67話 金属版
厳重に遮断された通信室。
アークノヴァのクルーたちは、モニターに映る人物を見つめていた。
顔も名前も伏せられた人物。
ただ、画面には一つの名前だけが表示されている。
―― K
K氏はしばらく黙っていた。
そして、ゆっくりと口を開いた。
「重力湾曲エンジンの話をするには……まず、この金属板について話さなければなりません」
モニターに、一枚の黒い金属板が映し出される。
薄く、平らな板。
しかし、その表面には、地球上のどんな文字とも違う複雑な模様が刻まれていた。
「これは、第二次世界大戦中に南極大陸で発見されたものです」
玲奈が尋ねる。
「南極で?」
「はい」
K氏が続ける。
「当時、ナチス党が南極大陸で秘密裏に調査を行っていました。その地下から掘り出されたのが、この金属板です」
画面には、古い記録写真が次々と表示される。
「その存在を知ったアメリカ、ヨーロッパ、ソ連は、金属板の奪い合いを始めました」
「多くの犠牲者が出ました」
「最終的に金属板を手にしたのはアメリカです。CIAが管理することになりました」
イザベルは眉をひそめた。
「そんな昔から……」
「ただし、当時の科学力では、ほとんど何も分かりませんでした」
K氏は一度、画面の金属板を見る。
「分かったのは一つだけ」
「地球由来の物質ではない」
その言葉を口にした瞬間――
K氏の胸の奥に、遠い記憶が蘇った。
泥だらけの川岸。
血に染まった男。
震える手で差し出された黒い金属板。
『これを……持って逃げろ……』
K氏は一瞬、目を伏せた。
「K氏?」
玲奈の声。
「……失礼しました」
K氏は我に返る。
「時代は進みました」
「そして二一〇〇年代になり、地球の科学技術は飛躍的に発展しました」
量子解析。
未知物質の構造解析。
エネルギー情報の読み取り。
「ついに、金属板に記録されていた情報を解析できるようになった」
K氏は淡々と語る。
「そこで判明したのです」
少し間を置く。
「これは単なる記録媒体ではない」
「大規模破壊兵器の設計図も含まれる 未知の技術を記す媒体だった」
室内が静まり返る。
イザベルが画面を睨む。
「……重力湾曲エンジン?」
「その基礎技術も含まれていました」
K氏は答えた。
「さらに、一部には兵器としての応用方法まで記録されていた」
その瞬間、K氏の脳裏に別の光景が浮かんだ。
――逃げる男。
――追ってくる車。
――ミズーリ川。
「しかし、その解析が進んだ頃――」
K氏は続ける。
「一人の科学者が金属板を研究施設から持ち出しました」
「なぜ?」
遼が聞く。
「分かりません」
「目的も、思想も、逃走先も不明です」
「ただ、その科学者が何者かから逃げていたことだけは分かっています」
――30年程前
アメリカ、アイオワ州。
ミズーリ川。
二人の少年が釣りをしていた。
「全然釣れないな」
キースが釣り竿を見つめる。
「だから言っただろ」
リアムが水面を見つめたまま答える。
「もう帰ろうぜ」
「嫌だ」
キースは退屈そうに河原の石を拾う。
「ほら」
ポーン。
石が水面に落ちる。
「おい!」
リアムが怒鳴る。
「邪魔するなよ!」
「だって暇なんだもん」
二人は笑った。
学校をさぼって釣りをしている。
それだけの、何でもない一日だった。
そのとき――
キースが川下を見た。
「……リアム」
「何?」
「あれ、人じゃないか?」
川岸に男が倒れていた。
二人は近づいた。
男は重傷だった。
それでも、まだ生きていた。
「おじさん!」
男は震える手で、黒い金属板を差し出した。
「これを……」
「何?」
「持って……逃げろ……」
「逃げるって?」
男は周囲を気にするように振り返る。
「追ってくる……」
そして最後の力を振り絞った。
「絶対に……誰にも渡すな……」
男の手から力が抜けた。
二人は呆然と立ち尽くした。
「……映画みたいだな」
キースが呟く。
最初、二人は少しだけ興奮していた。
非日常が始まった。
そんな気がした。
だが――
遠くから車の音が聞こえた。
そして。
パァン!
