005 今度の敵は、剣が効かない
バルガス撃退(蒸し)から十日。リーフェ村には、久々の平和が訪れていた。
朝はセレナの素振りの音で明け、昼はザガンが帳簿を整え、バルガスが畑を耕し(一振りで十畝)、聖鶏が卵を産んでは自慢し合う。ユイはクッションの上で茶を一服――する真似をする。赤ん坊なので、中身は白湯である。
「……平和だわ。そう、これよ。私が欲しかったのは、これなのよ」
その平和は、一羽の伝書鳩によって終わった。
「ユイ様! 大変です!」
ザガンが書状を掲げて転がり込んできた。片眼鏡が完全に曇っている。
「王都より通達! 『近隣にて観測されし光の柱、ならびに黄金の大地の風聞につき、王国査察官を派遣す。三日後に到着』――!」
「……査察?」
「税務調査です! 大地が純金なら、この村の資産価値は王国予算の約四百年分! 最悪、村は王家直轄領として接収、住民は移住、ついでに『軍団長を倒した勇者』は王軍に徴用されます!」
村に、悲鳴が走った。
ユイは白湯を、ずず、と一口飲んだ。それから静かに言った。
「……来たわね。魔族より厄介なのが」
「魔族より、ですか?」
「セレナ。魔族は正直よ。攻めてくるなら攻めてくると顔に書いてある。でも人間はね、笑顔で書状を持ってくるの。私、そういう相手と四十八年戦ってきたのよ」
赤ん坊の瞳が、すっと細くなった。安土の奥座敷の目だった。
「バルガス、あなたは出番なしよ。査察官を蒸したら戦争になるもの」
「残念だ……」
「残念がらないの」
◆ ◆ ◆
作戦会議が開かれた。議題は「三日で、この村を
『何もない普通の村』に戻す」。
「まず黄金の大地と宝石の森。これが諸悪の根源よ。……仕方ないわね」
ユイは広場に這い出て、地面にちょん、と触れた。
純金の大地は、さらさらと、森もただの木々に戻った。
「「「えええええ!? 戻せたんですか!?」」」
「ええ。最初から」
「なぜ今まで!?」
「だって皆、『祝福の大地』と呼んで喜んでいたじゃない。取り上げるのも悪いかと思って」
村人一同、複雑な顔で沈黙した。喜んでいたのは事実である。
「次、聖鶏。火を吹くのは論外よ。査察の間、普通の鶏のふりをしてもらうわ。……できる? あなたたち」
『『『任せろ』』』
こここ、と聖鶏たちが胸を張った。火さえ吹かなければ、見た目はほぼ鶏である。ほぼ。目つきが多少、猛禽なだけで。
「次、ザガンとバルガス。あなたたち、角があるのよ」
「た、確かに! 魔族が村にいたら、それだけで一大事……! 我が輩、三日間穴を掘って隠れます!」
「隠れなくていいわ。――旅の薬師と、その護衛。そういうことにしましょう。角は……そうね、大きめの帽子で」
「帽子で誤魔化せますかな、これ」
「誤魔化すのよ。堂々としていれば、人は案外疑わないもの。こそこそするから怪しまれるの」
「深い……!」
「最後に、私」
ユイは自分を指差した。
「喋る赤ん坊が、一番まずいわ。査察の間、私はただの赤ちゃんよ。……ふふ、実は少し楽しみなの。演じるのは得意なのよ。何十年も『物静かな奥方様』を演じてきたんだから」
◆ ◆ ◆
三日後。王国査察官、フォルテシモ=ゲッケイジュ子爵が到着した。
絹の外套、磨き上げた靴、そして値踏みするような細い目。従者六名を引き連れ、書類鞄を胸に抱いている。
「ふむ……黄金の大地と聞いて来てみれば、ただの土。光の柱の痕跡もなし……おかしいですねえ。報告と違いますねえ?」
「い、田舎ですので、噂に尾ひれがついたのかと」
村長が揉み手で応じる。子爵の目が、じろりと村を舐めた。
「では、あの妙に立派な鶏は?」
「こ、地鶏です! 自慢の!」
「あの、山のような大男は?」
「旅の薬師様の、護衛です!」
「……あの帽子の下、角が見える気がしますが」
「「「気のせいです!!」」」
村人の声が完璧に揃った。逆に怪しかった。
子爵は、ふん、と鼻を鳴らして歩き出し――広場のクッションの上の赤ん坊の前で、足を止めた。
「ほう。……赤ん坊」
(ただの赤ちゃんよ。ただの赤ちゃん。ばぶー、なのよ)
「聞けばこの近隣、『軍団長を倒した超級の勇者がいる』との噂。ですがこの村には、剣士の小娘が一人いるだけ。……妙ですねえ。噂の力の正体、いったいどこの誰なのでしょうねえ?」
子爵の細い目が、赤ん坊を覗き込む。値踏みする目。手柄を探す目。
(……ああ、この目。京の都で何百回も見たわ。手柄を探す小役人の目)
