002 最強すぎて育児ができない件
翌朝、リーフェ村は前日の出来事で完全に祭りモードになっていた。
村人たちは黄金に変わった地面を「勇者様の祝福の大地」と呼び、火を吐く鶏たちを「聖鶏」と崇め、村長は腰痛が完治したせいで朝から元気に踊り狂っていた。
その中心で、ユイ=ノヒメ(生後三ヶ月)は、神器クッションに埋もれながら、天井を見つめていた。
「はぁ……目立たないように暮らすはずが、初日から祭りの主賓……」
養母となった村の若い女性・リリアが、恐る恐る近づいてくる。
「あの……ユイ様、お乳の時間です……」
「様はやめて。ただのユイでいいわ。……ところで昨日から気になっていたのだけれど、なぜあなた、五歩離れた場所から近づいてこないの」
「そ、その、昨日、軍団長様が消えるところを見てしまったので……」
「あれは敵だったからよ! 味方は消さないわ! 多分!」
「多分!?」
リリアは意を決して近づき、ユイを抱き上げようとした。その瞬間――
ビカッ!
ユイの身体が無意識に反応し、リリアの手前で光の膜が展開。リリアは優しく押し戻され、干し草の山にぽすんと着地した。
「ご、ごめんなさい! 今の、私じゃないの! 私の身体が勝手に! ……特典七番の【自動防御結界】ね。頭が教えてくれたわ。教えてくれたところでどうにもならないけど!」
「い、いえ……ふかふかの干し草でしたので……」
(……敵ならありがたいけれど、乳母まで弾いてどうするのよ! 私、お乳が飲めないと死ぬのよ!? 最強なのに餓死するの!?)
ユイは頭を抱えた。前世では政略の駒として誰にも心を許せず、今世では最強すぎて誰にも触れられない。
(……皮肉がすぎるわ。神様、少しは加減というものを覚えなさい)
結局その日の授乳は、リリアが三メートル離れた位置から、ミラ女神が神界から取り寄せた「哺乳瓶(神器)」を光の力で浮かべて運ぶという、大変シュールな方式で執り行われた。
◆ ◆ ◆
昼下がり、そのミラ女神が疲れた顔で降臨した。
「ユイさん、ご報告が。昨日の第四軍団長消滅の件、魔王軍に伝わりました。『未知の超級勇者、出現』として、全軍に警戒命令が出たそうです」
「……つまり?」
「近いうちに、もっと強いのが来ます。第五軍団長とか、下手したら三傑クラスとか」
「なんで!? 消したら余計に来るの!? 逆でしょう普通!」
「魔王軍、脳筋なので……強い敵がいると確かめたくなる習性が……」
「猪武者の集団なの!? 織田家にもいたわよ、そういうの!」
ユイはクッションの中で身をよじった。それから、ふう、と息を整えた。
戦国時代、信長公の側で生きてきた彼女は、よく知っていた。力の噂は、力を呼ぶ。強者の名は、挑む者を引き寄せる。それは世界が変わっても同じらしい。
「……いいわ。方針を決めましょう」
ユイは小さな指を一本立てた。
「一つ。私からは、絶対に攻めない。魔王だろうと放っておくわ。あちらの都合など知ったことではないもの」
二本目。
「二つ。攻めてきたら、対応する。村に手を出す者は、容赦しない。……それだけよ。シンプルでしょう」
ミラは感心したように、それから少し困ったように言った。
「立派な方針ですけど、その『対応』が毎回消滅なので、勇者としての名声がとんでもない速さで広まっちゃうんですよね……」
「そこなのよねえ!」
◆ ◆ ◆
その日の午後、村はずれの森で「力の加減訓練」が始まった。せめて味方を弾かない程度、鶏を進化させない程度の加減を覚えよう、というミラの発案である。
目標――木の葉一枚を、触れずに優しく浮かせること。
「いい? 優しく、ですよ。そーっと」
「分かっているわ。頭の中では、もう完璧な魔力操作の理論が展開されているもの。茶杓で茶をすくうように、そっと……」