銃声。
「走れ!」
二人は森へ逃げ込んだ。
そこから始まった。
一日目。
森を抜ける。
二日目。
農道を避ける。
廃屋に隠れる。
ほとんど眠れない。
水も食料も足りない。
それでも追手は追ってくる。
「誰を信じればいいか分からない」
警察に行っていいのか。
誰かに助けを求めていいのか。
それすら分からなかった。
三日目。
二人はさらに追い詰められていた。
リアムの顔は青ざめている。
そして――
銃声。
リアムが倒れた。
「リアム!」
キースは夢中で駆け寄った。
血が広がっていく。
「大丈夫だ!」
「……キース」
「立てるか?」
「……もう無理だ」
リアムの呼吸は弱かった。
キースは必死に肩を貸した。
しかし、自分でも分かっていた。
このままでは二人とも助からない。
「……リアム」
「何?」
「もう……投降しよう」
リアムが驚いた顔をする。
「金属板も渡そう」
「……駄目だ」
「でも――」
「駄目だ」
リアムは首を振った。
そして、川岸で出会った男を思い出す。
命を懸けて、この金属板を託してきた男。
「キース……」
「……」
「俺を置いて逃げろ」
キースの顔が歪む。
「……何言ってるんだよ」
「お前だけでも逃げろ」
「だめだ」
「キース」
「だめだ!」
涙が溢れる。
「お前を置いていけるわけないだろ!」
リアムは苦しそうに笑った。
「でも……俺たちが逃げないと、あの人が託したものまで無駄になる」
「……」
「この金属板は、渡しちゃだめだ」
リアムは胸元を押さえた。
「最後まで守ろう」
キースは首を振り続ける。
「一緒に帰ろう……」
リアムはしばらく黙っていた。
そして、小さく笑った。
「……帰りたいな」
「だったら――」
「また釣りしよう」
キースの目から涙が落ちる。
「……うん」
「今度は魚、いっぱい釣ろう」
「……うん」
「お前、石投げて邪魔するなよ」
「……しないよ」
リアムは少しだけ笑った。
そして――
「ありがとう、キース」
「……何言ってるんだよ」
「ずっと友達でいてくれて」
キースはリアムの手を握った。
「当たり前だろ……」
リアムの指から、少しずつ力が抜けていく。
「キース……」
「ここにいる」
「……よかった」
それが最後だった。
「リアム?」
返事はない。
「リアム!」
キースは何度も肩を揺らした。
しかし――
リアムはもう動かなかった。
「嘘だろ……」
キースはリアムを抱きしめた。
声を上げて泣いた。
何度も名前を呼んだ。
泣いて。
叫んで。
涙が枯れるほど泣いた。
それでも――
リアムは帰ってこなかった。
やがて遠くから車の音が聞こえた。
追手が近づいてくる。
キースは涙を拭った。
胸元の金属板を握る。
「……分かった」
「お前の言う通りにする」
キースは一人で走り出した。
――現在。
K氏は長い沈黙のあと、ようやく口を開いた。
「私がまだ少年だったころ ミズーリ川で脱走兵らしき男から金属版を託されました」
「追ってきた兵隊達は私たちに向かって銃を発砲してきました」
「私は金属版を渡しても殺されると直感的に思いました」
「全力で逃げました」
「……私は、その後アメリカを離れました」
「カナダへ密入国し、そこからさらに逃げました」
「最終的に、日本国に保護を求めました」
玲奈は黙ってK氏の話を聞いている。
「そこで私は名前を変えました」
「過去を捨てたわけではありません」
「ただ、生きるために必要だった」
K氏は続ける。
「年月が流れ、私は内閣宇宙開発安全保障局の職員になりました」
「そして――」
金属板が再び画面に映る。
「どうしても、この秘密を知りたかった」
「なぜ、あれほど多くの人間が命を懸けて追い続けるのか」
K氏は研究を続けた。
何年も。
何十年も。
そして、少しずつ金属板から情報を引き出していった。
「その一部が、重力湾曲エンジンです」
イザベルが息を呑む。
「そして――」
画面に、先日の兵器のデータが映る。
「重力湾曲レーザー砲」
「……あれも」
「はい」
K氏は頷いた。
「金属板にあった技術を、地球側で再構築したものです」
さらに別のデータが表示される。
数字。
記号。
そして、恒星の位置を示しているような情報。
ジョンが身を乗り出す。
「これは……恒星座標?」
「おそらく」
K氏は答える。
「完全には解析できていません」
「しかし、その中には明らかに恒星の位置を示していると思われるデータがある」
イザベルは黙って画面を見つめた。
K氏は静かに告げる。
「アークノヴァが向かっている場所は――」
「この座標を調査するためです」
玲奈が息を呑む。
「じゃあ……」
「そうです」
K氏は続ける。
「アークノヴァの旅は、金属板の秘密を追う旅でもある」
そして――
「最後に、一つだけ」
K氏の声が低くなる。
「絶対に外へ漏らしてはいけない情報があります」
画面が暗くなる。
「金属板そのものが、現在も内閣宇宙開発安全保障局に保管されている」
「この事実です」
遼が尋ねる。
「そんなに危険なのか?」
K氏は答えた。
「もし世界中に知られれば――」
「アメリカ、ヨーロッパ、ロシア、中国……」
「各国が動くでしょう」
「金属板を奪い合うために」
K氏は静かに言った。
「世界大戦が起きても、おかしくありません」
室内が静まり返る。
「だから、この情報はSSS級機密です」
誰も口を開かなかった。
K氏はモニターに映る金属板を見つめていた。
その黒い表面の向こうに――
何十年経っても忘れられない、親友リアム ノヴァの顔が目に浮かぶ
――また釣りをしよう。
K氏は目を閉じた。
そして心の中で、静かに答える。
――ああ。
――いつか必ず。
その一言を、K氏は誰にも聞こえない声で呟いた。




