外伝・第八話
「シグナル・クラウザルカ……?」
司令室の壁には多分割されたモニターがあり、そこでは雪縞の虎と水穂たちの戦いが映し出されている。
水穂は遠巻きに機会をうかがい、太陽雨は踏み込んで直接打撃に向かう。殴られた雪縞の虎は鎖のようにほどけるが、そのままの体で素早く動いて追撃をかわす。打撃音と衝撃は人間の起こすものとは思えない。
「クラウザルカとは『鍵のかかった箱』という意味。異常存在を封印または排除するために、REVOLVEが所持している攻撃手段よ」
「REVOLVEがそんなの持ってたんですか」
「普通は運用しないのよ。異常存在に異常存在をぶつけることは不測の事態を生みやすいからね。ただ、知ってると思うけどREVOLVEには「残弾」があった。いつかは弾切れを起こすことは分かっていた。一部の人間は常に探していたのよ。異常存在を排除するための手段をね」
「だからあんな虎を……」
草苅は雪縞の虎について思い出す。虎と蝶が強さと翅を交換し、蝶は虎を食い殺してしまった。そのために虎たちの王は蝶を喰らい続けている。
「雪縞の虎というのは、異常存在を喰らう異常存在……」
「その通り」
職員たちは戦闘の様子を解析している。攻撃の威力を数値化し、動きをミリ秒単位で計測して反応速度を割り出している。草苅にそこまで理解できたわけではないが、職員がおもに太陽雨のスペックを計測していることは分かった。
「本当に制御できてるんですか。太陽雨ちゃん攻撃されてましたよ」
「雪縞の虎の牙はね、異常存在にしか干渉しないの。水穂の折り紙と太陽雨のみ攻撃が通る。そして太陽雨に致命傷を与えるのが難しいことも分かっている」
「分かっている? どうして」
「異常存在には格というものがある。自分より遥かに格上のものを仕留めることはできないの。太陽雨がかなり高位の異常であることは最初から分かってるのよ」
「凶兆の天秤ってやつですか?」
「手段は一つじゃないわ」
戦局が動く。白衣の職員たちがざわめき、草苅も視線を向けた。
太陽雨がさらに加速している。その足は熱された鉄のように輝き、踏みつけた大地が爆発するようにはじけている。
雪縞の虎は体を鎖のようにほどくことで衝撃を分散させている。そしてほどけた状態では牙を足のように使い疾走。それについていく赤い輝き。
太陽雨が先端部分に追いつき、足が蒸気を放つ。極小の時間。地面を溶融させながら踏み込み、足を滑り込ませ、光のごとき速度で蹴り上げる。
「水穂! 今!」
「うん!」
水穂の手が動き、複数枚の折り紙が飛ぶ。縦になって飛ぶ線虫のような存在に張り付き。次の瞬間には全体が檜皮色に変わり、円筒形となって地面に突き刺さる。
職員たちがざわめく、その中には感嘆の声もある。
「あれって……?」
「我々の技術ですね」
黒現が発言する。この人物も必要なとき以外は寡黙だが、カスタネットのかつてのバイトほどではなく、存在感はそれなりにある。
「ですが原理がまるで違うようです。言うなれば円柱状の結界。その結界域に全身が入ると柱に変わるのでしょうか。興味深いですね」
「ミスターケルフェン、天竺夜蝶をあと6匹放って」
「はい」
モニターに蝶が出現する。遥か上空から舞い降りてきたのだ。太陽雨がその一体に素早く反応し、光とともに拳で吹き飛ばす。打った瞬間に衝撃波が散る。
そして別のカメラが白黒の縞模様を捉える。どこからともなく出現し、草むらからのっそりと現れる巨大な虎。
「ちょっと瑛子さん!」
「大丈夫よ。太陽雨の戦闘力はかなり高い。問題なく排除するでしょう」
「……怪我をする可能性ぐらいはあるでしょう。水穂ちゃんだって危険に晒してる。雪縞の虎の牙が異常存在にしか当たらなくても、天竺夜蝶はどうなんですか。パワーローダーはふっ飛ばされてましたよ」
「そうね。水穂の折り紙の技については直接聞いてる。ほぼ間違いなく水穂が勝つけど、それでも怪我の可能性まで否定できない」
暗い目をしている。と感じる。
それは理性という言葉と紙一重である。枯滝瑛子という人物はREVOLVEの支部長として極めてドライな判断を下せるが、感情が無いわけではない。彼女が倫理を踏み越えるような決断をするとき、その目は暗い光を帯びる。だが草苅も、ここまで深い色は見たことがないと感じた。
「それでもやらねばならない。私がそう判断したの。草苅さん。他の職員も聞きなさい。今よりこの作戦をプロジェクト・ニライカナイと呼称します」
