6話 1ヶ月後の日常
アーク・ノヴァが月面基地を離れてから、一か月が過ぎた
窓の外には、巨大な木星が広がっている。
渦を巻く雲。
赤く染まる大赤斑。
人類が何度も観測してきた惑星は、間近で見るとまるで生き物のようだった。
ブリッジでは神谷玲奈が航行状況を確認していた。
「予定どおり木星重力圏へ到達。」
「これより最終調整に入ります。」
アーク・ノヴァはここから、本格的な恒星間航行へ移る。
重力湾曲エンジンを最大出力で運用するため、すべてのシステムを木星近傍で最終調整する必要があった。
この先、簡単に引き返すことはできない。
まさに、人類最後の準備期間だった。
この一か月、乗員たちは毎日訓練を続けていた。
小型探査機の操縦。
宇宙遊泳。
船外修理。
緊急脱出訓練。
人工身体になったとはいえ、新しい肉体に慣れるには時間が必要だった。
「遼! 早く!」
元気な声が格納庫に響く。
声の主は天城ひかり。
外見は二十五歳ほどの女性。
しかし本当の年齢は十三歳。
難病によって余命を宣告され、人類最年少で義体転送を受けた少女だった。
その頭脳は驚異的で、IQは一八〇を超える。
量子演算や航法理論では大人たちも舌を巻く。
だが、中身はどこまでも十三歳。
甘い物が大好き。
宿題のような報告書は大嫌い。
気に入らないことがあるとすぐ頬を膨らませる。
「訓練は真面目にしなさい。」
女性医師のエレナが苦笑する。
「だってつまらないもん!」
「またそんなこと言って。」
乗員たちは思わず笑う。
誰もひかりを子ども扱いはしない。
しかし、自然と見守ってしまう。
そんな存在だった。
「おい、ひかり。」
格納庫の奥から声が飛ぶ。
「また逃げてるのか?」
現れたのは神崎隼人。
現在の見た目は二十五歳。
本来の年齢は十八歳。
天才的な小型宇宙機パイロットとして期待されていたが、訓練中の事故で命を落としかけ、義体転送によって生き延びた青年だった。
操縦技術だけなら、人類最高峰と言われている。
「逃げてない!」
「十分逃げてる。」
「隼人なんか大嫌い!」
「俺もお前のワガママには慣れた。」
「何それ!」
ひかりは工具を投げる真似をする。
隼人は笑いながら避ける。
「子ども。」
「子どもって言うな!」
「中身は子どもだろ。」
「身体はあんたと同じだから!」
また言い合いになる。
周囲では誰も止めない。
「あの二人、今日も元気ね。」
エレナが笑う。
遼も笑顔で頷いた。
「本当の兄妹みたいだ。」
この頃になると、乗員たちの間には一つのルールができていた。
「もう敬語はやめよう。」
そう提案したのは船長のアレックスだった。
「見た目は全員二十五歳前後。」
「同じ船で何年も暮らす仲間だ。」
「名字より名前で呼び合った方がいい。」
誰も反対しなかった。
「じゃあ遼。」
「よろしく。」
「よろしく、アレックス。」
「玲奈。」
「はい……じゃなかった。」
玲奈は照れくさそうに笑う。
「よろしく、遼。」
少しずつ、船の空気が変わっていく。
上司でも部下でもない。
年齢も過去も関係ない。
全員、同じ目的地を目指す仲間になっていた。
その日の夜。
食堂では全員そろって夕食を囲んでいた。
もちろん、本当の食事
人工身体でも栄養は内部で循環され必要な行為だ。
「食べる」という行為は、人間の心を保つためにも欠かせない。
ひかりは大皿いっぱいのオムライスを頬張る。
「幸せ〜!」
「そんなに食べると太るぞ」
隼人が呆れる。
「いいでしょ!」
「甘い物は別腹!」
「それ、全部別腹だろ。」
食堂は笑いに包まれた。
遼はその光景を静かに眺める。
出発前は、誰もがお互いを「任務を共にする乗員」としか見ていなかった。
だが、今は違う。
家族とも友人とも少し違う。
長い旅を共にする、かけがえのない仲間になり始めていた




