73話 アクエリアス
二十日間。
アークノヴァのクルーたちにとって、それは長い時間だった。
特に――
「もう限界!」
玲奈が叫んだ。
「分かる!」
イザベルも叫ぶ。
二人は女性用居住区の鏡の前に並んでいた。
「……自分でも分かる」
玲奈が自分の服の匂いを確認する。
「私、臭い……」
「私も」
イザベルが真顔で頷いた。
「こんなの初めてよ」
「私だって……」
「シャワーを浴びたい」
「浴びたい……」
二人はしばらく無言で鏡を見る。
「……もう一度だけ聞くけど」
玲奈が言った。
「本当にシャワー禁止?」
「禁止です」
リサが答える。
「水がないんだから仕方ないでしょう」
「分かってるけど!」
「あと数日我慢してください」
「その数日が長いのよ!」
玲奈が頭を抱える。
そこへ遼が通りかかった。
「どうした?」
「遼」
玲奈が振り返る。
「今、何も言わないで」
「……はい」
遼は何も言わずに通り過ぎようとした。
しかし――
「待って」
「はい?」
「あなた、ちょっと離れて」
「なんで?」
「……臭いが気になるから」
「えっ」
遼が自分の服を嗅ぐ。
「……あ」
自分でも分かった。
「俺も臭い」
「でしょう?」
イザベルが冷たい目を向ける。
「もう、全員同じよ」
「じゃあ仲間じゃん」
「そういう問題じゃない!」
女性陣から一斉に突っ込まれた。
そんな中――
「解析結果が出ました!」
ノアの声が船内に響いた。
全員が艦橋へ集まった。
巨大なモニターに、一つの惑星が映し出される。
青。
ほとんど青。
「……すごい」
遼が呟いた。
解析が進む。
「惑星表面の約九十パーセントが液体の水に覆われています」
「九十パーセント!?」
ハッサンが声を上げた。
「水惑星です」
ノアが続ける。
「大気も存在します」
「酸素は?」
玲奈が尋ねる。
「地球より少ないですが、存在します」
「呼吸できる?」
「現時点の分析では、可能性があります」
「水は?」
「大量にあります」
「……」
全員が顔を見合わせた。
次の瞬間。
「よっしゃあああああ!」
誰かが叫んだ。
「水だ!」
「やった!」
「これで水不足から解放される!」
艦橋が歓喜に包まれた。
遼も両手を上げた。
「シャワー!」
玲奈とイザベルも叫ぶ。
「シャワー!」
「プール!」
「洗濯!」
「風呂!」
もはや水を見つけた喜びなのか、二十日間の禁欲生活から解放される喜びなのか分からない。
そんな中、ノアが淡々と告げる。
「なお、惑星の水が安全に使用できるかは、現地での検査が必要です」
全員が一瞬静かになった。
「……まあ」
遼が頷く。
「そこは大事だな」
前回のオアシスの水の件がある。
今度こそ慎重に調べなければならない。
玲奈が頷いた。
「アクエリアスへの降下作戦を開始します」
その言葉とともに、アークノヴァの構造図が表示された。
「今回、アークノヴァそのものが降下するわけではありません」
リサが説明する。
「船体を分離します」
「分離?」
男性陣の目が輝いた。
「……!」
アレックスがモニターを見る。
「つまり?」
「エンジン部と居住区を残して、艦下部分を切り離します」
分離された艦下部分は、運搬専用艦として使用する。
「運搬専用艦なら、一度に約百トンの水を積載できます」
「百トン!?」
遼が目を丸くする。
「ルーデウス号は?」
「せいぜい1トンです」
「百倍じゃん!」
男性陣がざわつく。
「分離……」
「そして合体……」
「なんかカッコいいな」
アレックスが目を輝かせる。
「もしかして、こう……」
アレックスが両手を広げる。
「ガシャン!」
「ガシャン!」
隼人まで乗ってきた。
「合体!」
「…………」
リサが冷たい目で二人を見る。
「何を期待しているの?」
「いや……」
アレックスが少し恥ずかしそうにする。
「アニメみたいな変形とか……」
「しません」
「…………」
「分裂にも三日ほどかかります」
「三日?」
「はい」
リサが構造図を表示する。
「各種ケーブルの切り離しと接続変更、配管の確認、電力系統の切り替え、通信系統の再構築など、人の手でやらなければならない作業が大量にあります」
「…………」
男性陣の表情から、輝きが消えた。
「つまり……」
遼が恐る恐る尋ねる。
「ガシャン! じゃない?」
「ガシャン! ではありません」
「…………」
「地味で大変な作業です」
「夢がない……」
アレックスが肩を落とした。
こうして、三日間に及ぶアークノヴァ分離作業が始まった。
ケーブルを外す。
別のケーブルを接続する。
配管を確認する。
ボルトを外す。
また締める。
確認する。
もう一度確認する。
「これ、あと何時間?」
「まだ一日目です」
「…………」
遼は遠い目をした。
それでもクルー全員が力を合わせ、少しずつ作業を進めていく。
そして三日後。
「分離作業、完了!」
ついに艦下部分が独立した。
巨大な運搬専用艦。
その姿を見て、男性陣が再び少しだけ目を輝かせる。
「……今度こそカッコいい」
「そうね」
玲奈も笑った。
いよいよアクエリアスへ向かう。
「全員、作業船へ移乗します」
玲奈が指示する。
「ノアとバローはアークノヴァに残ってください」
「了解しました」
ノアが答える。
バローも静かに頷いた。
「皆様、お気をつけて」
そして――
作業船が発進した。
巨大な青い惑星、アクエリアスへ向かって降下していく。
「海が見える!」
ひかりが叫んだ。
「本当に海だ!」
「すごい……」
眼下に広がる青。
どこまでも続く海。
白い雲。
そして、遠くに見える陸地。
「……泳げるかな?」
遼が呟いた。
「分析では可能性があります」
ノアから通信が入る。
「水温も生命活動に適した範囲である可能性があります」
「泳げる!」
遼が叫んだ。
「海で泳げるぞ!」
ハッサンが笑う。
「水着持ってきた人いる?」
「持ってきた!」
アレックスが即答した。
「なんで持ってるんだよ!」
「宇宙船に水着くらい置いておくだろ!」
「普通は置かない!」
船内に笑い声が響く。
つい数日前まで、シャワーすら我慢していたクルーたち。
今では誰もが、目の前の青い海を見ていた。
「……バカンスみたい」
玲奈が笑う。
「そうね」
イザベルも笑った。
「ただし、まだ未知の惑星よ」
「分かってる」
遼が頷く。
「まず水の安全確認」
「そう」
「その次に――」
遼は海を見つめる。
「泳ぐ!」
「気が早い!」
玲奈が笑った。
作業船は青い海へ向かって、ゆっくりと高度を下げていった。




