暑い時期くらいは、平穏な朝であってほしいので、平穏な朝を迎えようと思います。
サンルーム内に差し込む日光に対抗するかのように婚約書か光った。
「成立……してしまった、ではないか……。」
そう言ってトキシックは自信と自惚れに満ちた顔を変えて膝から崩れ落ちる。
―――どうやらお守りのつもりで持ってきていた婚約書にサインしたため、本命のソル様と対面することすらなく、婚約が成立したみたいだ。
お久しぶりです!7話、楽しんでいってください
婚約成立とでも言いたげな光が波のように引き、最後に残った残光さえも婚約書に吸い込まれるかのごとく消えていった。
その瞬間、私は胸中で冷ややかに確信する。
――これで、この男はもう私に指一本触れられない、と。
暖かで、煌びやかなサンルーム。
それに似合わない重苦しい沈黙が流れた。
「――ルナ!」
突如、名前を呼ばれた。
沈黙を切り裂いた声の主が一瞬で誰なのかわかった。
――兄だ。
「嫌な予感がしたんだ、それに、神気の光を感じて……!」
「お兄様、わざわざおいでくださったのですね。」
兄は私の元へと駆け出し、トキシックから私を引き離すように背中に庇った。
「何が起きたのかは、大概予想がつく。これ以上、ルナに触れることは許さない。」
光が消えた瞬間から放心状態で、口をポカンと開けたままのトキシックとそのメイドに、兄は鋭い声を突きつけた。
「今日は、この辺でお暇しますね。それでは、ご機嫌よう。」
そう言って、私は兄の背中をそっと押して、側付きのメイドを伴ってサンルームを後にする。
ああ、帰るには惜しい。
もう少し、あの滑稽な顔を眺めながらお茶を頂けたのなら……。
――数ヶ月後。
暖かだった外の空気と一変して、肌を焦がすような暑さを帯びる時期になっていた。
そう、夏だ。八月だ。
そういえば、あのポイズン家といえば、この容赦のない暑さに加え雨にも恵まれず、農作物は全滅したらしい。
あれよあれよという間に領地を失い、貴族の地位さえも剥ぎ取られたそうだ。
「ざまあ」
夏の夜空に振り撒かれた星々を窓辺から眺めながら私は誰にも聞こえないほど小さく、ぽつりとつぶやく。
本当に、この一言に尽きる。
あの滑稽な姿を思い出すだけで、口角が上がってしまうのだ。
心地よい眠気に促されて、私はベッドへ向かった。
「お休みなさいませ。」
側付きのメイドの声を最後に、私は眠りについた。
※※※
いつかの記憶―――。
「お父さん、お母さん。私、この高校に行きたいです。」
英語の教育水準が高いことで有名な私立高校のパンフレット。
それをダイニングテーブルの向かいに座る両親に差し出す。
「何を言っている。無論、だめに決まっているだろう
。」
パンフレットに目を通すことすらせず、父は冷淡に告げた。
「そうよ、こんな私立の高校に、あなたを通わせられるわけがないじゃない。大人しく公立にしなさい。」
すでにアルコールの入った母も、パンフレットを流し見るだけで、取り合おうともせずに吐き捨てる。
ああ、まただ。いい加減、嫌でもわかる。
世間で綺麗事のように囁かれる、「子どもは宝物」という価値観。
――それが我が家には存在しないことくらい、とっくに知っていた。
「そんなことより、まだB判定でしょ?中三になったのだから、自分で勉強くらいしなさいよ。なんでそんなに、のうのうとしていられるの?ご飯を食べたのだから、早く勉強に戻りなさい。」
「はい。わかっています。」
そう返して、階段を上った先の自室へと戻る。
※※※
私は、上半身を勢い良く起こした。
「……っ、はぁ……っ。」
ああ、夢か。
そう気付いてほっとしたはずなのに、激しく打つ脈拍も、荒くなった呼吸の速度もそう簡単には戻ってくれない。
遮光カーテンの隙間から漏れ出す朝の光。それを肌に感じながら、私は今度こそ、新しい一日の訪れを受け入れた。
コンコンコン、と控えめなノックの音が静かな寝室に響く。
「お嬢様、お目覚めでしょうか。お着替えをお持ちいたしました。」
ドアの向こうから聞こえたのは、昨晩、眠りにつく前に耳にした側付きのメイドの声だった。
その聞き慣れた落ち着いた声が、私の荒れていた呼吸をすっと凪がせていく。
「ええ、入ってちょうだい。」
いつもの足取りで部屋に入り、カーテンを開けたメイドは私の元へ来た。
朝の陽光が部屋いっぱいに広がる中、彼女は私の顔を覗き込む。
「ルナ様、体調が優れませんか?」
「ええ、大丈夫よ。少し嫌な夢を見ただけよ。」
「左様でしたか。体調が優れませんでしたら、いつでもお申し付けくださいね。」
「ありがとう。でも本当に平気だから、お着替えをお願いするわ。」
メイドはほっとしたように微笑むと、手際よく私に夏の薄手のドレスを着せ付け、緩やかなウェーブのかかった髪を丁寧に梳かしていく。
鏡に映る私は、前世のあの暗い部屋にいた私ではない。誰にも脅かされない地位と、自ら勝ち取った確かな未来を持つ、十歳の公爵令嬢だ。
身支度を終えた私は、メイドを伴って長い廊下を歩き、食堂へと向かった。
重厚な扉が開かれた瞬間、私の姿を認めた人物が、ぱっと表情を輝かせて席を立つ。
「ルナ! おはよう。昨夜はよく眠れたかい?」
眩いほどの笑顔で駆け寄ってきたのは、あの日サンルームで私をトキシックから庇ってくれた、お兄様だった。
朝の光が差し込む広い食卓には、温かい料理がずらりと並んでいる。
「おはようございます、お兄様。」
私は心からの純粋な笑みを浮かべて、兄の挨拶に応えるのだった。
このまま何事もない平坦な日々が続けはいいのに。
第7話をお読みいただき、ありがとうございました!
なんだか平穏な雰囲気のまま終わった7話ですが、
一体この先どうなっていくのでしょうか。
少しでも
「おもしろい!」
「主人公の過去なんか気になる。」
と思っていただけたら、
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ぜひ、ルナのこれからを見届けてあげてください!
8話は2026/10/10の12:00に投稿予定です!
追記:誰も気づかないとは思いますが、タイトルを少し分かりやすく変更いたしました!
中身は変わりませんので、引き続き楽しんでいただけると嬉しいです




