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カスタネットへようこそ  作者: MUMU
外伝 第一章 雨降りキネマと太陽メガホン
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外伝・第四話



布に指を走らせるような、柔らかな音の中で目覚める。


カウンターにいる自分を認識する。ここはカスタネットの店内、自分は店長の枯滝瑛子、今は店に客はいない、油断して寝入ってしまったようだ、流れるような認識が数秒のこと。


このところ油断があると感じる。REVOLVEが活動を止めているからだろう。より正確に言うなら意図的に油断しようと・・・・している。


匂いがある。雨の匂い。土が煮えるような、あらゆる微生物が活発になる匂い。だが曇天の光ではない。開いた縁側から陽光が差し込んでいる。


カウンターを出て縁側へ。直上に太陽があり、雨粒が土を湿らせている。天気雨だ。


「天気雨……これじゃお客さんも来ないかな。映画祭の選定会議もあるし」


奇妙な落ち着きがある。陽光と雨の匂いの重奏に意識が没入していく。雨をじっと眺めるのは珍しいことだ。


――天気雨のことを狐の嫁入りと言いますが、ある国では虎の結婚であったり、羊の結婚であったり、悪魔の結婚であったりします。そのような伝承は世界中にあるようです。


それは誰の声だろうか。心の中だけで響く声だ。かつての大人しいバイトのようでもあるし、消息不明の夫の声のようにも思える。


――奇妙な眺めが奇妙なことを連想する。それは魂の揺らぎなのです。説明のつかない状況は、彼岸と此岸の境目が揺らぐ時なのです。


「いいえ……天気雨は雨が風に流されただけ。あるいは雨粒が落ちる前に雲が消えてしまっただけのこと。何も異常ではない」


瑛子は独り言をつぶやく。つぶやくことで自己の立ち位置を決める。


――夕闇の訪れる時刻、がれどきにはものの形がよく分からず、怪異に会うと言われます。説明のつかない銀河系の挙動は、暗黒物質という未知の存在を示唆している。


――人はそれを科学に当てはめる。理解して納得しようとする。それは科学という枠に押し込んでいるだけに過ぎません。


――現に、誰もあのREVOLVEの挙動を説明できなかった。異常存在を制御することなどできなかった。


「科学で説明できないことはないのよ。異常存在は、我々がまだ知らない科学というだけのこと」


声は硬さを帯びている。幻聴のような夢想のような声はだんだんと小さくなり、そして雨音にまぎれて消えた。


天気雨はまだ続いている。

晴れわたる世界と降りしきる雨、その眺めに、瑛子は心がざわめくのを覚えた。



「水穂……」





水穂が温室の扉を開けたとき、中からむっとする熱気と湿気が流れ出す。


内部は熱帯性の大木で埋め尽くされ、足元には極彩色の花が咲いている。そして感覚として分かる。この部屋もまた途轍もなく広大であると。


「晴南、美雨、どこ?」

「ここだよー」


声が左右から聞こえた。二人は黄色いレインコートを着ている。フードを下ろして短めの髪を見せる。


「ようやくできたよ。これから映写会」

「はっきり言って完ぺき。水穂も見ていきなよ」


晴南はメガホンを持っていたが、美雨は何も持っていない。二人が温室を出て、水穂はその後を追う。


「二人とも、この温室にどのぐらいいたの?」

「さー? ちょっと数え切れないぐらい長くかな」

「何しろ植物さんが映画を発明するまでだからねえ」


水穂はきゅっと唇を噛む。ほんの数分目を離しただけなのに、またしても長い時間が流れている。人間の精神では想像がつかないほどに。


「……どんな映画なの?」

「植物が進化するまでのお話。あの温室では動物も虫も魚も、恐竜も知的存在にならないのね」

「植物だけが進化してやがて知性を身につける。そして文化を持ったりするわけ、植物の音楽とか植物の絵画」

「そんで植物の映画」


映写室に入る。そこは試写のための部屋のようだ。ほんの30席ほどしかない小規模なもので、座席も階段状になっていないフラットな造りである。


「プラちゃーん、どこー?」

「映画できたから上映するよー」

「ここにおります」


最前列中央にプラタナスの鉢植えがある。映写機は映写室の後方にあり、美雨がアナログフィルムをセットしている。


「んじゃ上映するよー、これなら満足できるっしょ」


映写室の照明が落ち、映写機がカタカタとミシンのような音を立て、振動し、白熱電球のような黄色みがかった光がスクリーンを照らす。


