第四話 浮気調査
廃神社での事件解決から数週間後。
「青い蝶探偵事務所」の評価は、地元の警察と住民の間で急上昇した。おかげで、事務所には連日電話が鳴り響くようになったが、舞い込んでくる依頼の内容は、相変わらずアヤメの想像とはかけ離れたものばかりだった。
「ふう……やっと終わったわ」
アヤメは、ソファに腰かけ、分厚いファイルを閉じた。デスクの上には、近所のスーパーから依頼された万引き常習犯の特定の報告書が積まれている。
「次の依頼は、何かしら?まさか、また迷子のインコじゃないでしょうね?」アヤメは期待と不安を混ぜた顔で、悠也を見た。
悠也は、その日届いたばかりの依頼書を読み上げ、表情を曇らせた。
「次の依頼は……夫の浮気調査だ」
アヤメは、目を輝かせた。「浮気調査!探偵の王道じゃない!どんな相手?」
「大手証券会社に勤めるエリート社員。妻が、夫の行動を怪しんでいるらしい」
悠也は、依頼書をデスクに置いた。彼の顔には、明確なやりたくないという感情が浮かんでいた。
「アヤメ、こういう個人的な感情のもつれを暴くのは、あまり気が進まないんだ。それに、僕のナノマシンの解析能力を、浮気相手の特定に使うなんて……どうにも本意じゃない」
悠也は、巨大な陰謀と戦うために公安を辞めたのに、その力を男女間のトラブルに使うことに抵抗を感じていた。ナノマシンが、アヤメの「高揚感」と、悠也の「嫌悪感」を共有し、二人の胸中で奇妙にぶつかり合っている。
「そういうこと言わないの、悠也さん。私たちに依頼が来るのは、信頼の証よ。それに、依頼人の感情の裏にある『真実』を突き止めるのが、探偵の仕事じゃない」
アヤメは、探偵ドラマの影響を隠さない口調で悠也を説得した。
翌日、二人は尾行作戦を実行した。
ターゲットの男は、都心の高層ビルにある証券会社に勤務している。悠也は、ビルの向かいにあるカフェの二階から、望遠レンズでビルを見張っていた。アヤメは、近くの書店に潜み、ナノマシンを通じて悠也と常時コンタクトを取っている。
「悠也さん、ターゲットの心拍数、少し上がっているわ。定時退社を前に、緊張しているみたいね」アヤメの声が、ナノマシンを通じて悠也の意識に直接響く。
定時を数分過ぎた頃、ターゲットの男がビルから出てきた。彼は、周囲を気にする様子もなく、足早に人混みを歩き出す。
「ターゲット、移動開始。アヤメ、交代だ」
悠也はカフェを出て、ターゲットから適切な距離を取りながら尾行を開始した。彼は、公安時代に培った尾行技術で、人混みに完全に溶け込む。
男は、オフィス街から少し離れた静かな公園へと入った。
そこで、男は立ち止まり、ベンチに座っている一人の怪しい女と接触した。女は、黒いロングコートを着て、帽子を目深にかぶっているため、顔はよく見えない。
悠也は、アヤメに映像を共有する。
「アヤメ、女と接触。すぐに顔の照合を頼む」
「無理よ、悠也さん。帽子とコートで顔が隠れている。だけど、女の心拍数と呼吸はターゲットよりもずっと落ち着いているわ。まるで、慣れた仕事をしているみたい」
男と女は、わずか数分の会話の後、立ち上がった。男は、どこか怯えているように見えたが、女の腕に引かれるようにして、公園を出た。
二人が向かった先は、オフィス街から少し離れたホテル街だった。
「ターゲットと女、ホテル街に侵入。どうする、悠也さん?」
アヤメは、少し興奮した声で尋ねた。
悠也は、重いため息をついた。
「どうするって……探偵なんだから、決まっているだろ。証拠を押さえるぞ。だが、どうも普通の浮気調査じゃない気がする。ターゲットの男、怯えているように見えた」
悠也の体内のナノマシンは、男から発せられる微かな恐怖の感情を捉えていた。それは、妻を裏切る罪悪感ではなく、何かに脅されているような種類の感情だった。
「とりあえず、証拠を確保したら、この怪しい女の素性を徹底的に洗うぞ。君の言う通り、この事件の裏に『真実』が隠されているかもしれない」
悠也は、ホテル街の入口の陰に身を潜めた。ナノマシンと尾行技術を駆使した、二人の探偵の嫌な仕事」が、今、本格的に始まった。




