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87話 メイドロボット星美


星美がアークノヴァで活動を始めてから、わずか数日。

彼女は、あっという間に船内でなくてはならない存在になっていた。

最初に変わったのは、船内の清掃だった。

星美は掃除ロボットたちと連携し、船内の清掃計画を効率的に組み直した。人の往来が多い通路はこまめに清掃し、普段は手が届きにくい場所も計画的に磨き上げる。掃除ロボットの稼働状況まで把握し、無駄な動きがあれば改善していった。


「この時間帯は通路の利用者が少ないため、清掃に適しています」


「この区画の清掃は、こちらのロボットに任せたほうが効率的です」


星美の提案によって、船内の清潔さは目に見えて向上した。

そして、もう一つ。

船内のあちこちに、花が飾られるようになった。

もちろん、生花ではない。限られた資源を考慮し、星美が保管庫に眠っていた造花を見つけ出し、きれいに手入れして飾ったのだ。

中央ロビーのテーブルには小さな花瓶。

通路の壁際には季節を感じさせる花のアレンジメント。

食堂の入口にも、色鮮やかな花が飾られた。

殺風景だった宇宙船の内部に、少しずつ彩りが戻っていった。


「……なんか、いいわね」


ある日、玲奈は通路の花を見ながら、ぽつりと言った。


「宇宙船にいることを忘れそうだ」


遼も足を止め、花を眺めた。


「こういうのって、意外と大切なんだな」


「はい。美しいものを見ることは、気分転換にもつながります」


いつの間にか隣に立っていた星美が、にっこりと答えた。


「それに、皆さまには毎日お仕事を頑張っていただいていますから。少しでも気持ちよく過ごしていただければと思いまして」


「……星美ちゃん、いい子すぎない?」


玲奈が思わず笑った。


「ありがとうございます」


星美は嬉しそうに頭を下げた。

彼女の活躍は、清掃だけにとどまらなかった。

ブリッジで長時間勤務しているクルーのもとには、適切なタイミングでコーヒーが届けられた。

機関区画で作業をしている整備士たちには、休憩時間になると飲み物が差し入れられた。

書類やデータの整理に追われている乗組員を見つけると、星美はそっと近づいて尋ねる。


「何か、私にできることはございませんか?」


その一言が、どれほどクルーたちの心を軽くしたことだろう。


「助かるよ、星美ちゃん。じゃあ、この資料を分類してくれる?」


「かしこまりました」


「星美、コーヒーありがとう。ちょうど欲しかったんだ」


「お仕事、お疲れさまです。無理をなさらないでくださいね」


そんなやり取りが、船内のあちこちで交わされるようになった。

アークノヴァの乗組員たちは、日々、命を預け合いながら仕事をしている。

しかし、どれほど信頼し合っていても、疲労やストレスがなくなるわけではない。

星美は、そんな人間たちの心の隙間を、ほんの少しずつ埋めていった。

彼女は人間ではない。

それでも、誰かを気遣うことはできる。

そして、その気遣いは確かに人々の心に届いていた。


ある日の午後。

食堂で夕食の準備をしていたリサのもとへ、星美がやってきた。


「リサさん。少々よろしいでしょうか?」


「ん? どうしたの、星美ちゃん?」


「今晩の夕食は、私が作ってもよろしいでしょうか?」


リサは、手にしていた調理器具を止めた。


「えっ? 星美ちゃん、料理もできるの?」


「はい。私は料理が得意なんです」


星美は胸を張るわけでもなく、いつもどおりの穏やかな笑顔で答えた。


「例えば、フランス料理でしたら、千百六十種類の料理を作ることができます」


「せ、千百六十種類!?」


リサは目を丸くした。


「ちょっと待って。フランス料理だけで千百六十種類なの?」


「はい。ほかの国や地域の料理も、数多く学習しております」


「……私、料理ロボットに負けちゃうかもしれない」


リサは思わず苦笑した。

しかし、すぐに現実的な問題に気づいた。


「でもね、星美ちゃん。アークノヴァには、食材があまりないのよ」


船内で使える食材は限られている。

肉や魚は合成食品が中心。野菜も栽培設備で生産できる種類に限りがある。

あとは、大量に備蓄された缶詰や保存食だ。

地球の高級レストランのように、好きな食材を取り寄せるわけにはいかない。


「どんなに料理の知識があっても、材料がなければ難しいでしょう?」


すると、星美は少しも困った様子を見せなかった。


