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17話 氷の悪魔

アーク・ノヴァは順調に航行を続けていた。

あと三日ほどで、人類が初めて太陽圏を完全に抜けようとしている。

窓の外には無数の細かな氷の粒子が漂い、船体へ絶え間なく降り注いでいた。


パチ……。


パチパチ……。


「なんだ、この音……。」


遼が耳を澄ます。

まるで外で雨でも降っているような、小さな衝突音が船内に響いている。

ノアが解析結果を表示した。


「微小氷粒子が船体へ連続衝突しています。」


「粒子密度は想定値の約四倍。」


「原因は不明。」


真田が眉をひそめる。


「こんなデータはシミュレーションになかったぞ。」


その時だった。

バチッ!


「きゃっ!」


ブリッジの反対側で、ひかりの髪がふわりと逆立つ。


「な、なにこれ?」


隣にいた玲奈の髪も、静電気を帯びたように逆立ち始めた。


「私まで?」


細かな青白い火花が髪の毛の間を走る。


「静電気……?」


イザベルが首をかしげる。


「義体にここまで帯電するなんて。」


その時。

遼が悠斗の肩を軽く叩いた。


「悠斗、ノアのデータを――」


バチィィィッ!!


激しい放電音が船内に響く。


「うわっ!」


遼の身体が弾き飛ばされ、床を転がる。


「遼!」


玲奈が駆け寄る。

悠斗も驚いた表情で自分の手を見る。

義体の表面には青白い電流が走っていた。


「これはまずい。」


遼は立ち上がると叫んだ。


「アレックス!」


「ノアを緊急停止!」


「メインエンジンも停止してください!」


「今すぐ!」


アレックスは一瞬だけ遼を見た。


迷いはなかった。


「ノア!」


「緊急停止!」


「了解。」


「AIノア、全演算停止。」


「推進エンジン停止。」


船全体の照明が一瞬だけ暗くなる。

しかし、その直後。

バチッ!!

バチバチッ!!

