外伝・第七話
「では次の質問だ、ミチ・カレダキ」
問いかけるのは白髪の老人。その瞳は哲理の緑。組み合わされた手は研鑽の古木。
「あなたは折り紙を無から出しているように見える。それは体のどこかに隠しているのか、それとも距離を無視して取り寄せているのか」
「櫃戈能です。倍数と手のひらのすき間から出すことができます。これは収納というより、勾配から分離させています」
「あなたは折り紙を行使するときにその折り方を発声している。それは技術の行使に必要なことなのか」
「名を呼ばれないものは無為となります。紙を折ったものは存在の連想系が不安定なのです。舌下と経緯が紐づいている場合もあります」
「濡れた紙や、薬品で腐食した紙で技術を行使したこともあるが、折り紙の状態や品質は技に関係するのか」
「ある程度は重用の帰還連続性。紙と呼べないような低質のものでは名前が漏水する。しかしそれらを折り紙に戻す方法はいくつかあります」
質問は昨日と全く同じ。淡々と問いかけ、何かを掘り下げるような質問はしない。この老人が踏み込んでいるのは表層のみ。それ以上は人類の領分ではないとわきまえている。
質問はごくシンプルなプロフィールについてのことや、政治的傾向や道徳意識について、折り紙の技について、彼とREVOLVEの関係性について。
REVOLVEが擁する賢人の一人。無数の異常存在を見てきた老人は、昨日と同じ質問を何も見ずに繰り返す。
「では、あなたが出会ってきた異能者の中で、特に危険だと思った人物、あるいは危険な能力者の傾向について教えてほしい」
「それは、能力を二つ持っている人物」
昨日と同じ答え、それは間違いない。質問者は同じ言葉を繰り返す。
「能力を二つ持っている人物が、なぜ危険なのかね」
「それは我々とは階層が違うからです。彼らは歪みのさらに先にいる。それを形容できる言葉は私も持っていない。私は敵対したくないし、出会いたくもない」
この受け答えは印象に残っている。彼が非常に分かりやすい言葉で話したからだ。それまで使っていた抽象とも造語ともつかない独特の言い回しが、この質問に対しては使われない。 彼自身が、それを正確に言おうとする言葉を持っていないのか。
「あなたも複数の能力を使っているように見える。折り紙の技は一つ一つが異常存在ではないのか」
「それは違います。私は折り紙という事象に異常存在を当てはめているだけ。そして私には折り紙しかできない。手から火を出すことはできません」
「しかし、折り紙で作った燃える鳥を飛ばすことはできる」
「そうです。それは火炎放射機で炎を飛ばすことに似ている。折り紙は私にとって事象の体系です。一般に、科学がそうであるように」
この時間の主目的は、枯滝路という人物が誠実に回答しているかを確かめることにある。だから数日に渡って同じ質問を繰り返している。彼が同じ質問に同じように答えることを確かめる、それだけが目的。
能力を二つ持つ。
質問者は、REVOLVEの博士は、質問のシナリオを変更することにした。少しだけ、この質問を掘り下げようと。
「REVOLVEが扱う異常存在には人間も多い。彼らは時に世界線の向こうに排除されたり、あるいは囚人として幽閉されたり、ごく少数ながら協力者として契約を交わすこともある。その中には、能力を二つ持っていると思える人物もいるが」
「いいえ、あなた方は出会ったことがないと思います」
「そうだろうか。我々の認識とあなたの認識に齟齬があるようだ。あなたにとって能力を二つ持つ人物とはどのようなものだろうか」
「それは奇異の向こう側、鏡像の彼方、我々にとって妖怪や魔魅と思えるものがさらに畏れるべき何かであり……」
質問は続く。
老人は、この回答を真の意味では理解できないと分かっている。相手は自分たちとは次元が違うとわきまえている。
その中で、わずかな興味だけがある。
この人物ですら、畏れるべき何かがあることに。
※
「ちょっと、でかすぎない」
雪縞の虎。それは大型トラックなみと思われる巨体。銀に近い白と漆黒がまだらに混ざり合う。
虎にはしなやかで身の軽い獣という印象があるが、この大きさのままに素早く動くとすれば、人間などひとたまりもない。