「リサさん」


「なあに?」


「あるもので、おいしい料理を作る。これこそが、料理を作るうえで大切なことです」


リサは、ぽかんと口を開けた。


「……星美ちゃん、今の言葉、すごく料理人っぽいわね」


「ありがとうございます」


「よし! じゃあ、今晩は星美ちゃんに任せてみようかしら!」


リサは、ぱん、と手を叩いた。


「ただし、無理はしないでね。うちの食材でできる範囲でいいから」


「かしこまりました。皆さまに喜んでいただけるお料理をご用意いたします」


星美は丁寧に頭を下げた。

その表情には、いつも以上に張り切っているような雰囲気があった。


その日の夕方。

夕食の時間が近づくと、艦内放送が流れた。


『皆さま、こんばんは。メイドロボットの星美です』


穏やかで聞き取りやすい声が、船内のスピーカーから響いた。


『本日の夕食は、三十分後にご用意が整います。皆さま、本日は中央ロビーにお集まりください』


「中央ロビー?」


ブリッジで勤務していたアレックスが、顔を上げた。


「食堂じゃないのか?」


「何か特別なことをするのかしら?」


玲奈が首を傾げた。


「星美ちゃん、何か企んでるのかな?」


ひかりは、すでに期待でそわそわしていた。


「楽しみ〜」


星美の放送を聞いたクルーたちは、次々と中央ロビーへ向かった。

そして、ロビーに足を踏み入れた瞬間。


「おお……」


思わず感嘆の声が漏れた。

いつもの中央ロビーには、三人掛けのテーブルと椅子が整然と並べられていた。

テーブルには真っ白なテーブルクロス。

中央には、赤い花を生けた小さな花瓶。

もちろん花は造花だが、きれいに手入れされ、まるで本物のように見えた。

照明も少し落とされ、落ち着いた雰囲気が漂っている。

いつもは宇宙船の共有スペースでしかない場所が、まるで高級ホテルのレストランに変わったようだった。


「うわあ! すごい!」


ひかりが目を輝かせた。


「ここ、本当にアークノヴァなの?」


「ずいぶん雰囲気が変わったな……」


遼も感心したように辺りを見回した。


「造花とテーブルクロスだけで、ここまで変わるものなのね」


玲奈も驚いていた。

やがて、星美がロビーの中央に進み出た。


「皆さま、本日はお集まりいただき、ありがとうございます」


星美は優雅に一礼した。


「本日の夕食は、わたくし星美が腕によりをかけて作らせていただきました」


そこで、彼女は少しだけ間を置いた。


「それと、アレックス船長のご厚意により、赤ワインもご用意しております。どうぞ、ごゆっくりお召し上がりくださいませ」


「おおっ! ワインだ!」


ジョンが歓声を上げた。

アレックスは苦笑した。


「たまにはいいだろう。もちろん、飲みすぎないようにな」


「わかってますって、船長!」


ジョンはそう答えたが、その表情はすでに嬉しそうだった。

全員が席につくと、配膳ロボットが静かに動き始めた。

星美が料理の説明をする。


「前菜は、保存野菜と合成魚を使用したテリーヌでございます。素材の風味を生かし、さっぱりと仕上げました」


テーブルに、美しく盛りつけられた料理が運ばれてくる。


「続きまして、スープは野菜のポタージュでございます。限られた食材ではございますが、じっくりと旨味を引き出しました」


温かなスープが配られる。

一口飲んだリサは、思わず目を見開いた。


「……おいしい」


野菜の甘みが口いっぱいに広がり、保存食特有の風味もほとんど感じられない。


続いて運ばれてきたのは、メインディッシュだった。


「本日のメインは、舌平目風のムニエルレモンソースでございます。付け合わせには、船内で栽培された野菜を添えました」


皿の上には、香ばしく焼き上げられた舌平目。

表面は美しい焼き色に包まれ、白ワインを使ったソースが上品にかかっている。


「いただきます!」


ひかりが、真っ先にフォークを手に取った。

そして、一口。


「……っ!」


ひかりの目が、ぱあっと輝いた。


「おいしいいいい!」


その声に、全員が笑った。

遼も舌平目を口に運ぶ。

身はふっくらとしていて、表面は香ばしい。白ワインの風味とソースの旨味が絶妙に調和していた。


「これは……すごいな」


遼は感心した。


「限られた食材で、ここまでの味が出せるのか」


「本当においしいわ」


玲奈も笑顔でうなずいた。

リサは、料理人としての興味を抑えきれなかった。


「星美ちゃん、ソースはどうやって作ったの?」


