現代語しか話していない。
――だから私たちに分かる言葉しか話さない。
(……お母さんはそう言ってた。それって、この場所も同じ? 私に分からないものは存在しない、ってことかな……?)
広間には農夫らしき人物がいた。黒杖の僧侶にひたすら何度も頭を下げている。
「お坊さま、こちらです」
農夫が差し出すものは透明な石である。ガラスか、あるいは水晶だろうか。
だが、眼窩があり、顎があり、歯列らしき部分もある。手の中に収まる大きさだが、髑髏だ。
「普通の石だったんでございますが、うちの子供がお手玉で遊んでるうちに、だんだんこんな形になったんでございます」
「お母さん、お手玉って確か江戸時代ごろ生まれた言葉だよね?」
「お手玉? 水穂にはそう聞こえたのね。私には石名取玉と聞こえたわ。布袋に小豆を入れるようなお手玉は江戸時代ごろに生まれたの。それまでは石で遊んでたのよ」
「ふむ……大きさは四寸二分。滑らかでやや温い手ごたえ、きわめて硬く重さは石と同じほど」
僧服から糸くずを一本抜き、石に透かして見る。
「ものが二重に見えておる。これは水晶の特徴だ。管玉やトンボ玉ではないようだな」
「複屈折を知ってる……どこかで学んだのかしら。それとも経験から知ってるのかしら」
「お母さん、あれって水晶ドクロってことなのかな」
水晶ドクロとは1972年、イギリスのF・A・ミッチェル=ヘッジスという人物が遺跡から発見したと言われる遺物。その後、世界各地で同様のものが見つかった。
ガラスのモース硬度が5なのに対して水晶は7、傷つきにくく加工が難しい。古代遺跡から発掘されたとすればその製法が謎であり、オーパーツと呼ばれている。
現在では、世界中にあるすべてが偽物と考えられているが。
「ふむ、そこの子よ、顔を見せてくれぬか」
農夫の娘だという女の子。その子の顔をそっと指でなぞる。いつからいたのか、若い僧侶がドクロを絵に起こしていた。
脈を見て、目の色を見て、農夫と娘にさまざまな質問をする。質問は多岐に渡り、農夫のたどたどしい返事に根気よく付き合う。水穂と瑛子はその様子をじっと見ていた。
「なんだか……学者さんみたいだね」
「そうね。あの僧侶には威厳と同時に実務能力の高さを感じるわ」
いつの間にか、周囲に若い僧侶が増えている。みな目を輝かせて黒杖の僧侶に見入っている。水穂はそのうちの一人に聞いてみる。
「ねえ、あのお坊さんって偉い人なの?」
「無論です。若くして密教の奥義を授けられ、唐にて学んだお方なのです」
他の僧も何人か声を寄せる。
「建築にも通じているのです。唐物の建物も数多く手がけております」
「大きな貯水池の工事も新しい工法にて成し遂げられました」
「500人からの僧を集めての饗応も」
「学問所も開いて庶民へ学を施し」
「書においては無類の」
「声もまた素晴らしく」
「わかりましたわかりました」
どうも彼らは熱心な信奉者であるようだ。
「お坊さま、わしと娘はどうすれば」
「心配いらぬ。この石は手遊ぶ者の骨の形を写す、それ以外の事は何もしておらぬ。石はわしが預かろう。それで何の憂いも無くなる」
「そうでございますか……ありがてえことです」
「……ちょっと調べたぐらいで分かるのかな。もし危険なものだったら」
「そうね、彼らなりに精一杯ってことなんだろうけど」
「お客人、こちらに参られよ」
複数の僧を率いて移動、水穂たちもついていく。
移動する先は別棟。そこに10人からの人物がいた。麻の白衣で体を包み、頭巾と口当てをした姿は医師か科学者のようだ。
「子細を調べてくれるか」
「かしこまりました」
木製の天秤があり、油や薬品の壺がある。動植物をスケッチした紙が壁一面に貼られている。
楕円形の水晶を持ち、ドクロを覗き込む者もいる。
「……あれは「読み石」ね」
瑛子と水穂は部屋の隅に立っている。白衣の人物たちはドクロについてああだこうだと意見を交わしており、水穂たちを見ようともしない。