「ニライカナイ……」
オカルト雑誌記者としての記憶にその言葉がある。沖縄に伝わる神話であり、海の向こうにある理想の世界。そこから神々がやってきて繁栄や豊穣をもたらすという。
背後の黒現がつぶやく。
「なるほど、さしづめ太陽雨とはパーントゥというわけですか」
「なんだっけそれ……聞いたことはあるんだけど」
「来訪神という概念ですよ。神が何処からか来たりて栄えをもたらす。神は根付くものではなく、気まぐれに訪れるもの。恐ろしいものでもあり歓迎すべきものでもある。神が訪れたのは根乃己か、あるいは……」
ごく小さく、空気に溶けるほど幽かな声。
「この星か……ですね」
「……」
草苅は、今の黒現のつぶやきに何らかの真実味を見た気がした。
人類より遥かに高位な存在である黒現は、発言の一つ一つをとってもどこか芝居がかっている。人間がハムスターに話しかける感覚だろうか。
だが、今の呟きは心からのものに思えた。誰も観たことのない黒現という存在の素の表情。草苅が聞き取れたのは偶然に過ぎないと思える。
草苅はまた前方に視線を伸ばす。枯滝瑛子は複数のモニターに視線をさまよわせている。
「……あの蝶ってREVOLVEで飼ってたんですか? 虎と同じ強さなんでしょ?」
「日光に当たると異常性を失うのよ。飼育場に複数の紫外線ランプを設置すればいいだけ。でも根乃己で飼われてた個体じゃない。数時間前にアメリカから持ち込まれたものよ。超音速機まで使ってね」
「……アメリカから」
では、動いているのはREVOLVEの本部。
「……」
太陽雨がかなりの力を持っているのは分かる。雪縞の虎が彼女をテストするために放たれたのも分かる。
だが。
(おかしいわよね)
(瑛子さんって確かに怖いけど、作戦に自分の娘が、水穂ちゃんが含まれてるのはさすがにおかしい)
(本部の立てた作戦だから? 瑛子さんは本部の決定に逆らえない? それとも何らかの取引を持ちかけられた?)
「所長、雪縞の虎が蝕祭状態に移行します」
「そう、狙撃班は200メートルの距離にいるわね」
「はい、4チームとも問題ありません」
モニターにて。
雪縞の虎が変異している。全体が鎖状にほぐれて宙を舞い、さらに数本が合流する。
「何なんですか、あれ」
「蝕祭状態。複数の固体が絡み合って一つの固体となる。どんな異常存在でも触れた瞬間に削り取るの」
そして現れるのは、やはり虎。
だが先刻までとは違う。その模様は絶えず動いており、しかも目で追えないほどの速度が出ている。白と黒は混ざり合って巨大なノイズのような姿になり、周囲につむじ風が発生している。
「雪縞の虎が放つ音を消去。二人の音声を拾って」
「はい」
職員が操作する。二人の声が急に手前に出てくる感覚。
「水穂、合体しちゃったよ」
「どうしよう。あれ素手で殴ったら無事じゃすまないよ」
「うーん。水穂、あれを狭い範囲に押し込めることってできる? できるなら手はあるんだけど」
「そういう箱みたいなやつは……あ、待って、あれを使えば」
虎が踏み込む。もはや生物とも事象ともつかない異形。削り取る意思だけを凝縮した獣。その目は、目があるとすればだが、それは太陽雨に向いている。
「多分できる。でも3秒も維持できない」
「オーケー、阿吽の呼吸でやろ」
太陽雨の両足が光る。地面から水蒸気を打ち上げながら前方に加速。ノイズの塊と化した虎に迫る。
持ち上げ、振り下ろす虎の手。かわすと同時にその姿が消える。
空気が爆発するような音。地面が断続的にはじける。弾丸のような速度で飛び回り、雪縞の虎にも追えていない。
そしてある一瞬。虎の頭上にその姿が。
打ち出されるのはビーチボールほどの雨粒。そして赤熱した拳。同時に水穂が声を放つ。
「河原端燕台六鏡折り」
瞬間。雪縞の虎を囲む6枚の平面。東西、南北、天地方向を囲む四角。太陽雨は大きく跳び、雪縞の虎の姿が消える。
すべての音と影が消え、立方体の形に空間が歪むのが見える。
波動があふれる。
そうとしか言えぬ力の高まり。光でも衝撃でもないエネルギーの奔流が箱の内側にある。
太陽雨が水穂の隣に。その手足は蒸気を上げており、彼女だけに雨が降っていた。
「これワープの折り紙だね。それを6枚同時に出したの?」
「そう……四方と天地方向に循環する結界。膨張する水蒸気と熱はどこにも逃げ場がない。中はかなりの気圧になってるはず」
持続はわずかに数秒。鏡とも門ともつかないものが形を失い、内部から高熱の水蒸気があふれて天に昇っていく。
