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80話 SAKURA


探査船SAKURA。

全長約一・八キロメートル。

アークノヴァが地球を出発してから、およそ百年後に建造された、アークノヴァの姉妹船である。

その船内では、今まさに大問題が発生していた。


「船長! アークノヴァがさらに接近しています!」


「分かってるわよ!」


船長の鳴海由香は、ブリッジのモニターを睨みつけた。

そこには、巨大なアークノヴァと、その前方から回り込もうとしている小型機ファルコンの姿が映っていた。


「どうしてこうなるのよ……!」


由香は頭を抱えた。

今回の航海は、人類史上初となる時間航行実験だった。

目的地は、約百年前。

アークノヴァが地球を出発し、未知の宇宙を旅していた時代である。

そして、今回の調査には、極めて重要な目的があった。

アークノヴァが、かつて入手したという――。


ー生命の種ー


その謎を解き明かすこと。

アークノヴァは、人類の歴史を大きく変えた探査船だった。

地球を出発したクルーたちは、数々の未知の惑星を探査し、膨大な観測データを地球へ送り続けた。

その成果は、人類の宇宙開発に計り知れない貢献をもたらした。

重力湾曲エンジンの実用化。

惑星環境の解析技術。

恒星間航行に必要な数々の技術。

アークノヴァが残したデータは、後世の科学者たちにとって、まさに宝の山だった。

そして、アークノヴァの乗組員たちは、今や伝説の英雄として語り継がれていた。

だが――。

その膨大な航海記録の中に、奇妙な空白があった。

ある時期の記録だけが、完全に抹消されていたのだ。

なぜ、その期間の記録が消されているのか。

誰が、何のために消したのか。

長い間、研究者たちはその謎を追い続けた。

やがて、ある資料が注目されるようになった。

アークノヴァの乗組員が残した、個人的な日記。

そこには、ほんの一言だけ、こう記されていた。


『生命の種をもらった』


たった、それだけだった。

何者からもらったのか。

どこで、何をもらったのか。

そもそも、生命の種とは何なのか。

その一文は、後世の人々の想像をかき立てた。

地球外生命体から生命の起源を与えられたのではないか。

人類の誕生に関わる秘密が隠されているのではないか。

あるいは、未知の文明からもたらされた、生命そのものを生み出す技術なのではないか。

さまざまな説が生まれた。

そして、ついに人類は決断した。

アークノヴァが航行した過去へ戻り、その謎を直接確かめる。

そのために建造されたのが、探査船SAKURAだった。


SAKURAには、最新鋭の人工知能が搭載されていた。

ノア・バージョン5。

アークノヴァに搭載されていたノアを基礎として、百年にわたる技術の進歩を注ぎ込んだ最新型AIである。

そして、SAKURAの建造計画が発表されると、乗組員の募集には大勢の応募が殺到した。

誰もが、伝説のアークノヴァが残した謎を解き明かす航海に参加したいと願ったのだ。

最終的に選ばれたのは、二十名の乗組員。

その全員が、アークノヴァとそのクルーたちを心から尊敬していた。


そして――。


なぜか、メイドロボットが一体。


「……ところで、どうしてメイドロボットが選ばれたんだっけ?」


由香は、ふと疑問を口にした。


「船長、今それを気にしている場合ではありません」


副長が冷静に答えた。


「分かってるわよ!」


由香は叫んだ。

そう。

今は、そんなことを考えている場合ではない。

なにしろ、歴史が変わりかねない事態になっているのだから。


SAKURAの今回の航海には、絶対に守らなければならない制約があった。


過去に干渉してはならない。


これが、時間航行実験における最重要原則だった。

アークノヴァの航海を観測する。

生命の種を入手する場面を確認する。

そして、何も変えずに未来へ帰還する。

それだけでいい。

直接接触してはならない。

通信を送ってはならない。

相手の行動に影響を与えてはならない。

もちろん、アークノヴァに発見されることなど、あってはならなかった。

そのため、SAKURAには高度なステルスシステムが搭載されていた。

姿を隠し、通信を遮断し、過去の宇宙空間に存在しないかのように振る舞う。

完璧な計画だった。

少なくとも、つい先ほどまでは。


「ノア・バージョン5! どうしてステルスが解除されたのよ!」


由香が叫ぶ。


『原因を調査中です』


「調査中じゃないわよ! もう見つかってるじゃない!」


『その点については、私も認識しています』


「だったら何とかして!」


『現在、再起動を試みています。ただし、アークノヴァからの捕捉を回避できる保証はありません』


「最悪……!」


由香は頭を抱えた。

なぜ、よりによってアークノヴァに見つかってしまったのか。

あの伝説の英雄たちに。


「船長!」


通信士が叫んだ。


「アークノヴァから通信が入っています!」


由香の顔が引きつった。


「……内容は?」


「音声通信です!」


モニターに、アークノヴァのブリッジが映し出された。

そこには、厳しい表情のアレックス艦長がいた。


『そこの不審船!』


アレックスの声がブリッジに響く。


『ただちに停止しろ! こちらの通信に応答しろ!』


由香は青ざめた。


「うわあああ……!」


乗組員たちが一斉に由香を見る。


「船長、どうしますか!」


「どうするって……!」


由香は必死に考えた。

正体を明かすわけにはいかない。

未来から来たなどと説明すれば、歴史にどんな影響を与えるか分からない。

かといって、このまま逃げ続ければ、アークノヴァとの追跡戦が続いてしまう。


「ノア! ステルスは!」


『復旧まで、あと三十秒必要です』


「三十秒も待てないわよ!」


その時だった。


『こちらアークノヴァ。応答しろ!』


アレックスの声が再び響く。


『これ以上逃走するなら、強制的に停止させる!』


「ひいいっ!」


由香は思わず悲鳴を上げた。

そして、次の瞬間――。


『ビームアンカー、発射!』


「えっ?」


モニターの端で、光が走った。


「船長! ビームアンカーを確認!」


「うそでしょおおおおお!」


SAKURAの船体が大きく揺れた。


『ビームアンカー、船体に接続されました!』


「ちょっと待って! 待って待って待って!」


由香は椅子から立ち上がった。

逃げられない。

通信を拒否し続けることも、もう難しい。

相手は、伝説のアークノヴァ。

そして、こちらは未来からやってきた探査船。

絶対に接触してはいけない相手に、捕まってしまった。


「……どうしよう」


由香は呆然と呟いた。


その時、隣にいたメイドロボットが、いつもの落ち着いた声で言った。


「船長。お茶をお持ちしましょうか?」


「今、お茶を飲んでる場合じゃないでしょおおおお!」


SAKURAのブリッジに、船長の悲鳴が響き渡った。

そして、歴史を変えてはならない探査船は――。

歴史上、最も接触してはいけない相手に、捕獲されようとしていた。

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