010 軍勢一万と、天から降る岩
市の入場料収入が王都の武器商の売上を超えた頃。
その日の夜明け、リーフェ村の地平線が、真っ黒に染まった。
「て、敵襲うううう! 魔族の軍勢! その数、いち、いちまん!」
物見台の鐘が乱打される。黒鎧の大軍が、朝日を背に平原を埋め尽くしていた。先頭に立つのは、巌のような巨躯に大戦斧――魔王軍第一軍団長、「不倒」のゾルド。
「ちょっと待ちなさいよ!? 魔王様は一年軍を動かさない約束よ!?」
物見台の上で、ユイは白湯を噴いた。隣でザガンが震える手で遠眼鏡を覗く。
「い、いえユイ様! あれは正規軍ではありません! 旗がない……あれは全員、し、『商用の外出』です!」
「一万人の商用!?」
「先頭のゾルドが叫んでおります……『我らは客だ! 客として市の強度を検分しに来た!』と!」
「屁理屈の天才なの!?」
ゾルドの大戦斧が、天を指した。
「主戦派一万、抜刀オオオオ! 千年の誇りを芋ごときに売った軟弱者どもに、目に物見せてくれるわ! ――市を、更地にせよォ!」
一万の鬨の声が、大地を揺らした。
◆ ◆ ◆
破壊は、一瞬だった。
店棚五十軒、粉砕。門、倒壊。食堂、木っ端微塵。芋煮の大鍋(直径三メートル)が宙を舞い、慰めに聖鶏が火を吹いたが、焼け石に水どころか焼け野原に火であった。
一月かけて育った市は、開市前より綺麗な更地になった。
「ふははは! 見よ、この様を! 所詮は砂上の楼閣……ん?」
ゾルドは気づいた。逃げたはずの商人たちが、遠巻きに――なぜかまったく絶望していない顔で――こちらを見ていることに。むしろ全員、何かを待つ顔である。
「……なんだ貴様ら。なぜ泣き叫ばん」
「いやあ、だって」
「ねえ?」
商人たちが一斉に、空を指差した。
朝日の中を、山のような影が飛んでくる。災厄竜ヴェルドラノス。その背に、緋色の座布団と、白湯を持った赤ん坊。
「――皆、おはよう。朝から賑やかね」
赤ん坊は更地を一瞥し、ため息をつき、指をちょん、と鳴らした。
更地から、市が「生えた」。
砕けた店棚が逆再生のように組み上がり、門が起き上がり、食堂が屋根から着地し、大鍋が定位置に納まって、こぼれた芋煮が鍋に戻り(衛生上どうかと思うが概念的には新品である)、三十秒後――市は完全に復活していた。ついでに二階建てになっていた。
「「「い、一万人で半刻かけた破壊が、三十秒で……しかも増築されて……」」」
一万の軍勢が、静まり返った。
「ふ、ふん! 小癪な! ならば何度でも壊すまでよ! 全軍、二度目えええ!」
破壊、二回目。所要半刻。
ちょん。復活、三十秒。今度は三階建てになった。展望風呂が付いた。
「三度目えええ!」
ちょん。四階建て。屋上に庭園が付いた。
「し、四度目……」
「ゾルド将軍、兵たちが……もう腕が上がらぬと……」
昼過ぎ。一万の兵は更地(四回目)の上で力尽き、大の字に転がっていた。千年鍛えた魔族の精兵が、破壊工事の連続で全滅したのである。戦史上、例のない敗北だった。
そこへ、いい匂いが漂ってきた。五度目の復活を遂げた市(五階建て。ザガンが「もはや城です」と呟いた)の食堂から、炊き出しの芋煮が運ばれてくる。
「はいはい、お疲れさま。壊した分は働いて返してもらうけれど、まずは食べなさいな。人は空きっ腹では、良い仕事も良い戦もできないもの」
「な……敵に飯だと!? 誰が貴様らの施しなど……」
「将軍! 自分は、いただきます! 朝から四回も市を壊して、もう限界であります!」
「あっ、おい待て! 貴様ら! ……お、おい。うまいのか? そんなにうまいのか、それは」
◆ ◆ ◆
だが、ゾルドだけは椀を取らなかった。
巌の男は、ただ一人立ち上がり、懐から漆黒の宝珠を取り出した。ザガンの片眼鏡が、音を立てて砕けた(本日二個目)。
「あ、あれは【厄星の珠】! 古代魔導兵器! 天の星を呼び落とす、禁忌の――ま、まさか!」
「儂とて、使いたくはなかった。……だがもう、これしか残っておらん。市もろとも、この堕落を天の火で焼き払う! 星よ、落ちよォ!」
宝珠が砕け、空が裂けた。
雲の彼方から、燃える巨岩が――直径三百メートルの隕石が、轟音とともに落ちてくる。影が市を、平原を、一万の兵ごと呑み込んでいく。
「い、隕石いいいい!? 自分の兵ごとですか将軍っっっ!?」
「ゾルドおまえ正気か! 儂らまだ芋煮の途中だぞ!」
阿鼻叫喚の中、ユイは白湯を、ずず、と飲み干した。
「……はぁ。天の星まで呼ぶなんて、派手好きにも程があるわ。前世の夫でもやらなかったわよ、そんなこと」
(いえ、待って。あの方なら『安土の天主に飾る』とか言い出しかねないわね。……あら? 天主に飾る。……それ、良くない?)