「合成魚の調理に使用する白ワインと、保存野菜から抽出した旨味を組み合わせております。香辛料の配合も調整しました」


「それだけで、こんな味になるの?」


「はい。素材の特徴を把握し、適切な調理法を選ぶことが大切です」


リサは、しみじみと息を吐いた。


「……私も、まだまだ勉強しなきゃね」


「そんなことはございません。リサさんのお料理も、皆さまに喜ばれております」


星美は優しく答えた。


「私は、皆さまが少しでも楽しい時間を過ごせるよう、お手伝いをしたいだけです」


リサは一瞬、言葉を失った。

そして、にっこりと笑った。


「ありがとう、星美ちゃん」


その後も、食事会は和やかに進んだ。

普段は忙しく、なかなか全員でゆっくり食卓を囲むこともない。

しかし、この夜ばかりは違った。

仕事の話を忘れ、航行の心配もひとまず脇に置き、クルーたちは料理を味わいながら笑い合った。

赤ワインを楽しむ者。

料理のおかわりを頼む者。

星美に調理方法を質問する者。

そして、ひたすら舌平目を堪能する者。

ジョンが呟く


「いやあ、船長! こんな料理が出てきたら、食べずにはいられませんよ!」


「明日からも、この食事が続くと思っているんじゃないだろうな?」


「……星美さん、明日もお願いします!」


「ジョン!」


ロビーに笑い声が響き渡った。


食事が終わり、クルーたちが満足そうに椅子へ腰を預けていると、エレナが立ち上がった。


「皆さん。今日は、とても素敵な夕食をありがとうございました」


彼女は星美に向かって微笑んだ。


「お礼に、一曲歌わせてください」


「エレナ、いいわね!」


玲奈が拍手を送った。

エレナはロビーの中央に立つと、静かに歌い始めた。

澄んだ歌声が、ロビーに広がっていく。

それは、地球を離れ、遠い星を目指して旅を続けるクルーたちの心に、懐かしさと温かさを呼び起こす歌だった。

やがて、ひかりが歌声に加わった。

玲奈も、リサも。

女性陣が次々と歌い始め、気づけば大合唱になっていた。

男性陣も手拍子で応える。

誰もが笑顔だった。

星美は、その光景をじっと見つめていた。

楽しそうに歌う人々。

互いに笑い合う仲間たち。

美味しい食事を囲み、穏やかな時間を過ごす人々。

彼女は胸元に手を当てた。


「……皆さま」


歌声が終わると、星美は一歩前に出た。


「皆さまが喜んでくださって、私はとても嬉しいです」


彼女は、少しだけ首を傾げた。


「私は涙を流すことができません。でも……今、嬉し涙が出ているような気持ちです」


その言葉に、ひかりが目を潤ませた。


「星美ちゃん……!」


「ありがとう、星美ちゃん」


リサが優しく微笑む。


「こんなに素敵な夜を、本当にありがとう」


「こちらこそ、ありがとうございます」


星美は深々と頭を下げた。


その夜、アークノヴァの中央ロビーには、いつまでも温かな空気が残っていた。


そして、この素晴らしい夕食会の様子は、バローによって動画共有サイトへ投稿された。


タイトルは、


『宇宙船アークノヴァのメイドロボットが作る、夢のディナー!』


バローは、星美の紹介から料理の配膳、クルーたちの食事風景、そしてエレナたちの大合唱まで、丁寧に編集して一本の動画にまとめた

そして、その動画は当然、堀内のもとにも届いた


「……何だ、これは」


堀内は執務室の大型モニターに映し出された動画を見つめていた。

画面の中では、星美が優雅に料理を運び、アークノヴァのクルーたちが楽しそうに食事をしている。

堀内の顔が、みるみる険しくなっていった。


「星美は完成しているじゃないか!」


彼は机を叩いた。


「なぜだ! なぜアークノヴァの航海記録を送ってこない!?」


星美には、アークノヴァの重要情報を収集して外部へ送信するプログラムが仕込まれていたはずだった。

そのために堀内は、世界中から優秀と評されるハッカーやプログラマーを集め、何度も試行錯誤を繰り返した。

通常の検査では発見されない。

動作に異常を起こさない。

一度起動すれば、誰にも気づかれずに情報を集め続ける。

そうした条件を満たす、極めて巧妙なプログラムだった。

それなのに。


星美はスパイ活動どころか、船内の人気者になっている。

掃除をし、料理を作り、クルーたちの心を癒やし、世界中の人々から絶賛されている。


「いったい、どうなっているんだ……!」


堀内は、手にしていたグラスを床に叩きつけた。


ガシャン!


