第二話 猫探し
青い蝶探偵事務所を開設して、二ヶ月が経過した。
事務所のメインルームでは、アヤメが壁に貼られた大量の**「迷子の猫」**のポスターを前に、深くため息をついていた。
ポスターには、キジトラ、三毛、スコティッシュフォールドなど、様々な猫の写真が貼られている。
「ふぅ……。悠也さん、今日で十七件目よ。この二ヶ月で受けた依頼、すべて迷子の猫探しだなんて……」
アヤメは、探偵ドラマに影響されて意気揚々と始めたものの、現実は厳しかった。
彼女が予想していたような、世界的な陰謀や、ナノマシン絡みの難事件は、一つも舞い込んでこない。
悠也は、隣の研究室からコーヒーを片手にやってきて、アヤメの肩を叩いた。
彼の研究はひと段落したばかりで、今はアヤメの「相棒兼アドバイザー」として、この探偵事務所に巻き込まれている状況だ。
「まあ、そんなものだよ、アヤメ。探偵事務所なんて、最初は地域密着型の雑用から始まるのが相場だろ。
公安を辞めて、いきなり『クトゥルフの謎を追います!』なんて看板出せないんだから」
悠也は、アヤメを慰めるように言った。
彼の体内には、アヤメの「落胆」の感情がナノマシンを通じて微かに共有されており、少し胸が締め付けられる。
「でも、私たちのナノマシンの解析能力を使えば、一瞬で解決できる簡単な事件ばかりよ。この高性能な探偵事務所に、猫探しばかり依頼が来るなんて、効率が悪すぎるわ」アヤメは頬を膨らませた。
「そうは言うけど、君のおかげで迷子の猫の発見率は百パーセントだ。地域住民からの信頼度は上がっているぞ。猫を助けるのも、立派な人助けだ」
悠也がそう言ったとき、事務所の電話が鳴った。アヤメが受話器を取る。
「はい、『青い蝶探偵事務所』です……ええ、猫ちゃんが?……はい、分かりました。すぐに伺います」
電話を切ったアヤメは、再びため息をついた。
「十八件目よ。またキジトラのオス。名前は『ココア』。もう、近所の猫はみんな迷子になってるんじゃないかしら」
悠也は、新しいポスターを貼るアヤメの隣で、コーヒーを飲みながら、ふと違和感を覚えた。
「ちょっと待て、アヤメ」
「何?悠也さん」
「このエリアの猫の失踪件数、多すぎないか?」
悠也は、壁に貼られた十数枚のポスターを指差した。この探偵事務所があるのは、東京の住宅街の一角だ。猫が迷子になるのは珍しくないが、一つの探偵事務所に、二ヶ月で十八件も集中するというのは、異常だ。
「日本では、迷子の猫の多くは一週間以内に自力で帰宅する傾向がある。マイクロチップの装着率も低いから、行方不明になるケース自体は多い。だが、特定の狭いエリアで、短期間にこれだけ集中的に失踪するのは、統計的におかしい」
悠也の瞳に、公安時代に培った分析官としての鋭さが戻ってきた。
アヤメも、悠也の言葉にハッとしたように、ポスターを振り返る。
「確かに……。この猫たち、失踪した場所も、事務所を中心に半径五百メートル以内に集中しているわ。そして、失踪した時間帯も、すべて深夜か早朝。人目がない時間帯よ」
単なる「迷子」ではなく、何者かによる意図的な連れ去りの可能性。
悠也とアヤメの体内のナノマシンが、微かに警戒のシグナルを共有した。それは、ルナ・コアの闇を追っていた時と同じ、静かで冷たい感覚だった。
「どうやら、君のビッグな事件は、猫の姿を借りて、私たちの前に現れたようだぞ、アヤメ」
悠也は、コーヒーカップをデスクに置き、顔を引き締めた。二人の探偵の、本当の仕事が、今、始まろうとしていた。




