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77話 未確認飛行物体


アクエリアスでの楽しいバカンスも終わった。

アークノヴァに帰還したクルーたちは、再び忙しい日常へと戻っていた。

アクエリアスから大量の水を確保したことで、長い間悩まされていた水不足も、ようやく解消された。

現在、艦内では資源運搬船とアークノヴァ本体を接続する工事が進められている。

配管の接続、電力ケーブルの敷設、通信システムの統合など、やるべきことは山ほどあった。


そんな中、リサは久しぶりに農業プラントへと足を運んでいた。


「はあ……アクエリアス、楽しかったなあ」


歩きながら、リサは思い出していた。

どこまでも広がる青い海。

みんなで泳いだこと。

夜空を眺めながら食べたバーベキュー。

そして、あの静かな波の音。

思い出すだけで、自然と笑みがこぼれる。


「また、いつか行けたらいいな」


そんなことを考えながら、リサは農業プラントの米栽培区画へと入った。


そして――。


「…………え?」


足が止まった。

目の前の光景が、すぐには理解できなかった。

茶色く変色した稲。

垂れ下がった葉。

ひび割れた培地。

区画全体が、まるで枯れ野原のようになっていた。


「うそ……」


リサは慌てて駆け寄った。

葉に触れる。

乾ききっていた。

根元を確認する。

もう、どうにもならない。


「なんで……?」


すぐに管理端末を確認した。

そして、リサはすべてを理解した。

水不足が深刻だった時期、農業プラントでも節水が徹底されていた。

水の使用量を減らすため、各区画の水量調整バルブが絞られたのだ。

しかし、米の栽培区画では、その調整が行き過ぎていた。

必要な水まで止めてしまっていたのである。


「私が……ちゃんと確認していれば……」


リサの顔から血の気が引いていく。

だが、問題はそれだけではなかった。

彼女は急いで種子の保管庫へ向かった。

残っているはずだ。

次の栽培に使う種もみが、少しでも残っていれば――。


保管庫を開ける。

中を確認する。

何度も、何度も。

けれど、どこにも見当たらなかった。


「……ない」


リサの声が震えた。

種もみは、すべて使い切っていた。

つまり――。

次に米を育てるための種が、一粒も残っていない。


「お米が……なくなった……?」


その場に立ち尽くす。

アークノヴァの乗員は大勢いる。

米は、食事を支える重要な食料の一つだ。

これから先、長い宇宙の旅が続く。

もし米が二度と収穫できないと知れ渡ったら、どうなるだろう。


「みんな、怒るよね……」


いや、怒るだけならまだいい。

食料への不安が広がれば、艦内が大混乱になるかもしれない。

最悪の場合、暴動だって起こりかねない。

リサは頭を抱えた。


「どうしよう……どうしよう……」


いくら考えても、解決策は浮かんでこない。

枯れた稲を元に戻すことはできない。

種もみも残っていない。

地球から取り寄せることもできない。

ここは宇宙船の中なのだ。


「……遼に相談するしかない」


リサは、ぽつりと呟いた。

遼なら、何か方法を考えてくれるかもしれない。

そう思った。

けれど、同時に別の不安が胸に浮かんだ。

水の管理を任されていたのは農業プラント側だ。

自分たちの管理ミスで、米を全滅させてしまった。

そんな話を、どうやって切り出せばいいのだろう。


「……怒られるかな」


リサは肩を落とした。

それでも、黙っているわけにはいかない。

なんとか遼に相談しよう。

そう決めて、農業プラントを後にした。


一方、アークノヴァでは資源運搬船との接続工事が急ピッチで進められていた。

遼も作業に追われ、ようやく休憩時間になると食堂へ向かった。

自動ドアが開いた瞬間――。


ふわっ。


甘い匂いが鼻をくすぐった。


「……なんだ?」


遼は足を止めた。

チョコレートの香りだった。

食堂の奥を覗いてみると、ひかりがエレナの隣で何かを作っていた。


「ひかり、何やってるんだ?」


「あ、遼!」


ひかりが振り返った。

その手には、溶かしたチョコレートの入ったボウルがある。


「なにそれ?」


「チョコレート!」


「いや、それは見れば分かるけど……」


ひかりは嬉しそうに笑った。


「バレンタインチョコを作ってるの!」


「ああ、なるほど」


遼は納得した。

そして、何気なく尋ねる。