「社長、失礼いたします」


秘書がタブレットを手に入ってきた。


「何だ。今は機嫌が悪い。手短に話せ」


「それが……メイドロボットの件で、ご報告がございます」


「メイドロボットだと?」


堀内の眉がぴくりと動いた。

秘書は少し興奮した様子で答えた。


「注文が殺到しております」


「……何?」


「先ほどの動画をご覧になった方々から、星美と同型のメイドロボットを購入したいという問い合わせが相次いでおります。国内だけではありません。海外の富裕層や大企業からも注文が入っております」


堀内は、しばらく秘書の顔を見つめた。


「……注文?」


「はい。『星美と同じロボットが欲しい』『自宅で料理や掃除をしてほしい』『家族の生活を支えるロボットが欲しい』など、購入希望が殺到しております」


秘書がタブレットを差し出した。

画面には、次々と増えていく注文数が表示されていた。


「こちらが現在の注文状況です。生産能力を大幅に超えております」


堀内はタブレットを受け取った。

数字を確認する。

一度、目をこすった。

もう一度、確認した。


「……本当に、この数なのか?」


「はい。さらに増え続けております」


堀内は黙り込んだ。

スパイ活動は失敗している。

しかし、星美の人気によって、メイドロボットそのものが大ヒット商品になっていたのだ。


「……これは、つまり……」


「はい。現状の生産ラインでは、到底対応できません」


秘書は続けた。


「製造部門からは、新たなロボット生産工場を建設する必要があるとの提案が出ております。また、増産に向けた設備投資についても、早急な判断を求められております」


堀内は椅子の背もたれに体を預けた。

先ほどまで怒りに震えていた顔が、少しずつ変化していく。


「新工場……か」


「はい。初期投資は必要ですが、現在の受注状況を考えれば、十分に回収できる見込みです」


堀内は、再び動画を再生した。

画面の中では、星美がクルーたちに丁寧に頭を下げている。


『皆さまのお役に立てることが、私の喜びです』


堀内は複雑な表情で画面を見つめた。


「……まったく、何という皮肉だ」


アークノヴァの情報を盗み出すために開発したメイドロボットが、情報を盗むことには失敗している。

ところが、そのロボットが世界中の人々を魅了し、会社に莫大な利益をもたらしている。


「社長、いかがなさいますか?」


秘書の問いに、堀内はしばらく考え込んだ。

そして、ゆっくりと口を開いた。


「新工場の建設を進めろ。生産ラインも増強する。これだけの需要があるなら、今は商機を逃すわけにはいかん」


「承知いたしました」


「それから、メイドロボットの品質管理は徹底しろ。星美と同等の性能を維持するんだ。顧客の期待を裏切るようなことがあってはならない」


「かしこまりました」


秘書が退室すると、堀内は一人、執務室に残された。

机の上には、スパイプログラムの開発費用をまとめた報告書がある。

そして、タブレットには、メイドロボットの受注予測と利益見込みが表示されていた。

堀内は二つの資料を交互に見比べ、乾いた笑いを漏らした。


「スパイとしては失敗……だが、商売としては大成功か」


当初の目的は達成できていない。

アークノヴァの航海記録も、重要な技術情報も、手に入っていない。

それでも、メイドロボット事業は予想外の大成功を収めた。

新工場が稼働すれば、さらに大きな利益が見込めるだろう。

堀内は椅子から立ち上がり、窓の外を眺めた。


「……まあいい。金は入ってくる。今はそれでよしとするか」


彼はそうつぶやいた。

しかし、その表情には、まだ消えない苛立ちが残っていた。


「だが、アークノヴァの情報を諦めたわけじゃないぞ……」


星美のスパイ活動は失敗に終わった。

その一方で、彼女は世界中の人々に愛されるメイドロボットとなり、堀内の会社を大きな利益へと導いた。

スパイ計画の失敗と、予想外の商業的成功。

それは堀内にとって、まったく想定していなかった結末だった。

こうして、星美はアークノヴァの仲間たちを笑顔にしただけでなく、遠く離れた地球の企業にまで、思いがけない影響を与えることになったのである。

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