83 卒業
まだ、俺にもチャンスはある。一つだけ方法があった。
『何があるって? 今からすり潰されるオマエにさ! なにがぁ!』
「あるんだよ、やっつけ仕事の、やっつけ機能が! それでお前をやっつけて、懲らしめる!」
『私を? 懲らしめる? 懲らしめてみろ! 私は遠慮なく、ブッ殺すからッ!!』
シィは獰猛な獣の如く変質した剛腕を振り上げる。それを見計らい、俺はフィオナの銃身を前方に向けて、叫んだ。
「やれ! エコーロケーション!」
──その瞬間、フィオナがカタカタと小刻みに震え出す。ギィィィィィンッ、と俺の胃袋にまで振動が届いてくるが、肝心の"音"は聞こえない。
そりゃそうだ。フィオナから発せられたのは普通の人間には知覚できない超音波。それこそキュウのように動物的な身体機能でも持っていないと聞こえない。脳を震わす不快感こそあるが、それだけだ。目の前の彼女ほどの苦痛ではない。
『ぁギィッ! ぐギャあぁぁぁアアアッッ!!?』
聴覚を発達させたシィは、これまでの人生で感じたことも無い不快音をダイレクトに受信して錯乱していた。強力な魔物の剛腕は制御を失ったように暴れ乱れ、本来のシィの細い両腕は耳を塞ぐので忙しい。
俺はその隙を見逃さず、真正面から突撃した。
『ひぎぃぃイッ!? く、くるなァッ!』
シィの下半身を飲み込んでいるカエルのような胴体が、ブツブツと鳥肌を立たせる。鳥肌はまるで鋭いトゲのように変質し、硬質な武器として俺に撃ち出された。
「今更そんなもんが効くかっ!」
飛び出してきた"鳥肌"に全身を貫かれながらも俺は走るのを止めない。それは決して速いとは言えない足取りだったが、もはや冷静な判断能力を失くしたシィに肉薄するには十分だった。
──俺はまだ辛うじて人間としての原型を留めているシィの上半身に飛び付いて、その細い首に腕を回す。
「捕まえた! やっと話ができるな!」
『離せ! 触んなよ! お前なんかセンパイじゃないっ!』
「──っ! お前はいつまで! そんなこと言ってんだよ!」
俺は文字通り全身の力を使ってシィを抱き締めて──全体重を掛けながら思っきり引っ張った。
『あぐっ!? 痛たたたたたッ!? や、止めろ! センパイは私に痛い事しないのに!!』
「いいから! この魔物の着グルミみたいなの脱げ! ぜんっぜん似合ってないぞ!」
『着グルミなんかじゃ──うぎゃぁああっ!!』
本気で痛そうな悲鳴を上げながらシィが巨大な魔物の胴体からすっぽ抜ける。……それと一緒に大量の血と臓物もドバドバ溢れてきたが、まぁ大丈夫だろう。
完全に人間の姿を取り戻したシィは、不気味な体液に塗れながら、地面でヌタヌタともがき苦しんでいる。
「ぁぎゃぁぁっ! 痛い痛い痛い! 痛いぃぃぃっ! し、信じられない! なんてコトすんの!? 」
「お前が! 俺の話を聞かないからだろうが! 人を散々ニセモノ扱いしやがって!!」
「うるさいニセモノ! センパイはなぁ! こんなに強くもしぶとくもないんだよ! もっと情けなくて、力が弱くて、頭は悪いし、射撃もヘタで……! でも、優しいんだ……」
うぅん、その理論を当てはめると、確かに俺は偽物だ。俺の行動はあまり優しいとは言えなかっただろう。バンバン撃ったし。
「でも俺は俺だし、仮に俺がニセモノだったらとっくにハバロさんに殺されてるだろ? あの人はあれで結構マジメだからニセモノを素通りさせないぞ」
俺がたらたらと言い訳を並べていると、少しずつシィの表情が落ち着いてくる。すると彼女はキョロキョロと辺りを見回して、ハッとしたように言う。
「あの男が……いない……?」
「今気付いたのか? ハバロさんは既にどっかに行ったよ」
「……えっと。じゃじゃん! く、クイズです!」
「は?」
シィはオロオロと目を回しながら人差し指を立てて、ひどく裏返った声を出す。
「わ、私こと"シィちゃん"の、好きな物は何でしょう!」
「……えっと、美味しい食べ物?」
シィとは色々と食べ歩きもした気がする。こいつの趣味がそもそも分からないから、適当に時間を潰すには飯屋くらいしか行く場所がなかったのだ。
「に、二問目! 私の大切な物は何でしょう!」
「両親に買って貰ったクロスボウだろ、あのめちゃくちゃな高級品。もう無いけど」
「三問目! 私が……っ! わ、私が……これまでの人生で一番、いっちばん嫌だと感じた事は! 何でしょうか!!」
「えっと。人に目を見られる事か?」
シィの苦手な事といえばそれくらいしか思い付かないのだが……当たってるよな? 流石に。
三問目を終えたシィは、俯いたままぴくりとも動かず、そのまま小さく呟いた。
「不正解」
「え!? どれが!?」
「全問! 不正解だよ! この馬鹿ァっ!!!」
シィは堰を切ったように泣きじゃくりながら、俺に飛び掛ってきた。完全に油断していた、これは殺られる。──と、思ったのも束の間。俺の口元に不思議な、柔らかい感覚が触れた。
「ん……っ? えっ!?」
「一個も当たってない! これだけヒントをあげてるのに! なんで当ててくれないの!!」
「は? え、なに? 今お前なにした? 口に──」
「何もしてない! もう忘れて!!」
シィは俺の頭をガッシリと掴んで、目をじっと見ると……すぐに顔を赤らめて目を逸らした。
「──も、もういいから! 早く立って! 逃げるよ!」
「は? 逃げるって、何から?」
俺は咄嗟に辺りを見回すが、特に危険な気配は感じない。今のシィには分かるのだろうか。
「忘れたの!? 言ってたでしょ! 私をここから、逃がしてくれるって! 約束したじゃん!」
「……あぁ! 分かった、じゃあ行こう!」
俺はシィの手を取る。彼女が今、何を考えているのか、それは俺には分からない。クイズの答えも分からなかったし。
けれど分かることがある。
もはやシィにとっては、美味い食べ物も、クロスボウも、人と目を合わせるのも、重大な事じゃないってこと。そして……俺とシィの関係は、とっくに"先輩と後輩"ではなくなっていたということ。
「──うん! 行こうよ、イチ!」