「水穂、こんどは水穂がやってみてよ」
「うん……」
水穂は物怖じせず前に出る。太陽雨が白いワンピース姿なためか、水穂は色を落とした暗灰色のワンピースを着ている。束ねた髪から引き抜かれた折り紙を持つ。それは白く浮き上がって見える。
「ちょっと水穂ちゃん、ここまで来といて何だけどマジで大丈夫なの」
「大丈夫だよ草苅さん。このぐらいの獣なら」
雪縞の虎が身を沈める。それでもまだ見上げるほどの大きさ。前脚が数十キロほど土をえぐり、一気に飛びかかろうと。
「机貨拘骨折り」
瞬間。白い折り紙が槍のように伸びる。折れ曲がり枝分かれし、全体が回転しつつ巨大な虎に巻き付く。光条のように速い。
虎がうなる瞬間には完成している。その胴体を挟み込む形で降り立つのは白い椅子。家一つをまたげるほどに大きい。
さらに数個の椅子が虚空から生まれ、虎の前肢後肢を、首と尾を挟み込みつつ地面に突き刺さる。
さらに複数。椅子の背もたれの部分に絡みついて互いを拘束。虎を縫い止めて構成されるジャングルジム。すべて形成されるまで二秒ほど。
「うわ、すっご……」
草苅もあっけに取られる。この虎を拘束できる椅子の巨大さと、一瞬で地面に突き刺さった速度は並大抵ではない。
「わあ、これって椅子の王だね。夏に見たやつだ」
「太陽雨ちゃん、覚えてるの? これに遭遇したのは晴南と美雨だけど」
「もちろん知ってるよ。そっかそっか、今まで見てきた異常存在を折り紙にできるんだね」
「うん、あとはお父さんに教えてもらったやつで、簡単なのをいくつか……」
ぎいい、と音がする。
旋盤が金属を削るような音。それが数十。虎を閉じ込める大量の椅子がすさまじい音を鳴らす。
「! あれって」
気付く。銀の毛並みがざわめいている。金属音はその体毛と椅子の接触により生まれている。
その毛並みと思われたものは、太く鋭いエナメル質の光沢。まごうことなく牙である。音の重奏が押し寄せる。
縞模様の虎と思われたものは、そうではない。
この獣は、白い部分がすべて牙であり、黒い部分は口腔となっている。
その構造が理解できない。だが間違いなくすべて牙だ。この虎は全身が牙を生やした口の裂け目で埋め尽くされているのだ。
「あれって……」
「うわキモっ、あんまり直視したくないなあ」
椅子が砕かれ、飲み込まれる。木製のものもスチール製のパイプ椅子も、溶岩に触れた氷のように一気に砕かれ、形象を失う。
「うひゃ、すっご、全身削岩機かチェーンソーみたいな構造なんだね」
「椅子じゃ拘束しきれない。もっと頑丈なやつを出さないと……」
「水穂、今度は私の番!」
太陽雨が言う。腰を落として足を前後に開く構え。すると全身がにぶく光り、一瞬後に白い爆発。水穂と草苅を白い波が包み、熱気によってそれが水蒸気だと分かる。
「これって、熱」
「ふんっ!」
太陽雨の姿が消える。瞬間。雪縞の虎が1メートル近くも浮き上がりつつ吹き飛ばされる。
背後には大師杉。飛行機が衝突するような音。
「ふふん、人間がパンチ一発で消費する熱量は0.2カロリーぐらい。4000キロカロリーの熱量で打つとこのぐらい吹っ飛ーぶ」
雨が降り注ぐ。
きわめて局所的に、つまり太陽雨の右拳だけに降っている。焼けた鉄に水をかけるような音。それは比喩ではなく、本当にそれほどに熱を持っているのだろう。
虎の身体が変容する。
全身が液体のように伸びる。鎖で構成されていた獣がいるとして、鎖がほどかれるような眺め。
それは数万本の牙を並べた長大な口。鞭のように伸びて太陽雨の手をかすめる。とっさに上げた手に大量の火花が散る。
一撃が通り過ぎるとワンピースの袖がぼろぼろになっており、それを肩口から裂いて捨てる。
「うーんすごい、何度も受けるとやばいなあ」
「太陽雨ちゃん。肉弾戦で勝てるの」
「わっかんない。この虎さん内臓とか筋肉とかあるのかな。ついでに言うと牙を折ってもすぐ生えてくるみたい」
「ちょっと待ってて、もっと協力な檻を出すから」
「うん、とりあえず牽制だね」
その様子を遠巻きに見る人物。
草苅記者は二人の戦いぶりに舌を巻く。
「二人ともすごい……特に水穂ちゃん、いつの間にあそこまで」
ふと脇を見れば、遠くに鉄のフレームで作られた人型。パワーローダーの残骸がいくつか転がっている。