ユイは、にっこり笑って――子爵の鼻を、むぎゅっと掴んだ。
「ふぎゃ!?」
「あーうー、ばぶばぶ」
「は、鼻を、鼻を放しなさ……存外強い! この赤子、握力が!」
もちろん加減はしている。〇・〇〇〇〇一パーセントほどの。それでも子爵はじたばたともがき、従者たちは主の威厳のために見て見ぬふりをし、村人は必死で笑いを堪えた。
「……こほん。失礼。赤子に構っている場合ではない」
鼻を赤くした子爵は、それから半日、村を引っ掻き回した。帳簿を検め(ザガンの完璧な帳簿に非の打ち所なし)、蔵を開けさせ(芋しかない)、井戸を覗き(水しかない)、最後は苛立ちを隠さず言い放った。
「……何もない。何もない村だ。だが儂の勘は言っている、この村には何かあると。――おい、小娘」
子爵はセレナを指差した。
「貴様、剣士だな? 王命である。王都に出頭し、騎士団の査問を受けよ。例の軍団長の件、貴様が何か知っている――」
その時だった。
「――もし。査察官どの」
旅の薬師(帽子)が、静かに進み出た。ザガンである。
「その者、手前どもが雇った護衛にございます。契約書もございます。こちらを」
差し出された書類を、子爵はひったくるように読んだ。読むほどに、顔色が変わっていく。
「な……『護衛契約、雇い主はメディチ商会』……!? メディチといえば、王家の筆頭金庫番の……こ、この小娘、大商会のお抱えなのか!?」
「左様。ゆえに王軍への徴用には、商会との調整が必要かと。もっとも――」
薬師は、にこりと笑った。
「商会は、話の分かる査察官どのには、いつも感謝しているそうです。今後とも、実りある関係を、と」
書類の間から、金貨の袋がちらりと覗いた。
子爵は書類と袋を交互に見て、咳払いを一つした。
「……こほん。よろしい! 本官の査察の結論! この村に、課税すべき資産なし! 徴用すべき人材なし! 以上!」
王国査察団は、来た時の倍の速さで帰っていった。
◆ ◆ ◆
その夜。
「ザガン、あの契約書は何? メディチ商会なんて、いつの間に」
「はっ! 三日前、ユイ様の『人間は書状で攻めてくる』とのお言葉を受け、我が輩、演算いたしました。書状には書状。権威には権威。……で、商会には昨日、聖鶏の卵を独占卸しする契約を、本当に結んでまいりました。あの卵、王都で一個金貨一枚で売れます」
「……本物だったの、あの書類」
「我が輩、嘘の書類は作りません。事実の選び方が九割、とユイ様に教わりましたゆえ!」
ユイはぽかんとし、それから声を上げて笑った。前世を含めても、久しぶりの大笑いだった。
「あはは! いいわ、いいわザガン! あなた、本当に魔王軍にはもったいなかったわね!」
「勿体なきお言葉!」
笑いの輪の外で、セレナがしみじみと呟いた。
「……今回、誰も、一度も剣を抜きませんでしたね」
「そうよ、セレナ。それが一番良い戦。――剣で勝つのは二流。戦わずに勝つのが一流。そして」
ユイは白湯を、ずずっと飲んだ。
「戦いが起きたことにも気づかせないのが、美濃流よ」
◆ ◆ ◆
なお、この日ユイは一つ、新しい事実を知った。
夜、ミラが明細書を確認しに来たのである。
「ユイさん、条件を満たしたので十番が開示されました。――【隠形】。気配と存在感を完全に消せます。神々でも見つけられません」
「…………」
「ユイさん?」
「持っていたのね、そんな便利なものを。……ねえ女神様。私、今日まさにそれが欲しかったのだけれど。なぜ今日の昼、開示されなかったの?」
「開示条件が『自ら気配を殺そうと強く念じること』でして。ユイさん、査察官の鼻を掴んでましたよね」
「あわわわ! 私のせいだったの!?」
――以後、ユイは何度かこの特典を使おうと試みるが、そのたびに村人が「勇者様どこですかー!」と大声で探し回るため、ほとんど役に立たなかったという。
◆ ◆ ◆
数百年後の歴史書には、こう記されている。
――聖母、王国の魔手より村を守りし時、その武器は剣にあらず、槍にあらず。ただ一通の卵の契約書なりき。
「大筋で合っているのが、逆に悔しいわね」
歴史書というものは、いつだって少し大げさである。ただし卵の値段については、一切誇張がなかった。
お読みいただき、ありがとうございます。
プロローグを含めて、全部で15話のお話しです。
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