「誰にあげるんだ?」


「隼人!」


ひかりは即答した。

あまりにも迷いがない。


「……」


遼は一瞬、言葉を失った。

そこまで堂々と自分の感情を表現できるとは。

若さなのか。

それとも、ひかりが特別なのか。


「エレナに教えてもらってるんだよ!」


「そうよ」


エレナが笑った。


「ひかりちゃん、なかなか筋がいいの。もう少しで綺麗に仕上がるわ」


「えへへ」


ひかりは嬉しそうにチョコレートをかき混ぜている。

遼はそんな二人を眺めながら、ふと昔の自分を思い出した。

自分は昔から、女の子にモテたためしがない。

だからなのか、こんな光景を見ていると、少しだけ羨ましい気持ちになる。

その時だった。

ふと、視線を感じた。

遼は顔を上げた。

食堂の柱の陰。

そこから、リサがこちらを見ていた。


「あれ?」


目が合った瞬間、リサは慌てて顔をそらした。

そして、どことなくもじもじしている。


「……?」


遼の心臓が、ドクンと鳴った。

まさか。

いや、待て。

そんなわけがない。

昔から女の子にモテたことなんて一度もない。

それなのに――。


「……俺?」


思わず胸が高鳴る。

リサは何か言いたそうにしている。

だが、遼が見ると、また視線を逸らした。

実際のリサは、米の全滅をどう説明するか、必死に考えていただけだった。

しかし、そんな事情を知らない遼には、彼女が何か特別な話をしようとしているようにしか見えなかった。


しばらくして、遼は思い切って声をかけた。


「リサ」


「……な、なに?」


「さっきから何か言いたそうだけど」


「え?」


「何かあるのか?」


リサは一瞬、遼を見つめた。

言わなければ。

今こそ、農業プラントのことを話すべきだ。


「あ、あの……実は……」


「実は?」


「……なんでもない!」


結局、言えなかった。

リサは顔を真っ赤にして、そのまま逃げるように食堂から出ていってしまった。


「え……?」


遼は呆然とその背中を見送った。


「なんだったんだ……?」


ひかりがニヤニヤしながら遼を見る。


「遼、モテ期じゃない?」


「いやいや、そんなわけないだろ」


エレナも意味ありげな笑みを浮かべた。


「さあ、どうかしらね?」


「……?」


遼は首を傾げた。

リサの頭の中では、枯れた稲と空っぽの種子保管庫が、いまだにぐるぐると回っていた。

一刻も早く相談しなければならない。

そう分かっているのに、どうしても言い出せない。

そんな時――。


ビーッ!


ビーッ!


ビーッ!


突然、艦内にけたたましい警報が鳴り響いた。


『緊急警報。緊急警報』


食堂の空気が一瞬で変わった。


『未確認飛行物体を確認しました』


「え?」


遼は立ち上がった。

さっきまでの甘い空気が、一瞬で消え去る。

艦内の各所から人が飛び出してくる。


「未確認飛行物体だと?」


「どこから来たんだ?」


「敵か?」


「まさか……」


ざわめきが広がる。

遼は急いでブリッジへ向かった。

そこでは、すでにノアが解析を開始していた。

大型モニターに、宇宙空間に浮かぶ巨大な物体が映し出されている。


「ノア、あれは何だ?」


遼が尋ねる。


「現在、解析中です」


数秒後、ノアが報告した。


「全長、約千八百メートル」


「1800メートル……?」


あまりの大きさに、誰も言葉を失った。


「船なのか?」


「形状から見て、人工物である可能性が高いと思われます」


遼の表情が変わった。


「人工物……?」


「はい。対象は現在、アークノヴァとの距離を一定に保っています」


「攻撃してくる様子は?」


「現時点では確認できません」


「通信は?」


「応答はありません」


遼はモニターを見つめた。

巨大な謎の飛行物体。

攻撃もしてこない。

通信にも応じない。

ただ一定の距離を保ちながら、こちらを観測している。


「……地球外生命体との接触か?」


誰かが呟いた。

その言葉が、静まり返ったブリッジに響いた。

遼は巨大な飛行物体を見つめた。

ほんの少し前まで 甘いチョコレートの匂いがしていた食堂でリサは、何かを言いかけていた。

気にはなったが、今はそれどころではない。


人類史上、誰も経験したことのない瞬間が訪れようとしていた。


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