33話 消えていく命
「エンジン最大出力!」
真田の声が機関室に響く。
『主機関、出力一120パーセント。』
『全エンジン点火。』
アーク・ノヴァが轟音とともに加速を始めた。
船体全体が激しく震える。
警報が鳴り続け、各所から金属の軋む音が聞こえてくる。
「このまま航路を維持!」
玲奈が叫ぶ。
『ひかり航路を投影します。』
ノアの声とともに、操縦席前方に青い光の航路が浮かび上がる。
一本だけ。
生き残るための、たった一本の道。
「アレックス!」
「右二度!」
「そのまま!」
遥が叫ぶ。
アレックスは一切迷わず操縦桿を切る。
アーク・ノヴァは重力の激流を縫うように進んでいく。
左。
右。
急降下。
急上昇。
まるで巨大な渦潮の中を一枚の木の葉が流されるようだった。
『航路一致率九九・九一パーセント。』
『このまま維持してください。』
隼人が後方モニターを見ながら叫ぶ。
「出口だ!」
前方に眩い光が広がる。
空間そのものが裂け始めていた。
「あと少し!」
玲奈が叫ぶ。
「行ける!」
その瞬間だった。
ブリッジ中に、耳をつんざくような轟音が響いた。
船体が大きく軋む。
「なに!?」
遥が振り向く。
アレックスの右腕が、黒い砂のように崩れ始めていた。
「……船長?」
黒い粒子は腕から肩へ。
そして胸へと広がっていく。
アレックスは静かに笑った。
「最後まで……操縦できたな。」
その言葉を最後に、身体は音もなく黒い塵となって崩れ去った。
「船長!」
遥が叫ぶ。
しかし悲しむ暇もない。
「玲奈!」
隣を見る。
玲奈もまた、指先から黒い粒子となって消え始めていた。
「遥……。」
玲奈は微笑む。
「ごめんね……。」
その言葉だけを残し、玲奈も黒い塵となって消えた。
「玲奈!」
「隼人!」
隼人も叫びながら手を伸ばす。
だが、その手も黒い粒子へと変わっていく。
「まだ……終われるかよ……。」
そう言い残し、隼人も消えた。
遥は必死に自分の身体を見る。
指先。
手。
腕。
足。
順番に黒い粒子となり、身体が崩れていく。
「これで……終わりなのか……。」
視界が白く染まった。
──。
──。
──。
「……。」
静かだった。
鳥のさえずりが聞こえる。
窓から差し込む朝日。
柔らかな風。
遥はゆっくりと目を開けた。
見慣れた天井。
見慣れたカーテン。
見慣れた時計。
「……ここは。」
自分の家だった。
リビングに置かれた家族写真。
壁に掛けられた古いカレンダー。
何十年も暮らした、懐かしい我が家。
「どういうことだ……。」
「俺は……。」
ブラックホールは?
アーク・ノヴァは?
みんなは?
「夢……?」
「いや。」
「あれは現実だった。」
その時。
電話が鳴った。
プルルルル……
留守番電話へ切り替わる。
『ピーッ。』
女性の落ち着いた声が流れた。
『こちら〇〇総合病院です。』
『桐島様でしょうか。』
『美咲様の容態が急変しました。』
『できましたら……最後のお別れにお越しください。』
『ご連絡をお待ちしております。』
メッセージが終わる。
遥は立ち尽くした。
「美咲……。」
震える手で時計を見る。
ブラックホールにのみこまれた日から5年は経っている
「まさか……。」
急いで寝室のクローゼットを開ける。
予備の財布を取り出し、必要な分だけ現金を握る。
家を飛び出すと、通りへ出た。
「タクシー!」
一台のタクシーが停まり、遥は飛び乗る。
「〇〇総合病院までお願いします!」
車は静かに走り出す。
窓の外には、見慣れた街並みが流れていく。
信号。
コンビニ。
公園。
散歩する夫婦。
すべてが懐かしく、胸が締めつけられた。
二十分後。
タクシーは病院の正面玄関へ到着した。
遥は料金を払い、走るように受付へ向かう。
「桐島美咲の病室を教えてください!」
受付の女性は名簿を確認すると静かに答えた。
「七〇三号室です。」
遥はエレベーターへ飛び乗る。
鼓動が早くなる。
七階。
廊下を駆け抜ける。
そして、七〇三号室の前で足を止めた。
ゆっくりと扉を開ける。
病室には静かな空気が流れていた。
窓から春の陽射しが差し込んでいる。
その光の中で、美咲は静かに眠っていた。