赤ん坊は、落ちてくる星に向かって、手を、ぱー、と広げた。
――ぴた。
直径三百メートルの隕石が、市の上空五十メートルで、止まった。燃える巨岩が、まるで見えない手のひらに乗ったかのように、ぷかぷかと浮いている。
「「「…………」」」
「あら、止まったわ。……ええと女神様、これは何番?」
「じゅ、十五番【星辰掌握】です! 天体を、その、掴めます!」
「掴めます、で済ませないでちょうだい!」
「よい、しょっと」
ユイが手をくるりと回すと、隕石も、くるりと回った。表面の炎が消え、岩肌が磨かれ、概念改変の光が走り――巨岩は、荘厳な黒曜石の球体へと姿を変えた。
それは、ゆっくりと市の中央広場に降り立った。台座付きで。
「決めたわ。これ、市のしるしにしましょう。名前は――『天下岩』。天から下ってきた岩だから」
「安直うううう!」
「登れるようにするわね。ちょん。……はい、螺旋階段付き。てっぺんは物見台よ。村が一望できるわ」
一万の兵が、芋煮の椀を持ったまま、ぽかんと空を見上げていた。自分たちを焼くはずだった天の星が、三分で名所になったのである。
「「「……うわああああ! すげえええ! 星に登れるぞおおお!」」」
歓声。兵たちが椀を置いて天下岩に殺到し、螺旋階段に行列ができた。もはや戦意のある者は一人もいなかった。というより、来た時から半分は市を見物したかっただけの兵である。
◆ ◆ ◆
ゾルドは、一人、その場に膝をついていた。
「……儂の、負けだ。軍で壊せず、星でも壊せず……挙句、儂の落とした星が、名所になった……」
「あら、負けてなんかいないわよ」
いつの間にか、赤ん坊が目の前にちょこんと座っていた。
「おかげで市は五階建てになって、天下岩まで手に入ったわ。あなた、破壊のつもりで、大陸一の普請をしたのよ。……ねえゾルド。次はもっと大きいのを落としに来なさいな。月くらいの」
「な……儂を愚弄するか」
「本気よ。何度壊しに来てもいいわ。何度でも建て直して、そのたびに市は大きくなる。あなたが千回来たら、ここは千回分、立派な都になるでしょうね。――あなたの千年の武勇は、壊すより、そういうことに使うほうが映えると思うのだけれど」
巌の男は、赤ん坊を長いこと見つめ――やがて、どっかりと胡座をかいた。そして無言で、冷めかけた芋煮の椀を取り、一気に飲み干した。
「…………三杯目を、よこせ」
「二杯目を飛ばしたわね」
ゾルドは家臣にはならなかった。「儂は魔王軍の第一軍団長ぞ」と言い張って、その日のうちに帰っていった。
ただし、月に二度ほど「検分」と称して市に来ては、天下岩の螺旋階段を修繕して帰るようになった。石工の腕が、存外に良かったのである。
◆ ◆ ◆
その夜、魔王城。
「報告します! 主戦派一万、市を四回更地にするも、五回建て直され、隕石は名所にされ、現在、全員が天下岩の階段に並んでおります! ゾルド将軍は――芋煮、十九杯目です!」
「「「もう報告の意味が分からん!!」」」
軍議の間が半壊した(円卓を叩きすぎたのである)。玉座の魔王だけが、肩を震わせて笑いを堪えていた。
(星を落とされて、名所を返すか。……赤子よ、貴様、余の残り十月を、どこまで楽しませる気だ)
◆ ◆ ◆
数百年後の歴史書には、こう記されている。
――魔軍一万、聖母の市を四たび滅ぼし、五たび敗れる。天より星落ちるも、聖母これを掴みて広場に飾る。世に言う「天下岩」、入場料は銅貨一枚なり。
「入場料まで書かなくていいのよ! ……でも銅貨一枚、良い商売なのよね、あれ」
歴史書というものは、いつだって少し大げさである。だが天下岩の行列だけは、千年後も減らなかったという。
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プロローグを含めて、全部で15話のお話しです。
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