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3話 若き体宇宙へ


月面基地・アルテミス医療区画

警報音が静まり返った室内に、不気味なほどの沈黙が落ちた。

研究員たちは誰一人として声を発せない。

大型スクリーンには、桐島遼の脳から抽出されたデータが表示されたまま停止していた。


解析率、99.997%。


あとわずか。

それなのに、最後の0.003%だけが、何者かに拒まれているようだった。


「再解析を。」


「神谷玲奈の時と同じだ」


しかし、何度試みても結果は同じだった。


【未知情報領域】

【解析不能】

【自己保護機能を確認】


「自己保護……?」


「データが、自分で解析を拒否している?」


そんな現象は理論上あり得なかった。

記憶は情報であり、情報に意思はない。

それが科学の常識だった。

その時、一人の老科学者が静かに口を開いた


「ハイド博士の理論を、覚えていますか。」


老人は四十年前の論文を映し出す。

その題名は――


『意識は情報ではなく、観測者そのものである』


玲奈は息をのんだ。


「まさか…


一方、その頃。

意識転送手術は遼だけではなかった。

アーク・ノヴァ計画に選ばれた十二名の乗員全員が、肉体を離れ、人工身体への意識転送を受けていた。

年齢も国籍も経歴も違う。


元宇宙飛行士。

天文学者。

医師。

生物学者。

量子物理学者。

機関士。

航法士。


共通していることは一つだけ。

全員が不治の病、あるいは高齢により、地球で残された時間が少ない人々だった。

彼らは、自らの命を人類初の恒星間航海に託したのである。


数日後。


全員の意識転送は成功した。

医療ポッドが一つ、また一つと開いていく。

そこから現れたのは、誰もが驚くほど若々しい姿だった。

二十五歳前後に設計された人工身体。

男女を問わず、全員が健康そのものの肉体を手にしていた。

筋力も反射神経も、人類の平均を大きく上回る。

病気も老化も存在しない。

しかし、その身体の中に宿る人格は、それぞれが歩んできた人生そのものだった。

八十九歳の女性医師は、自分の若い手を見つめて涙を流した。

八十歳の機関士は、軽々と走れることに驚き、何度も笑った。

九十歳近かった地質学者は、鏡に映る青年の姿を見て、


「こんなに髪があった頃もあったな。」


と冗談を言い、周囲を笑わせた。

そして遼もまた、二十五歳の頃の自分と同じ姿で立っていた。

鏡に映る青年は、若き日に宇宙飛行士を夢見ていたあの頃と変わらなかった。

しかし、全員が一つだけ共通する不可解な体験をしていた。

手術中の記憶である。

玲奈は乗員たちに尋ねた。


「手術中、夢を見ましたか?」


最初は誰も信じていなかった。

ところが、一人、また一人と話し始める。


「私は、海のように青い星を見ました。」


「私は知らない子どもに『待っていたよ』と言われました。」


「私は、星々が歌っているような声を聞きました。」


「私は、亡くなった妻と再会しました。」


「私は、光の中で誰かに『旅はまだ終わらない』と言われました。」


部屋は静まり返った。

互いに打ち合わせた形跡はない。

それなのに、全員の証言には共通点があった。


**"誰かに迎えられた"**ということ。

そして、桐島遼だけは最後まで黙っていた。

玲奈が静かに尋ねる。


「桐島さん。あなたは何を見ましたか。」


遼はしばらく考え、ゆっくりと答えた。


「白い服を着た少女に会いました。」


部屋の空気が変わる。


「少女は言いました。」


『ずっと待っていました。』


十二人がそれぞれ異なる体験をしながら、共通して"誰か"と出会い、迎えられていた。

まるで、意識転送の先に、人類の知らない何かが存在しているかのように。

格納庫では、人類初の恒星間探査船アーク・ノヴァが静かに目覚めようとしていた。


乗員は十二名。


全員が二十五歳前後の人工身体を持つ、新しい人類。

彼らは病も老いも失った。

だが、その代わりに一つの謎を背負うことになった。


「あの手術中に出会った存在は、一体何だったのか。」


その答えは、彼らが向かう星々の彼方に待っていた。

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