「読み石ってルーペのこと? 実用化されたのって13世紀ぐらいだよね」
「いいえ、天然石を用いてものを拡大するという行為は紀元前からあったの。技術として一般に浸透するには長い時間がかかったけど、偶発的に、あるいは天才性から、天然石をレンズとして利用していた人はきっといたはず……と言われてるけど」
見れば調べているものは一つではない。古びた木彫りの仏像や、泥のついた銅鐸、頭が二つある鶏などもいる。
「調べてるんだね……そんなに科学が発達してる時代じゃなさそうだけど」
「私たちだって似たようなものかもね」
水穂にしか聞こえない程度につぶやく。この部屋では誰も水穂たちに注意を向けていない。
「異常存在は科学で解き明かすことはできない。私たちはただ観察して、法則らしきものを見つけて、理解した気になってるだけ。不足なことは分かってる、でもそれが唯一の立ち向かい方なの。必要なのは、できる限りをやる、という実践力ね」
「御前様、先日の石臼について、可能な限り調べたかと」
「うむ、一つに纏めておこう」
大きな紙が机に広げられる。すると、周囲の人々がざわめいて机に集まってくる。どうやら書を記すところを見たいようだ。
僧侶は筆をゆらりと動かして文字を記す。正確で、それでいて速い、一目で尋常ならざる達筆であると分かる。
「紙と墨とは、異なるものに立ち向かう武器だ」
僧侶は静かに言う。
「口伝よりも確かであり、長く世に残る。異なるものの子細を記録し、見解を書き添え、対処できたならばそのあらましを書き残すのだ」
水穂はといえば、その書をじっと見ている。
(綺麗な字……)
よどみなく一気に引かれた線。重々しく格式高く、そうかと思えば優美さや軽やかさもある。その字から受けるのは僧侶の几帳面さ、丁寧さ、力強さ、そして比類なき天才性である。
「実相(真理)とは直接与えられる言葉のみである、と語るものもいる」
筆を走らせながら述べる。周りの僧は身動き一つしない。
「拙僧は文字にも実相はあると考えた。筆を走らせることは肉体の動きだ。記した者の練度や感情が字に現れる。つまるところ人の行いはすべて実相であり、言葉にも文字にも適した場所があるというだけだ。怪異に立ち向かうには、あらゆる手段を用いねばならぬ」
達筆すぎて水穂には読めないが、ここには異常存在についての知識がある、そう思うだけで脅威が遠くなる気がする。
やがて書き上げると、弟子と思われる人々はその文字を食い入るように観察し始める。
「お客人、こちらへ」
また案内される。今度は僧侶一人だけで移動し、水穂と瑛子はすぐ後に続いた。
移動するのは中庭である。僧侶は池のほとりに立って言う。
「おぬしらは遥かに後の世から来られたようだな」
「……なぜそれを」
「一見すればわかる」
僧侶のまなざしはあくまで厳粛。だがその奥に、見つめていると落ち着くような深い慈愛もある。
「見るべきものは見て、知るべきものを知ったであろうか」
「え、見るべきものって……あなたが何か教えてくれるんじゃないの?」
「伝城の館とは、伝うる儀の館である。ここで見るすべてはそなたたちに必要なものだ。必要なもののみが目の前に現れる」
いくぶん緩やかに話している。そこにあるのは深い落ち着きと、揺るぎない厳粛さだ。
「拙僧は修行の果てにこの土地に至り、その怪異の莫大なることを抑えねばならぬと考えた。日の本が正しき教えと法の下にあるために、陰の気の支配を除かねばならぬと考えたのだ。この土地に渦巻く陰の気を抑えるためには、拙僧の生涯をかけただけでは足りなかった」
遠い山々に視線を伸ばす。空と大地すべてに意識を伸ばすかのように。
「そして拙僧は念を残した。怪異へ立ち向かうあり方を、記録を残すという考え方を念となし、初見滝の堂に残したのだ」
「初見滝神社……」
水穂はつぶやき、母を見上げる。
「ねえお母さん。伝城資料館っていわゆる普通の資料館だったよね。パネルがあって展示品があって」