虎はもはや、どこにもいない。
「おっけー、うまくできたね」
「太陽雨ちゃん。ほんとに強いね。力も器用に使えてるし」
「えへへ、もっと頼りにしていいよー」
「いいコンビじゃないの」
視点はタツガシラへと移る。瑛子は一度伸びをして、肩から白衣をするりと落とした。
「ミスターノーゼット。あとは任せます」
「了解しました」
「草苅さん、帰るわよ」
「え、帰るって」
「下宿まで送っていくわ。私もカスタネットのレジ仕舞いがあるし」
ふと背後の気配が無くなってることに気付く。振り向くと誰もいない。黒現はすでにこの場に用はないようだ。
紙くずの散乱した廊下を歩く。REVOLVEが休止して以来、掃除は行き届いていない。
「結局いまの作戦って何だったんです? 太陽雨ちゃんと水穂ちゃんの実力をテストしただけですか?」
「草苅さん、戦いぶりを見てたでしょ。太陽雨は能力を二つ持っている。太陽、つまり光と熱を操る力と、雨を降らせる力とでも言えばいいのかしら。蝶を水滴で打ち落としたり、熱くなった自分の体を雨で冷やしたりね」
「そうですね、ずいぶん器用だなあと」
「能力を二つ持つ……それはいわゆる能力者、人間の異常存在の中でも隔絶した存在だと語った人物がいたの」
「枯滝路さんですか?」
意識して名前を出したわけではないが、瑛子は一瞬、苦々しい顔を廊下の隅に投げる。
「そうよ。そして枯滝路はこうも言った。我々はけしてそのような存在に出会うことはないだろうと。それは世界の階層が異なってるからだと」
「レイヤー……」
「普通の人間は異常存在には出会わない。一生出会わないまま、この世界には不思議なことなど何もないと確信したまま死んでいく。REVOLVEが排除していたというだけではない。本当に無縁なの。いつの頃からか、世界は不思議なものを拒絶し、根乃己のような限られた場所にだけ現れるようになった」
地上に出る。タツガシラ電波観測所の駐車場はあまり整備されておらず、石なども転がっている。一般の村人にここが現役の施設ではないと思わせるためもあって、以前からあまり綺麗ではない。
瑛子はスポーツカーに乗り込み、草苅は助手席に。革手袋をはめるぎしりという音が響く。
「あの太陽雨は、私たちREVOLVEすら出会わなかった上位存在の可能性がある。アメリカの本部はそう考えたの」
「アメリカが? 太陽雨ちゃんが生まれてから半日しか経ってないですよ」
「優秀なのよ。優秀すぎて表に出てこないの。面倒ごとは全部こっちに押しつけてる」
「アメリカは何を狙ってるんですか? 黒現さんたちを排除して、またファーストコンタクトをやり直す気ですか」
深夜というほどの時刻ではないが、根乃己の峠道は車がない。峠を越えれば日吉町があるはずなのに、以前からあまり人の往来はない。あるいはこれも結界の名残だろうか、と草苅は思う。
「アメリカからの指示はこうよ。太陽雨が抗異化因子存在となりうるか確認せよ。抗異化因子存在ならばこれを確保せよ」
「その先は?」
「指示はされてないけど、最終的には個体名、黒現の属する流れの者の排除でしょうね。すでに地球はファーストコンタクトを迎えたけど、君臨者を選べるならば選びたい、選ぶ側でいたい、そういう連中なのよ」
「その先は?」
車のギアが高速に変わる。
山を出て道が平坦になったからだろうか。草苅が横を見ると、瑛子の視線と一瞬、絡み合う。
「あなた実は優秀なのかしら」
「え? なんか言いました?」
「その先なんかないわよ! 今は太陽雨の力を見極める、それで手一杯!」
「わかりました! あと安全運転で!」
「草苅さん。この件について取材したいなら伝城資料館に行きなさい」
「伝城資料館?」
「そうよ。そもそも根乃己とはどういう村なのか。GHQがこの地にREVOLVEを作る前から異常と戦い続けてきた土地。その記録を封じてる場所。そこには封宮存在も眠っている。水穂と太陽雨を連れて行ってくるといいわ」
「それもアメリカの指示ですか?」
「さあね」
「……根乃己ってまだまだ深みがありますよね。面白い村ですよ」
「面白いわよ。agoleとアーグルトン、それと根乃己で世界の面白いものを独占してるからね」
夜は深まっていく。
夜は沈黙の世界、何も見通せず、何者に出会うか定かではない時間。
今が夜の時代ならば、それはいつ明けるのだろう。
そう考えたのは枯滝瑛子か、あるいは草苅真未か。