結果は、以下の通りである。
一回目。木の葉どころか、森の木々が全部浮いた。根っこごと。
「多い多い多い! 戻して戻して!」
「あわわわ! 理論と実技が別物なのは、剣術も魔法も同じなのね! 戻れ戻れ! ……戻ったわ。」
「土下座で謝ってください森に!」
二回目。今度は木の葉一枚だけが浮いた。完璧に。ただし、ついでに周囲の森全体が「宝石の森」に変わった。
「浮いたわ! 見て、一枚だけ! ……あら? 周りがキラキラしてない?」
「森が宝石になってます! なんで!? 浮かせただけなのに!」
「私が聞きたいわよ!」
三回目。ユイが集中し、茶の湯の心で、静かに、丁寧に――木の葉は、ふわり、と羽根のように浮いた。森は何も変わらない。鳥のさえずりだけが響く、完璧な制御だった。
「…………できたわ」
「で、できてる……! 三回目でコツ掴んだ!? 普通、何年もかかるんですよ!?」
「なんだ、簡単じゃない。要は茶の湯と同じよ。心を静めて、余計な力を抜くの。知識より、作法が勝つのよ。……ふふ」
「そのドヤ顔、腹立ちますね!?」
――なお、帰蝶は気づいていなかったが、この時ふわりと浮いた木の葉は、彼女の魔力を浴びたことで「永遠に枯れない伝説の聖葉」と化しており、後に王都の教会で国宝指定されることになる。目立ちたくない彼女の伝説は、本人の知らぬところで今日も一つ増えたのだった。
◆ ◆ ◆
その夜、村に新たな来訪者が現れた。
銀髪の美少女剣士。名を「セレナ=ヴァルハラ」という。王国の騎士団から派遣された「正式勇者候補」だった。例の光の柱と軍団長消滅の報を受け、王国が真相確認に寄越したのである。
セレナはユイの前に跪き、目を輝かせた。
「軍団長を一撃で消したという超級勇者様は、あなた様ですね!? どうか、私をお導きください!」
ユイはクッションの中で、深い深い溜息をついた。
「……人違いよ。私はただの赤ちゃん」
「赤ちゃんは喋りません!」
「喋る赤ちゃんもいるのよ、広い世界には」
「今、村の皆さんが全員あなたを指差してます!」
振り返ると、村人全員が満面の笑みでユイを指差していた。裏切り者たちである。
ユイは観念して、セレナをじっと見た。まっすぐな目。硬くなった剣だこ。着古された、しかし手入れの行き届いた鎧。……悪くない。むしろ、良い目をしている。かつて美濃で見た、まだ何者でもなかった頃の若武者たちと同じ目だ。
(剣の腕も魔法の才も、頭が勝手に測ってくれる。――中の上。伸びしろは大。でもね、人を見る目だけは、特典に頼らないわ。これは私が四十八年かけて磨いた、私自身の眼よ)
「……いいわ。条件は二つ。一つ、世間には『勇者はあなた』ということにすること。私のことは秘密。二つ、あなたは『私の弟子』として、ちゃんと強くなること。力だけに頼らず、知略と人心を大切にね」
セレナが深く頭を下げた。
「はい、師匠!」
「よろしい。では最初の教えよ。――戦は、始める前に八割決まっているの。残りの二割が剣。覚えておきなさい」
「はいっ! ……あの、ところで師匠は、おいくつなのですか?」
「生後三ヶ月よ」
「私の師匠、生後三ヶ月……」
セレナが遠い目をした。
こうして、元帰蝶の「最強すぎて困る」異世界生活に、初めての弟子が加わった。
しかし、ユイはまだ知らなかった。
この静かな村に、魔王軍の刺客が、次から次へとやって来ることを。
そして「攻めてきたら対応する」だけが、なぜか世界を揺るがす大伝説になっていくことを――。
お読みいただき、ありがとうございます。
プロローグを含めて、全部で15話のお話しです。
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