71 半分こ
目を覚ますと俺は地面に乱雑に倒れていた。天井の明るい照明が非常に目に痛い。
「あ、お兄さん起きました? ホントによく気絶する人ですねぇ」
目を不愉快に細めている俺の顔に向かって、スラジはヒラヒラと手を振っている。気絶したのも元はと言えばこいつのせいなのだが、俺を心配する気はさらさら無いらしい。
「キュウは、どうした? 近くに居ないみたいだけど」
「え? いや、はは……その、ご機嫌な様子で散歩に出かけましたよ。欲しい物があるみたいで、きっと火事場泥棒でもしてるんじゃないですかね」
「あいつを一人で行かせたのかよ……しかもご機嫌ってどういう事だ? 俺が寝てる間に何があった?」
「お、お兄さんは知らなくても良いと思いますよー? いやいやホントに、何も支障ないんで! 私が保証しますから!」
間違いなく俺は何かされたようだが、今のところは自覚症状も無いのでスラジを信じて放置する事にしよう。こうして目が覚めてもトラブルに巻き込まれていないのは久しぶりだ、なにも自ら問題を見つけ出す必要もあるまい。
「そうか……じゃあ、ハキリは何処だ?」
「あの汚い爺さんと飯食って帰ってきてから、そこの椅子で満足気に寝てますよ」
スラジが指さした方向に振り向くと、確かにハキリが自分の翼を毛布のようにして、幸せそうに寝息を立てている。
「爺さんは?」
「キュウさんと同じく、何か用事があるみたいで今は外に出てます。お兄さんが起きるまで私一人でヒマでしたよ、フィオナちゃんもスネてて話を聞いてくれないですしぃ」
「フィオナが? なんで?」
「そりゃあ、私がお兄さんの半分を──ぁ、じゃなくて、えっと……まぁ、世の中には知らない方が良い事って色々ありますし? そんなに焦らなくても良くないです? 今度、今度教えますよ」
あまりにも強引にはぐらかされてしまった。知らない方が良いのなら、せめてもっと憂いなく隠蔽する努力をして欲しいものだ。
「取り敢えずキュウを探しに行くか」
「必要ないと思いますよ? あの人お兄さんよりずっと強いですし、調子も凄く良さそうでしたから」
「だからって放っておけないだろ」
「真面目ですねー」
スラジの呆れ声を背に受けながら、俺が酒場の出入口の扉に手をかけようとすると……先に、扉が外側から強い力で押し開けられた。我が物顔で入って来たのは、顔面にじっとりと臭い汗を浮かべた老齢の男、この拠点の主である。もう用事というのは済んだのだろうか。
「おぉ、起きたか。オメェが寝てる間に面倒な事になったぞ」
「……これ以上なにが面倒に?」
「もうすぐ東部居住区の一斉清掃が始まるぜ。中央居住区の清掃会本部から一級掃除屋が派遣された、今すぐここから逃げるぞ」
「一級って、それ本気で言ってるのか? 有り得ないだろ。仮に本当だとしても何であんたがそんな事を知ってる?」
「オメェには教えてやんねぇ。信じねぇなら勝手に死ねよ糞虫が」
男はボサボサの頭を掻きながら、不潔な歯を見せて不気味に嗤う。こんな奴の言葉を信用しろと言うのか?
「キュウがまだ戻って来てないんだ。出発するとしても、連れ戻してからになる」
「そんな必要はねぇな」
「あ? なんだって?」
薄汚い笑みを浮かべたまま、男は自信満々に指を二本立てる。
「二十秒だ。それだけ待ってやるから、オメェはさっさと支度しろ」
「だから、仲間が居ないって言ってるだろ。言葉が通じてないのか? そもそも何で俺らがあんたの指示に従わなきゃならないんだ」
「うるせぇーぞボケが、口答えすんなゲボカス。あと十秒」
……男は両手の指を一本ずつ折りながら、丁寧に時間を数える。そんな行動に何の意味があると言うのか。二十秒経ったらどうなる? 今すぐこの区域が爆発する訳でもなければ、俺達の準備が終わる訳でもない。当然、消えたキュウが戻って来るわけでも。
「ただいまぁ!」
上機嫌な女の声と同時に、入口の扉が蹴り開けられて吹き飛んだ。現れたのは、左腕に"金属製の部品"を張り付けたキュウだ。
「は? キュウ!? なんだよお前、その腕!?」
「あ、イチ君! 意識戻ったんだね? この腕のはね、さっき外で拾ったの! カッコ良いでしょ?」
ギラリと光る甲冑のような物を装着した腕を見せびらかしてキュウは笑う。ハツラツとした声と、屈託のない笑顔、ハキリの言っていた通り上機嫌のようだが……それよりも気になる事がある。
「……本当に二十秒だった」
「だから言ったろ? オメェはそうやって馬鹿みてぇにずっと驚いとけ」
この性根の腐った老人が、戯れのように数えていた無意味な時間。それがキッカリと、キュウの帰還までの時間と一致していた。いくら何でも偶然とは思えない。
「なんで分かったんだ?」
「あ? あれだよ、外で一回顔を合わせたんだよ。だからすぐ帰って来るのが分かった。これで満足か?」
「……本当にそれだけか?」
「しつけぇなぁ、何か問題あんのかよ? じゃあ未来予知したとでも言えば良かったのか? この知りたがりがよォ」