フィルムには細かな縦線が入っている。水穂はそっと美雨のほうに近づく。


「……レトロ調の映画なの?」

「ううん。普通にフィルム劣化してんの。撮影するだけで数百年かかってっからね」

「正確にはうちらが撮ったわけじゃないけどね。あの温室で植物さん達が撮ったの」


晴南もやってきて、二人に挟まれる格好になる。

白熱光は妙に強い。前方のスクリーンをこうこうと照らし出し、何が映写されているのかよく見えない。カタカタという駆動音も非常に大きい。


「植物が進化するって、そんな都合よくいくの?」

「行くよ。この映画館はなんでも出せるわけじゃないの。望むことがなんでも起きるの。正確に言うとそういう世界を一から作れるの」

「火が冷たい世界とか、滝が下から上に落ちる世界も作れるの。ここってそういう場所なんだよね」

「そう、うちらは植物が進化する世界を作って、映画を作れるようになるまで待つだけ」

「植物さんたちびっくりしてたよ。見たことないサルが映画もらいに来たんだから」


映画は続いている。

光量はもはや映写室のすべてを白く染め上げるほど。


「これで……出られるのかな」

「うん、たぶんね」

「わかってみれば簡単だったよ。プラタナスさんはね、お仲間が欲しかったの」

「お仲間?」


「おお」


声がする。プラタナスが感嘆の声を上げたのだと分かった。


「よくここまでのものを作っていただきました。間違いなく、これこそ私の求めていたものです」

「よかったねえ」

「うんうん、めでたしだね」


二人は前列の方に移動する。一瞬だけ、光を遮る二人の影が見えた。


「水穂どの」


黒現が意識に浮上する。彼はずっと近くにいたようでもあるし、今この瞬間に現れたようでもある。意識に上らないのはかつてのカスタネットのバイトにも似ている。


「黒現さん……これで事態は終わりなのかな」

「ええ、そのようです」

「でも、どうして……」


水穂は疑問に思う。

おそらく、晴南と美雨の主観時間では星が生まれて消えるほどの時間が経過している。それだけの時間をかけて、なぜ映画を作らせる必要があったのか。


「なぜ、プラタナスさんは自分で作らなかったの……」


「水穂、それは自制ってやつだね」


晴南の言葉が届く。二人はスクリーンの近くにいて、映写機があまりに明るいため姿がよく見えない。


「自制……」

「プラちゃんね、自分で映画を作ることもできたんだよ。ちょっとだけ進化すればね」

「でもそれって、自分と同格のやつは産めないよね。つくる人とつくられた人の差だね」

「それに、進化はできてもその逆はとっても難しいの。進化しすぎてしまうと、同格を求めるキモチまで不要になるかもしれない」

「だから人間にやってもらったのね」

「仲間が……欲しかったってこと? でもそれは映画……」

「大した問題じゃないらしいよ。プラちゃんにとって映画の中と外って大した違いじゃないし」

「虚実の逆転なんだよ水穂。映画があるってことは現実にそれは撮影できる。存在しうるってことなんだよね。手から火を出す超能力者は現実にいるかも知れない。でも映画にできない存在は実在する可能性すらない。そういう理屈」

「この映画館ではそれが曖昧になってる。何でも作れるし何でも撮れる。そして映画があるならそれは実在する」


二人のどこか達観した様子に胸騒ぎを覚える。これで事態は終わりのはずなのに、不安が去ってくれない。


「水穂どの」


また黒現が話しかける。今度はいくぶん声を抑えている。


「どうしたの」

「映画が現実になる。映画の中と外に差がなくなる。その場合、この星に何が起きると思われますか」

「……星の歴史が書き換えられる。この星では猿が人間に進化することはなくて、知性を獲得したプラタナスが種の覇権を握る。それが最悪のシナリオ……」

「いいえ、それはありません」


黒現は静かに、しかしきっぱりと答える。その反応に水穂は少し戸惑う。


「……」


いぶかしむ目を作りつつ考える。黒現は自分を試しているのか、それとも黒現自身がどう動くべきか占おうとしているのか。


「……そういうことは以前は起きなかった。REVOLVEの職員が止めてたから。そして異常存在としてのREVOLVEで「なかったこと」にした」


そして連想する。REVOLVEでも消すことのできない異常存在のことを。


「そう……お父さんがいる。超常存在シグナルレッド抗異化因子存在レジストナーのお父さんは存在を「なかったこと」にすることができない。プラタナスが全地球規模の異常現象を起こしても、必ずお父さんが止める」

