第22話:妹
シルヴィアに言われて声をかけようとしていた矢先に、本人が訪ねてきた。アリアは内心で驚いたが、顔には出さなかった。
「クロニクル。ジークと同じ姓ね」
「はい。副院長のジークは、私の兄です。いつも兄がお世話になっております」
リーゼが深々と頭を下げた。礼儀正しい。だが緊張が隠しきれていない。
「明日の奉納式の件で参りました。写本の最終確認を、大賢者殿にもお目通しいただければ、心配性の兄も安心するだろうと思いまして」
リーゼが書物を差し出した。アリアは息を飲む。間違いない。写本だ。アリアの筆跡で書かれた古代語が、丁寧に模写されている。一文字一文字が正確で、線の太さまで再現しようとしている。
中身は恥ずかしいポエムなのだが、写本師の技術は見事だった。
「これ、あなたが書いたの?」
「いえ、これは国付きの写本師の方々が書いたものです。私は検品を担当しております。原本と照らし合わせて、誤字脱字がないかを確認する作業です」
「原本を見ているの?」
「封印越しですけれど。兄が封印を一時的に透過させて、中の文字を読めるようにしてくれるんです。もちろん私には古代語は読めませんが、文字の形を見比べることはできますから」
なるほど。ジークは封印を完全に解かなくても、透過させる技術を持っているのか。あの封印の術者だけに可能な芸当なのだろう。
「兄は、この写本が完璧であることにとても拘っています。一文字でも間違いがあってはならない、と」
リーゼの声には、兄への敬意が滲んでいた。
「家で兄は、いつも大賢者様のことを褒め称えていますよ。古代語を操れる、唯一無二の王国の希望だって」
王国の希望。ジークが使う言葉だ。
「大賢者なんてやめて。アリアでいいわ」
「めっそうもない!」
リーゼは慌てて両手を降った。
「ジークと暮らしてるんですね」
アリアが何気なく聞いた。
「ずっと前からです。物心ついた頃から、兄と二人暮らしで」
「ご両親は?」
「幼い頃に亡くなりました。それからは、兄が私の面倒を見てくれて」
「お兄さんは優しい方なんですね」
「はい。少し、心配性なところがありますけれど」
リーゼが微笑んだ。穏やかで、自然な笑みだった。
「写本の確認ですが」
リーゼが書物をテーブルに広げた。
恋がしたい。恋がしたい。恋がしたい。何で私はこんな陰気な洞窟で、フクロウと一緒にいるんだろう。いつか、白馬に乗った王子様が迎えに来てくれるかな。けど、本当に来てくれたら私、どうしたらいいんだろう。こっちからいって安い女だと思われても嫌だし、逆に無言で愛想ないと思われても嫌だし。強引に連れて行ってくれるくらいが、私にはちょうどいいかな。ああ、早く私の王子様現れないかなー。
パッと見てそこに書かれている内容が理解できた。アリアは思わず赤面する。過去のこととは言え、こんな中身のない自分の心の内を久しぶりに見ると、脳にダメージを受ける。
「大賢者様、どうかされましたか? お顔が赤いようですが」
リーゼが心配そうにアリアの顔を覗き込む。
「か、形は合っているように見えるわ。ただ、私は古代語の専門家ではあっても、写本の検品は専門外だから。あなたの目の方が確かよ」
「そうですか? ありがとうございます。兄にそうお伝えします」
リーゼが嬉しそうに書物を手に取ろうとした。
今だ。
「あの、リーゼさん。一つお願いがあるんだけど」
「はい?」
「その写本、もう少しだけ手元で確認させてもらえないかしら。古代語の字形を研究したいの。明日の大祭典の前には返すから」
リーゼは少し考えるそぶりを見せる。
「検品は終わっているので、大丈夫だと思います。兄に確認した方がいいかもしれませんが……大賢者殿がそう仰るなら」
「ありがとう。大切に扱うわ」
「はい。よろしくお願いします」
リーゼは嬉しそうに頷いた。立ち上がり、扉に向かう。
「あ、大賢者様」
振り返って、リーゼが言った。
「明日の大祭典、楽しみにしています。兄も、とても張り切っていますから」
リーゼが去った後、部屋が静かになった。テーブルの上には、写本が残されている。
「来たな」
ゾディが窓枠から言った。
「来たわね」
アリアは写本を手に取った。これを一冊の冊子に見立てて、原本と同じ外見に偽装する。
「ゾディ、シルヴィア呼んできて」
「その必要はない」
ゾディがそう答えるのと同時に、扉が開いた。部屋の前で待っていたのかもしれない。
「手に入りました?」
「監視してたの?」
「観察です」
シルヴィアがテーブルの写本を広げて確認する。
「字形は原本と同じですね。問題は外見です」
「やるわ」
アリアは杖を構えた。物質変性の術式を、写本にかけ始める。
革の表紙の色を変える。新しい革の光沢を消し、百年分の手垢と脂を染み込ませたように変色させる。右上の角を折る。傷を入れる。角度、深さ、何百回も開いたように見せつける折り目。背表紙を擦れさせる。ページの端を波打たせる。洞窟の湿気で少しうねる、あの感触を思い出しながら、それを忠実に際限する。
「すごい」
シルヴィアが息を呑んだ。
「本物と見分けがつかない」
「当たり前よ。何十年と、毎日触ってたんだから」
アリアの声は平坦だったが、指先が少しだけ震えていた。この偽装作業は、百年間の記憶を一つ一つ辿る作業でもあった。あのノートに触れた夜。泣きながらページを開いた朝。誰にも会えない日に、あのノートだけが話し相手だった。
その全てを、この写本に再現した。
「できたわ」
テーブルの上に、百年の使用感を持つ「偽の原本」が完成した。見た目は、封印されている原本と瓜二つだ。違いは中身だけ。原本にはアリアの魔力が百年分染み込んでいるが、写本にはそれがない。だがそれは、触れなければわからない。ジークでも、封印越しの目視では判別不可能だろう。
「明日、これをローブの中に仕込んで……」
シルヴィアが言った。アリアがその先を続ける。
「ええ。祭壇に近づいた時に、入れ替える」
シルヴィアがノートに「準備完了」と書き込んだ。
窓の外では、明日の大祭典の準備が進んでいた。広場に旗が立てられ、楽隊が音合わせをしている。アリアのお腹が鳴った。
「もうお腹が空いたのか?」
ゾディが呆れ声で言った。
「うるさいわね。緊張してたのよ」
「まずは腹ごしらえですかね」
シルヴィアが言った。アリアは笑って、頷いた。




