72話 節水
遼がアークノヴァに戻ってから、しばらくして――。
「遼!」
格納庫の奥から、誰かが物凄い勢いで走ってきた。
「ちょっと待ってーーーーーー!」
「え?」
遼が振り返る。
走ってきたのはリサだった。
顔がものすごく真剣だ。
「その水、飲まないで!」
「……水?」
遼は首を傾げた。
そこには、オアシスから採掘した水が入った容器が並べられている。
「なんで?」
「検査結果が出たの!」
リサは息を切らしながら言った。
「採掘した水の中に、少量だけど重金属が混じってたの」
「重金属?」
「それだけじゃないの」
リサが分析結果を表示する。
「未知の物質も検出された」
「未知?」
遼の顔から笑顔が消えた。
「人体にどんな影響があるのか、まだ分からない」
イザベルも険しい顔で頷く。
「毒性がある可能性も否定できません」
「……じゃあ」
遼は水の容器を見る。
「飲んじゃ駄目なの?」
「駄目」
リサが即答した。
「絶対に」
「一口も?」
「一口も」
「煮沸しても?」
「駄目」
「浄水器を通しても?」
「現時点では駄目」
「じゃあ……」
遼は容器を見つめた。
「せっかく採ったのに……」
肩が落ちる。
「俺、これ採るために宇宙に放り出されたんだけど……」
「それは事故でしょう」
イザベルが冷静に突っ込む。
「いや、結果的には命懸けだったじゃん」
「それは認めます」
「なのに飲めない?」
「飲めません」
「……」
遼は水の入った容器をじっと見つめた。
「水ですけど、飲めない水です」
「ややこしいな……」
ハッサンが苦笑する。
「まあ、命が助かっただけでも良かったじゃないか」
「そうだけどさ……」
遼は深いため息をついた。
そして、最終的に――
オアシスから採掘した水は、すべて廃棄することが決定した。
貴重な水資源。
しかし、安全性が確認できない以上、使うことはできない。
アークノヴァの外へ放出された水は、きらきらと光を反射しながら、宇宙の彼方へ消えていった。
「……さらば、水」
遼が手を振る。
「そんなに悲しそうにしないで」
玲奈が笑う。
「だって俺の命の水だったんだぞ」
「それを言うなら、命の水じゃなくて、命懸けで採ったけど使えなかった水ね」
「もっと悲しくなった……」
こうして、アークノヴァは再び深刻な水不足に陥った。
すぐに作戦会議が開かれた。
「現在の水残量は?」
玲奈が尋ねる。
「節約を続ければ、しばらくは持ちます」
リサが答える。
「ただし、余裕はありません」
「つまり?」
「新しい水源を見つける必要があります」
ノアが大量の観測データを表示する。
「現在の航路上に存在する惑星、衛星、彗星を再調査します」
次々と天体が表示されていく。
大気。
温度。
氷。
水蒸気。
地下水。
地質活動。
さまざまなデータが分析されていく。
「……あ」
ノアが声を上げた。
「候補を発見しました」
全員がモニターを見る。
そこには、一つの惑星が表示されていた。
「ここから約二十日ほど先です」
「水があるの?」
遼が身を乗り出す。
「水の存在を示す観測結果があります」
「どれくらい?」
「現時点では不明です」
「飲める?」
「現時点では不明です」
「……またそれか」
遼が苦笑する。
「未知の惑星なんだから当然でしょう」
イザベルが言う。
「まず現地で調査する必要があります」
玲奈が頷いた。
「よし。この惑星へ向かおう」
こうして、アークノヴァは進路を変更した。
目的はただ一つ。
**水の確保。**
しかし――
そこへ到着するまで、約二十日。
つまり、それまでの間。
「節水をさらに強化します」
リサが宣言した。
「……さらに?」
遼が嫌そうな顔をする。
「さらにです」
その日から、アークノヴァでは新たな節水生活が始まった。
まず、水道の蛇口。
その横には大きな張り紙が貼られた
――**節水にご協力ください。**
さらにその下。
――**出しっぱなし厳禁。**
さらにその下。
――**水は大切に。**
「……張り紙増えすぎじゃない?」
遼が呟く。
「それだけ水が大事ってことよ」
玲奈が答える。
シャワーは――
禁止。
「シャワー禁止って……」
遼が絶望する。
「身体はどうするんだ?」
「濡れタオルで拭いてください」
「二十日間?」
「二十日間です」
「……」
遼は遠い目をした。
そしてトイレ。
こちらも節水モードが限界まで調整された。
「……これ、本当に流れる?」
遼がレバーを操作する。
チョロ……
「…………」
遼が待つ。
チョロ……
「…………」
さらに待つ。
「……流れた?」
「たぶん」
「たぶんって何!」
ひかりが後ろから叫ぶ。
「水があるだけありがたいと思って」
「それはそうだけど……」
船内のあちこちに節水の張り紙が増えていく。
洗面所。
キッチン。
シャワールーム。
トイレ。
食堂。
ついにはプールの入口にも――
**――現在、使用禁止。**
遼はその張り紙の前で立ち尽くした。
「……いつか復活するよな」
「水が確保できればね」
玲奈が答える。
「約束だぞ」
「はいはい」
遼はプールを見つめた。
そして小さく呟く。
「……アクエリアスでは、思いっきり泳ぐぞ」
「まだ惑星に名前もつけてないでしょう」
「じゃあ、今つけた」
「勝手に決めないで」
そんなやり取りをしながらも――
アークノヴァは、静かに宇宙を進んでいた。
水の残量は少しずつ減っていく。
目的地まで、あと二十日。
その先に本当に水があるのか。
そして――
その水は、人類が安全に使えるものなのか。
誰にも、まだ分からなかった。




