81話 命の種
ビームアンカーによって固定された探査船SAKURA。
そのブリッジでは、船長の鳴海由香が真っ青な顔で震えていた。
モニターには、アークノヴァのブリッジが映し出されている。
そして、そこにいるアレックス艦長が、厳しい表情で告げた。
『無駄な抵抗はやめろ。投降しなければ、強制的にハッチを破壊し、こちらの最大戦力を侵入させる!』
「ひいいいいっ!」
由香は椅子の上で飛び上がった。
最大戦力。
その言葉を聞いただけで、恐ろしい光景が頭に浮かんだ。
きっと、来る。
あの人が。
リサ・チェンが!
アークノヴァの農業プラントを管理し、未知の惑星では科学者として活躍し、必要とあらば誰よりも大胆な行動を取る、あのリサ・チェンが!
「終わった……。私たち、終わったわ……」
「船長、まだそうと決まったわけではありません」
副長が冷静に言った。
「だって! あのアークノヴァよ! 伝説のアークノヴァなのよ! そのクルーが本気で乗り込んでくるのよ!」
「……それは、そうですが」
「きっと船内を制圧されるのも時間の問題だわ……!」
由香は頭を抱えた。
そもそも、なぜこうなったのだ。
過去に干渉しない。
アークノヴァに接触しない。
誰にも見つからず、歴史を変えずに帰還する。
そのために、どれほどの準備をしてきたと思っているのか。
それなのに、ステルスシステムが解除され、あっさり発見され、逃げたら追いかけられ、最後にはビームアンカーで捕獲された。
完璧だったはずの計画が、ものの数十分で崩壊してしまった。
「……もう、正直に話すしかないわね」
由香は顔を上げた。
「船長?」
「私たちが未来から来たことも、時間航行の実験をしていたことも、全部話す。ただし――」
由香の表情が変わった。
「絶対に話してはいけないことがある」
ブリッジにいた全員が、彼女を見つめた。
「私たちが知っている、アークノヴァの未来についてよ」
SAKURAの目的は、アークノヴァが生命の種を入手した瞬間を観測することだった。
しかし、彼女たちは歴史の記録から、ある程度のことを知っている。
アークノヴァがその後どこへ向かうのか。
どんな出来事に遭遇するのか。
そして、どんな運命をたどることになるのか。
それらを今のアークノヴァのクルーに伝えてしまえば、彼らの判断や行動を変えてしまうかもしれない。
それだけは避けなければならなかった。
「いい? 私たちは時間航行の実験をしている。でも、未来の情報を教えることは絶対に禁止。アークノヴァの航海記録についても、知っていることを口にしてはだめ。個人的な会話でもよ」
「了解しました」
「どんなに聞かれても、答えないこと。これは船長命令よ!」
「了解!」
由香は深呼吸をした。
そして、通信回線を開いた。
「こちらは探査船SAKURA。船長の鳴海由香です」
「我々に交戦の意識はありません]
声が少し震えている。
それでも、なんとか言葉を続けた。
「こちらで事情をお話しさせていただきます。ハッチを開けますので、そちらからお越しください」
通信を切る。
由香は両手で顔を覆った。
「……ああ、アレックス艦長に会える……」
「船長、今はそういう状況ではありません」
「分かってるわよぉ……!」
やがて、SAKURAのハッチが開いた。
そこに立っていたのは、レーザー銃を構えたリサだった。
「全員、手をあげて!」
鋭い声が船内に響き渡る。
SAKURAのクルー二十名が、一斉に両手をあげた。
――はずだった。
「うわああああ! 本物だ!」
「アレックス艦長だ! 本物のアレックス艦長!」
「玲奈さんもいる! 遼さんまで!」
「すてきー!」
「うそ……リサ・チェンだ……!」
「本当に生きて動いてる……!」
歓声が上がった。
中には、ぴょんぴょん飛び跳ねている者までいる。
感激のあまり、涙を流しているクルーもいた。
「……え?」
リサはレーザー銃を構えたまま、目をぱちくりさせた。
「ちょっと、あなたたち! 話を聞いてるの? 全員、手をあげて!」
「はいっ! もちろんです!」
「リサさん、ずっとファンでした!」
「握手してください!」
「ええっ!?」
リサは困惑した。
後ろからやってきた遼も、目の前の光景に呆然としていた。
「……なんだ、これ?」
アレックスが額に手を当てた。
「おい、俺たちは不審船を拿捕したんだよな?」
「そのはずだが……」
ハッサンも困った顔をしている。
しかし、SAKURAのクルーたちの興奮は収まらなかった。
彼らは、ただの宇宙船乗りではなかった。
全員が、アークノヴァとそのクルーたちを心から尊敬している。
いや、尊敬という言葉では足りない。
いわゆる、アークノヴァオタクだった。
その中でも、船長の鳴海由香は筋金入りだった。
幼い頃からアークノヴァの物語に憧れ、何度も航海記録を読み返し、歴代クルーの経歴を暗記するほどの熱烈なファンだったのである。
そんな由香の目の前に、ついに伝説の英雄たちが現れた。
しかも、画面や記録の中ではなく、本物が。
「……本当に、アレックス艦長……」
由香は呆然と呟いた。
そこへ、アレックス本人が歩み寄ってきた。
「君が船長か?」
「は、はいっ! 鳴海由香です!」
「私はアークノヴァ艦長アレックスだ事情を聞かせてもらいたい」
そう言って、アレックスは手を差し出した。
「よろしく頼む」
由香はその手を見つめた。
伝説の艦長。
人類の宇宙開発史に名を残す英雄。
その本人が、今、自分に握手を求めている。
「…………」
由香の目が大きく見開かれた。
次の瞬間――。
バタン!