船内各所で激しい放電が始まった。


「機関室!」


真田が叫ぶ。


「制御盤がショートした!」


「通信系統もダウン!」


悠斗も顔色を変える。


「量子通信停止!」


「補助コンピューターも落ちました!」


玲奈が報告する。


「電気系統が次々ショートしています!」


その瞬間。

警報が鳴り響く。


「前方に大型氷塊!」


ブリッジ正面スクリーンいっぱいに、巨大な氷塊が映し出された。

推進エンジンは停止。

自動操縦も使えない。

このままでは衝突する。

アレックスは静かに操縦席へ座る。


「手動操舵へ切り替える。」


遼が息をのむ。


「船長……。」


「推進は使えません。」


「分かっている。」


アレックスは操縦桿を握った。


「惰性だけでかわす。」


姿勢制御用の最低限のガススラスターだけが反応する。

巨大なアーク・ノヴァはゆっくりと船体を傾けた。

氷塊が左舷数十メートルをかすめていく。

誰も息をしない。

さらに次の氷塊。

その次も。

アレックスは最小限の操作だけで、巨大な船を紙一重で導いていく。

誰も声を出さない。

ブリッジには操縦桿を握る音と、外壁へ氷粒子が当たる「パチパチ」という音だけが響いていた。

遼はその背中を見つめながら、小さくつぶやく。


「……船長。」


「この船の命は、あなたに預けます。」


アレックスは前を見据えたまま、小さく答えた。


「必ず全員を守って見せる。」


その一言に、ブリッジにいた全員が静かにうなずいた。


アーク・ノヴァは、電気を失ったまま、太陽圏の最後の試練を乗り越えようとしていた。

アーク・ノヴァの全電気系統は沈黙した。


AIノアは緊急停止。


メインエンジンも停止。


レーダー、航法コンピューター、各種センサーはすべて使用不能。


頼れるのは、展望ブリッジから見える景色と、アレックスの経験だけだった。


「手動操舵を継続する。」


アレックスは操縦席から一歩も動かなかった。

正面スクリーンではなく、防護シャッターを開放した展望窓から直接宇宙を見つめる。

無数の氷塊が、静かに流れていく。

大きいものは数百メートル。

小さいものでも数センチ。

どれも高速で相対移動しており、一つでもまともに衝突すれば船体は大きな損傷を受ける。


「右十五度。」


アレックスが静かに言う。

玲奈が手動スラスターを操作する。


「右十五度。」


船体がゆっくり向きを変える。

巨大な氷塊が左舷をかすめて通り過ぎた。


「前方、小型群。」


玲奈が双眼望遠鏡で確認する。


「三時方向へ回避できます。」


「了解。」


わずかな姿勢制御ガスだけで、アーク・ノヴァはゆっくりと針路を変えていく。

時計だけが時間を刻む。

二十四時間後

誰一人として持ち場を離れない。

交代で食事を取り、仮眠をとる。

しかしアレックスだけは、操縦席を離れようとしなかった。


「船長。」


遼がコーヒーを差し出す。


「少し休んでください。」


アレックスは受け取り、一口だけ飲んだ。


「ありがとう。」


「だが、まだ休めない。」


「ここで判断を誤れば、全員が死ぬ。」




二日目。

氷の密度はさらに増していく。

まるで吹雪の中を航海しているようだった。

船体へ氷粒子が当たる音は、絶え間なく続く。


パチ……


パチパチ……


パチパチパチ……


「船長!」


ひかりが叫ぶ。


「前方に巨大氷塊!」


アレックスは一瞬見ただけで答えた。


「下へ潜る。」


「了解!」


玲奈がスラスターを噴射する。

巨大な船体がゆっくりと降下し、直径五百メートルはある氷塊の下を数十メートルの距離で通過した。


「すごい……。」


隼人が思わずつぶやく。


「まるで目で飛んでる。」


遼も小さくうなずいた。


「これがアレックス船長の有視界航法……。」


そして三日目。

誰もが疲労の色を隠せなくなっていた。

アレックスの目は赤く充血している。

それでも、その視線だけは一瞬たりとも前方から外れなかった。

その時。


「船長!」


玲奈が叫ぶ。


「前方が開けています!」


無数に漂っていた氷塊が急激に減り、漆黒の宇宙が広がっていく。

アレックスは静かに深呼吸した。


「……抜けた。」


その一言と同時に、ブリッジ全体から大きな歓声が上がる。


「やった!」


「助かった!」


「太陽圏を突破しました!」


真田誠は思わず操縦席にもたれかかった。

ひかりは飛び跳ねながら喜ぶ。

遼はアレックスの肩に手を置いた。


「船長。」


「あなたがいなければ、ここまで来られませんでした。」


アレックスはゆっくりと立ち上がり、三日ぶりに操縦席を離れた。

その瞬間




「AIノア、再起動。」


静かな電子音が船内に響く。


「システム復旧を開始します。」


照明が一つ、また一つと点灯していく。


停止していた計器類も順番に息を吹き返した。


「航法システム正常。」


「推進システム正常。」


「生命維持装置正常。」


ノアの報告を聞いた瞬間、ブリッジには安堵の空気が広がった。


「助かった……。」


その時だった。

ドサッ。

鈍い音がブリッジに響く。


「船長!」


振り返ると、アレックスがその場に倒れていた。


「アレックス!」


遼と誠が駆け寄る。

呼びかけても返事はない。

呼吸はしている。

しかし意識がない。


三日三晩、一睡もせずに有視界航法を続けた疲労が、一気に押し寄せたのだった。


「エレナを呼べ!」


玲奈が叫ぶ。

数十秒後、医療班のエレナが駆け込んでくる。


「離れて!」


手際よく瞳孔反応や脈拍を確認する。


「命に別状はないわ。」


「極度の精神疲労と過負荷ね。」


「すぐに医務室へ運びましょう。」


遼と誠がアレックスを慎重にストレッチャーへ乗せる。

ブリッジにいた全員が無言でその姿を見送った。


「大丈夫。」


「少なくとも二十四時間眠れば回復するはず。」


その言葉を聞いて、全員がようやく胸をなで下ろした。










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