2話 終わりを告げる春 決断
遼は、しばらく画面を見つめていた。
冗談
そう思うのが普通だった。
八十歳の老人に、国の機関からこんな連絡が届くなどあり得ない
しかし、端末に表示された認証コードは本物だった。
指先で画面に触れる
すると、桜色の光が浮かび上がり、立体映像が夜空へ展開された。
『桐島遼様。通信を開始します。』
現れたのは、一人の女性だった。
二十代全半ほどに見える。
「あなたは……?」
『内閣宇宙開発安全保障局、次世代航行計画責任者、神谷玲奈です。』
遼は眉をひそめた。
「なぜ私に?」
玲奈は少し間を置いて答えた。
『あなたが、人類で初めて“星間航行用人工知能”の基礎理論を完成させた人物だからです。』
遼は目を伏せた。
遠い記憶が蘇る。
四十年前。
まだ世界が現在ほど宇宙開発に本気ではなかった時代。
遼は研究者として、恒星間航行システムの研究に人生の一部を捧げていた。
だが、予算不足。
政治的判断。
そして技術的限界。
夢は途中で終わった。
「昔の話です。」
『いいえ。終わっていません。』
玲奈の声が強くなる。
『あなたの理論は、現在の量子航行技術の基礎になっています。』
遼は夜空を見る。
月。
星。
昔から変わらない景色。
しかし、その向こうには人類がまだ見たことのない世界が広がっている。
『お願いがあります。』
玲奈は続けた。
『私たちと一緒に』
『あなたに、もう一度宇宙へ行っていただきたいのです。』
遼は思わず笑った。
「私が?」
『はい。』
「私はもう八十歳ですよ。」
『承知しています。』
「半年後には死ぬ人間です。」
一瞬、通信の向こうが静かになった。
そして玲奈は言った。
『だからこそ、あなたにお願いしています。』
遼の表情が変わる。
『現在、人類は太陽系の外側へ進出する準備をしています。しかし、その先へ行くためには、人間の適応力という問題を越えなければならない。』
玲奈の背後に映像が浮かぶ。
巨大な宇宙船。
地球を離れ、太陽系の外へ向かう船。
その名は――。
『アーク・ノヴァ計画。』
「アーク……ノヴァ。」
『人類初の恒星間探査船です。』
遼は息を飲んだ。
『目的地は、地球から約12光年先にある惑星候補。』
『通信には量子中継技術を使用します。理論上、地球とのリアルタイム通信が可能です。』
「そんなことが……。」
『可能になりました。』
玲奈は静かに言った。
『ただし問題があります。』
映像が切り替わる。
そこには、若い男女の姿が映っていた。
しかし次の瞬間、その人物の脳情報が光の粒子となり、人工の身体へ移される映像が流れる。
遼は息を止めた。
「これは……。」
『義体転送。過酷な環境でも耐えうる身体を獲得する技術です』
玲奈は答えた。
『肉体ではなく、あなたの記憶、人格、意識情報を保存し、新たな人工身体へ移植する技術です。』
風が止まったように感じた。
「つまり……。」
『あなたは、若い身体で宇宙へ行けます。』
遼は何も言えなかった。
夢だった宇宙。
もう諦めた未来。
失った若さ。
すべてが、目の前に差し出されている。
しかし――。
「それは……私なのですか」
『じつわ 私も義体転送しています』
『私は転送後も私であると自負しております。』
そこには作り物とは思えない たしかに人がいた
遼は月を見上げた。
玲奈が最後に言った。
『桐島さん。』
『これは宇宙旅行ではありません。』
『あなた自身を、人類がまだ知らない場所へ送り出す旅です。』
遼は端末を握りしめた。
桜が舞っている。
春は終わろうとしていた
しかし――。
もしかすると。
自分の人生は、ここで終わるのではなく。
ここから始まるのかもしれない。