「船長!?」
由香はその場に倒れた。
「おい! 大丈夫か!?」
アレックスが慌てて駆け寄る。
SAKURAのクルーたちが一斉に叫んだ。
「船長ーっ!」
「誰か、医療班を!」
「感激のあまり気絶したんだ!」
「いや、分かってる場合か!」
こうして、探査船SAKURAの船長は、憧れの英雄と握手する前に気絶した。
しばらくして、由香は医療区画で目を覚ました。
目の前には、心配そうな顔をしたアレックスがいる。
「気がついたか?」
「……え?」
由香は瞬きをした。
そして、数秒後。
「ほ、本物……!」
再び気絶しかけた。
「おいおい、しっかりしてくれ」
アレックスは苦笑した。
今度はどうにか持ちこたえた由香は、深呼吸を繰り返した。
「す、すみません……。あまりにも感激してしまって……」
「いや、気にしなくていい。それより、君たちの船について説明してもらえるか?」
その言葉を聞き、由香はようやく船長の顔に戻った。
「はい。実は……」
彼女は、すべてを説明した。
SAKURAが、約百年後の未来で建造された探査船であること。
搭載されているのは、ノア・バージョン5という最新型AIであること。
そして今回、人類初の時間航行実験を行っていたこと。
「私たちは、あなた方の航海記録に残された、ある謎を調査するために過去へ来ました」
「謎?」
遼が尋ねた。
「ごめんなさい それについては話す事はできません」
その言葉に、リサが反応した。
「未来を変えてしまう可能性があることは話せないと言うこと?」
由香は頷いた。
「その記録の詳細を調べることが、私たちの目的でした。ところが、ステルスシステムに不具合が発生し、皆さんに発見されてしまったんです」
「なるほど……」
アレックスは腕を組んだ。
「つまり、君たちは未来から来た。そして、私たちに見つからないように航海を観測しに来たわけか」
「はい。ただし、絶対に守らなければならないことがあります」
由香は真剣な表情で続けた。
「過去に干渉してはならないということです。私たちの存在そのものが歴史に影響を与える可能性があります。ですから、本来なら皆さんと接触することも許されていませんでした」
「それなのに、俺たちが追いかけてきたわけだ」
遼が苦笑する。
「……申し訳ありません」
由香は深々と頭を下げた。
アレックスはしばらく考えてから言った。
「分かった。こちらも、君たちの時代については詮索しない。君たちが未来から来たことも、今聞いた話も、必要以上に広めるつもりはない」
「本当ですか!?」
由香の顔がぱっと明るくなった。
「ああ。ただし、こちらの航行に危険を及ぼすことがあれば別だ。その点は理解してくれ」
「もちろんです!」
由香は何度も頷いた。
「ありがとうございます、アレックス艦長!」
その後、両船のクルーたちは改めて顔を合わせ、互いの事情を確認した。
もちろん、未来の詳細については一切話さない。
アークノヴァ側も、SAKURA側も、それが両者にとって最善だと理解していた。
そして、ひと通りの話が終わった頃。
SAKURAのクルーの一人が、恐る恐る手をあげた。
「あの……お願いがあるんですが」
「何だ?」
アレックスが尋ねる。
「皆さんと、一緒に写真を撮ってもらえませんか?」
その瞬間。
「ずるい!」
由香が叫んだ。
全員が彼女を振り返る。
「……あ」
由香は口を押さえた。
「ち、違います! そうじゃなくて!」
慌てて取り繕う。
「記録に残るものはだめです! 写真は歴史に影響を与える可能性がありますから!」
「船長、今、ずるいって言いましたよね?」
「言ってません!」
「言いました!」
「言ってないったら!」
アレックスが笑い出した。
遼も、玲奈も、ハッサンも、つられて笑った。
厳しい緊張の中で始まった接触は、いつの間にか和やかな交流へと変わっていた。
SAKURAのクルーたちは、憧れの英雄たちと直接話せただけで、夢のような時間を過ごしていた。
由香に至っては、アレックスが近くを通るたびに、背筋を伸ばして直立不動になる始末だった。
「……船長、少し落ち着いてください」