「そうです。我々はその御仁について耳にしましたが、我々ですらその御仁がどこにいるか分からない。ある意味ではこの星を守っている存在」


そこで数珠を取り出し、片手に持ってじゃらりと鳴らす。


「あるいはそれは太古の昔からあったのでしょう。この星は幾度となく摂理の外側からの来訪者を迎え、それらはその時々に生きていた抵抗者によって排除された。れは妖怪とか魔物とか、神と呼ばれる概念でしょうか。あるいはいくつかは受け入れられ、人の世界を変えてきたかもしれない」


上映は続いている。映写機がメガホン型の光を放ちながらからからと音を鳴らし、空気中のチリが光の中で踊る。


スクリーンにはプラタナスがひとつ。鉢植えのままで広大な森にいる。この映写室には、おそらくもう鉢植えは無いのだろうと思えた。


「REVOLVEというシステムはあまりにも徹底していた。人の理解の及ばざるすべてを排除してしまったのです。ごく少数の神さびた存在の他には何も残らなかった。かつてこの星に起きた大いなる戦争の直後、科学と信仰が乖離した。かくて人は幽明ゆうめいさかいを失い、科学のみが世界の真実となった。それは利便性のためでしょうか。再現性があり、数式に起こしやすい科学は世界を統べる法則として都合が良かった。しかし我々のように、時空間や自由電子を制御するのは難しそうですが」

「……黒現さん、何を言っているの。何が言いたいの」


「我々は、己に理解できない器物を求めている」


黒現は言う。顔は上を向いており、尖った顎と、彫りの深い横顔が見える。水穂にというより天の高みにいる誰かに語りかけるような。


「しかしそこに自制がある。我々にとって異常存在は通貨であり、それ以上でも以下でもない。異常存在から新たなる物理法則を読み解き、利用しようとすればいつか破滅を招く。我々はそれを知っている。だから自制しているのですよ」

「……ずいぶんよく喋るんだね。地球の誰も、あなたからそれだけの長台詞を聞いたことはないよ」

「水穂どの、あなたが受け入れてくれたから、いま私はここにいる。それに恩義を感じているのですよ。だから一言だけ忠告いたしましょう」

「……忠告」

「変化とは、根源的にすべて取り返・・・しがつかない・・・・・・のです。あなたがかつて決断したこと、それは誰かがいつか、必ず決断せねばならなかった。だからあなたが背負い込む必要はありません。万物すべて流転せざるは無し。しかしてそこに自制あり。お分かりですか、プラタナスは高位の存在であっても全能ではない。進化の果てに全能になることを拒んだのです」

「……! じゃあ、それをあの二人に」

「変化とはどこまで受け入れるかの問題であって、変化のすべてを拒絶してはならない。それだけは、ゆめゆめお忘れなきよう」


「水穂」


はっと、振り向く。光の中から声がする。


その声を聞いた瞬間、水穂の全身が総毛立つ。


すべてを理解した。


あるいは理解よりも先に肉体が反応した。超えてはならない一線を踏み越えた感覚。同時に水穂の理性が肉体を制御しようとする。息を呑み込み、驚愕に支配されかける精神を意志の力で押さえつける。


歩み出る。光の中から。フィルムは終焉を迎え、ドラムからはみ出した切れ端がからからと回転する。光量は落ちたが視界の中心が暗い、網膜の残像が強く残っている。


陽光が意識される。


いつの間にか映画館は消えている。看板で作られた階段も、プラタナスの鉢植えもどこにもない。


ただ、雨の匂いが。

晴れ渡る空の下で、土の道は、周りの田は湿っている。雨が通り過ぎたあとの独特の匂いが、陽光によって水蒸気が立ち上る気配が。


水穂の手を取るのは細い腕、白磁器のように白く、細い腕。見つめるのは黄金の髪の少女。


色素が薄い、着ているのは白一色のワンピース。どんな色にも染まっていないと示すかのよう。足取りは空気のように軽い。


そして、瞳は。


赤とも、青ともつかない。左右で色が異なっているが、どちらが赤でどちらが青なのか、水穂には左右が認識できない。瞳だけに左右盲が起きているかのように、ただ赤と青が同時にあるとだけ認識できる。


「晴南、美雨」


呼びかける。呼びかけることに意味があると信じて。


そして黄金の髪の少女は。

はにかむように笑い、ふるふると首を振った。




「私は、太陽雨ティダ・アミ



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