男は面倒くさそうな態度で俺の肩を突き飛ばすと、バーの奥で寝ているハキリに近付いて、その首根っこを掴んだ。
「おい嬢ちゃん、起きろ。あと数日でここは更地になるぞ」
片手でハキリを軽々と持ち上げながら、不穏な事を言う男。かなり乱暴な扱いをされながらも、目覚めたハキリは穏やかな表情で、いつものようにぼうっとしていた。
「──ぁ……お父さん?」
「寝惚けんなボケ! 俺の名前は教えたろうが。言ってみろ、ほれ」
「……ん、おはよう。カイン」
「誰だそりゃ!? アベルだよ! 掠ってもいねぇだろ!」
この男、ハキリに対してだけは対応が柔らかいというか……不自然なくらい優しいな。やはりスラジの言っていたように惚れているのだろうか。いやいやまさか、有り得ない、歳の差がありすぎる。
俺がそんな事を考えながら顔を顰めていると、突然スラジが机を叩いて声を荒らげた。
「ちょっと待ってください! アベル? アベルって何ですか? え、名前? まさか名前じゃないですよね? うっそ似合わな! こんな汚ったない爺が!?」
「あ? 文句か? このメスガキ、俺様にぶち殺されてぇんだな?」
「えーいやーないわぁ! アベルって有名な英雄の名前ですよ! あやかって付けるにしては思い切ってますねぇ! 親は馬鹿なんです!?」
アベルと名乗る老人に対して、スラジが思い切った罵倒を浴びせかけた。
その英雄なら俺もよく知っている。百年ほど前に活躍した一級掃除屋だ。どの職業でも一級にまで昇格した人間というのは偉人として未来永劫語り継がれるのだが、アベルはその中でも比較的新しい英雄である。たった百年前の人間なので、生前に会話をした事がある者もまだまだ多く生き残っているだろうに、そんな中でアベルの名を付けるというのは、かなり思い切った行動と言わざるを得ない。
「親はカンケーねぇ、これは俺が自分で改名したんだ」
「そんなワケないでしょ! 人間が改名するには中央居住区の審議会に五千万ゴルの納税が必要なんですよ!? こんな小汚い乞食に払える額じゃない!」
「……払って貰ったんだよ、当時の知り合いにな」
「嘘に嘘を重ねるのは感心しませんねぇ!」
スラジの勢いは留まる事を知らず、追求はヒートアップする。俺はそんな無駄な言い争いを、完全に意識から切り捨てて、キュウに向き直った。
「なぁ、その左腕は大丈夫なのか? 痛みは無いのか?」
「うん! 少しの違和感も無いよ! 外で瓦礫に埋もれてた工場から盗んで来たんだけど、安心安全の大量生産品って書いてあった!」
大量生産品という事は、無差別に売り付けても事故が起きないくらいに自信のある商品か、もしくはゴミを売り付けて金だけ払わせる悪党商法かのどちらかだ。そんな情報ではちっとも安心できない。……俺の脳裏に、過去のキュウの姿がチラつく。
「なんでそんな事をした?」
「え、えっと……私も、強くなって皆の役に立とうと思って」
「どんなに強くなっても、死ぬのは一瞬だぞ。お前は戦わなくて良いんだよ」
「でも、でもね……"自分の身を守る為"には必要でしょ?」
あまりの驚きに、俺の言葉が詰まる──キュウの口から、聞いた事も無い言葉が飛び出したのだ。自分の身を守るだなんて、キュウの性格とは正反対の考え方なのに。
「お前、大丈夫か? やっぱり脳の怪我が深刻化してるんじゃ……望み薄だが、今からでも医者を探すか?」
「え、どうしてそんなに心配するの?」
「お前が自分の安全を考えるのなんて見た事ないからだよ!」
「それは……そっか、そうなんだ。えへへ。でもね、もう私一人の身体じゃないから、大事にするの」
キュウは慈愛に満ちた顔で、自分の左腕をさする。どんな心境の変化があったと言うのか。
「そうか……あれ、待てよ? お前一人の身体じゃないって、それどういう意味だ?」
「え、スラジちゃんから聞いてないの? うーん? やっぱりこれ言わない方が良いのかな。うん、イチ君が違和感に気付かないなら大丈夫だと思うよ」
何故かキュウは最初にスラジが主張していたのと同じような事を言う。どういう事だ、俺が寝てる間に何があった?
きちんと問いただした方が良いだろうか、しかし二人とも問題は無いとは言っている。いやしかし、こいつらの言う事なんか信用して良いものか?
「……なぁ、なんでお前、さっきから左腕を触ってるんだ? やっぱり本当は痛いのか?」
「え!? 全然大丈夫だよ! 本当に! ちっとも痛くないから!」
「いやでも一度は検査した方が良い。俺に任せろ、お前のメンテには慣れてる」
「そ、それは駄目! やるならスラジちゃんに頼むから! ね、それで良いでしょ!!」
キュウが左腕を隠すように体を丸めて、必死に抗議する。彼女が俺の検査を拒むのは珍しい。いや、記憶を失くしているのだから当然か?
「お前がそう言うなら、あいつに任せるけど、本当に大丈夫なんだよな?」
「し、信じてよ! 私がイチ君に嘘をついた事なんか無いでしょ?」
……それは、ひょっとしてギャグで言ってるのか?