搭乗者はいない。姿を消している。
「……やっぱり」
何が起きているのか分かってきた。
そもそも、いくら異能を持つとはいえ、あの二人がなぜ雪縞の虎と戦っているのか。なぜ枯滝瑛子は、他の機動部隊は姿を見せないのか。
天竺夜蝶と雪縞の虎はなぜ現れたのか。
「……確かめないとね」
周囲には高温の霧が立ち込めている。草苅記者は霧の中に踏み込み、その場から離れる。
背後からは熱波と霧まじりの風が吹き付けてくる。大岩で大岩を打つような打撃音も。それらは百歩も歩くうちに遠くなり、そして周囲は暗がりになる。
急ぎ足になる。ここからならタツガシラの電波観測所は近い、走れば15分で行けるだろう。
「えーっと、タツガシラの地下指令所って加伏山道からの入り口もあるのよね。私が最初に通ったやつ。16桁のマスターコードが必要で……」
「そのルートは対策されているでしょうな」
声がかかる。草苅はゆるりと振り向く。伝統も数少ない根乃己の山道で、黒い雲水姿の人物がぼうっと浮かび上がる。
「あなたの持つ天運とやらも素晴らしい異能ですが、運任せで二度も侵入を許す組織ではないでしょう」
「黒現さん。あなたは何が起きてるか把握できてる?」
「無論」
「タツガシラに行きたいの、あなたワープとかできないの?」
「それは不法侵入になりますな。我々はそのような荒事を望みません」
「じゃあ、あなたは何が起きてるか把握できてない」
ぴく、と僧の眉根が動く。開くか開かないかの目が若い記者を見ている。
「あなたは多少、荒っぽかろうがタツガシラに行くべき。この事態はたぶん、あなたたちの排除を最終目的にしている」
「草苅様、私とあなた様で見解の相違がありますな。我々はそう簡単には排除できない。そして地球の方々が我々を受け入れるかどうかは、もはやREVOLVEという組織が決めることではない」
「本当にそう思っているなら、今夜ここには来ていない」
雲水の口元が硬く結ばれるのが分かる。草苅は、あるいは地球人類は初めてこの人物の不機嫌というものを目撃した。
「つまり、あなたは事態をきちんと把握している。その上で否定したくてたまらない。未開なサルと見下していた地球人に、自分たちが排除されるだなんて思いたくないのね」
「心外です。我々は地球の皆様と対等であると」
「対等と言うなら腹を割って付き合うべきでしょ。こそこそ動いてるのを知ってて何もしないのは誠実じゃないわ。排除されたくないなら止めるべきでしょう」
雲水は、そこでしばし沈黙する。
この人物がどれほどの速度で思考しているかは誰にも分からない。地球人の尺度を遥かに超えるほどなのか、その思考は地球の言語に還元できるものなのか。
それとも、彼らは持てる技術こそ凄まじいが、個体としては草苅のような地球人類と大差ないのか。草苅記者はそこまでは考えていないが、黒現という人物を特別な、神のような存在とは思っていない、それは確かだった。
黒現は目を伏せ、静かに首を振った。その様子は、草苅から見れば折れたように見えた。
「私は、できうるならば地球の皆様と戦いたくない、それは真実です」
「そう思いたいわ」
「だから面倒事にも付き合うべきでしょうな。私の手を取ってください」
手を取る。
瞬間。周囲は白い空間に変わる。
階段状になっている管制室。アポロ・ミッション・コントロールセンターを模倣したアナクロな造り。
白衣の職員たちがいる。以前見た時より数を減らしたような気がする。腰に銃を帯び、それに手を添えている者もいる。
枯滝瑛子は。
REVOLVEの支部長である人物は、やはり白衣姿で管制室の中央にいた。黒現と草苅は数メートル離れた場所に立っている。
「草苅さん。勝手に入ってきちゃダメよ」
「瑛子さん。水穂ちゃんと太陽雨ちゃんが戦ってるのよ。大人がこんなとこでのんびりしてていいの」
「心配しなくても、雪縞の虎はあの二人を殺したりしないわ」
やはりそうか、と。草苅はほぞを噛んで苦々しい顔になる。嫌な予想ばかりよく当たる。雑誌編集部にいたときから自覚があった。
「あれは異常存在なの? それとも超常存在?」
「封宮存在」
「REVOLVEの武器となる異常存在。雪縞の虎はそういうものなの」