「そうね」
「それってさ……さっき言ってたメモリー干渉体なんじゃない? 本当は資料館なんか無くて、根乃己の歴史と、異常存在への立ち向かい方という情報だけがあるの。私たちに理解できる姿で見えているだけ」
「まさかそんなこと……」
ある、のだろうか。瑛子は自問する。
伝城資料館にはカメラなどが持ち込まれたこともあるが、建物がどこにあるのかは判明していない。空間が隔絶してるのだろうと思われていた。
「伝城資料館とは……異常存在を封じるという概念そのもの。それが人間の五感を通して資料館に見えている……」
僧侶は老人のようでもあるし、青年のようでもある。威厳と天才性が年齢を曖昧にしているのか。
「ねえ、あなたはもしかして」
「拙僧にはもはや名は不要」
どん、と杖で地面を突く。その動作のたびに、魂のどこかが縮こまるような気がする。
「この地にて入滅し、根の気と一つになったのだ」
「それって……永遠にここで異常存在と戦うってこと、そんな……」
「それが入滅、永遠の瞑想というものだ。だが」
そこで、初めて僧侶の言葉に揺らぎが感じられた。感情のかけらのようなものが言葉に乗る。
「永遠。それが真であるかはまだ分からぬ。拙僧が永遠に到れるか、それは永遠の後でなければ分からぬ」
「分からない……」
「渺茫というものだ」
「渺茫? 確か、とても広くてはっきりと見通せない様子……だよね」
「拙僧は入滅して後もこの地の仕組みとして残ることを目指した。人の身にては永遠とも思われる時間、この国を守るだろう。だがそれとても千年も経てばどうなるか分からぬ。果ての果て、限りなく広大なる歳月の果てに、私という存在がどうなるかは分からんのだ」
とん、と杖を突く。
「この杖はかつては白木であった。使い込むうちに黒く染まってきたのだ。だが黒ずむほどに、怪異を打ち据える強靭さを備えていた。この地にて無数の怪異に触れるうちに、一種の化生になってしまったのだろう」
「それって……おじいちゃんが似たようなものを作ってたけど」
「あるいは拙僧もまた黒杖となり、三界に滅びをもたらす化生となるやもしれぬ。拙僧もいつかは、調伏されるべきケガレとなるやも」
「いつかは……」
どれほど備えをしても、最果てを見通すことはできない。
風景の果てが見えないように、無限の数列の果てに何があるか分からないように。
限りなく悟りの境地に近づいた人物でも、完成されたシステムであっても、いつかは正しい姿を失って変容するかも知れない。
渺茫。
見通せず、曖昧であること。水穂は無限、というものの壮大さを意識した。きっと、まだ幼い自分では、想像の指が無限の薄皮に触れたに過ぎないだろうけど。
「さあ、そなたたちは間もなく帰ることになる」
「え……」
「そなたたちは、まばたきの一瞬、魂が肉体を離れた。魂の本質が伝城の館と触れ合ったのだ」
「……そっか、あのときカミナリの衝撃で」
「まもなく意識は回復する。お主たちがどのように意識を失ったかは分からぬが、すぐに身構え、次なる事態に備えるがよかろう」
「……分かりました。感謝します」
紙から折り紙を引き抜く。それは問題なく使えると確信できる。
「水穂」
瑛子が耳打ちする。黒杖の僧侶はすでに建物に戻ろうとしている。水穂たちにはまったく執着も興味もないのか。それとも宗教家としての公平さのためか。
「襲ってきたのって、黒い杖を持ってる僧侶だったわよね、まさか」
「分からない……襲ってきたのが今ここにいたお坊さんなのか。戦ってもいいのか。どのぐらい強いのかも分からない」
紙を手の中でもみほぐす。ある種のパターンが手の中に生まれ、それが連続して生成され、蛇のように伸びていく。
生まれるのは、牙。
二列の牙が伸びていき、円形に二人を囲む結界となる。
そして帰結するのは、白黒まだら模様の虎。
「でも逃げてはいられない。私たちを守るのはきっと、本質に迫ろうとする態度そのものだから……」




