第23話:大祭典前夜
夕食のメニューはラムチョップとマッシュルームソテー、黒パンだった。ラムチョップを初めて食べた。羊の肉は癖があると聞いていたが、香草で焼いてあるせいかむしろ香りが良い。マッシュルームソテーはバターの風味が強く、黒パンの酸味と相性がいい。レオンが「ラムチョップにはこの黒パンが合うんですよ」と言ったので強く頷いた。
三人と一羽で食事をしていると、レオンが不意に言った。
「明日ですね。大祭典」
「ええ」
「楽しみです。アリア殿に王都の祝祭を見ていただけるなんて」
レオンの碧い瞳が、穏やかに光る。この騎士にとって、大祭典は純粋に楽しいものなのだろう。四年に一度の祝祭だ。王都が、最も華やぐ一日なのだろう。アリアにとっては黒歴史を取り返す、最初で最後のチャンスだが、レオンは何も知らない。
「レオン。あなた、生まれは王都?」
聞くつもりはなかったが、口が勝手に動いた。
「はい。生まれも育ちも王都です。騎士団に入ったのは十八の時ですから、もう七年になりますね」
「家族は?」
レオンの手が一瞬だけ止まる。ラムチョップを切り分けていたナイフが、ほんの一拍、動きを止めた。すぐに再開した。
「父と母は健在です。あと、兄が一人」
「お兄さん」
「ええ。三つ上の兄がいます。体が弱い人でした」
レオンの声が、ほんの少しだけ変わった。穏やかさは同じだが、底に何かが沈んでいる。でした、という過去形の表現が、不穏な影を落としていた。
「幼い頃からよく熱を出して寝込んでいて。私が騎士団に入った頃には、もうほとんど外に出られない状態でした」
「病気、だったの?」
「はい。原因不明の奇病らしく、これと言った特効薬もなく、ただ、安静にしていることが最もいい療法だと、王都一の医者に診断されてからは、部屋で寝込む日々が続きました。体調が良い時は、私が外で剣を素振りしてるのを、窓から見てくれてましたけど」
レオンの笑顔は崩れない。だが、その瞳の奥が揺れているのがわかった。それから、その兄がどうなったのか、気になったがアリアからそれを切り出す勇気がない。
「で、どうなったんだ? その虚弱ヨワヨワ兄貴は」
切り出したのはゾディだった。
「ちょっと」
思わずアリアはゾディを叩く。
「叩くなよ」
ゾディがその金色の瞳で睨む。
「叩くわよ、このバカフクロウが」
アリアはバクバクと鳴る心臓を抑える。恐る恐るレオンを見ると、変わらず笑顔のままだった。
「私が三回目の遠征から帰ると、兄は突然いなくなっていました。家族から話を聞くと、ある夜、突然姿を消したらしいです。書き置きもなく、部屋は綺麗に整えられたまま。第七王国騎士団のみんなも捜索に当たってくれたのですが、なんの手がかりもなく。まるで、神隠しのように、突然消えてしまいました」
レオンはラムチョップの最後の一切れを口に入れた。噛んで、飲み込んで、黒パンで口を拭った。それだけだった。それ以上は何も言わなかった。
碧い瞳は穏やかなままだ。だがその穏やかさの底に沈んでいるものが、今は少しだけ見えた。失ったものを抱えたまま、微笑み続ける人間の目だ。
アリアは何も言えなかった。アリアの百年間の孤独は、自分で選んだものだ。だがレオンの孤独は、そうではない。
「すみません。暗い話をしてしまいました」
「暗くないわ」
アリアが返す。
「いや、暗いだろ」
ゾディが言った。
「ゾ……」
アリアは怒りでその先を続けられない。シルヴィアも目を見開いている。パンっ、とレオンが両手を叩いた。
「明日は楽しい日ですから。大祭典、一緒に楽しみましょう」
レオンは微笑んだ。いつもの微笑みだった。だがアリアには、その微笑みの裏側が少しだけ見えた気がした。
◇ ◇ ◇
みんなと別れたあと、アリアは部屋の窓辺に立って、王都の夜景を眺めていた。明日、あの街で大祭典が行われる。
「ゾディ」
「なんだ」
「レオンのお兄さんの話」
「ああ、虚弱のな」
ゾディが言ったが、アリアは追及しなかった。ゾディに悪気はない。これがゾディなのだと、改めて気付かされた。
「気になるの」
「何がだ?」
「わからない。けど、何かが引っかかるの」
ゾディは何も言わなかった。金色の瞳が月光の中で揺れていた。
沈黙が長い。アリアは窓枠に背を預けたまま、ゾディを見下ろしていた。小さな白い体は、手のひらに収まるほどの大きさだ。これが、前世で生死をかけて戦った、あの黒龍の成れの果てとはいまだに信じられない。
「ゾディ」
「なんだ」
「百年間、ありがとう」
「気持ち悪いな」
ゾディが目を細め、体を引いた。
「明日、うまくいくかわからないけど」
「うまくいかなくても、どうにかなる。百年やってきたんだ。一日や二日で死にやしない」
「そういうことじゃなくて」
アリアはマフラーを少しだけ下ろした。
「一人じゃないって、こういう感じなのね。レオンがいて、シルヴィアがいて、あなたがいて」
「俺は最初からいたぞ」
「知ってる」
「百年以上、ずっとだ」
「知ってるわよ」
「なら、礼なんか言うな。気味が悪い」
ゾディが窓枠の上で丸くなった。背中を向けて。いつものポジションに、いつもの姿勢で。だがその白い背中が、いつもより少しだけ小さく見えた。あるいは、百年ずっとこの大きさだったのに、アリアが初めて気づいただけかもしれない。
「ゾディ」
「まだあるのか」
「おやすみ」
「ああ、おやすみ」
アリアはベッドに入った。壁際に寄って、背中をつけて。
だが昨夜よりも、もう少しだけ壁から離れていた。数センチ分の勇気が、少しだけ育っていた。
明日、大祭典が行われる。
黒歴史を取り返す、最初で最後のチャンスだ。