副長が呆れたように言う。
「無理よ!」
由香は小声で返した。
「だって、目の前にアレックス艦長がいるのよ!?」
「分かりましたから、声を抑えてください」
「はい……!」
交流が終わりに近づいた頃。
SAKURAに搭載されているメイドロボットが、リサとジョンを呼び止めた。
「リサ様、ジョン様。少しよろしいでしょうか」
「え? 私たち?」
リサは首を傾げた。
ジョンも不思議そうな顔をする。
「何か用かな?」
メイドロボットは二人を船内の小さな部屋へ案内した。
そして、周囲を確認してから言った。
「実は、お二人にお渡ししたいものがございます」
「私たちに?」
「はい」
メイドロボットは、エプロンのポケットから小さな袋を取り出した。
それは、ごく普通の小袋だった。
だが、メイドロボットの声は、いつもより少しだけ不思議な響きを帯びていた。
「私、最近、新しい機能が追加されたんです」
「新しい機能?」
ジョンが聞き返す。
「はい。涙を流す機能です」
二人は顔を見合わせた。
「……涙?」
「はい。感情を表現するための機能だそうです」
メイドロボットは、にっこりと微笑んだ。
しかし、その目からは、すでに涙がこぼれていた。
「……えっ?」
リサは戸惑った。
「どうして泣いているの?」
メイドロボットは答えなかった。
ただ、小袋をリサへ差し出した。
「どうか、これを受け取ってください」
リサはわけも分からないまま、小袋を受け取った。
そして、泣いているメイドロボットをそっと抱きしめた。
「……大丈夫。ありがとうね」
メイドロボットは、リサの腕の中で静かに目を閉じた。
ジョンは、その様子を黙って見つめていた。
なぜ、メイドロボットは涙を流しているのか
誰にも分からなかった。
ただ、メイドロボットはリサに抱きしめられながら、静かに言った。
「……お渡しできて、よかったです」
やがて、SAKURAは帰還の準備を整えた。
「それでは、私たちは自分たちの時代へ戻ります」
由香がアレックスに告げた。
「そうか。気をつけてな」
「はい!」
由香は敬礼した。
そして、少し迷った後、思い切って口を開いた。
「あの……アレックス艦長」
「何だ?」
「……お会いできて、本当に光栄でした」
アレックスは微笑んだ。
「こちらこそ。君たちの航海が成功することを祈っている」
由香は感激のあまり、また倒れそうになった。
副長が慌てて支える。
「船長、最後までしっかりしてください!」
「分かってるわよぉ……!」
こうして、探査船SAKURAはビームアンカーを解除され、ゆっくりとアークノヴァから離れていった。
やがて、重力湾曲エンジンが始動する。
空間がわずかに揺らぎ、SAKURAの巨大な船体が宇宙の彼方へと消えていった。
残されたアークノヴァのクルーたちは、その姿をしばらく見送っていた。
「……未来から来た船、か」
遼が呟く。
「不思議なこともあるものね」
玲奈が答えた。
しかし、リサは別のことが気になっていた。
手の中にある、小さな袋。
メイドロボットが、なぜ自分にこれを渡したのか。
その理由は、まだ分からない。
リサは袋をそっと開いた。
中には、玄米が入っていた。
そして、パッケージには、こう印刷されていた。
新潟米 『命の種』
「…………え?」
リサは息を呑んだ。
指先が震えた。
「これ……お米……?」
その声を聞き、ジョンが駆け寄ってきた。
「リサ、どうした?」
リサは袋を見つめたまま、答えられなかった。
種もみがない。
枯れてしまった米。
もう二度と育てられないかもしれないと、絶望していた。
なのに。
今、目の前にある。
未来からやってきた船のメイドロボットが、自分に託してくれた。
リサの目に、涙が浮かんだ。
「……ありがとう」
誰に向けた言葉なのか、自分でも分からなかった。
去っていったSAKURAにか。
あのメイドロボットにか。
リサは玄米の袋を胸に抱きしめた。
その小さな粒の一つ一つが、途方もなく長い時間を越えて、自分の手元に届いた理由をリサは知らない
「……大切に育てるね ありがとう」




