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8話 見えない敵

重力湾曲エンジンの点火に失敗してから三日。

アーク・ノヴァは木星宙域で静かに待機を続けていた。

船内では昼夜を問わず原因究明が続いている


機関室。

巨大な重力湾曲エンジンを前に、真田誠は工具箱を閉じた。

隣ではイザベル・ロドリゲスが数千万件にも及ぶ診断データを確認している。


「超伝導リング、正常。」

「重力レンズ発生器、正常。」

「エネルギー供給系統、正常。」

「冷却システム、正常。」


何度確認しても結果は変わらない。

真田は深く息を吐いた。


「……認めるしかない。」


「物理的な故障は一つもない。」


イザベルもうなずく。


「配線、制御回路、推進機構、すべて正常。」


「エンジンそのものに異常はありません。」


その報告を受けたAIノアも即座に全システムを再診断した。


「診断終了。」


「真田主任、イザベル博士の結論に同意します。」


「物理的故障、および機械的トラブルは確認できません。」


ブリッジには重苦しい沈黙が流れた。

正常なのに動かない。

そんな現象は誰にも説明できなかった。

 

通信・情報室。

蒼井悠斗だけは、まだ諦めていなかった。


「機械じゃないなら……ソフトウェアだ。」


船の全プログラムを一行ずつ解析していく。

何億行にも及ぶコードをAIと共同で照合する。


二時間。


五時間。


十時間。


やがて悠斗の表情が変わった。


「……いた。」


モニターの奥深く。

通常ではアクセスできない管理領域。

そこに、ごく小さなプログラムが潜んでいた。


「こんな所に……。」


そのプログラムは自らを複製し、発見されるたびに姿を変えていく。

自己進化型ウイルスだった。


「ノア!」


悠斗が叫ぶ。


「この領域を閉鎖しろ!」


ノアはすぐに応答する。


「実行します。」


しかし。


「警告。」


「管理権限の一部を喪失。」


「自己修復機能、侵食開始。」


ノアの立体映像にノイズが走る。

髪が乱れ、声が途切れ始めた。


「悠斗……。」


「私の……制御領域が……。」


船内の照明が一瞬だけ消える。

人工重力もわずかに揺れた。


「まずい!」


悠斗はキーボードを叩く。

猛烈な速度でコードを書き換えていく。


「時間との勝負だ!」


その頃。

ブリッジではノアの異常が次々と広がっていた。

生命維持システム。

通信。

航法。

すべてにエラーが発生し始める。

玲奈が叫ぶ。


「悠斗!」


『感染が速すぎる!』


「感染源を切り離さないと止められない!」


悠斗の声が通信機から響く。


「遼!」


「ノアの制御室へ行ってくれ!」


「中央制御ユニットの青いモジュールを物理的に破壊するんだ!」


「感染はそこから広がっている!」


「分かった!」


遼は工具ケースを抱え、通路を駆け出した。

制御室。

青白い光が明滅している。

中央にはノアの量子制御ユニット。

その一部だけが赤黒く点滅していた。

スピーカーからノアの苦しそうな声が聞こえる。


「遼……。」


「お願いします。」


「そこは……もう私ではありません。」


遼は一瞬だけためらう。


「……すまない。」


工具を振り下ろした。

ガンッ!

制御モジュールが砕け散る。

その瞬間。

船内の警報が止まった。


「感染領域、切り離し成功。」


悠斗は休む間もなく作業を続ける。


「今しかない!」


彼はウイルスの構造を解析し、逆に自己増殖を停止させるプログラムを書き始めた。

数万行。

数十万行。

ノアと協力しながら、即席のワクチンプログラムを完成させる。


「送信!」


プログラムがノアへ流れ込む。


数秒後。

赤く染まっていたデータ領域が、ゆっくりと青へ戻っていく。


「感染停止。」


「自己修復開始。」


ノアの映像が元に戻る。


「悠斗。」


「ありがとう。」


悠斗は椅子にもたれ込み、大きく息を吐いた。


「もう……徹夜は勘弁してくれ。」


船内には安堵の笑いが広がった。



数日後。


地球では政府による緊急調査が行われていた。

解析の結果、ウイルスはアーク・ノヴァ建造中に極秘で組み込まれたものだったことが判明する。

実行したのは、開発企業に所属していた複数の技術者。

彼らは金銭と引き換えに、計画を失敗させるよう依頼を受けていた。

さらに捜査が進むと、その資金の流れは一人の政治家へとつながる。

地球再生党 議員・堀内正樹。

堀内はアーク・ノヴァ計画を失敗させ、政権への批判を高めることで政治的利益を得ようとしていた。

その日のうちに関係者は逮捕され、堀内も捜査当局に身柄を拘束された。

記者会見で政府は発表する。


「本計画への妨害行為は、すべて排除されました。」


「アーク・ノヴァ計画は継続します。」


木星宙域。

真田がブリッジで静かに言う。


「エンジン、再点火準備完了。」


イザベルが微笑む。


「今度こそ、本当に飛べます。」


アレックスはクルー全員を見渡した。


「長かったな。」


誰もがうなずく。


「重力湾曲エンジン。」


「点火。」


今度は青白い光が静かに広がっていく。

低い振動が船全体を包み込む。

ノアが穏やかな声で告げた。


「重力湾曲エンジン、正常起動。」


「アーク・ノヴァ、恒星間航行を開始します。」


木星を背に、人類初の恒星間探査船は、ついに太陽系の果てへ向けてゆっくりと加速を始めた。

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